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本編
第38話 引き離したら嫌われるわ
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庭で育てた新鮮なハーブを使ったお茶は、淡いピンク色をしていた。そこに少しだけ蜂蜜を垂らす。音をさせずに溶かしたカサンドラが、カップを口元に運んだ。それを待って、アゼリアはお茶に苺のジャムを沈める。完全に溶かさずに、最後に温まった苺の甘い粒を噛むのが好きだった。
兄ベルンハルトが教えてくれた飲み方で、アゼリアはとても気に入っている。他家のご令嬢を招いたお茶会では、色とりどりの菓子が並ぶ。乳製品や砂糖をふんだんに使った贅沢なケーキであったり、様々なジャムを乗せた焼き菓子が多かった。どちらも見た目重視だ。
あまり零れ落ちない菓子を選ぶのも、主催者側の配慮だった。しかし2人は獣人に分類されるため、香辛料の強い匂いや大量の砂糖は得意ではない。メイド達も好みを把握しているので、2人の時は素朴なビスケットに似た焼き菓子やスコーンに近い菓子が主流なのだ。
口の中でももそもそするため、お茶はいつも多めに用意される。
「お母様、ではいつキスを? 結婚式まで待つのですか」
「もっとも効果的な場面で接吻けるといいでしょうね。その辺は私の娘ですもの、きっとわかりますよ。あの方が本心から愛してくだされば、『奇跡』も起こりうるのです」
何を『奇跡』と称したのか。母と娘の理解には大きな溝があった。しかしアゼリアは何でもかんでも尋ねる必要がないと知っていた。本当に知らなければならない話なら、母カサンドラは必ず説明してくれるのだから。
「ねえ、お母様は焦らして逃げてお父様を手に入れたの?」
「話したことなかったかしら」
頷く娘に、そろそろ頃合いねと頬を緩める。いつか我が子に恋人が出来たら、話してあげようと思っていた。嫡男ベルンハルトもいれば良かったが、彼はいま貴族間の調整に四苦八苦している頃だろう。またの機会にベルンハルトには話せばいい。
カサンドラは大木の木漏れ日を眩しそうに見上げ、切り出した。
「そう、初めてアウグストと出会ったのは……」
続ける言葉に重なったのは、相槌ではなく――轟音と爆発の衝撃だった。慌てて立ち上がるアゼリアの目に、砦の上階に何かが突き刺さったのが見える。あそこは昨日の会議があった部屋、イヴリースとメフィストがいる! 思い至った瞬間、アゼリアはするりと狐の姿を取った。
「アゼリア?!」
柔らかな茶色の毛、尻尾の下半分と、4本の脚に白を履いた狐は、ぶるりと身を震わせる。よく見れば耳の先が片方だけ僅かに赤茶色に明るく抜けていた。琥珀の瞳が輝き、しなやかな獣の身体は地を蹴る。人間の姿より早く走れる形に……誰より早く魔王の元へ駆け付けるため。
娘のメタモルフォーゼに唖然とした母は、崩れるようにベンチに座り直した。アウグストが人間なのだから、アゼリアは獣人としてはハーフで半人前だ。にもかかわらず獣の姿に戻れるなんて。
先祖返りし、もっとも血筋が濃いと言われる王家の姫であったカサンドラですら、自由に獣の形をとることは出来なかった。獣人の変身は自然の獣より大きいという特徴がある。アゼリアも狐と呼ぶには大きく、尻尾の先まで入れると彼女の身長2人分だった。その大きな獣が走り去り、カサンドラは溜め息をつく。
「引き離せないわね、確実に嫌われるわ……」
己の中に眠る獣人の本能を呼び覚ますほど、あの子は魔王イヴリースに惚れている。引き離そう、娘を手元に残そうと考える夫には悪いけれど――これは無理よ。カサンドラは苦笑いして、テーブルの上の鈴を鳴らす。久しぶりにルベウス王家の弟へ手紙を出すために。
兄ベルンハルトが教えてくれた飲み方で、アゼリアはとても気に入っている。他家のご令嬢を招いたお茶会では、色とりどりの菓子が並ぶ。乳製品や砂糖をふんだんに使った贅沢なケーキであったり、様々なジャムを乗せた焼き菓子が多かった。どちらも見た目重視だ。
あまり零れ落ちない菓子を選ぶのも、主催者側の配慮だった。しかし2人は獣人に分類されるため、香辛料の強い匂いや大量の砂糖は得意ではない。メイド達も好みを把握しているので、2人の時は素朴なビスケットに似た焼き菓子やスコーンに近い菓子が主流なのだ。
口の中でももそもそするため、お茶はいつも多めに用意される。
「お母様、ではいつキスを? 結婚式まで待つのですか」
「もっとも効果的な場面で接吻けるといいでしょうね。その辺は私の娘ですもの、きっとわかりますよ。あの方が本心から愛してくだされば、『奇跡』も起こりうるのです」
何を『奇跡』と称したのか。母と娘の理解には大きな溝があった。しかしアゼリアは何でもかんでも尋ねる必要がないと知っていた。本当に知らなければならない話なら、母カサンドラは必ず説明してくれるのだから。
「ねえ、お母様は焦らして逃げてお父様を手に入れたの?」
「話したことなかったかしら」
頷く娘に、そろそろ頃合いねと頬を緩める。いつか我が子に恋人が出来たら、話してあげようと思っていた。嫡男ベルンハルトもいれば良かったが、彼はいま貴族間の調整に四苦八苦している頃だろう。またの機会にベルンハルトには話せばいい。
カサンドラは大木の木漏れ日を眩しそうに見上げ、切り出した。
「そう、初めてアウグストと出会ったのは……」
続ける言葉に重なったのは、相槌ではなく――轟音と爆発の衝撃だった。慌てて立ち上がるアゼリアの目に、砦の上階に何かが突き刺さったのが見える。あそこは昨日の会議があった部屋、イヴリースとメフィストがいる! 思い至った瞬間、アゼリアはするりと狐の姿を取った。
「アゼリア?!」
柔らかな茶色の毛、尻尾の下半分と、4本の脚に白を履いた狐は、ぶるりと身を震わせる。よく見れば耳の先が片方だけ僅かに赤茶色に明るく抜けていた。琥珀の瞳が輝き、しなやかな獣の身体は地を蹴る。人間の姿より早く走れる形に……誰より早く魔王の元へ駆け付けるため。
娘のメタモルフォーゼに唖然とした母は、崩れるようにベンチに座り直した。アウグストが人間なのだから、アゼリアは獣人としてはハーフで半人前だ。にもかかわらず獣の姿に戻れるなんて。
先祖返りし、もっとも血筋が濃いと言われる王家の姫であったカサンドラですら、自由に獣の形をとることは出来なかった。獣人の変身は自然の獣より大きいという特徴がある。アゼリアも狐と呼ぶには大きく、尻尾の先まで入れると彼女の身長2人分だった。その大きな獣が走り去り、カサンドラは溜め息をつく。
「引き離せないわね、確実に嫌われるわ……」
己の中に眠る獣人の本能を呼び覚ますほど、あの子は魔王イヴリースに惚れている。引き離そう、娘を手元に残そうと考える夫には悪いけれど――これは無理よ。カサンドラは苦笑いして、テーブルの上の鈴を鳴らす。久しぶりにルベウス王家の弟へ手紙を出すために。
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