【完結】聖女と結婚ですか? どうぞご自由に 〜婚約破棄後の私は魔王の溺愛を受ける〜

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢

文字の大きさ
55 / 238
本編

第52話 一番卑怯な言霊

しおりを挟む
  必死に走る先で、何かが見える。黒く凝った闇のような塊だった。魔力なのか。周囲を陽炎のように揺らめく煙が覆う獣は、自身も漆黒のようだ。

 鳥とドラゴンと昆虫、複数の羽が背を飾るが動かす様子はない。ただ広げただけの羽の後ろで尻尾が幾本も蠢いた。それぞれが意思を持つ蛇に似た尻尾の先端は、金属のような硬質の輝きを放つ。

『イヴリース!』
 
 茶色い狐の鳴き声が、切なく響いた。人の耳には動物の鳴き声でしかなく、しかし魔族や獣人なら言葉で聞き取る。名を呼んでも振り向かない婚約者の姿を見上げながら、足元の障害物を飛んだ。放置された馬車の荷台を越えた先で、軽い音を立てて着地する。

 近づくほど身体が軽くなった。近づくことを拒む気配はない。そのことが何より嬉しかった。

 誰もいない大通りを走り抜けたアゼリアの前に、ひらりとメフィストが現れる。外壁の上で待っていた彼は、主君が選んだ番の獣へ一礼した。

「今の陛下は意識を本能に支配されております。このまま放置しても数時間で戻りますよ」

 危険を冒して向かう必要はない。傷つけられる可能性を含めて婉曲に伝えるメフィストへ、狐は苛立った様子で尻尾を地面に叩きつけた。石畳にヒビが入る。柔らかく毛足の長い尻尾だが、その威力は魔物と変わらなかった。

『行くわ。援護しなさい』

 命じた声に応えはなく、目を瞠る魔国の宰相へ再び同じ言葉を繰り返した。慌てて了承を返すメフィストから視線を外す。

 イヴリースへ射掛けられる矢は、尽く尻尾に撃退されていた。動かす意思より、勝手に迎撃しているように見える。彼の視線は、こちらに向けられていた。攻撃を続ける人間に背を向け、興味深そうに目を瞬かせる。

 私を傷つけたら、あの人は泣くかしら。ちらりとそんな考えが過ぎる。嘆くくらいは愛してくれている? 獲物を仕留めた歓喜が先かもしれないわ。

 どうせなら、癒えない傷を残したい。私なら見えるところに治らない傷を。そうでなければ彼の心の奥深く、誰も触れたことのない場所に深い爪痕を……。

 はっと我に返る。呑まれていたのか、自分らしくないと首を横に振った。彼を取り戻す! 明確な目標を心の中で呟き、アゼリアは地を蹴った。

 ふわりと柔らかな放物線を描いて外壁を越え、街道を走った。見つめるのは漆黒の獣だけ。豹に似たしなやかさを持つ身体は、複数種の羽と前後が違う足先が不思議な調和をもたらす。

 不格好ではなく不気味でもない。ただ圧倒的な力を内包した獣は美しかった。

『イヴリース、アゼリアよ』

 沈黙を貫く獣の瞳が、ぎらりと光を帯びる。攻撃してくる! そう身構えたアゼリアの足が止まった。見上げた漆黒の獣が空を蹴り、己より小型の狐に襲い掛かる。

 大きく振られたイヴリースの右腕に体を弾き飛ばされ、狐は転がる。爪は立てていないが、上にのしかかるようにして拘束された。

 首元に迫る牙に、覚悟を決めて目を閉じる。

『イヴリース、愛してるわ』

 本音だけど、一番卑怯な言霊を投げつけた。
しおりを挟む
感想 109

あなたにおすすめの小説

処刑された王女は隣国に転生して聖女となる

空飛ぶひよこ
恋愛
旧題:魔女として処刑された王女は、隣国に転生し聖女となる 生まれ持った「癒し」の力を、民の為に惜しみなく使って来た王女アシュリナ。 しかし、その人気を妬む腹違いの兄ルイスに疎まれ、彼が連れてきたアシュリナと同じ「癒し」の力を持つ聖女ユーリアの謀略により、魔女のレッテルを貼られ処刑されてしまう。 同じ力を持ったまま、隣国にディアナという名で転生した彼女は、6歳の頃に全てを思い出す。 「ーーこの力を、誰にも知られてはいけない」 しかし、森で倒れている王子を見過ごせずに、力を使って助けたことにより、ディアナの人生は一変する。 「どうか、この国で聖女になってくれませんか。貴女の力が必要なんです」 これは、理不尽に生涯を終わらされた一人の少女が、生まれ変わって幸福を掴む物語。

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸
恋愛
社畜女子だったユイは、気づけば異世界に召喚されていた。 慣れない魔法の世界と貴族社会の中で右往左往しながらも、なんとか穏やかに暮らし始めたある日。 なぜか王立魔道士団の団長カイルが、やたらと家に顔を出すようになる。 氷のように冷静で、美しく、周囲の誰もが一目置く男。 そんな彼が、ある日突然ユイの前で言い放った。 「……俺にかけた魅了魔法を解け」 私、そんな魔法かけてないんですけど!? 穏やかなはずの日々に彼の存在が、ユイの心を少しずつ波立たせていく。 まったりとした日常の中に、時折起こる小さな事件。 人との絆、魔法の力、そして胸の奥に芽生え始めた“想い” 異世界で、ユイは少しずつ——この世界で生きる力と、誰かを想う心を知っていく。 ※タイトルのシーンは7話辺りからになります。 ゆったりと話が進みますが、よろしければお付き合いください。 ※カクヨム様にも投稿しています。

召喚聖女に嫌われた召喚娘

ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。 どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

喪女なのに狼さんたちに溺愛されています

和泉
恋愛
もふもふの狼がイケメンなんて反則です! 聖女召喚の儀で異世界に呼ばれたのはOL・大学生・高校生の3人。 ズボンを履いていた大学生のヒナは男だと勘違いされ、説明もないまま城を追い出された。 森で怪我をした子供の狼と出会ったヒナは狼族の国へ。私は喪女なのに狼族の王太子、No.1ホストのような武官、真面目な文官が近づいてくるのはなぜ? ヒナとつがいになりたい狼達の恋愛の行方は?聖女の力で国同士の争いは無くすことができるのか。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

死んでるはずの私が溺愛され、いつの間にか救国して、聖女をざまぁしてました。

みゅー
恋愛
異世界へ転生していると気づいたアザレアは、このままだと自分が死んでしまう運命だと知った。 同時にチート能力に目覚めたアザレアは、自身の死を回避するために奮闘していた。するとなぜか自分に興味なさそうだった王太子殿下に溺愛され、聖女をざまぁし、チート能力で世界を救うことになり、国民に愛される存在となっていた。 そんなお話です。 以前書いたものを大幅改稿したものです。 フランツファンだった方、フランツフラグはへし折られています。申し訳ありません。 六十話程度あるので改稿しつつできれば一日二話ずつ投稿しようと思います。 また、他シリーズのサイデューム王国とは別次元のお話です。 丹家栞奈は『モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します』に出てくる人物と同一人物です。 写真の花はリアトリスです。

処理中です...