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本編
第52話 一番卑怯な言霊
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必死に走る先で、何かが見える。黒く凝った闇のような塊だった。魔力なのか。周囲を陽炎のように揺らめく煙が覆う獣は、自身も漆黒のようだ。
鳥とドラゴンと昆虫、複数の羽が背を飾るが動かす様子はない。ただ広げただけの羽の後ろで尻尾が幾本も蠢いた。それぞれが意思を持つ蛇に似た尻尾の先端は、金属のような硬質の輝きを放つ。
『イヴリース!』
茶色い狐の鳴き声が、切なく響いた。人の耳には動物の鳴き声でしかなく、しかし魔族や獣人なら言葉で聞き取る。名を呼んでも振り向かない婚約者の姿を見上げながら、足元の障害物を飛んだ。放置された馬車の荷台を越えた先で、軽い音を立てて着地する。
近づくほど身体が軽くなった。近づくことを拒む気配はない。そのことが何より嬉しかった。
誰もいない大通りを走り抜けたアゼリアの前に、ひらりとメフィストが現れる。外壁の上で待っていた彼は、主君が選んだ番の獣へ一礼した。
「今の陛下は意識を本能に支配されております。このまま放置しても数時間で戻りますよ」
危険を冒して向かう必要はない。傷つけられる可能性を含めて婉曲に伝えるメフィストへ、狐は苛立った様子で尻尾を地面に叩きつけた。石畳にヒビが入る。柔らかく毛足の長い尻尾だが、その威力は魔物と変わらなかった。
『行くわ。援護しなさい』
命じた声に応えはなく、目を瞠る魔国の宰相へ再び同じ言葉を繰り返した。慌てて了承を返すメフィストから視線を外す。
イヴリースへ射掛けられる矢は、尽く尻尾に撃退されていた。動かす意思より、勝手に迎撃しているように見える。彼の視線は、こちらに向けられていた。攻撃を続ける人間に背を向け、興味深そうに目を瞬かせる。
私を傷つけたら、あの人は泣くかしら。ちらりとそんな考えが過ぎる。嘆くくらいは愛してくれている? 獲物を仕留めた歓喜が先かもしれないわ。
どうせなら、癒えない傷を残したい。私なら見えるところに治らない傷を。そうでなければ彼の心の奥深く、誰も触れたことのない場所に深い爪痕を……。
はっと我に返る。呑まれていたのか、自分らしくないと首を横に振った。彼を取り戻す! 明確な目標を心の中で呟き、アゼリアは地を蹴った。
ふわりと柔らかな放物線を描いて外壁を越え、街道を走った。見つめるのは漆黒の獣だけ。豹に似たしなやかさを持つ身体は、複数種の羽と前後が違う足先が不思議な調和をもたらす。
不格好ではなく不気味でもない。ただ圧倒的な力を内包した獣は美しかった。
『イヴリース、アゼリアよ』
沈黙を貫く獣の瞳が、ぎらりと光を帯びる。攻撃してくる! そう身構えたアゼリアの足が止まった。見上げた漆黒の獣が空を蹴り、己より小型の狐に襲い掛かる。
大きく振られたイヴリースの右腕に体を弾き飛ばされ、狐は転がる。爪は立てていないが、上にのしかかるようにして拘束された。
首元に迫る牙に、覚悟を決めて目を閉じる。
『イヴリース、愛してるわ』
本音だけど、一番卑怯な言霊を投げつけた。
鳥とドラゴンと昆虫、複数の羽が背を飾るが動かす様子はない。ただ広げただけの羽の後ろで尻尾が幾本も蠢いた。それぞれが意思を持つ蛇に似た尻尾の先端は、金属のような硬質の輝きを放つ。
『イヴリース!』
茶色い狐の鳴き声が、切なく響いた。人の耳には動物の鳴き声でしかなく、しかし魔族や獣人なら言葉で聞き取る。名を呼んでも振り向かない婚約者の姿を見上げながら、足元の障害物を飛んだ。放置された馬車の荷台を越えた先で、軽い音を立てて着地する。
近づくほど身体が軽くなった。近づくことを拒む気配はない。そのことが何より嬉しかった。
誰もいない大通りを走り抜けたアゼリアの前に、ひらりとメフィストが現れる。外壁の上で待っていた彼は、主君が選んだ番の獣へ一礼した。
「今の陛下は意識を本能に支配されております。このまま放置しても数時間で戻りますよ」
危険を冒して向かう必要はない。傷つけられる可能性を含めて婉曲に伝えるメフィストへ、狐は苛立った様子で尻尾を地面に叩きつけた。石畳にヒビが入る。柔らかく毛足の長い尻尾だが、その威力は魔物と変わらなかった。
『行くわ。援護しなさい』
命じた声に応えはなく、目を瞠る魔国の宰相へ再び同じ言葉を繰り返した。慌てて了承を返すメフィストから視線を外す。
イヴリースへ射掛けられる矢は、尽く尻尾に撃退されていた。動かす意思より、勝手に迎撃しているように見える。彼の視線は、こちらに向けられていた。攻撃を続ける人間に背を向け、興味深そうに目を瞬かせる。
私を傷つけたら、あの人は泣くかしら。ちらりとそんな考えが過ぎる。嘆くくらいは愛してくれている? 獲物を仕留めた歓喜が先かもしれないわ。
どうせなら、癒えない傷を残したい。私なら見えるところに治らない傷を。そうでなければ彼の心の奥深く、誰も触れたことのない場所に深い爪痕を……。
はっと我に返る。呑まれていたのか、自分らしくないと首を横に振った。彼を取り戻す! 明確な目標を心の中で呟き、アゼリアは地を蹴った。
ふわりと柔らかな放物線を描いて外壁を越え、街道を走った。見つめるのは漆黒の獣だけ。豹に似たしなやかさを持つ身体は、複数種の羽と前後が違う足先が不思議な調和をもたらす。
不格好ではなく不気味でもない。ただ圧倒的な力を内包した獣は美しかった。
『イヴリース、アゼリアよ』
沈黙を貫く獣の瞳が、ぎらりと光を帯びる。攻撃してくる! そう身構えたアゼリアの足が止まった。見上げた漆黒の獣が空を蹴り、己より小型の狐に襲い掛かる。
大きく振られたイヴリースの右腕に体を弾き飛ばされ、狐は転がる。爪は立てていないが、上にのしかかるようにして拘束された。
首元に迫る牙に、覚悟を決めて目を閉じる。
『イヴリース、愛してるわ』
本音だけど、一番卑怯な言霊を投げつけた。
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