【完結】帝国滅亡の『大災厄』、飼い始めました

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢

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第二章 アスターレン

第8話 飛んで火に入る…?

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「失礼するよ」

 部屋に入ってきたのは、さきほどの騎士だった。彼が一礼して先を譲れば、まだ年若い青年が顔を見せる。入室の声の主は彼だろうか。

 顔をじろじろ見るのは失礼に当たる。僅かに目を伏せて、青年の首下に視線を合わせた。最低限の礼儀だと覚えているが、この国での礼儀に適っているかわからない。


「君は……貴族だったのか?」

 王族への敬意を示す目線位置、敵意がないと表すために指を開いて利き手を押さえる仕草に驚かれたらしい。どうやらこの国での失礼は免れたようだ。

 ほっとして口元が緩むが、問いかけへ首を横に振った。

 声に出して返答する許可を待つルリアージェへ、青年が歩み寄る。

「正式な場ではない。声を出して構わない」

 王族へ向けて平民が声をかけるのは、無礼の極みだった。

 失われた記憶は自らの存在を示すものだけ、生活に必要な知識や蓄積された経験などは残されている。己の生まれや身分は思い出せないが、きっと貴族ではなかった。

 貴族や王族と接することがある職業だった可能性はあるが、自らが他人に傅かれる立場だったと思えない。


 身を起こして立ち上がろうとすれば、医師が手で動きを制した。

「動いてはいけない」

「わかりました。すみません」

 医師に一礼し、王族らしき青年の首に視線を移した。

 王族の顔を直接見るには本人の許可がいる。そして彼が出した許可は「声を出して構わない」というもの。つまり顔を直接見る許可は得られていなかった。

 そのため王族は身分を示すジュエリーを、首から下の胸元に飾る。女性王族はネックレスやブローチ、男性王族は勲章やジャボを留めるカメオのような形が一般的だった。

 青年が身に着けている勲章は王子であり、王太子ではなかった。

 この習慣は北の2国を除く全ての国が当てはまる。

 北の国々は、王族の足元から視線を上げることに許可が必要だった。北のほうが身分による縛りが大きいのだろう。

「お見苦しい姿で申し訳ございません」

 王族へ詫びの言葉を向ける。続きを待つ彼へ、先ほどの答えを口にした。

「私は貴族ではないと思います。覚えておりませんが、尊い立場ではございません」

 疑惑をきっぱり否定した。貴族であったなら、馬車の前を遮るような無作法はしない。それが子供が轢かれそうだったとしても、貴族の令嬢が馬車の前に飛び出すなど考えられなかった。

「顔を上げよ」

 慣れた命令口調に顔をゆっくり上げる。一度ゆっくり瞬きして、初めて王子の顔に視線を合わせた。整った顔立ちは優しげで、どこか女性的な柔らかさを感じさせる。

 緑の瞳と金に近い明るい茶髪が白い肌を縁取っていた。普段陽に焼けることがないのだろう。ひ弱にすら感じる白さだった。

「やはり美人だね」

 にこにこと人好きのする笑みを浮かべた王子が手を差し伸べる。そのまま小首を傾げて待つ彼に、首を横に振って拒否の意思を示した。

「でも……君は何も覚えていないのでしょう? 私の手を取った方がいいと思うけれど」

 かなりの譲歩をしてくれたと理解している。

 王族の馬車を遮って停止させた罪人として、処罰の対象となることもわかっていた。彼の手を取らなければ、処刑される可能性もある。

 王族の馬車を止めるという行為は、彼らに敵対する意志表示となり得るのだ。

 動いている馬車を攻撃する手段は少ない。魔術による結界も張られているだろう。物理的な攻撃も、魔術による攻撃も、動いている標的を仕留めるには高い技量が要求された。

 だが止まってしまえばいくらでも狙うことが出来る。動かない的を襲うのは、矢や魔術、剣も容易なのだから。

「処罰はお受けします」

「ふむ……」

 王子は困ったように眉を寄せて、整った顔を曇らせた。罪びとを彼の独断で無罪放免とは行かない。それが悩みの理由なのだろう。

 そう考えたルリアージェの耳に届いたのは、意外な言葉だった。

「処罰されても、私の手を取りたくない……か。顔には自信があったのだが」

 苦笑いしながら続けられた言葉に、きょとんとして顔を見つめる。無礼な所作だと気付いて、慌てて目を逸らした。

 ルリアージェが想像する王族は、もっと傲慢な人種だ。

 己の望みを押し通すのは当然、相手の気持ちを思いやる必要はなく、人でも物でも自由にできると思い上がった人たち―――そんな印象だった。だが彼は違うようだ。

 少なくとも、取れと差し伸べた手を断られても激昂しなかった。

「ではこうしよう。私は君を側妃にする気はないので、一度手を取ってくれ」

「……はい」

 そこまで譲歩されたら断れない。困惑したルリアージェの視線の先で、騎士も呆れ顔をしていた。どうやら、この王子は他の王族や貴族から見ても変り種らしい。

 再び差し伸べられた手の上に、今度はそっと左手を重ねた。




 豪華な馬車の中、化粧を施された美女は王子の隣に座っていた。

 ふかふか柔らかなクッションに身を沈める。深い赤が主流のデザインは派手すぎず、質の良いシンプルだが高価な内装は王室の馬車に相応しかった。

 美女が身にまとうドレスは鮮やかなロシアンブルー。ライオット王子が用意したもので、軽く柔らかな生地は薄い。幾重にも重ねられた豪華なスカートは大きく膨らんでいた。

 肩の出るドレスのため、ピンク色のショールを掛ける。胸元は牡丹の花に似た大きなコサージュが飾られ、胸全体を覆っていた。

 まさか足りない胸を豪華に見せるためではない……と信じているが。


「あの日は急いでいた。すこし無理をして飛ばさせた自覚はある。飛び出した幼子は我が国民だ、助けてくれた君に感謝している……ただ、兄は違う。王族の馬車を止めた君を、他国の刺客だと疑った」

「ライオット王子殿下、それは第一王子殿下の判断が正しいと思います」

 ライオットは眉尻を下げて苦笑いを歪めた。

 疑われるのが当然のルリアージェだが、王子として変わり者のライオットは『記憶のない不審者』と認識していない。王族として狙われる立場なのに、彼は平民のような考え方をしていた。

 顔に出たのか、ライオットは鮮やかな森の緑を宿した瞳を細めて笑う。

「私は平民の母をもつ。父王のお忍びで見初められた母は、乳母を使わなかったからね。第二王子だが継承権は低いから、狙われる理由もほぼない」

 笑いながら言われたのだから、本人は気にしていないのだろう。

 ただ、忠告した兄王子はライオットをかなり気に入っており、本心から心配している。片腕として望まれているのかも知れない。この王子にその気があるかどうかは別として。


「そう……ですか」

 下手に相槌を打ってもいいか。判断に困る話だった。

「兄も君に会えばわかってくれる。私は君の勇気や行動力が気に入ったのだよ、もちろん美しい姿もね」

 ウィンクつきで告げられても「口説かれた」というより、緊張しないよう気遣う彼に警戒心は働かなかった。くすくす笑うルリアージェの銀髪にそっと触れ、ライオットは首を傾げる。

「この髪、北の出身かな?」

 色の淡い髪や目の色は、北の出身者に多い。しかしルリアージェの記憶は海、つまり南の国の記憶だった。北は海ではなく、氷の大地に面している。

「わかりませんが、海の記憶があるので南かと……」

「珍しいね。ところで仮の名を『アリア』と呼んでも構わない?」

「はい、殿下のご自由に」

「そう? だったら、リアと略してしまおうか」

 アリアは聖女の名として知られている。

 この大陸を制した帝国の最盛期を支えた聖女であった彼女の名は、貴族から平民まで広く親しまれた。そのため、大陸一多い女性名でもある。

 仮の名としては妥当だろう。

 ちなみに、本来の『ルリアージェ』という名前も珍しくない。なぜなら、この世界を育んだ女神の名前が『ルリアージェ』だったからだ。女の子の名前として普及しており、『アリア』同様、リアと省略するのは一般的だった。

 だから、きっとライオットはリアと略して呼んだのだろう。当たり前だと思う反面、なぜか胸の奥で何かが聞こえる。

 少しだけ間を広く呼ぶ男性の声で――「リア」と。

 もちろん、目の前のライオット王子の声ではない。目が覚めてから聞いた声の中に同じ響きはないし、思い出せる範囲にも該当する声の主はいなかった。

「はい……」

 頷きながら、疑問が残る。あの声の主は誰だっただろう。消えてしまった記憶の中の誰か、僅かな胸の痛みを与える存在に思いを馳せる。


「リア、両手を見せて」

 言われるままに手を見せると、手のひらを上にしてじっと見つめられた。恥ずかしいわけではないが、居心地が悪くて僅かに手を引いてしまう。

 じっくり観察し、手のひらの上を指で撫ぜてからライオットは手を離した。

「手が硬くないから、武器や道具を使う職業じゃない。でも貴族や王族への拝礼と作法を知っている立場か……文官ならペン胼胝たこがあるだろうが、君は違うね」

 取り戻した手がびくりと揺れる。

 のほほんとした王子様だと思っていたが、考えを改める必要があるだろう。

 机上で空論を扱う存在ではない。兄である第一王子の補佐を勤められるほどの実力者である可能性が高まった。このアスターレンの国にとって、本人が思う以上に必要な王子なのかも知れない。

 なおさら、彼に囚われるわけにいかない。

 なぜか強くそう思った。これ以上親しくなってはいけない、と。警告めいた考えが浮かぶ。


「踊りや音楽関係か……いや、魔法? 魔術師かも。ねえ、アリア。魔術は使えそう?」

 唸りながら考えていたライオットの問いかけに、頭の中を辿ってみた。

 魔術に関する知識は、記憶ではない。火を起こし、風を操り、水を躍らせる――魔術の手順はしっかり残されていた。知識として魔法陣の図柄も知っている。

「はい、使えると思います」

 実践していないから断言できないが、この膨大な知識は魔術を使える証拠のような気がした。曖昧な答えにも関わらず、ライオットは嬉しそうに笑う。

「そう、魔術師ならいいな。それなら兄の懸念を払拭した上で、君を側妃にしなくても助けてあげられる」

 やはり、王族の馬車を止めた罪は大きかったらしい。

 兄王子はルリアージェを処罰するつもりでおり、目の前の第二王子は阻止したいと考えている。

 本人が口にした通り、急いでいたため無茶をした自覚がある彼にとって国民を命がけで助けた存在を罰したくないのだろう。


「ご厚情に感謝申し上げます」

 笑顔でお礼を口にすれば、ライオットが一瞬息を呑んだ。

「っ……、やっぱり側妃になって欲しい、かも」

「ご冗談が過ぎます」

 一刀両断――ルリアージェの容赦ない一言に、ライオットは声を上げて笑った。

 楽しそうな姿は、王族らしくない。だが民は、自分達に近いこの王子を支持するだろう。親しみやすい王族の代表として、王の傍で国民の立場を考えてくれる存在として望む筈だった。

 自らが貴族や王族ではないと確信があるくせに、そんな風に考える自分がいる。まるで王族の近くにあって、そのあり方をよく知っているように。そして、政に関わる立場にいたかのようだった。

 もしかしたら、本当に関わったのだろうか。

 人の裏を探る考え方は、王侯貴族に関わって生きてきた証拠のような気がする。


「さあ、着くよ」

 促されて顔を上げれば、窓から見える景色は立派な庭園に変わっていた。

 町並みは消え、視線の先に大きな建造物が現れる。王宮――クリーム色がかったレンガの壁は蔦が這い、塔の屋根は空に溶け込むように鮮やかな青だった。

「美しい王宮ですね」

 感嘆の息と共に呟いた声に、ライオットが「ああ、自慢の王宮だ」と返す。

 馬車が旋回し、噴水がある王宮の正面に止まった。

 ドアが開かれ、先にライオットが降りる。座ったまま待てば、白い手を差し出された。


 違う――この手じゃない。

 反射的にそう思い、誰と比べているのかわからない自分に気付く。眉を寄せて溜め息を吐いた。

 目を伏せ、俯いて手を取ると、スカートの端を摘んで馬車から降りる。

「ライオット、それがお前が見つけた女か? よく来たな」

 歓迎とは程遠い冷めた声に、ルリアージェは深く身を屈めた。

 第二王子の名を呼び捨てる存在は、男性王族の中でも国王陛下と第一王子くらいだろう。そしてこの場に国王がいる筈がない。

 ふわりと広がったスカートの中に身を埋めるように、中で両膝をついて頭を下げる。知る限りで最上級の礼を取り、ルリアージェはゆっくりと蒼瞳を閉じた。
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