73 / 222
本編
72.新たな名を授かる神聖な場
しおりを挟む
可愛い娘が「イングリット」を名乗るのも、今日が最後ね。名付けた時は女神様のお名前をいただき、加護を得られたらと思ったの。私が一人で考えて決めた名前よ。
あばぁ、声をあげて手を伸ばす娘は首も据わり、抱くのも楽になった。頬を擦り寄せ、小さな手が顔を辿るのを自由にさせる。今日は、赤子の肌にも使えるような化粧水しか使わなかった。抱いている時間が長いんだもの。娘の健康は、私の見栄えより重要よ。帝国の青は今日も鮮やかに光を弾く。
馬車に揺られる間も、イングリットはご機嫌で小さな声をあげる。その度に、ルヴィ兄様やエック兄様が覗き込んだ。ライフアイゼン公爵令嬢は、困ったような顔でこてりと首を傾げる。赤子にどう接していいか、迷っている感じだった。
ザックス侯爵令嬢オリーヴィアは、緊張した面持ちだった。ずっと親しんできた名前が変わるんだもの、当然よ。婚約を打診した段階で気づけなかったのは、私のミスね。
フォルト兄様は予定通り動き出す。お父様やガブリエラ様も、そのために国境まで赴いた。今回の儀式に参加できないけれど、ガブリエラ様に贈られた名を冠した娘が誕生する。皇女として、愛される子よ。
クラウスは無言だけれど、表情は柔らかかった。降りる際も手を貸し、私をエスコートする。馬車から降りて、クラウスと並んで歩いた。兄二人も婚約者に腕を絡め、神殿内を奥へと進む。神々の像が並ぶ拝礼の間の裏側へ入った。ここは一般公開されない部屋よ。拝礼用の大きな神像ではなく、小さな像が並んだ。神々の控え室のように、思い思いの格好で寛ぐ像は人の背丈と変わらない。
円形の部屋で寛ぐ神々の視線は、一箇所に注がれていた。ここが神殿の中央になる。イングリットは自分で立ったり座ったりできないため、私が抱いて儀式を受ける。地位の高い順番で執り行われるため、私が先に両膝をついた。専用のクッションが置かれており、膝を乗せて顔をあげる。抱かれたままのイングリットは、不思議そうに目を見開いた。
リヒター帝国の大神官二人が、左右から祝福の花びらを散らした。正義や断罪を司る叔父様が白い花びらを、豊穣と調和を齎す女性の大神官は赤い花びらを振りかけるのが慣わしだった。
「第二十一代皇帝ルートヴィッヒの妹ヴィクトーリアが娘、イングリット・クリスティーネ・リヒテンシュタイン。名をジルヴィア・クリスティーネ・リヒテンシュタインと改め、新たな守り袋を授ける。九柱の神々よ、新たに生まれ直した信者に祝福を!」
高らかに響く声に「祝福を」と声を重ねた。ルヴィ兄様達も同様に振る舞う。新たな守り袋を渡され、目の前で名前の変更が出生届に刻まれた。よく見ると父親欄が空白になっているわ。叔父様の仕業かしら。
一礼して下り、同じようにオリーヴィアが膝をつく。ほぼ同じ文言で、マルグリットへと改名された。成人しているため、守り袋はない。代わりに札を手渡された。
エック兄様に頼んだので、エリーゼとアンナも同席している。出入り口に近い壁際で、二人は両手を組んで祈りを捧げていた。
神々の間を出る大神官に続き、私達も深く頭を下げる。皇帝や国王であろうと、神々の権威には及ばなかった。だから敬意を示し、逆らわぬと従順を誓う。無言で廊下を歩き、来客者の宿泊用に用意された部屋に入った。ここでようやく、肩から力が抜けた。
「無事終わって安心したわ」
「供物は届けてありますので、安心してください」
エック兄様の手配なら問題ないでしょう。交代を申し出るアンナに抱かれると、ジルヴィアが泣き出した。大きな泣き声は、神殿では歓迎される。なぜなら、人は生まれながらに泣くからよ。生命力の象徴であり、神々から分たれた魂の嘆きでもあるの。
軽くあやすと、ジルヴィアの泣き声がやや小さくなる。いくら迷惑にならなくとも、ずっと泣いていたら疲れてしまうわ。
「マルグリット、嫁ぐにあたり名前が変わることを失念していたわ。ごめんなさいね」
「いいえ、皇帝陛下からお話をいただき、覚悟しておりましたので……」
首を横に振るマルグリットは、吹っ切れた様子ね。ルヴィ兄様と微笑み合う姿も仲睦まじい恋人のよう。どうやら私の知らない間に、何回か会って交流を深めていたみたい。隅におけないわね。
あばぁ、声をあげて手を伸ばす娘は首も据わり、抱くのも楽になった。頬を擦り寄せ、小さな手が顔を辿るのを自由にさせる。今日は、赤子の肌にも使えるような化粧水しか使わなかった。抱いている時間が長いんだもの。娘の健康は、私の見栄えより重要よ。帝国の青は今日も鮮やかに光を弾く。
馬車に揺られる間も、イングリットはご機嫌で小さな声をあげる。その度に、ルヴィ兄様やエック兄様が覗き込んだ。ライフアイゼン公爵令嬢は、困ったような顔でこてりと首を傾げる。赤子にどう接していいか、迷っている感じだった。
ザックス侯爵令嬢オリーヴィアは、緊張した面持ちだった。ずっと親しんできた名前が変わるんだもの、当然よ。婚約を打診した段階で気づけなかったのは、私のミスね。
フォルト兄様は予定通り動き出す。お父様やガブリエラ様も、そのために国境まで赴いた。今回の儀式に参加できないけれど、ガブリエラ様に贈られた名を冠した娘が誕生する。皇女として、愛される子よ。
クラウスは無言だけれど、表情は柔らかかった。降りる際も手を貸し、私をエスコートする。馬車から降りて、クラウスと並んで歩いた。兄二人も婚約者に腕を絡め、神殿内を奥へと進む。神々の像が並ぶ拝礼の間の裏側へ入った。ここは一般公開されない部屋よ。拝礼用の大きな神像ではなく、小さな像が並んだ。神々の控え室のように、思い思いの格好で寛ぐ像は人の背丈と変わらない。
円形の部屋で寛ぐ神々の視線は、一箇所に注がれていた。ここが神殿の中央になる。イングリットは自分で立ったり座ったりできないため、私が抱いて儀式を受ける。地位の高い順番で執り行われるため、私が先に両膝をついた。専用のクッションが置かれており、膝を乗せて顔をあげる。抱かれたままのイングリットは、不思議そうに目を見開いた。
リヒター帝国の大神官二人が、左右から祝福の花びらを散らした。正義や断罪を司る叔父様が白い花びらを、豊穣と調和を齎す女性の大神官は赤い花びらを振りかけるのが慣わしだった。
「第二十一代皇帝ルートヴィッヒの妹ヴィクトーリアが娘、イングリット・クリスティーネ・リヒテンシュタイン。名をジルヴィア・クリスティーネ・リヒテンシュタインと改め、新たな守り袋を授ける。九柱の神々よ、新たに生まれ直した信者に祝福を!」
高らかに響く声に「祝福を」と声を重ねた。ルヴィ兄様達も同様に振る舞う。新たな守り袋を渡され、目の前で名前の変更が出生届に刻まれた。よく見ると父親欄が空白になっているわ。叔父様の仕業かしら。
一礼して下り、同じようにオリーヴィアが膝をつく。ほぼ同じ文言で、マルグリットへと改名された。成人しているため、守り袋はない。代わりに札を手渡された。
エック兄様に頼んだので、エリーゼとアンナも同席している。出入り口に近い壁際で、二人は両手を組んで祈りを捧げていた。
神々の間を出る大神官に続き、私達も深く頭を下げる。皇帝や国王であろうと、神々の権威には及ばなかった。だから敬意を示し、逆らわぬと従順を誓う。無言で廊下を歩き、来客者の宿泊用に用意された部屋に入った。ここでようやく、肩から力が抜けた。
「無事終わって安心したわ」
「供物は届けてありますので、安心してください」
エック兄様の手配なら問題ないでしょう。交代を申し出るアンナに抱かれると、ジルヴィアが泣き出した。大きな泣き声は、神殿では歓迎される。なぜなら、人は生まれながらに泣くからよ。生命力の象徴であり、神々から分たれた魂の嘆きでもあるの。
軽くあやすと、ジルヴィアの泣き声がやや小さくなる。いくら迷惑にならなくとも、ずっと泣いていたら疲れてしまうわ。
「マルグリット、嫁ぐにあたり名前が変わることを失念していたわ。ごめんなさいね」
「いいえ、皇帝陛下からお話をいただき、覚悟しておりましたので……」
首を横に振るマルグリットは、吹っ切れた様子ね。ルヴィ兄様と微笑み合う姿も仲睦まじい恋人のよう。どうやら私の知らない間に、何回か会って交流を深めていたみたい。隅におけないわね。
1,490
あなたにおすすめの小説
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』
放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」
王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。
しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!?
「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!)
怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。
婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜
nacat
恋愛
婚約者に裏切られ、蔑まれ、全てを失った公爵令嬢リリアナ。
「あなたのような女、誰が愛すると?」そう言い放った王太子と元友人に嘲られても、彼女は涙を見せなかった。
だが、冷たく美しい隣国の公爵セドリックと出会った瞬間、運命は静かに動き出す。
冷酷と噂された男の腕のなかで、彼女は再び自分を取り戻していく。
そして――彼女を捨てた者たちは、彼女の眩い幸福の前に膝をつく。
「これは、ざまぁを通り越して愛された令嬢の物語。」
手放してみたら、けっこう平気でした。
朝山みどり
恋愛
エリザ・シスレーは伯爵家の後継として、勉強、父の手伝いと努力していた。父の親戚の婚約者との仲も良好で、結婚する日を楽しみしていた。
そんなある日、父が急死してしまう。エリザは学院をやめて、領主の仕事に専念した。
だが、領主として努力するエリザを家族は理解してくれない。彼女は家族のなかで孤立していく。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
見捨てられた逆行令嬢は幸せを掴みたい
水空 葵
恋愛
一生大切にすると、次期伯爵のオズワルド様に誓われたはずだった。
それなのに、私が懐妊してからの彼は愛人のリリア様だけを守っている。
リリア様にプレゼントをする余裕はあっても、私は食事さえ満足に食べられない。
そんな状況で弱っていた私は、出産に耐えられなくて死んだ……みたい。
でも、次に目を覚ました時。
どういうわけか結婚する前に巻き戻っていた。
二度目の人生。
今度は苦しんで死にたくないから、オズワルド様との婚約は解消することに決めた。それと、彼には私の苦しみをプレゼントすることにしました。
一度婚約破棄したら良縁なんて望めないから、一人で生きていくことに決めているから、醜聞なんて気にしない。
そう決めて行動したせいで良くない噂が流れたのに、どうして次期侯爵様からの縁談が届いたのでしょうか?
※カクヨム様と小説家になろう様でも連載中・連載予定です。
7/23 女性向けHOTランキング1位になりました。ありがとうございますm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる