159 / 171
第9部
第159話
しおりを挟むなにかが近づいてくる。ハイロとノネコの鋭敏な嗅覚をもってしても、向かってくるにおいの正体を予想できず、眉を寄せた。それもそのはずで、彼らの前に姿をあらわしたのは、ミュオンの分化を見届けてきたばかりのオオカミ(の幻影)だった。
「あれは、大神ではないのかい?」とノネコ。「ああ、どうやら生きていないようだがな」とハイロがつぶやく。ようやく、状況が呑みこめた灰色大熊は、ノネコを背後にして立ち、オオカミと正面から向き合った。半獣属の姿とはいえ、ハイロと大神の格の違いは歴然で、クマ泣かせの異名は伊達ではない。オオカミのたてがみが風にゆれるたび、妙な緊張感が漂った。
「……ハイロさん、気をつけて」
からだの小さいノネコを守るように身構えるハイロは、オオカミが放つ神気に触れ、息苦しさを覚えた。なにかを伝えにきたはずのオオカミだったが、沈黙を保ち、距離を縮めてくる。ヒタヒタと近づく足音は、やがてピタッと静止した。わずか数メートルの場所に、オオカミが立っている。ハイロに一撃でも喰らわせる気なのか、見据える金眼の奥には強い意志が宿っている。
「おれたちに、なにか用か」
互いに口を閉ざしていては、膠着状態がつづくばかりである。ハイロは、先にことばを発して沈黙を破った。すると、ザワッと周囲の木々が葉をゆらし、甦った水の精霊が飛んでくる。ふわりと地面に爪先をたて、ハイロとオオカミのあいだに割ってはいる。精霊は衣服を身につけていないため、青白い肌が際立って目についた。ハイロとノネコは、瞬時にミュオンの分化した姿であると察したが、素直によろこべない状況につき、速る感情を抑制した。
「これはまた、なんと美しい精霊でしょうか。……しかし、なかなか目のやり場に困りますね。そう思いませんか、ハイロさん」
「……そうだな」
水の精霊は、生まれたままの肉体を隠そうとせず、ハイロとノネコを正面から見据えた。ミュオンの裸身ならば見慣れているハイロだが、生命の欠片を生みだした細い腰や腹部へ視線を落とし、眉をひそめた。無表情の精霊は、烟のようにゆらめき、どこということもなく、辺りへ目線を外した。
「……行くところがないのか」
ハイロの問いに、水の精霊は微かに目を細めた。背中の羽をフッと消して、腰に手を当て、片足に重心を寄せる。数十秒ほど考えこみ、それから、『人間?』と、つぶやいた。初めて聞く声だが、ミュオンとまったく変わらない。ノネコは「人間?」と復唱し、ハッとなる。水の精霊は、この先の小屋にいる、亮介とリヒトのにおいに気づき、視線を遠くへ向けている。ミュオンを連れて帰ることが、なにを意味するのか。ここは、慎重に対処すべき状況である。ハイロとノネコは、ミュオンから目を離さず、思考をめぐらせた。
満ちたりていた時間は短い。春風や真夏の太陽に包まれ、あたたまっていた心や身体は、沈黙の泉水に冷やされ、共に暮らした日々を忘却の深淵に沈める。灰色大熊やノネコと再会した水の精霊は、なにひとつ過去を思いだせず、彼らに興味もなかった。
「いっしょに来るか、ミュオン」
長い沈黙のあと、ハイロが手を差しのべると、オオカミの幻影はシュウッと泡のように消え去った。ハイロに名前を呼ばれた精霊の眼はこごえ、涙があふれそうに光ったが、泣く理由を思いだせないミュオンは、白い雲を見あげた。愛のない夜明けは、とうに過ぎている。意を決したハイロは、素直な気持ちを告げた。
「おれの名前はハイロという。この手を信じて取ってほしい」
★つづく
27
あなたにおすすめの小説
オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる
木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8)
和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。
この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか?
鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。
もうすぐ主人公が転校してくる。
僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。
これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。
片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
悪役令息に転生したのに、ヒーローもヒロインも不在で、拾って育てた執事が最強なんだが……なんで?!
はぴねこ
BL
前世の弟が好きだったゲームの世界に、悪役令息として転生してしまった俺。
本来なら、ヒロインをいじめ、ヒーローが活躍するための踏み台になる……
そんな役割のはずなのに、ヒーローともヒロインとも出会えない。
いじめる対象すら見つけられない新米悪役令息とか、ポンコツすぎないだろうか?
そんな俺に反して、子供の頃に拾って育てた執事は超優秀で、なぜか「悪役執事スキル」を着実に磨いている。
……いや、違う!
そうじゃない!!
悪役にならなきゃいけないのは俺なんだってば!!!
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる