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最終章
第166話
しおりを挟む微笑むミュオンを見た亮介は、たまらなく切ない気持ちになり、片足が一歩まえにでた。ガクンッと膝から溜池に落ち、バッシャーンッと浅瀬に尻をつく。
「リョースケ!」
驚いたキールは迷うことなく飛びこみ、亮介のところまで泳いできた。
「怪我は?」
「あ、ありがとう、キール。だいじょうぶ、どこも痛くないよ」
「ったく、びっくりさせやがる。あいかわらずまぬけだな」
「えへへ」
「ニヤけるな。褒めてないぞ!」
「うん、わかってる。ごめんね」
キールがそばにいる。その現実がうれしくて安心する亮介は、失ったものの大きさを改めて実感した。ミュオンに対しても、これまでの記憶を思いだしてほしいと願うばかりで、いっしょに過ごせる幸福を失念していた。
「……僕、いつのまにか欲張りになってたみたいだ」
「なんだよ、急に」
「ねえ、キール。こうして逢えたし、またいっしょに暮らそうよ」
「リョースケ、それは……」
「あ、そうだ! クマさんやキツネさんもどう?」
「おい、リョースケ、なに言ってんだ? おいらは冗談じゃねーぞ!」
「僕の一生のお願いだよ、キール」
「あのな、あいつらは、ミュオンをあきらめてねーし、人間嫌いなンだぞ」
「それはキールもでしょ」
「へ?」
水に浸かって会話する亮介とキールは、オオカミの幻影が消えていくさまを見届けたのち、話をつづけた。
「キールこそ人間嫌いで、ミュオンさんのことが大好き。ちがうの?」
「な……、なにを言いだすかと思えば! やい、リョースケ! 適当なこと言って、おいらを悩ませるンじゃねえ!!」
「ご、ごめんなさい」
亮介の発言内容は図星につき、キールは憤慨してごまかす手段にでた。思えば、いつだってキールは、ミュオンのことを優先的に気にかけていた。人間が好きではない点は、初対面のときにはっきり断言されている。その考えは、今も変わらず持ちつづけているようすだった。
「おまえら、見ろ! あっちの水の精霊が苦しみだしたぞ!!」
というキツネの声で、亮介とキールは同時にミュオンへ視線を向けた。すると、さらにキツネが声をあげる。
「そっちじゃねえ、全裸のほうだ! なんかあいつ、産気づいてないか?」
オオカミが視せる残像は、まさにミュオンがリヒトを産みだす瞬間に変わった。畔に横たわり、呼吸が乱れるミュオンは、必死に息み、股のあいだから赤ん坊の出産に臨む。本来、その場にいたはずの父親の姿はない。ミュオンは、たったひとりで苦しみながら、体内領域からリヒトを誕生させた。月明かりの下で、オギャーッと産声をあげるリヒトを、抱きあげる体力も気力も残されていないミュオンの下肢から流れる鮮血は痛々しく、泉水に赤く染みこんでいく。人外の精霊とはいえ、出産は命がけだった。
「すごい。これ、ホントに幻影なの?」
目が釘付けになっていた亮介たちは、溜池に浮かぶミュオンが、ふたたび水底へ沈んでゆく音に気づくのが遅れた。水草を寝台にして、眠りについてしまう。
「おやすみなさい、ミュオンさん。またあした」
溜池からあがった亮介は、なにもかも消え去った夢のような光景を見つめ、ほうっと息を吐いた。心臓がドキドキしている。みんなは、どうなのか。見れば、大熊の片目から涙らしき水滴がこぼれていた。
「ク、クマさん、どうしたの!?」
ぎょっとして訊ねると、大熊は太い腕で涙を拭い、「なんでもない」と答えた。誰にも祝福されずに産まれてきたリヒトを、気の毒に思ったのかもしれない。だが、それはまちがった解釈である。リヒトは、父親が愛情を注いで育てた少年なのだ。
★つづく
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