あやかし骨董店きさら堂の仮の主人

緋川真望

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(35)咲夜15歳 『にせもの』

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 その日の始まりは、いつも通りのありきたりな朝だった。

 鎧騎士の足音で目を覚まし、メイド達の挨拶を受けて着替えをする。メイドの数が多すぎても少なすぎても、調整のために中庭にある階段から地下へ降りる。代わり映えのない、いつもの翡翠の日常だ。

「おはようございます、翡翠様」

 メイド達が心のこもらない挨拶をくれる。

「おはよう。今日はここのつまでいるのか。ずいぶん多いな」

 それに対する返事はない。

「着替えたらすぐに地下へ降りるとしよう」

 翡翠がそう言っても、誰も供をするとは言わなかった。

 一人で地下へ降りて、一人で扉を調節することにはもう慣れた。必要最低限の会話しかしなくなったメイド達にもすっかり慣れた。

 半年ごとに咲夜が訪ねてくれる時以外は、翡翠は色のない世界で人形のように生きている。
 苦しいともつらいとも思わない。これを半年繰り返せば、また咲夜に会えるのだから。


 ベッドから立ち上がり、クローゼットの方へ歩く。
 メイド達は無言のままで、時津彦様好みのローブを手に取った。

「そのローブではなく、八目姫様のくだされた新しい衣装を頼む」

 翡翠が命じると、メイド達の顔が不機嫌に歪んだが、それでも文句も言わずにインドのサリー風なドレスを取り出した。

 翡翠の髪の色に似た水色のシルクに、濃い青の糸でびっしりと美しい刺繍が施され、しかもたくさんのラピスラズリが縫い付けてあるものだ。

「美しいな……」

 翡翠の言葉はまた独り言として扱われ、ここに9人もメイドがいるのに誰一人として返事をしない。

 だが、いくら翡翠の選択が気に入らないからといっても、さすがに服を破られることはないので、不満そうな顔をされても気にしないことにしていた。


 着替えを終えて、中庭へ向かう。足を動かすたびに縫い付けられた幾つもの飾りが揺れて、シャリシャリと小さな音がする。

(次に咲夜が来たときは、これを着て出迎えようかな)

―――― 翡翠様、綺麗!

 そう言って笑う咲夜の可愛い顔を思い浮かべながら、翡翠はガラスのガゼボに辿り着いた。

 ランタンに火をつけようとかがんだ時、ガゼボの真ん中にぽっかりと開いている階段の穴に、ちらりと何かが見えた。

「……?」


 よく見ようと顔を近づけた時、そこからぬっと手が現れる。

「ひゃっ」

 驚いて後ろへ転んだ翡翠の前で、その手がガゼボの石の床にぺたりと置かれる。続いて男の上半身が地上へ出てきて、翡翠は「あっ」と裏返った声を上げた。

「時津彦様……!」

 時津彦様は陽光を受け、眩しそうに目を細めながら階段をあがってくる。

(お、お若い……。このお姿はまさに、地下の扉の『向こう側』で会った時津彦様と同じではないか。あれからさらに数年経って、もう齢80のご老人のはずなのに……。だが、こうしてお会いすれば嫌でも感じる。このお方は本物だ……本物の時津彦様だ……)

 時津彦様は後ろを振り向き、優しい顔で手を伸ばした。

「ほら、たかむら。こっちに登っておいで」

 若い男がきょろきょろしながら地上へ出てくる。

 白い肌に長い黒髪、翡翠色の瞳にトケイソウ柄の派手な着物……。

 翡翠はしりもちをついたままで動けないでいた。

「うー、ああー」
「そうだな。相変わらずきつい臭いだ」

 時津彦様は周囲の蛇よけ草を見てから、青年の手を握って優しく笑う。

「たかむらが嫌なら全部引っこ抜いてもいいぞ」
「あ、あの、それは……初代様のご指示で植えた蛇よけ草にございますれば……」

 思わず翡翠が口を出すと、時津彦様は一瞬で別人のように冷たい目になって見下ろしてきた。

「誰だ、お前」

 翡翠は跪き、頭を下げる。アクアマリンの髪がサラサラと床へ垂れさがる。

「翡翠にございます。時津彦様」
「翡翠?」
「はい。『きさら堂』が仮の主人・翡翠にございます。時津彦様のお戻りを、ずっとお待ち申し上げておりました。時津彦様のお戻りを、心よりお喜び申し上げます」
「翡翠だと……」
「はい、翡翠です」
「笑えないジョークだな」
「え」

 いきなりガシッと髪の毛をつかまれ、乱暴にぐいっと顔を上向けられる。

「偽物なら偽物らしく、少しは似せる努力をしろよ。何なんだ、その服。何なんだ、その髪色。翡翠の要素皆無じゃねぇか」
「こ、これは、白殺しの藍甕で染まっ……」
「白殺しぃ? は! その名を知っているとは少しはここに詳しいようだが、そういうことじゃねぇんだよ。翡翠は布をかぶってろと言えばきちんとかぶる。じっとしてろと言えばじっとしている。決まりを破ったことは一度もねぇんだ」
「ですが、私は本物の」
「そもそも翡翠は俺に口ごたえをしねぇ」

 ブチブチッと髪を引きちぎるようにして手が離れる。

「うっ」

 痛みが走ったが、翡翠はもう一度時津彦様の前に跪いた。

「おとなしく黙って這いつくばってろ」
「……申し訳ございません、時津彦様」
「ったく、気持ち悪いな」

 手にからまった数十本の髪を、時津彦様がぱっぱっと床へ払い落とす。アクアマリンを溶かしたような髪が、陽を受けてキラキラと光った。

「ううー?」
「あ? 綺麗だって? やめとけやめとけ、おいこら拾うな。たかむらには後でもっと良いものをやるから」

 時津彦様の顔がまた別人格のように優しくなり、たかむらという青年の頭をよしよしと撫でる。

「あー……うー」
「そうだ、いい子だ」
「うー」
「本当にいい子だ。たかむらは可愛いな」

 抱きしめて髪を撫でられる青年が、在りし日の自分と重なり、翡翠の胸をチクリと刺した。

「時津彦様、あの、そのお方は……?」
「お前は学ばねぇなぁ。口を開いていいと言ったか? お前が自分を翡翠だって言い張るなら、俺の許可なくしゃべるな動くな考えるな」
「あ…………」

 胸の中で、言いようのない不快なものがざわりと動く。

(これは何だ? この気持ちは何だ?)


 咲夜に会う前の翡翠ならば、時津彦様のおっしゃることはすべて正しいと思っていた。
 咲夜に会う前の翡翠ならば、時津彦様に何を言われても盲目的に従っただろう。

 けれど。

 けれど翡翠はもう、咲夜に出会ったのだ。

(私はもう知ってしまった。時津彦様の望みは私の望みではない。私の望みは、私だけの望みだと)

「どうして、ですか……」
「あ?」
「どうして、そんなことをおっしゃるのですか。私は時津彦様がご不在の三十年以上を『きさら堂』の仮の主人として生きてきたのです。私が『きさら堂』を守って来たのです。どうしてそこまでひどいことが言え……」

 そこまで話した時、いきなりバチンと大きな音がして翡翠は横に倒れていた。
 何が何だか分からない内に、左の頬がカーッと熱くなり、次いで激しい痛みが襲ってくる。

 殴られたのだと気づくまで、数秒かかった。

「口を開くなと言ったろ」

 汚いものでも見るような目で、時津彦様が翡翠を見下ろす。

 よろよろと体を起こして、翡翠は時津彦様を見上げた。

「あなたは、本当に時津彦様ですか……?」
「なんだと」
「私の知っている時津彦様は、一度も私を殴ったことはありません。ほかの使用人にも、一度だって手を上げたことは」
「一度だって口答えされたことが無いからだよ。そもそも口答えできるようには描いていない。つまり、お前は偽物だ。偽物を殴って何が悪い」
「それがおかしいと申し上げているのです。いくら色が変わっても、時津彦様がご自分で描いたものが分からないはずがないではありませんか。あなたは本当に、私を描いてくださった時津彦様なのでしょうか」

 時津彦様の唇が、ひくひくとひきつる。

「もう一回殴られたいか」

 脅すようにこぶしを振り上げる時津彦様に向けて、翡翠はとっさに指で『狐の窓』を組んだ。

「化生のものか、魔性のものか、正体を現せ!」

 本当に目の前の時津彦様が偽物だと思ったわけではない。翡翠を偽物と断じる相手に、意趣返しをしたかっただけだった。

 けれど、それは思わぬ効果を発揮した。
 発揮してしまった。

――――狐の窓の、指の隙間から見えたものは。

「――影?」

 時津彦様がぎくりと動きを止める。

「いいや違う。黒い、何か……たくさんの、何かが……」

 翡翠の目がそれをはっきりととらえる。

「ひ……!」

 翡翠は必死に喉の奥で悲鳴を飲み込んだ。

 狐の窓を通して見えたのは、あの日、メイドのとうの絵を蝕んだあの小さな黒い蛇だった。時津彦様の頭から足先までを覆いつくすように、無数の小さな黒い蛇がうぞうぞとまとわりついているのだ。

「や、いや……」

 怖いのに、目を離せない。
 震えながら後退りする翡翠の前に、たかむらという青年がひょこっと顔を覗かせる。

「うー?」

 何をしているの?というように、わざわざ狐の窓を反対から覗き込んでくる。

「あ、あぁ……!」

 翡翠はさらに衝撃を受ける。
 無邪気で愛らしい青年は、狐の窓を通すと全く違うものに見えた。

「ど……して……」

 ぽっかりと穴の開いた目、鼻、口。
 死んだ人間のなれの果て。

「……されこうべ」

 それを口に出した途端に、さらに強くガツンと直撃を受けた。
 頭を殴られたせいか、くらくらと視界が揺れる。

「おい! 見てないでこっちに来い!」

 時津彦様が叫ぶ。
 すると、どこに隠れていたものか、下働きに庭師、料理人にメイド達がわらわらと中庭へ入って来た。

「この翡翠の偽物を『きさら堂』の外へ追い出してしまえ!」



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