あやかし骨董店きさら堂の仮の主人

緋川真望

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(54)咲夜88歳 『七代目』

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 咲夜が『きさら堂』を留守にする時は、翡翠が地下の扉を管理している。『きさら堂の仮の主人』である咲夜の、そのまた代理としてだ。

「鬼ごっこするもの、この指とーまれ!」

 たかむらによく似た美少年が元気よく人差し指を前に突き出した。すると、数人の子供がわーっと楽しそうに集まっていく。その中には時津彦様に似ている子供、咲夜に似ている子供、翡翠に似ている子供までいて、思わず目を奪われてしまう。

「こっちだよー」
「わーん、まってー!」

 無限回廊になっている住宅街の中は、以前よりもかなり多くの子供の姿を見かけるようになっていた。

 翡翠は生まれた時から大人だったので、アクアマリンの髪をなびかせて走っていく子供を不思議な気持ちで眺めてしまう。

 だが、すぐに我に返って無事に回廊を通り抜けた。
 翡翠には帰る場所があるのだ。



 アルファとベータをお供にして翡翠が地下からの階段を上がって来ると、中庭のガゼボで咲夜が出迎えてくれた。

「おかえりー、翡翠様」
「咲夜も帰って来ていたのか。おかえり」
「うん、ただいま。早く翡翠様に会いたくて、速攻終わらせてきたよ」

 咲夜は場作り師としても優秀なので、時々、源吾に頼まれて難しい仕事を請け負うことがあった。

「あちら側ではみんな元気だったか?」
「元気元気、大牙が爺さん化してて笑ったけど」
「じいさん?」
「あいつ、人間社会に交じって暮らしてるからさ。変化へんげでちょっとずつ年食ってくのは難しいんだ、こんなにうまくできるのは俺くらいだぞーって自慢してた」
「ははは、そうか」

 たわいない話をしながら本館の三階へ向かうと、廊下でひいが待っていた。

「咲夜様、翡翠様、お話がございます」

 そう言って、深く深く礼をした。





「よく眠っているようだ」
「はい……。この数年で睡眠時間が徐々に長くなり、最近では一日の大半を寝て過ごしておられます」

 テーブルの上には、柔らかい素材の積み木や明るい色の粘土、画用紙やクレヨンが置かれている。毛足の長いふかふかの絨毯の上にいくつものクッションやぬいぐるみが積まれていて、ここはまるで子供部屋のようだ。

 あどけない顔でスヤスヤと眠るたかむらの上を、蜥蜴の青い影がのたのたと歩いていた。

「食事は?」
「あまり……。このところは、好物のお菓子を少しだけ召し上がる程度です」
「そうか」

 ふうとみいがベッドのそばに控え、たかむらに母親のような優しい視線を注いでいる。

 翡翠と咲夜はベッドに近づき、たかむらの顔を覗き込んだ。

「ただ眠っているだけに見えるね」
「そうだな」
「でも……きっと、そろそろなんだろうね。五代目が施した反魂の術は半端なものだったから」
「ああ……おそらく寿命が近いのだろう」

 メイド達も覚悟していたのか、それを聞いても取り乱す様子はない。

「ひい、これは人間の医者に診せても、アスクレピオス様に診ていただいても、どうにもできぬことだ。あまり騒がず、これまで通り心安らかにすごすのが、たかむらにとっても一番……」
「分かっております」

 翡翠が言いかけるのをひいが遮った。

「ただ、ひとつだけ気になることがありまして」

 そう言ってひいが差し出して見せたのは、幼児が描いたような一枚の大きな絵だった。

「これは、たかむらが?」
「はい」
「わぁ、全員集合って感じだね」

 咲夜が興味深そうに絵を見下ろす。
 そこには、真ん中にたかむららしき人物が描かれ、そのまわりにひいやふう達、翡翠や咲夜、それから時津彦様と思われる人物もいる。さらに、たかむらにしょっちゅう菓子を届けに来る艶子の姿も、時々遊びに来る八目姫様とその眷属たちも描かれていた。

「すごく特徴をとらえてる。明るい色で、のびのびとした線で、めちゃくちゃ楽しい気分で描いたのが伝わって来るよ」
「そうだな。とても良い絵だ」
「これの何が気になるの?」
「はい。端に描かれているこの方なんですが……」

 ひいが指差したのは長い黒髪の人物だった。スカートを履いているから、多分女性なのだろう。

「たかむらに顔が似てるね」
「はい、翡翠様にも似ていらっしゃいます」
「私と?」
「うん、似てる。ほら、目の描き方とかそっくりでしょ?」

 咲夜の指摘通り、その人物の目はくりくりとした大きい目で描かれていた。真ん中に描かれているたかむらと、水色の髪で描かれている翡翠と描き方が同じだ。

「私とたかむらに似ている人物……まさかあの鵺ではないだろうし」
「絶対、違うよ! あいつを描いてこんなに楽しい絵になるはずがないって」
「では誰だろうか?」

 翡翠が首をかしげると、咲夜は一人の女性の名前を口にした。

「たぶん、井筒祥子……かな」
「しょうこ?」
「井筒たかむらの妹だよ。ひいもそう思ったんだよね?」

 咲夜に問われ、ひいは重々しくうなずいた。

「時津彦様に聞いたことがありました。たかむら様には、顔のそっくりな妹様がいたと」

 そして、ひいはさらに何枚かの絵を出して並べた。
 そこにはたかむらと一緒に時津彦様と祥子らしき人物が描かれていた。仲良し三人組といった雰囲気の可愛い絵ばかりだ。

「私どもは最初、これは翡翠様だと思っていたのですが、それは違うとすぐにわかりました」
「髪の色だよね」
「はい。たかむら様が翡翠様を描く時は、必ず髪を水色で描くのです。ですから、この黒髪の人物は妹様なのではないかと思いました。そして妹様をこうして何度も描くということは、たかむら様は妹様にお会いしたいのでは、と」
「そうか、妹に……。そなたらは、たかむらの寿命が尽きる前に妹に会わせたいと思ったのだな」
「はい。私共は『きさら堂』を出ることが出来ません。どうか、お願いです。たかむら様の妹様を探していただけませんでしょうか」
「お願いいたします」
「お願いいたします」

 ひいに続いて、ふうとみいも頭を下げる。

「分かった、ではすぐに……」

 翡翠はすぐに妹を探させようと思ったが、咲夜は首を横に振った。

「それは、難しいと思う」
「なぜだ、咲夜」
「だって、井筒たかむらの妹って、生きていたとしたらもう150歳超えてるでしょ?」
「え?」
「え?」
「だからね。現実的にはもうとっくに亡くなっていると思うんだけど」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 くねくねと曲がりくねった長い長い山道を抜けて、田んぼばかりの長閑のどかな風景の中を進んで、高い塀に囲まれた大きな屋敷の前でタクシーは止まった。

「わぁ、都会の人だ」

 咲夜がタクシーを降りた途端に、石門に寄りかかって待っていた青年が明るい声で言った。

「え? た、たかむら?」

 青年の顔を見て、咲夜は思わずそう呼んでしまった。

「はは、そんなに似ていますか?」
「あ、ま、まぁ。白黒の写真で見ただけなんだけど」
「そうなんですね。僕は井筒みさおといいます」

 ぺこりと頭を下げた操は、短髪でパーカーにジーンズというラフな格好をしていた。そっくりというわけではないが、笑った顔の雰囲気がたかむらとよく似ている。

「電話でも話したけど、俺は絹田咲夜。多分、操さんの親戚だと思う」
「はい。電話をもらってから家系図を引っ張り出して見てみたんだけど、僕はそのたかむらって人の妹である井筒祥子の、ええと、やしゃごのその孫? だったかな。とりあえず、絹田さんとはホントに親戚みたいですね」

 井筒たかむらの生家には、まだその家の子孫が暮らしていた。

 数日前、咲夜は自分探しをしているお気楽な大学生の設定で、この家に連絡してみた。井筒篁の子孫を名乗り、祥子に関係する思い出の品などを譲ってもらうつもりだった。

 たかむらに妹と会わせてやることはもう不可能だが、それでも、出来るだけのことはしてやりたかったのだ。
 
「そういえば操さん、さっき俺のことを都会の人とか言ってたけど……? 俺のいた木更津って、かなり田舎だよ」
「だって絹田さん、車降りてまずスマホ見たから」
「あぁ、時間を確認しようと思って……って、あれ? ここ圏外? まじで?」
「マジです。だからこの村では、スマホを持ち歩く人はめったにいません」
「ええ、スマホ持ってるだけで都会人?」
「ですね。スマホ使いたかったら、山を越えなきゃいけないですし」
「山を……」

 村落を囲むような山々を振り仰ぎ、その中のひときわ緑の濃い山を目にした瞬間に、咲夜の心臓がドクンと鳴った。

「うわ、何だあれ、凄い山」

 妖気のほとんど無いはずの『こちら側』で、こんなに強い妖気に出くわすとは思わなかった。
 咲夜はごくりとつばを飲み込む。

(あそこ……なんか、いる……?)

「へぇ。絹田さん、霊感とか強い方なんですか?」
「あ、いや、ちょっと。すごい立派な山だなぁと思っただけで。どうして?」
「だって、あの山、『お山さま』だから」
「おやまさま?」
「はい。うちが先祖代々まつって来た守り神?みたいなもんですね。おばあちゃんが生きていたら、詳しいことを教えてくれたと思うんですけど、僕はあんまり……」
「あんまりかぁ」

 咲夜が苦笑すると、操は「すいません」と軽く笑った。

「で、どうしますか?」
「どうって?」

 操は右手をその山へ、左手を石門の中へ向けた。

「興味があるならあの山に登ってみますか? それとも屋敷に入って古い家系図でも見てみますか?」

 咲夜は山と古い屋敷を見比べて、また山を振り仰いだ。
 なんだか、呼ばれているような変な気分だった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 細い山道には時々小さなほこらがあって、みさおは祠の前を通るたびに足を止めて手を合わせた。

「操さん、さっきから何を祈ってるの?」
「無事に帰れますようにって」
「ええ? ここ、そんなに危ない山なの?」

 咲夜は鬱蒼と茂る樹々を見回す。

 遠くから山を見た時はその威圧感に驚いたが、近づいてみるとむしろその妖気に不思議な懐かしさを覚えていた。
 だから、多少足場が悪くても、樹々に覆われて薄暗くても、咲夜は恐怖を感じていなかったのだが……。

「ん-、綺麗な人はお山さまに取られるって言い伝えがあるんです。僕も絹田さんも、なかなかのイケメンじゃないですか」

 操はおどけてウィンクをする。
 咲夜はハハハと軽く笑って受け流し、「お山さまって面食いなわけ?」と質問した。

「どうなんですかね? 子供の頃、操はお山に登ったらだめだ、操みたいに綺麗な子はお山さまに取られるぞって、おばあちゃんによく言われました。でも実は、友達と何度もこっそり遊びに来たことがあるんですけどね」
「へぇ、そうなんだ。何か不思議なこととかあったりした?」
「残念ながら何にも」
「まぁそんなもんか」
「そんなもんです。僕が思うに、お山さまに取られたと思われていたほとんどの人は、ただ単に田舎が嫌になって都会に逃げただけだったんじゃないかなぁ。絹田さんの先祖の篁って人も、お山さまに取られたってことになってたんだろうけど、実は木更津で生きてたわけでしょ?」
「あー……うん」

 咲夜はあいまいに笑ってうなずいた。

 井筒篁はこの山で一度死んでいて、数十年後に掘り返されて反魂の術を施され、さらにまた数十年が経って二度目の死を迎えようとしている。
 ……などと、本当のことを言っても信じないだろう。

「あ、見えてきました。あれが7番目の祠です。その先の道にしめ縄が張ってあるでしょう? しめ縄から向こうは立ち入り禁止なんです」

 咲夜はしめ縄の向こうに目を凝らした。立ち入り禁止という割には、獣道のように細い道が先へ続いている。

「その先は?」
「もっと登ると8番目の祠があります」
「8番目?」
「そこまでは友達と行ってみたことがあります。8番目もこれと同じでただの古い祠でしたけどね。確か、おばあちゃんに聞いた話だと12番目まで祠があるそうですよ。そこまで行けるのは井筒の当主だけらしいんですけど。絹田さん、興味あります?」
「そりゃぁ、せっかくここまで来たんだし」
「じゃぁ、もうちょっと登ってみますか?」
「いいの?」
「いちおー、この山は私有地で、井筒家の者しか通っちゃいけないってことになってますけど。絹田さんも親戚なんだし、まぁいいんじゃないかなぁ」

 軽薄に言って、操はひょいとしめ縄をまたいだ。
 咲夜もそれに続いてしめ縄をまたぐ。

 その瞬間に、ふっと空気が変わった。

「わ、妖気が濃い……」

 思わずつぶやいたが、別に嫌な感じではなかった。それは咲夜の体になじむような、妙に心地いい妖気だ。

「あの、操さん、ここは……」

 操がピタッと足を止めた。
 そのまま数秒、動かない背中を見せていたが、ふいに大きな動作でこちらを振り向いた。

「ふむ……。おぬし、咲夜か」
「え」
「そうか……。来るのは今日であったか」

 声の出し方も、喋り方も、顔の表情も、歩く仕草までがらりと変わった。そこにいるのは、操であって操ではなかった。

「誰だお前」

 ふわぁっと生暖かい風が吹いて、操が嫣然と笑う。

 咲夜が警戒して身構えると、突然、目の前に小さな妖精がパタパタと飛んできた。

「おわ? ええ? クリサタニトス?」

 咲夜が叫ぶと同時に、妖精は羽ばたきをやめていきなりぽとっと落ちて来る。咲夜が慌てて手のひらで受けると、探し物の妖精は力尽きたように目を閉じてしまった。

「ちょ、おい」
「そうか、それはおぬしの式神か」

 操がそう言って、咲夜の手に乗っている妖精を見る。

「永遠とまわりを飛び回って、うるさくてかなわぬ。いい加減、持って帰ってくれるか」

 咲夜はすぐに言葉が出なくて、言われるままに鞄からスケッチブックを出して妖精を白紙のページへすっと収めた。

―― クリサタニトス。
 咲夜がこの妖精を使ったのは、これまでに三回ある。
 大牙のスマホを探すためと、篁の骨を探すため、そして咲夜の父親を捜すため……。
 スマホも、篁の骨も、もうとっくに見つかっている。この妖精がずっとここを飛び回っていたのなら、それは咲夜の父親をあれからずっと探し続けていたということになる。

「まさか……」

 咲夜は操を見た。
 正確には、操の中にいる何かを感じ取ろうとした。

「お前が……?」

 もうとっくに探すのは諦めていた。
 母親の周辺にも、鈷浜の周辺にも、山奥の宗教施設跡にも、手掛かりは残されていなかった。
 まさか妖気のほとんどない『こちら側の世界』で、しかも井筒家に関係のある場所にいるなんて。

「こちら側に、いたんだ……」
「ふふふ……人間があちらとこちらを行き来できるのに、神にできぬわけがなかろう」
「神……? あんたは神なのか?」
「まぁ、こうしてまつられている内はな」

 祠を指して、操の中にいる誰かが薄く笑った。

「じゃぁ、俺は……あんたの……神と人の間にできた子供なのか?」
「どうかな」
「どうかなって、あんたが俺の父親じゃないのか?」
「半分はそうかも知れぬ」
「半分?」
「もう半分は井筒篁だ」
「はぁ?」
「この山で殺されて埋められた美しい体を、ちょっとの間借りてみたことがある」

 殺されて埋められた美しい体という言葉が頭の中で鳴り響く。
 殺されたのが井筒篁、殺したのは時津彦。よりにもよって、こんな御仁のおわす山の中で、あのクソ野郎は人を殺して埋めたのか。

「その体で、何をしたんだ」

 聞くのが怖い気がしたが、興味の方が勝って咲夜は質問した。

「何でもしてみたぞ」

 操の中にいる誰かは、懐かしそうに目を細めた。

「食べてみた。飲んでみた。歌ってみた。遊んでみたし、働いてもみた。喧嘩もしてみたし、愛し合ってもみた。人間のすることを何でも真似してみた。面白そうなことは何でもだ。そうそう、あちら側でバカバカしい儀式に参加したこともあったな」
「儀式」
「あやつらが神を呼ぶなどと言っていたから、戯れに呼ばれてやってみたのだ」
「篁の体で……?」
「そう、あの美しい体で」

 神を呼ぶために男と女が交わった儀式。

「でも、それじゃ年代が合わないんじゃ……?」

 咲夜の母親がおかしなバイトで乱交する羽目になった時点よりずっと前に、時津彦は篁の頭蓋骨に反魂の術を施していた。
 その時点ですでにたかむらは時津彦と共にいたのだ。

「年代など関係ない。あの頃の私は土地の者にあつく信仰されておったからな。今よりはるかに力が強く、何でも出来たし、どこへでも行けた。それこそ過去や未来へも」

 近所へ散歩するようなことのように軽く言われて、咲夜は急に脱力感を覚えた。

「時まで越えるのかよ……。何でもありだな」
「あぁ、あの頃は楽しかった」
「今は楽しくないの?」
「今はもう、ほとんど何も出来ない。ただただ朽ちていく一方だ」

 操の中の誰かは笑う。
 悲しそうでもなく、悔しそうでもない。
 そのさっぱりとした感じが、どことなく覚悟を決めているようにも見えた。

「俺に、何かして欲しい?」
「いいや、何も」
「そっか」
「もう帰るといい。暗くなるとここは危険だ」
「うん……。さよなら。また来るね」

 自称神は眉をピクリと動かし、そしてふわりと優しく笑った。

「来なくてよい」
「で、でも、もうちょっと話を」
「それは、未来で」
「え?」
「これより数百年後の未来で、私はおぬしと初めて出合った。藍玉の髪を持つおぬしの伴侶と、小さな姫が一緒だった」
「姫?」
「姫の瞳は藍玉色、姫の髪は瑠璃色だった」
「え、それって……」

 咲夜が途惑った声を出すと、操の中の誰かはニッと歯を見せて笑った。

「姫の魂の色は少し私に似ていたな」
「…………」
「おぬしも伴侶も姫を溺愛しておったぞ」
「未来のことなのに、過去形で話すんだね」
「私にとってはもう終わったことだからな。でも、おぬしにとってはこれから起こることだ。話は未来でゆっくりできる」
「うん……」
「さらばだ、咲夜。早く『きさら堂』に戻った方が良い。遅れればきっと後悔する。おぬしには時を超える力は無いのだから」

 笑顔を見せた後、操の体は気絶するように倒れた。

「痛ったーっ! あれ? え? なに? あっ、血ぃ出てる!」

 すりむいた頬と手を見て、操が大声をあげる。

「操さん、大丈夫?」
「痛ててて……あの、いったい何が」
「うん、派手にすっころんでた」
「転んだ? うわぁ、恥ずかしい」

 咲夜は操の手を引いて起こした。

「暗くなってきたし、もう引き返した方が良さそうだ。俺も操さんも、かなりのイケメンだからね」

 咲夜はさっきの操の真似をして、ウィンクしてみせた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 とんぼ返りした咲夜を、源吾や艶子、蓮次郎、八目姫様が待っていた。

「お別れは今夜になるでしょう」

 八目姫様がそう言うので、咲夜は『きさら堂』の中の妖気を強くして、すべての使用人を絵から出すことにした。



 たかむらはまるで最後の日だということが分かっているかのように一日中起きていて、次から次へと挨拶に来る者たちにニコニコと笑顔を見せ続けた。

「たかむら」

 いざ面と向かうと、咲夜は何と言っていいか分からなかった。
 親子であることを言うつもりは無かった。それはただ生物的に血がつながっているというだけで、特に意味のあることではなかったから。

 でも……。

「たかむら、そなたがいてくれて楽しかった……」

 翡翠様は潤んだ瞳で、ベッドの上のたかむらの手を握った。

「きゃはは」

 たかむらは嬉しそうに無邪気に笑う。

 咲夜の口元も、つられるように微笑んでいた。
 そして気付いた。

 
 毒にも薬にもならない存在だと思っていた。役に立つことも無く、敵になることも無く、ただここにいるだけのものだと。だが、ただここにいてくれるだけで良かったのだ。

「たかむら、これ」

 咲夜は操からもらったモノクロ写真をたかむらに差し出した。小学生くらいの篁と祥子、時津彦が並んで映っているものだ。

「あうあー」

 たかむらは写真の中の人物を一人一人指差して声を出す。
 そしてまた満面の笑顔を見せた。

 咲夜は再びつられたように笑い、そして泣いた。

「ありがと、たかむら。……さよなら」
「あー」




 その日の夜、たかむらは眠るように息を引き取った。
 翌朝、ベッドの上にはされこうべだけが残されていた。

 時津彦の描いたすべての使用人は、その日を境に二度と絵から出てこなかった。




 咲夜は骨董店『きさら堂』の七代目の主人になった。


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