まさか「好き」とは思うまい

和泉臨音

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番外編

あいさつの中にも「愛」はある

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 コンビニに張り出された求人ポスターの前で立ち止まっていたところ、店長さんに声をかけられた。

「お兄さん良かったらバイトどうかしら?」
「人が足りないんですか?」
「そうなの。うち学生さんが多いから、春はどうしても手薄になっちゃうのよねぇ」
「ああ、なるほど。うーん働ければ良かったんですけど、うちの会社副業禁止なんですよ」

 すみませんと頭を下げれば「あらそうなの、残念だわ」と店長さんは明るく笑いながら立ち去っていった。

 桜も散り新年度も始まりを迎え数週間。学生は特に年度で生活がガラリと変わるからバイトを辞める子も多いのだろう。

 そうか……各務くんも来年にはコンビニバイト、辞めてるんだよな。

 俺は飲み物やお菓子の入ったコンビニ袋を持ち直すと、各務くんの住むアパートの階段を上る。

 先日、就活を本格化した各務くんがスーツを用意したいと言うので一緒に見立てに行った。試着したスーツ姿の各務くんはとても新鮮だった。思わず感動していたら「あんた、だんだんおれの保護者みたいになってるよな……」と呆れられてしまった。
 別に立派に成長したなとか思ったわけじゃなくて、単純に格好良かったから感動しただけなんだけど、そんな事を言うのも恥ずかしいので俺は曖昧に笑うにとどめておいた。

 スーツを買った帰り道、俺はそれとなく気になっていたことを聞き出した。
 各務くんは地元に戻らずこちらで就職予定らしい。それを聞いて俺は安堵した。

 もしかしたらやりたい仕事が遠方にしかないとか、地元に戻らないといけないと言う可能性も考えていたからだ。それはそれで仕方ないと思う反面、遠距離恋愛はトラウマがあるので避けたいなと思っていたのも事実だ。……とりあえず現段階では遠距離になろうとも俺は別れるつもりはないけど。
 それはさておきトラウマと言っても大したものじゃない。
 初めてできた彼女に直ぐに振られたというだけの話だ。高校の卒業式で告白され、俺が地元を離れたため遠距離恋愛になり、大学一年のゴールデンウイークに他に好きな人が出来たと振られた。春休みに映画に一回行っただけの一月くらいの付き合いだった。

 その時の俺は「ま、そんなものか」とあっさりと受け止めたものの、なんだかんだと理由をつけてはしばらく帰省する気になれなかった。今思えばそれなりに傷付いていたのだと思う。

 まあ、そんな経験があるので例えば各務くんが就職して環境が変わって、しかも遠距離になって会えなくなったとしたら……近くにいる人に心変わりしてしまうのではないか……という不安があった。
 さらに言えばそもそも各務くんから見て俺の魅力って社会人なことくらいだろう。つまり来年には各務くんの周りには社会人だらけになるわけで、俺のことをそのまま好きでいてもらえるのだろうか……という心配も、ほんの少しではあるが、湧き上がっていた。

 でも、各務くんが急に俺を振るなんてことはないだろうという信頼もちゃんとある。だから悲観的にはなってない。
 だけどここに来て新事実だ。
 朝コンビニで会えなくなるということは、頻繁には会えなくなるのではないだろうか。バイトを辞めることは判ってはいたけど、なんか各務くんはコンビニの印象が強すぎて失念していた。就職したては時間も取りにくいだろうし夜も今ほど会えなくなるだろう……。

 来年からの俺達、このままでいられるんだろうか……? 

「……いっそ、各務くんと一緒に住むとかどうだろう。それなら毎日会えるよな」
「は?」

 俺の足音で気付いたのか触れてもいないのに目の前の扉が勝手に開くと、家主である各務くんが顔を出して怪訝そうな顔をした。

「突然なに言ってんの?」
「あ、いや、えっと……」

 たしかに突拍子もない事を言った、というか考えていた自覚はある。でもこれは中々いい案な気がする。もし各務くんがこのアパートから引っ越すのであればルームシェアを提案するのは悪くないだろう。

 いやでもまだ就活がどうなるか判らないし、今からこんな話をするのは気が早い上にプレッシャーになるかもしれない。そもそも俺と住むのは嫌かもしれない。どちらにしても今話すべきことではないよな。しかもなんの前触れもなく玄関先で話す内容では絶対にない。

 先走りすぎた。いや、そもそも聞かれる気もなかったんだけど。
 ここはなんか、とりあえず誤魔化して……。

「……おかえり」

 俺の持っていたコンビニ袋を各務くんが受け取ると、ボソリと呟いた。

 俺の思考が一瞬止まる。

「へぁ?  は? な、なに? ど、どうしたの??!」

 改めて言葉の意味を理解して俺は思わず大げさに驚いてしまった。
 いま「おかえり」って言いましたか? 「いらっしゃい」とか「待ってた」ではなく??

 どこからどう見ても挙動不審な俺を各務くんはギロリと睨みつける。

「あ? あんたが一緒に住むとか言うから……ちょっと雰囲気出してみただけだろ……早く入りなよ」

 そして先程よりははっきりした声ではあるものの、やはりボソボソと呟くように答えてくれた。

 え、いいんだろうか。これは期待してもいいんだろうか。

「えっと……ただいま?」

 俺は調子に乗って、照れつつも帰宅の挨拶をする。

 各務くんがグッと息を飲んだのが見えた。帰宅の挨拶って結構クルものがあるよね? 俺だけじゃなく各務くんの心にも刺さったよね?
 
「えへへ、ただいま、各務くん」

 俺が改めて挨拶をすると、各務くんは視線を彷徨わせる。そして降参だといわんばかりに背を向けるとスタスタと部屋に戻ってしまった。
 自分から仕掛けてきたのに照れている各務くんの姿に俺は思わず笑ってしまう。

 「ただいま」と「おかえり」なんて職場でも使っている、何気ない挨拶だ。たぶん各務くんとだって使ったことがある。
 なのに今こうして意識して、各務くんと交わす「おかえり」と「ただいま」はなんでこんなドキドキして、嬉しくなるんだろう? 特別感が半端ない。

 各務くんもたぶん同じ気持ちだろう。以心伝心ではないけど、きっとそうだと思う。なんとなくだけどそんな気がする。そして各務くんに対する俺の読みはまあまあ当たっているのは経験済みだ。

 不安に思っていたことがスーッと軽くなった気がした。
 いやまだ断られる可能性は高いし、就活の結果によるところが大きいけど、それでも挨拶だけで俺の曇天だった気持ちは一気に快晴になった。

 各務くんは無意識なんだろう。だけど彼の一言は俺の心をいつも助けてくれる。
 ありきたりの言葉が、特別な言葉になる。

 満更でもなさそうな各務くんの背中を見つめつつ、同居……いや、同棲になるのかな? を、改めて提案しようと俺は決意するのだった。

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