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ほんの一時間ほどで、侍従長に連れられたパッとしない風采の男が執務室を訪れた。
あまりの印象の薄さに、レザード・タタンと同じ訓練を受けているのではないかと疑う。
「お待たせいたしました。次男のリーベルでございます」
侍従長が細い声で男を紹介した。
トーマスがチラッと男を見て声を出す。
「おや? バッカスという名前ではないのか?」
その瞬間、侍従長が膝をついた。
「バッカスは長男のコードネームでございます。恐れ入りました。全てお見通しということでございますね」
「いや、全てというわけではないですよ。あなたのことは最後まで疑っていませんでしたからね。しかしうまく潜り込みましたね」
侍従長が膝をついたまま口を開いた。
「私で三代目でございます。四代目はこの次男の予定でございました」
「長男ではなく?」
「あれは……長男のシーリスは代々受け継いできた『草』という仕事を嫌っておりました。学生時代に研修という名の訓練で西の国に招集され、かの国の考え方にすっかり染まってしまいましてね、それきり西の国の王族直轄部隊に入って帰ってきませんでした」
「それはまた……」
「タタン家の息子も同じ部隊に所属していました。あの部隊に仲間意識はありませんから、平気で互いの命を狙います。殺せと命じられれば躊躇なく殺しますし、攫えと言われれば相手が誰でも関係ありません。女になれと言われれば女の姿になります。おそらく死ねとと言われても、戸惑うことなく従うでしょう」
アラバスが声を出す。
「恐ろしい洗脳だ。そのシーリスとやらは今どこに? 彼がシラーズの草だったカード家の息子に接触したのは承知しているのか?」
「いえ……シーリスがどこにいるのかは知りません。シラーズの草だったカードのことは存じておりますし、息子のドナルドがラランジェ王女と共に来ているのも把握していました。ドナルドはまだ地下牢ですか?」
「そこはノーコメントです。ではシーリスと連携しているわけではないということですね?」
トーマスの問いに、後継者と言われたリーベルが口を開いた。
「兄は恐らくこの城内に潜んでいます。私がマリア妃殿下の家庭教師になったのは、兄からマリア妃殿下を守れと父から言われたからです。もうすでにおわかりと思いますが、私にヒワリ語はできません」
「やはりそうか。ラングレー夫人の話を聞いておかしいとは思っていたのだ。ではダイアナに接触しているのは兄の方ということだな。ところでマリアの菓子に毒入りを混ぜたのは誰だ」
侍従長が静かな声で答えた。
「私でございます」
アラバスが跪いている侍従長の肩を蹴った。
「なぜそのようなことを? あの子がどんな目に遭ってきたのかお前は知っているはずだ。そのうえでまだ殺そうとしたのか!」
転がった侍従長が体を起こす。
「いいえ、あの毒は微弱で命を奪うようなものではございません。理由はマリア妃を守るためでございます。活発に動き回るマリア妃をお守りするにはそれしかないと思いました。もちろん胎児への影響はないので、ご安心ください」
アラバスが侍従長の頬を張った。
「何が安心しろだ。ふざけやがって! ただお前よりマリアの方が数百倍頭が良かったようだな。あの子はあの菓子を食べてはいない」
侍従長がパッと顔を上げた。
「え? 一日ひとつを楽しみにしておられたはず……」
「もういい。説明するのも面倒だ。ところでバッディに根付いている『草』は知っているのだろう? 誰だ?」
「あの国の草は始末されました。家ごと消えたのです。トーマス卿、あなたのお祖父様によってね」
トーマスがポンと手を打った。
「ああ、あの変態貴族か。ではあいつは養子だったのか?」
「いいえ、三代前に養子に入り、そのまま子孫が根付いたのですよ」
「なんというか……何がやりたいのかさっぱりわからんな」
侍従長がフッと息を吐いた。
「馬鹿どものやることは理解できませんよ。我々は幼いころから相応の訓練を受け、家業として誇りをもっていました。おそらく初代が各地に渡った時は、それなりの矜持と使命を帯びていたのでしょう。我らがそれを引き継いでも、使う側が引き継いでいないのではどうしようもありません。今の国王と王太子は『草』のことをまったく理解していない。おそらく他国に住んでいる便利な伝達屋くらいの認識でしょうね」
「それはまた宝の持ち腐れもいいところだな」
「ええ、その通りです。まあ本人たちは宝とも思っていないでしょうけれど。あの二人は直轄部隊だけで何でもできると思っています。彼らはどんどん過激になっている……」
「息子を取り戻したか?」
一瞬ギュッと眼を瞑った侍従長が溜息のように言葉を漏らした。
「いいえ……あの子のことは諦めました」
「そうか」
悲痛な沈黙が流れた。
トーマスが口を開きかけたとき、廊下で何かが壊れる音がした。
「何事か!」
アラバスの声にトーマスが反応した。
「待て!」
鋭い声がする。
その方向を振り返ったトーマスが、スラッと剣を抜いた。
アラバスが大声で侍従長に言った。
「マリアを守れ! マリア付きの護衛騎士はその場で警護せよと伝えろ」
「はっ!」
侍従長が廊下に出た。
「シーリス……」
トーマスと対峙しているのは、侍従の制服に身を包んだシーリスだった。
あまりの印象の薄さに、レザード・タタンと同じ訓練を受けているのではないかと疑う。
「お待たせいたしました。次男のリーベルでございます」
侍従長が細い声で男を紹介した。
トーマスがチラッと男を見て声を出す。
「おや? バッカスという名前ではないのか?」
その瞬間、侍従長が膝をついた。
「バッカスは長男のコードネームでございます。恐れ入りました。全てお見通しということでございますね」
「いや、全てというわけではないですよ。あなたのことは最後まで疑っていませんでしたからね。しかしうまく潜り込みましたね」
侍従長が膝をついたまま口を開いた。
「私で三代目でございます。四代目はこの次男の予定でございました」
「長男ではなく?」
「あれは……長男のシーリスは代々受け継いできた『草』という仕事を嫌っておりました。学生時代に研修という名の訓練で西の国に招集され、かの国の考え方にすっかり染まってしまいましてね、それきり西の国の王族直轄部隊に入って帰ってきませんでした」
「それはまた……」
「タタン家の息子も同じ部隊に所属していました。あの部隊に仲間意識はありませんから、平気で互いの命を狙います。殺せと命じられれば躊躇なく殺しますし、攫えと言われれば相手が誰でも関係ありません。女になれと言われれば女の姿になります。おそらく死ねとと言われても、戸惑うことなく従うでしょう」
アラバスが声を出す。
「恐ろしい洗脳だ。そのシーリスとやらは今どこに? 彼がシラーズの草だったカード家の息子に接触したのは承知しているのか?」
「いえ……シーリスがどこにいるのかは知りません。シラーズの草だったカードのことは存じておりますし、息子のドナルドがラランジェ王女と共に来ているのも把握していました。ドナルドはまだ地下牢ですか?」
「そこはノーコメントです。ではシーリスと連携しているわけではないということですね?」
トーマスの問いに、後継者と言われたリーベルが口を開いた。
「兄は恐らくこの城内に潜んでいます。私がマリア妃殿下の家庭教師になったのは、兄からマリア妃殿下を守れと父から言われたからです。もうすでにおわかりと思いますが、私にヒワリ語はできません」
「やはりそうか。ラングレー夫人の話を聞いておかしいとは思っていたのだ。ではダイアナに接触しているのは兄の方ということだな。ところでマリアの菓子に毒入りを混ぜたのは誰だ」
侍従長が静かな声で答えた。
「私でございます」
アラバスが跪いている侍従長の肩を蹴った。
「なぜそのようなことを? あの子がどんな目に遭ってきたのかお前は知っているはずだ。そのうえでまだ殺そうとしたのか!」
転がった侍従長が体を起こす。
「いいえ、あの毒は微弱で命を奪うようなものではございません。理由はマリア妃を守るためでございます。活発に動き回るマリア妃をお守りするにはそれしかないと思いました。もちろん胎児への影響はないので、ご安心ください」
アラバスが侍従長の頬を張った。
「何が安心しろだ。ふざけやがって! ただお前よりマリアの方が数百倍頭が良かったようだな。あの子はあの菓子を食べてはいない」
侍従長がパッと顔を上げた。
「え? 一日ひとつを楽しみにしておられたはず……」
「もういい。説明するのも面倒だ。ところでバッディに根付いている『草』は知っているのだろう? 誰だ?」
「あの国の草は始末されました。家ごと消えたのです。トーマス卿、あなたのお祖父様によってね」
トーマスがポンと手を打った。
「ああ、あの変態貴族か。ではあいつは養子だったのか?」
「いいえ、三代前に養子に入り、そのまま子孫が根付いたのですよ」
「なんというか……何がやりたいのかさっぱりわからんな」
侍従長がフッと息を吐いた。
「馬鹿どものやることは理解できませんよ。我々は幼いころから相応の訓練を受け、家業として誇りをもっていました。おそらく初代が各地に渡った時は、それなりの矜持と使命を帯びていたのでしょう。我らがそれを引き継いでも、使う側が引き継いでいないのではどうしようもありません。今の国王と王太子は『草』のことをまったく理解していない。おそらく他国に住んでいる便利な伝達屋くらいの認識でしょうね」
「それはまた宝の持ち腐れもいいところだな」
「ええ、その通りです。まあ本人たちは宝とも思っていないでしょうけれど。あの二人は直轄部隊だけで何でもできると思っています。彼らはどんどん過激になっている……」
「息子を取り戻したか?」
一瞬ギュッと眼を瞑った侍従長が溜息のように言葉を漏らした。
「いいえ……あの子のことは諦めました」
「そうか」
悲痛な沈黙が流れた。
トーマスが口を開きかけたとき、廊下で何かが壊れる音がした。
「何事か!」
アラバスの声にトーマスが反応した。
「待て!」
鋭い声がする。
その方向を振り返ったトーマスが、スラッと剣を抜いた。
アラバスが大声で侍従長に言った。
「マリアを守れ! マリア付きの護衛騎士はその場で警護せよと伝えろ」
「はっ!」
侍従長が廊下に出た。
「シーリス……」
トーマスと対峙しているのは、侍従の制服に身を包んだシーリスだった。
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