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40 二度目のサイン
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交渉のためにノース国に陣取っているカーティス殿下とルーカス王配から進捗状況の連絡がありますが、どうしても距離的な問題もあり、無駄に時間だけが過ぎていきます。
私は子供たちと一緒に作業部屋という名の広間に毎日出勤していますが、大好きなエヴァン様との婚約を白紙撤回した日のことばかり考えています。
皇太子殿下にドイル伯爵夫妻との面談をお願いした翌日、全員で朝一番で王宮に来てくれました。
王宮の応接室に集まったのは、国王夫妻と皇太子殿下とサミュエル殿下、ドイル家と私、そしてエスメラルダです。
エスメラルダはその日も朝から私にくっついて離れず、博士が話し合いの内容を記録するよりも正確だからという理由で同行させることを勧めて下さったのです。
メイドが静かにお茶を配り終えて退出すると、国王陛下が口を開きました。
「まさかこのような事態が起こるとは思ってもみなかった。ドイル伯爵家ならびにローゼリア・ワンド伯爵にはなんと言ってよいか言葉もない」
私たちは否定も肯定もできずただ下を向きました。
私にはもちろんドイル家にしても拒否権は無いに等しいのです。
エヴァン様と私の婚約取り消しの事務手続きは粛々と終わりました。
私がサインをし終わったとき、ララが駆け寄って声を上げて泣いてくれました。
リリアナ夫人も手を握って泣いていました。
「ローゼリア、これは緊急措置ですからね。本当に縁が切れるわけじゃないのよ。私たちは二人を信じているわ。エヴァンさえ戻れば全て元通りになるはずよ」
私は真っ赤な目をして頷くしかありませんでした。
婚約を白紙にする書類にサインしたのは二度目です。
前回も辛かったですが、今回のサインは心が引きちぎられそうなほどでした。
でもエヴァン様を助けるためです。
たとえ本当にこれでエヴァン様との未来が無くなったとしても、私は愛する方が生きていてくれさえすれば良いと心に決めたのですから。
国王陛下と皇后殿下が、私の顔を見ながら悲痛な顔をされました。
私はずっと指に嵌めていた婚約指輪を外し、ドイル伯爵に返しました。
「一旦預かっておくよ。大切に保管しておくから」
伯爵はそう言って外した指輪を小さな箱に納め、屋敷に帰りました。
伯爵たちの馬車を見送った後、私は自分の左手を眺めていました。
いつの間に日に焼けていたのでしょう?
左の薬指の付け根だけが悲しすぎるほど白く、確かにそこに指輪が嵌っていた事実を私に突きつけます。
それから数日後、エヴァン・ドイル伯爵令息とローゼリア・ワンド女伯爵の婚約白紙の書類を携えて、カーティス皇太子がノース国に出立されました。
この歳で婚約者がいなくなったという私の噂は、すぐに社交界で広まったようで、爵位と領地を持つ私のもとには何通もの釣書が届きました。
真相はトップシークレット扱いですから、これも仕方のないことでしょう。
今までは盾となって下さっていたドイル伯爵家もさすがに動くことはできませんから、自分でなんとかするしか無いのは分かっています。
分かっていますが心も体も疲弊した私は、毎日ボーッとしていて、少しずつ机の上に積みあがっていく釣書の山を眺めているだけです。
噂は領地を任せているハイド子爵夫妻の耳にも届いたようで、私を気遣う手紙が届きました。
文末には随分前に研究所を案内してくれたダニエラ・ミンツとの婚約についての打診がかかれており、人って根幹は変わらないのだなと思って笑ってしまいました。
机に積みあがっていた釣書は博士と主任と護衛騎士のアンナお姉さまが、見事に捌いて下さって助かりました。
カーティス皇太子は領地に引き籠るよう言われましたが、ミンツ子爵令息との話が進むのも困りますし、何よりサミュエル殿下が反対してくれたので、私はこのまま王宮に留まることになりました。
王宮ではカーティス皇太子から報告が届くたびに関係者が集まって情報共有が為されました。
参加者は国王陛下とサミュエル殿下、宰相閣下とドイル伯爵です。
私は関係者というより、サミュエル殿下の通訳係として参加しています。
「今カーティスとルーカスがノース国でエヴァンを返すよう交渉を重ねているが、のらりくらりと躱されている状況だ。こちらとしては要求通りエヴァンの婚約を白紙に戻したにもかかわらず、進展がないのはおかしいと考えている」
「エヴァンの件は隠れ蓑ということですね」
ドイル伯爵が全員を代表して口を開きました。
「そう考えているし間違いないだろう」
「何を狙っているのでしょうね?」
「おそらく現王が死ぬのを待っているのだと思う」
「ああなるほど。マリアを犯人として共犯エヴァンという筋ですか」
「分かり易すぎるだろ?」
「ノースの第一王子ってバカですか?」
「会ったことないがバカだな」
暫し沈黙が流れました。
「ワイドルの女王とも話したのだが、あちらはマリア単独犯で構わないからエヴァンの救出を優先するよう言ってきた。実の妹とはいえ、さすがに庇いきれないと判断したのだろう」
「さすがですね」
国王陛下が一呼吸おいて、ドイル伯爵に言いました。
「サミュエルの能力については聞いているだろうか?」
「はい、我が末息子もお世話になっていますので存じております」
「それなら話が早い。そのサミュエルを通してノース国の現皇后である姉上と話をしたのだが、姉上は離宮に軟禁されている状態で動けないようだ。まあ軟禁といっても次々に側妃を召し上げる国王に嫌気がさして、自ら入ったのだから心配は無い。姉上は子を成さなかったから三人の王子は全て側妃腹だ」
「そうでしたね、それこそお飾りの正妃として仕事だけを押し付けられていらした」
「まあ姉上は私の百倍は優秀だから、苦もなくこなしただろうけれど、国王が第一王子を皇太子としたことに反対して、全ての仕事を放棄して離宮に籠ったんだ。悠々自適なスローライフを決め込んでいたが、皇太子の結婚話が出始めた頃から軟禁状態になったらしい。まあ離宮内では自由に行動できたので、気にもしてなかったらしいが、今思えばその頃から計画的に動いていたのだろうということだ。国王の体調が悪くなったのもその頃らしいが、死ぬほどではない状態が続いている」
「計画的だとすると皇太子はバカではない?」
「いや、奴は間違いなくバカだな。計画に整合性がないだろう?緻密なところと杜撰なところの差が大きすぎる。むしろ急に計画を変更したのではと疑いたくなるほど、ある時点から幼稚な作戦に変わった」
「マリア妃の輿入れが決定してからですね?」
「うん、そこまでは切れ者が裏で皇太子を動かしていたが、何らかの理由でそれが無くなり、皇太子主導に変わったと考えるのが妥当だな」
「理由が知りたいですね」
「姉上が探ってくれているが、いかんせん動きが制限されて時間がかかっている」
私は素直な疑問を口にしました。
「駒が揃った今、なぜ計画を前に進めないのでしょう?」
〈戦争を起こす準備が進んでいないのだろう〉
「えっ?戦争の準備ですか?」
皆さんが一斉に私の顔を見ました。
サミュエル殿下が全員の顔を見て小さく頷きました。
〈奴の狙いはワイドル国への宣戦布告だ。しかし国民が反戦運動を起こし徴兵が進まない上に、資金も思ったより集まらないのだろう。だから動けない〉
私はサミュエル殿下の言葉を皆さんに伝えました。
今度はジョアンの声が頭に響きました。
〈兄上の奪還は最優先だが、あんな危険な国は放置すべきではない。国民感情を煽ってクーデターを勃発させて国王と皇太子、第二王子を捕縛して第三王子を立てるか共和国にするか。いずれにしても反戦運動のリーダーと接触し、王家を転覆させるための作戦参謀を送り込む〉
〈そうだね、ただし叔母上は王家の人間だが、絶対に助けたい。だから反戦運動側への資金提供や作戦参謀の派遣は叔母上が主導している形をとろう〉
私の口から語られる二人の会話に全員が頷きました。
国王陛下が口を開きました。
「本作戦の参謀はサミュエルとジョアン、実働は我々が担う。ワイドル国と協力しながら進めていくが、全て秘密裏に動く必要がある。必要最小限の人数で動いてくれ」
なんだか凄い景色です。
子供たちが主導権を握り、大人たちが指示通り動くのですから。
私は子供たちと一緒に作業部屋という名の広間に毎日出勤していますが、大好きなエヴァン様との婚約を白紙撤回した日のことばかり考えています。
皇太子殿下にドイル伯爵夫妻との面談をお願いした翌日、全員で朝一番で王宮に来てくれました。
王宮の応接室に集まったのは、国王夫妻と皇太子殿下とサミュエル殿下、ドイル家と私、そしてエスメラルダです。
エスメラルダはその日も朝から私にくっついて離れず、博士が話し合いの内容を記録するよりも正確だからという理由で同行させることを勧めて下さったのです。
メイドが静かにお茶を配り終えて退出すると、国王陛下が口を開きました。
「まさかこのような事態が起こるとは思ってもみなかった。ドイル伯爵家ならびにローゼリア・ワンド伯爵にはなんと言ってよいか言葉もない」
私たちは否定も肯定もできずただ下を向きました。
私にはもちろんドイル家にしても拒否権は無いに等しいのです。
エヴァン様と私の婚約取り消しの事務手続きは粛々と終わりました。
私がサインをし終わったとき、ララが駆け寄って声を上げて泣いてくれました。
リリアナ夫人も手を握って泣いていました。
「ローゼリア、これは緊急措置ですからね。本当に縁が切れるわけじゃないのよ。私たちは二人を信じているわ。エヴァンさえ戻れば全て元通りになるはずよ」
私は真っ赤な目をして頷くしかありませんでした。
婚約を白紙にする書類にサインしたのは二度目です。
前回も辛かったですが、今回のサインは心が引きちぎられそうなほどでした。
でもエヴァン様を助けるためです。
たとえ本当にこれでエヴァン様との未来が無くなったとしても、私は愛する方が生きていてくれさえすれば良いと心に決めたのですから。
国王陛下と皇后殿下が、私の顔を見ながら悲痛な顔をされました。
私はずっと指に嵌めていた婚約指輪を外し、ドイル伯爵に返しました。
「一旦預かっておくよ。大切に保管しておくから」
伯爵はそう言って外した指輪を小さな箱に納め、屋敷に帰りました。
伯爵たちの馬車を見送った後、私は自分の左手を眺めていました。
いつの間に日に焼けていたのでしょう?
左の薬指の付け根だけが悲しすぎるほど白く、確かにそこに指輪が嵌っていた事実を私に突きつけます。
それから数日後、エヴァン・ドイル伯爵令息とローゼリア・ワンド女伯爵の婚約白紙の書類を携えて、カーティス皇太子がノース国に出立されました。
この歳で婚約者がいなくなったという私の噂は、すぐに社交界で広まったようで、爵位と領地を持つ私のもとには何通もの釣書が届きました。
真相はトップシークレット扱いですから、これも仕方のないことでしょう。
今までは盾となって下さっていたドイル伯爵家もさすがに動くことはできませんから、自分でなんとかするしか無いのは分かっています。
分かっていますが心も体も疲弊した私は、毎日ボーッとしていて、少しずつ机の上に積みあがっていく釣書の山を眺めているだけです。
噂は領地を任せているハイド子爵夫妻の耳にも届いたようで、私を気遣う手紙が届きました。
文末には随分前に研究所を案内してくれたダニエラ・ミンツとの婚約についての打診がかかれており、人って根幹は変わらないのだなと思って笑ってしまいました。
机に積みあがっていた釣書は博士と主任と護衛騎士のアンナお姉さまが、見事に捌いて下さって助かりました。
カーティス皇太子は領地に引き籠るよう言われましたが、ミンツ子爵令息との話が進むのも困りますし、何よりサミュエル殿下が反対してくれたので、私はこのまま王宮に留まることになりました。
王宮ではカーティス皇太子から報告が届くたびに関係者が集まって情報共有が為されました。
参加者は国王陛下とサミュエル殿下、宰相閣下とドイル伯爵です。
私は関係者というより、サミュエル殿下の通訳係として参加しています。
「今カーティスとルーカスがノース国でエヴァンを返すよう交渉を重ねているが、のらりくらりと躱されている状況だ。こちらとしては要求通りエヴァンの婚約を白紙に戻したにもかかわらず、進展がないのはおかしいと考えている」
「エヴァンの件は隠れ蓑ということですね」
ドイル伯爵が全員を代表して口を開きました。
「そう考えているし間違いないだろう」
「何を狙っているのでしょうね?」
「おそらく現王が死ぬのを待っているのだと思う」
「ああなるほど。マリアを犯人として共犯エヴァンという筋ですか」
「分かり易すぎるだろ?」
「ノースの第一王子ってバカですか?」
「会ったことないがバカだな」
暫し沈黙が流れました。
「ワイドルの女王とも話したのだが、あちらはマリア単独犯で構わないからエヴァンの救出を優先するよう言ってきた。実の妹とはいえ、さすがに庇いきれないと判断したのだろう」
「さすがですね」
国王陛下が一呼吸おいて、ドイル伯爵に言いました。
「サミュエルの能力については聞いているだろうか?」
「はい、我が末息子もお世話になっていますので存じております」
「それなら話が早い。そのサミュエルを通してノース国の現皇后である姉上と話をしたのだが、姉上は離宮に軟禁されている状態で動けないようだ。まあ軟禁といっても次々に側妃を召し上げる国王に嫌気がさして、自ら入ったのだから心配は無い。姉上は子を成さなかったから三人の王子は全て側妃腹だ」
「そうでしたね、それこそお飾りの正妃として仕事だけを押し付けられていらした」
「まあ姉上は私の百倍は優秀だから、苦もなくこなしただろうけれど、国王が第一王子を皇太子としたことに反対して、全ての仕事を放棄して離宮に籠ったんだ。悠々自適なスローライフを決め込んでいたが、皇太子の結婚話が出始めた頃から軟禁状態になったらしい。まあ離宮内では自由に行動できたので、気にもしてなかったらしいが、今思えばその頃から計画的に動いていたのだろうということだ。国王の体調が悪くなったのもその頃らしいが、死ぬほどではない状態が続いている」
「計画的だとすると皇太子はバカではない?」
「いや、奴は間違いなくバカだな。計画に整合性がないだろう?緻密なところと杜撰なところの差が大きすぎる。むしろ急に計画を変更したのではと疑いたくなるほど、ある時点から幼稚な作戦に変わった」
「マリア妃の輿入れが決定してからですね?」
「うん、そこまでは切れ者が裏で皇太子を動かしていたが、何らかの理由でそれが無くなり、皇太子主導に変わったと考えるのが妥当だな」
「理由が知りたいですね」
「姉上が探ってくれているが、いかんせん動きが制限されて時間がかかっている」
私は素直な疑問を口にしました。
「駒が揃った今、なぜ計画を前に進めないのでしょう?」
〈戦争を起こす準備が進んでいないのだろう〉
「えっ?戦争の準備ですか?」
皆さんが一斉に私の顔を見ました。
サミュエル殿下が全員の顔を見て小さく頷きました。
〈奴の狙いはワイドル国への宣戦布告だ。しかし国民が反戦運動を起こし徴兵が進まない上に、資金も思ったより集まらないのだろう。だから動けない〉
私はサミュエル殿下の言葉を皆さんに伝えました。
今度はジョアンの声が頭に響きました。
〈兄上の奪還は最優先だが、あんな危険な国は放置すべきではない。国民感情を煽ってクーデターを勃発させて国王と皇太子、第二王子を捕縛して第三王子を立てるか共和国にするか。いずれにしても反戦運動のリーダーと接触し、王家を転覆させるための作戦参謀を送り込む〉
〈そうだね、ただし叔母上は王家の人間だが、絶対に助けたい。だから反戦運動側への資金提供や作戦参謀の派遣は叔母上が主導している形をとろう〉
私の口から語られる二人の会話に全員が頷きました。
国王陛下が口を開きました。
「本作戦の参謀はサミュエルとジョアン、実働は我々が担う。ワイドル国と協力しながら進めていくが、全て秘密裏に動く必要がある。必要最小限の人数で動いてくれ」
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