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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!
第82話 聖者の裁判と、魔王、洪水を治める
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【日本・横浜】
ゴオオオオオッ――!
空が破れたかのような土砂降りの雨が、横浜の街を叩きつけていた。四畳半のアパートの窓ガラスが、風圧でガタガタと不気味な音を立てている。
「ひぃぃぃ! 魔王様! 外が、外が、終わりの日みたいになってますぅ!」 ギギは、テレビが映し出す緊迫したニュース速報――『鶴見川、氾濫危険水位に到達』というテロップ――と、窓の外の荒れ狂う暴風雨を交互に見比べ、畳の上で完全に丸まっていた。
ゼファーは、腕を組み、静かに窓の外を見つめていた。その目は、昨日までの料理探求者のそれではなく、幾多の戦場をくぐり抜けてきた「王」の鋭さを取り戻している。 (……この雨、ただの自然現象ではないな。魔界の『嵐蛇(ストームドレイク)』が吐き出す豪雨に似ている。この世界の『法』は、天災まではカバーしきれんか)
彼がこの世界の脆弱なインフラについて思索を巡らせていると、ポケットの中の魔導具(スマホ)が、けたたましい音で震えた。 画面には『オヤカタ』の文字。
「……む」 ゼファーが通話ボタンを押すと、雨音に負けないほどの、オヤカタの焦った怒声が鼓膜を突き刺した。 『ゼファーさんか!? ヤベえ! 現場の事務所が、川の水に飲み込まれそうだ! 頼む、手が空いてるなら、力を貸してくれ!』 「……ほう? 我に、命令するか。オヤカタよ」 ゼファーは、無意識のうちに、魔王としての尊大な口調で問い返していた。
『ああっ!? 命令とかそういうんじゃねえよ! 頼んでんだ! 俺たちの仕事場が、なくなっちまう! あんたの力が必要なんだよ! 頼む!』 電話の向こうで、オヤカタの必死さが伝わってくる。それは「契約者(従業員)」への「業務命令」ではなかった。困難を前にした、仲間への「救援要請」だった。
「…………」 ゼファーは、ふ、と口元を緩めた。 「――よかろう。我が『契約者(オヤカタ)』の窮地、見過ごすわけにはいかんな」 『お、おお! 来てくれるのか!』 「案ずるな。我が魔王軍の『治水技術』をもってすれば、この程度の氾濫、赤子の手をひねるようなものよ」 『ちすいぎじゅつ!? あんた、そんな資格まで持ってんのか!』
ゼファーは通話を切ると、丸まっているギギの首根っこをひょいと掴み上げた。 「行くぞ、ギギ!」 「ひぃぃ!? どこへ!? 死にに行くん(※原文ママ)ですか!?」 「我は王だ。民(※オヤカタ)のSOS(エスオーエス)に応えるは、王の責務である!」 ゼファーは、嵐の中へと飛び出していく。その姿は、もはや「警備員ゼファーさん」ではなく、民を守るために戦場へ赴く、魔王そのものだった。
【異世界・マカイ亭】
厨房には、薬草の、深く、そして心を落ち着かせるような香りが満ちていた。 陽人は、「究極の癒しメニュー」――『万病快癒(?)・魔界薬膳鶏スープ』の試作に没頭していた。
(……くそっ、あと一味が足りない。癒しだけじゃなく、ギルドの連中のガツンと殴るような……いや、癒しだから殴っちゃダメか……) 彼が鍋の前でうんうん唸っていると、店の扉が乱暴に開く音がした。
「シェフ! 大変です! 来ました!」 リリアが、一枚の羊皮紙を握りしめ、顔面蒼白で厨房に飛び込んできた。その後ろから、バルガスも、いつになく険しい表情でついてくる。
「なんだ、リリア。今、いいとこ……」 「これです!」 リリアが叩きつけた羊皮紙。そこには、王都料理ギルドの尊大な紋章と共に、こう記されていた。
『――下町の料理店「マカイ亭」シェフ、橘陽人。貴殿の料理、及び店舗経営において、王都の食文化の『品格』を著しく損なう疑いあり。よって、三日後、ギルド本部にて開催される『公聴審査会』への出頭を命ずる――』
「……公聴審査会? なんだそれ、美味いのか?」 陽人は、現実逃避するように、間の抜けた返事をした。 リリアは、わなわなと震えながら叫んだ。 「食べられません! 噂では、ギルドに睨まれたお店を、ギルド幹部の前で公(おおやけ)の場で吊し上げるための、『魔女裁判』みたいなものだって……!」 「魔女裁判!?」
「ひぃぃぃ! つ、吊るされるんですか!? ギロチンですか!? や、やっぱり聖者様は、最後は火あぶりになる運命なんですぅ!」 ギギが、厨房の隅で鍋を抱えてガタガタと震え始めた。 「……罠だ」 バルガスが、短く、しかし重々しく呟く。「行けば、何を仕掛けられるか分からん。食材に細工されるか、味を偽って評価されるか。……行かねば、『ギルドへの反逆』として、営業停止だ」
(……詰んだ) 陽人の頭の中が、真っ白になった。 オルロフ公爵という盾を得たと思った矢先に、今度は料理ギルドという、業界全体からの圧力。ボルドア子爵が裏で糸を引いているのは明らかだった。 逃げても地獄、進んでも地獄。
「……どうするんですか、シェフ……?」 リリアが、不安げに陽人を見つめる。 陽人は、ぐっと拳を握りしめた。脳裏に、王宮で自分を助けてくれた、グラントの険しい顔が浮かぶ。彼も、このギルドの一員のはずだ。
(……あの人は、料理への『誇り』を口にしていた。だが、今のギルドのやり方は、誇りどころか、ただの陰湿ないじめじゃないか) ふつふつと、怒りが湧き上がってきた。聖者だの奇跡だの、勝手に祭り上げられ、今度は魔女裁判? ふざけるな。
「……行くよ」 陽人は、静かに、しかし力強く言った。 「えっ!?」 「行く。逃げてるだけじゃ、何も始まらない。ボルドアにも、ギルドにも、文句があるなら直接言わせればいい」
陽人は、試作中だった薬膳スープの鍋に、再び火をかけた。コトコトと、優しい音が厨房に響く。 「俺は、料理人だ。俺の『品格』は、俺の料理で証明する。あいつらが『品格がない』って言うなら、そいつらの舌を、無理やりにでも納得させてやる」 その目には、晩餐会の時と同じ、不退転の炎が宿っていた。
「……シェフ」 リリアの目に、尊敬の光が灯る。 「よし! みんな、まずは腹ごしらえだ! この『決起集会スープ』を飲んで、作戦会議だ! どうやって、あの石頭のジジイどもを『癒して』やるか、考えるぞ!」 「は、はいっ!」 「……ウス」
新たな、そしてさらに面倒な戦いを前に、マカイ亭の厨房に、決意の香りが満ちた湯気が、力強く立ち上るのだった。
ゴオオオオオッ――!
空が破れたかのような土砂降りの雨が、横浜の街を叩きつけていた。四畳半のアパートの窓ガラスが、風圧でガタガタと不気味な音を立てている。
「ひぃぃぃ! 魔王様! 外が、外が、終わりの日みたいになってますぅ!」 ギギは、テレビが映し出す緊迫したニュース速報――『鶴見川、氾濫危険水位に到達』というテロップ――と、窓の外の荒れ狂う暴風雨を交互に見比べ、畳の上で完全に丸まっていた。
ゼファーは、腕を組み、静かに窓の外を見つめていた。その目は、昨日までの料理探求者のそれではなく、幾多の戦場をくぐり抜けてきた「王」の鋭さを取り戻している。 (……この雨、ただの自然現象ではないな。魔界の『嵐蛇(ストームドレイク)』が吐き出す豪雨に似ている。この世界の『法』は、天災まではカバーしきれんか)
彼がこの世界の脆弱なインフラについて思索を巡らせていると、ポケットの中の魔導具(スマホ)が、けたたましい音で震えた。 画面には『オヤカタ』の文字。
「……む」 ゼファーが通話ボタンを押すと、雨音に負けないほどの、オヤカタの焦った怒声が鼓膜を突き刺した。 『ゼファーさんか!? ヤベえ! 現場の事務所が、川の水に飲み込まれそうだ! 頼む、手が空いてるなら、力を貸してくれ!』 「……ほう? 我に、命令するか。オヤカタよ」 ゼファーは、無意識のうちに、魔王としての尊大な口調で問い返していた。
『ああっ!? 命令とかそういうんじゃねえよ! 頼んでんだ! 俺たちの仕事場が、なくなっちまう! あんたの力が必要なんだよ! 頼む!』 電話の向こうで、オヤカタの必死さが伝わってくる。それは「契約者(従業員)」への「業務命令」ではなかった。困難を前にした、仲間への「救援要請」だった。
「…………」 ゼファーは、ふ、と口元を緩めた。 「――よかろう。我が『契約者(オヤカタ)』の窮地、見過ごすわけにはいかんな」 『お、おお! 来てくれるのか!』 「案ずるな。我が魔王軍の『治水技術』をもってすれば、この程度の氾濫、赤子の手をひねるようなものよ」 『ちすいぎじゅつ!? あんた、そんな資格まで持ってんのか!』
ゼファーは通話を切ると、丸まっているギギの首根っこをひょいと掴み上げた。 「行くぞ、ギギ!」 「ひぃぃ!? どこへ!? 死にに行くん(※原文ママ)ですか!?」 「我は王だ。民(※オヤカタ)のSOS(エスオーエス)に応えるは、王の責務である!」 ゼファーは、嵐の中へと飛び出していく。その姿は、もはや「警備員ゼファーさん」ではなく、民を守るために戦場へ赴く、魔王そのものだった。
【異世界・マカイ亭】
厨房には、薬草の、深く、そして心を落ち着かせるような香りが満ちていた。 陽人は、「究極の癒しメニュー」――『万病快癒(?)・魔界薬膳鶏スープ』の試作に没頭していた。
(……くそっ、あと一味が足りない。癒しだけじゃなく、ギルドの連中のガツンと殴るような……いや、癒しだから殴っちゃダメか……) 彼が鍋の前でうんうん唸っていると、店の扉が乱暴に開く音がした。
「シェフ! 大変です! 来ました!」 リリアが、一枚の羊皮紙を握りしめ、顔面蒼白で厨房に飛び込んできた。その後ろから、バルガスも、いつになく険しい表情でついてくる。
「なんだ、リリア。今、いいとこ……」 「これです!」 リリアが叩きつけた羊皮紙。そこには、王都料理ギルドの尊大な紋章と共に、こう記されていた。
『――下町の料理店「マカイ亭」シェフ、橘陽人。貴殿の料理、及び店舗経営において、王都の食文化の『品格』を著しく損なう疑いあり。よって、三日後、ギルド本部にて開催される『公聴審査会』への出頭を命ずる――』
「……公聴審査会? なんだそれ、美味いのか?」 陽人は、現実逃避するように、間の抜けた返事をした。 リリアは、わなわなと震えながら叫んだ。 「食べられません! 噂では、ギルドに睨まれたお店を、ギルド幹部の前で公(おおやけ)の場で吊し上げるための、『魔女裁判』みたいなものだって……!」 「魔女裁判!?」
「ひぃぃぃ! つ、吊るされるんですか!? ギロチンですか!? や、やっぱり聖者様は、最後は火あぶりになる運命なんですぅ!」 ギギが、厨房の隅で鍋を抱えてガタガタと震え始めた。 「……罠だ」 バルガスが、短く、しかし重々しく呟く。「行けば、何を仕掛けられるか分からん。食材に細工されるか、味を偽って評価されるか。……行かねば、『ギルドへの反逆』として、営業停止だ」
(……詰んだ) 陽人の頭の中が、真っ白になった。 オルロフ公爵という盾を得たと思った矢先に、今度は料理ギルドという、業界全体からの圧力。ボルドア子爵が裏で糸を引いているのは明らかだった。 逃げても地獄、進んでも地獄。
「……どうするんですか、シェフ……?」 リリアが、不安げに陽人を見つめる。 陽人は、ぐっと拳を握りしめた。脳裏に、王宮で自分を助けてくれた、グラントの険しい顔が浮かぶ。彼も、このギルドの一員のはずだ。
(……あの人は、料理への『誇り』を口にしていた。だが、今のギルドのやり方は、誇りどころか、ただの陰湿ないじめじゃないか) ふつふつと、怒りが湧き上がってきた。聖者だの奇跡だの、勝手に祭り上げられ、今度は魔女裁判? ふざけるな。
「……行くよ」 陽人は、静かに、しかし力強く言った。 「えっ!?」 「行く。逃げてるだけじゃ、何も始まらない。ボルドアにも、ギルドにも、文句があるなら直接言わせればいい」
陽人は、試作中だった薬膳スープの鍋に、再び火をかけた。コトコトと、優しい音が厨房に響く。 「俺は、料理人だ。俺の『品格』は、俺の料理で証明する。あいつらが『品格がない』って言うなら、そいつらの舌を、無理やりにでも納得させてやる」 その目には、晩餐会の時と同じ、不退転の炎が宿っていた。
「……シェフ」 リリアの目に、尊敬の光が灯る。 「よし! みんな、まずは腹ごしらえだ! この『決起集会スープ』を飲んで、作戦会議だ! どうやって、あの石頭のジジイどもを『癒して』やるか、考えるぞ!」 「は、はいっ!」 「……ウス」
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