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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!
第84話 法廷のコンソメ、反逆のボルシチ
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【異世界・王都料理ギルド本部】
そこは、厨房(キッチン)ではなかった。 大理石の床が冷たく輝き、天井は教会のドームのように高い。半円状に設えられた審査員席には、料理ギルドの幹部である、恰幅の良い老人たちがずらりと並んでいる。その顔には「伝統」と「権威」と「頑固」という三文字が、深く刻み込まれていた。 空気は重く、静かで、まるで法廷だ。今まさに、被告人・橘陽人の「罪状」が読み上げられようとしていた。
「ひぃぃぃ……!」 ギギは、会場のあまりの威圧感に、バルガスの巨大な足の後ろに完全に隠れ、小刻みに震えている。 「し、シェフ……どうしましょう。あの人たちの視線、お肉の鮮度をチェックする時より怖いです……!」 リリアも、顔を真っ青にして、陽人のエプロンの裾を掴んでいる。
「……大丈夫だ」 陽人は、二人(と一匹?)に、無理やり笑顔を作って見せた。 「ここは、王宮(アウェー)じゃない。料理ギルドだ。あいつらも、俺たちも、同じ料理人だ。……だったら、ここは俺たちの戦場(ホーム)だ」 その声には、不思議なほどの落ち着きがあった。彼は、会場の中央に設置された簡易調理台の前に立つと、愛用の包丁セットをカタン、と静かに置いた。
審査委員長――ギルドで最も厳格とされる、眉毛の長い老人――が、咳払い一つで静寂を深めた。 「……橘陽人。貴殿の料理が、王都の食文化の『品格』を著しく損なうという訴えが出ている。この公聴審査会は、その真偽を、貴殿の『料理』そのもので、見極めるための場である」 その声は、温かみなど一切ない、事務的な響きだった。
「……言い訳は、ありません」 陽人は、審査員たちを真っ直ぐに見据えた。 「俺の料理が『品格がない』と言うのなら、それを証明するのも、また料理でしかありません。……どうか、ご覧いただきたい。俺の、俺たちの、全てを」
陽人はそう言うと、持参した一つの奇妙な鍋をコンロに置いた。 中央で真っ二つに仕切られた、陰陽魚(インヤンフィッシュ)の模様のような、特注の鍋。
「な……なんだ、あの鍋は?」 「ふざけているのか? 鍋を二つ使えばよかろうに…」 審査員たちがざわつくのを無視し、陽人は鍋の片方に、透き通った黄金色の液体――最高級のブイヨン――を注ぎ入れた。 「こちらでは、ギルドの皆様が重んじる『伝統』と『品格』の象徴。王宮直伝のレシピに基づいた、『コンソメ・ロワイヤル』を作ります」
その言葉に、審査員たちは(まあ、それなら…)という表情で頷く。 だが、次の瞬間、彼らの眉がつり上がった。
陽人は、鍋のもう片方に、ドバドバと、赤黒く、見るからに野蛮な液体――魔界スパイスとトマトを煮詰めたベース――を注ぎ入れたのだ。 「なっ!?」 「そして、こちらでは――」 陽人は、ニヤリと笑った。 「我が店『マカイ亭』の魂。伝統も品格もぶち壊す、『混沌(カオス)の闇鍋ボルシチ』を作ります」
「「「な、なんだとーーーっ!?」」」 審査員席が、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 「き、貴様! この神聖な審査会を愚弄するか!」 「一つの鍋で、聖と邪を同時に調理するなど、料理への冒涜だ!」 昨日陽人の店に来た幹部が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「冒涜、ですか?」 陽人は、包丁を握り、驚くべき速さで野菜を刻みながら、静かに、しかし力強く言い返した。 「俺には、どっちも『聖』ですよ。どっちも、人が『美味い』って笑顔になる、最高の料理だ。――それを今から、あんたたちの舌に、叩き込んでやる!」
そのあまりにも不遜な宣言に、審査員たちは言葉を失い、ただ怒りに震える。 陽人の背後では、リリアが「(シェフ、かっこいーー!)」と目を輝かせ、ギギが「(あ、あんなこと言って、スープに毒入れられたりしませんか!?)」と震え、バルガスが「……合理的だ」と一人納得していた。 前代未聞の「異種料理対決(鍋の中で)」の火蓋が、今、切って落とされた。
【日本・横浜・工事現場】
魔王ゼファーは、己の社会的地位が、一夜にして劇的に向上したことを実感していた。 「ゼファーさん! 昨日はマジあざっした!」 「この缶コーヒー、差し入れっス!」 「うちのカミさんが、あんた『水神様』かって! 昨日の夜、赤飯炊いてたぜ!」
現場事務所で、作業員たちから手厚い歓迎(と大量の缶コーヒー)を受け、ゼファーは満更でもない表情で玉座(パイプ椅子)に腰かけていた。 (ふん。我が治水技術、この世界でも通用したか。民が王を称えるのは、当然の理よ) 彼が悦に入っていると、オヤカタが、分厚い封筒を「ほらよ」と差し出してきた。
「昨日、大活躍だったからな。社長から、特別手当だ。持ってけ」 「……ほう? 報酬、か」 ゼファーが中身を一瞥すると、そこには昨日までの日給とは比較にならない、数枚の福沢諭吉が入っていた。 (……なるほど。この世界は、労働力だけでなく、『成果(リザルト)』に対しても、正当な対価を支払うシステムか。合理的だ)
魔王は、新たな社会の仕組みを学習し、静かに頷いた。 その時、ギギが、ゼファーの真新しい魔導具(中古スマホ)を、ビクビクしながら差し出してきた。 「ま、魔王様! また『メール』という名の果たし状が……! 今度は、『やくしょ』からです!」 「……やくしょ?」
ゼファーがスマホの画面を覗き込むと、そこには、『【横浜市】国民健康保険証交付のお知らせ』という、彼にはまだ解読不能なタイトルが表示されていた。 「……む。『けんこう・ほけんしょう』……? いかなる武具だ? 我がHP(ヒットポイント)かMP(マジックポイント)を底上げする、神聖な護符(アミュレット)か?」 「ひぃぃ! きっと、それがあれば、魔王様は無敵です!」
ゼファーは、昨日手に入れた「カネ」の力で、さらなる「力(装備品?)」が手に入ると確信し、オヤカタに尋ねた。 「オヤカタよ。この『やくしょ』なる場所は、どこにある? 我は、この『けんこう・ほけんしょう』なる装備品を、手に入れねばならぬ」 「……は?」
オヤカタは、ゼファーの真剣すぎる問いに、一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。 「…やくしょ? ああ、市役所のことか? そこ曲がった先にあるけどよ。……装備品? ゼファーさん、それ、ただの保険証だよ? 病院行くときに安くなるやつ」 「びょういん!? 我が『状態異常耐性(ステータスレジスト)』を、さらに高めるための施設か!」 「……あんた、やっぱ面白いなあ!」
オヤカタは、ゼファーの盛大な勘違いを、いつもの「魔王様ジョーク」と受け取り、腹を抱えて笑っている。 ゼファーは、笑われている意味が分からぬまま、しかし「病院」という新たな「ダンジョン」と、「保険証」という「装備品」の存在に、統治者としての探求心を燃やすのだった。 (よし、ギギよ! 午後は『やくしょ』に赴き、我らの『耐性』を強化するぞ!)
魔王の、社会科見学(という名の勘違い行脚)は、まだまだ続く。
そこは、厨房(キッチン)ではなかった。 大理石の床が冷たく輝き、天井は教会のドームのように高い。半円状に設えられた審査員席には、料理ギルドの幹部である、恰幅の良い老人たちがずらりと並んでいる。その顔には「伝統」と「権威」と「頑固」という三文字が、深く刻み込まれていた。 空気は重く、静かで、まるで法廷だ。今まさに、被告人・橘陽人の「罪状」が読み上げられようとしていた。
「ひぃぃぃ……!」 ギギは、会場のあまりの威圧感に、バルガスの巨大な足の後ろに完全に隠れ、小刻みに震えている。 「し、シェフ……どうしましょう。あの人たちの視線、お肉の鮮度をチェックする時より怖いです……!」 リリアも、顔を真っ青にして、陽人のエプロンの裾を掴んでいる。
「……大丈夫だ」 陽人は、二人(と一匹?)に、無理やり笑顔を作って見せた。 「ここは、王宮(アウェー)じゃない。料理ギルドだ。あいつらも、俺たちも、同じ料理人だ。……だったら、ここは俺たちの戦場(ホーム)だ」 その声には、不思議なほどの落ち着きがあった。彼は、会場の中央に設置された簡易調理台の前に立つと、愛用の包丁セットをカタン、と静かに置いた。
審査委員長――ギルドで最も厳格とされる、眉毛の長い老人――が、咳払い一つで静寂を深めた。 「……橘陽人。貴殿の料理が、王都の食文化の『品格』を著しく損なうという訴えが出ている。この公聴審査会は、その真偽を、貴殿の『料理』そのもので、見極めるための場である」 その声は、温かみなど一切ない、事務的な響きだった。
「……言い訳は、ありません」 陽人は、審査員たちを真っ直ぐに見据えた。 「俺の料理が『品格がない』と言うのなら、それを証明するのも、また料理でしかありません。……どうか、ご覧いただきたい。俺の、俺たちの、全てを」
陽人はそう言うと、持参した一つの奇妙な鍋をコンロに置いた。 中央で真っ二つに仕切られた、陰陽魚(インヤンフィッシュ)の模様のような、特注の鍋。
「な……なんだ、あの鍋は?」 「ふざけているのか? 鍋を二つ使えばよかろうに…」 審査員たちがざわつくのを無視し、陽人は鍋の片方に、透き通った黄金色の液体――最高級のブイヨン――を注ぎ入れた。 「こちらでは、ギルドの皆様が重んじる『伝統』と『品格』の象徴。王宮直伝のレシピに基づいた、『コンソメ・ロワイヤル』を作ります」
その言葉に、審査員たちは(まあ、それなら…)という表情で頷く。 だが、次の瞬間、彼らの眉がつり上がった。
陽人は、鍋のもう片方に、ドバドバと、赤黒く、見るからに野蛮な液体――魔界スパイスとトマトを煮詰めたベース――を注ぎ入れたのだ。 「なっ!?」 「そして、こちらでは――」 陽人は、ニヤリと笑った。 「我が店『マカイ亭』の魂。伝統も品格もぶち壊す、『混沌(カオス)の闇鍋ボルシチ』を作ります」
「「「な、なんだとーーーっ!?」」」 審査員席が、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 「き、貴様! この神聖な審査会を愚弄するか!」 「一つの鍋で、聖と邪を同時に調理するなど、料理への冒涜だ!」 昨日陽人の店に来た幹部が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「冒涜、ですか?」 陽人は、包丁を握り、驚くべき速さで野菜を刻みながら、静かに、しかし力強く言い返した。 「俺には、どっちも『聖』ですよ。どっちも、人が『美味い』って笑顔になる、最高の料理だ。――それを今から、あんたたちの舌に、叩き込んでやる!」
そのあまりにも不遜な宣言に、審査員たちは言葉を失い、ただ怒りに震える。 陽人の背後では、リリアが「(シェフ、かっこいーー!)」と目を輝かせ、ギギが「(あ、あんなこと言って、スープに毒入れられたりしませんか!?)」と震え、バルガスが「……合理的だ」と一人納得していた。 前代未聞の「異種料理対決(鍋の中で)」の火蓋が、今、切って落とされた。
【日本・横浜・工事現場】
魔王ゼファーは、己の社会的地位が、一夜にして劇的に向上したことを実感していた。 「ゼファーさん! 昨日はマジあざっした!」 「この缶コーヒー、差し入れっス!」 「うちのカミさんが、あんた『水神様』かって! 昨日の夜、赤飯炊いてたぜ!」
現場事務所で、作業員たちから手厚い歓迎(と大量の缶コーヒー)を受け、ゼファーは満更でもない表情で玉座(パイプ椅子)に腰かけていた。 (ふん。我が治水技術、この世界でも通用したか。民が王を称えるのは、当然の理よ) 彼が悦に入っていると、オヤカタが、分厚い封筒を「ほらよ」と差し出してきた。
「昨日、大活躍だったからな。社長から、特別手当だ。持ってけ」 「……ほう? 報酬、か」 ゼファーが中身を一瞥すると、そこには昨日までの日給とは比較にならない、数枚の福沢諭吉が入っていた。 (……なるほど。この世界は、労働力だけでなく、『成果(リザルト)』に対しても、正当な対価を支払うシステムか。合理的だ)
魔王は、新たな社会の仕組みを学習し、静かに頷いた。 その時、ギギが、ゼファーの真新しい魔導具(中古スマホ)を、ビクビクしながら差し出してきた。 「ま、魔王様! また『メール』という名の果たし状が……! 今度は、『やくしょ』からです!」 「……やくしょ?」
ゼファーがスマホの画面を覗き込むと、そこには、『【横浜市】国民健康保険証交付のお知らせ』という、彼にはまだ解読不能なタイトルが表示されていた。 「……む。『けんこう・ほけんしょう』……? いかなる武具だ? 我がHP(ヒットポイント)かMP(マジックポイント)を底上げする、神聖な護符(アミュレット)か?」 「ひぃぃ! きっと、それがあれば、魔王様は無敵です!」
ゼファーは、昨日手に入れた「カネ」の力で、さらなる「力(装備品?)」が手に入ると確信し、オヤカタに尋ねた。 「オヤカタよ。この『やくしょ』なる場所は、どこにある? 我は、この『けんこう・ほけんしょう』なる装備品を、手に入れねばならぬ」 「……は?」
オヤカタは、ゼファーの真剣すぎる問いに、一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。 「…やくしょ? ああ、市役所のことか? そこ曲がった先にあるけどよ。……装備品? ゼファーさん、それ、ただの保険証だよ? 病院行くときに安くなるやつ」 「びょういん!? 我が『状態異常耐性(ステータスレジスト)』を、さらに高めるための施設か!」 「……あんた、やっぱ面白いなあ!」
オヤカタは、ゼファーの盛大な勘違いを、いつもの「魔王様ジョーク」と受け取り、腹を抱えて笑っている。 ゼファーは、笑われている意味が分からぬまま、しかし「病院」という新たな「ダンジョン」と、「保険証」という「装備品」の存在に、統治者としての探求心を燃やすのだった。 (よし、ギギよ! 午後は『やくしょ』に赴き、我らの『耐性』を強化するぞ!)
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