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第三章 魔王様、アルバイトは時給千円からです!
第87話 聖者への査問会と、魔王、スタンプに遭う
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【異世界・マカイ亭】
陽人を「聖者」として崇める熱狂(フィーバー)は、日に日にエスカレートしていた。 今や店の前には、「聖者様の炊き出し」を求めて並ぶ長蛇の列だけでなく、各地から送られてくる高級食材(という名のお供え物)が、バルガスの背丈ほどに積まれている。
「シェフ……! もう、野菜の置き場がありません! このままだと、私たちが店の中で寝ることになります!」 リリアが、巨大なカボチャを涙目で転がしながら訴える。 「ひぃぃ! あ、あのカボチャ、昨夜、目が合ったんです! きっと、神の使い魔です!」 「ギギ、それはただのイボだ! 心を強く持て!」
陽人は、厨房でうんうんと唸っていた。「聖者」という重すぎる十字架(という名の勘違い)を背負わされ、彼の胃は限界寸前だった。 (どうする……! 聖者フィーバーを鎮めつつ、ボルドア派の陰謀にも備えないといけない。……そうだ、『聖者の癒し』メニュー第三弾は、もっとこう、地味で、滋養はあるけど、奇跡っぽくないヤツを……)
彼が「究極の滋養粥(じようがゆ)」のレシピを練っている、その時だった。 カラン――。 店の扉が開き、バルガスの静止を振り切って、一人の男が入ってきた。 これまでの「信者」とは明らかに違う。黒い法衣に身を包み、その目は、まるで獲物の粗(あら)を探す鷹のように、鋭く、冷たい。
「……ここが、民を惑わす『聖地』か。実に、俗っぽい匂いだ」 男は、店内に積まれた食材の山を一瞥し、侮蔑するように鼻を鳴らした。
「あ、お客様……!? 今、準備中で……!」 リリアが慌てて駆け寄るが、男はそれを手で制した。 「私は客ではない。中央神殿より派遣された、異端審問官のガルバスだ」 「いったんしんもんかん!?」 「ひぃぃぃ! つ、ついに、神の裁きが! 火あぶりの刑ですぅ!」
ギギが、白目を剥いて失神しかける。陽人も、背筋が凍るのを感じた。ギルドの次は、神殿か! (ボルドアの奴、どこまで手を回してるんだ!)
審問官ガルバスは、陽人の前に立つと、値踏みするように、その目を細めた。 「貴様が、橘陽人か。民衆を『奇跡の料理』なるもので扇動し、王宮の秩序を乱しているという報告を受けている」 「せ、扇動なんて、滅相も! 俺はただの料理人で……!」 「黙れ、異端者!」 ガルバスが一喝すると、ギギが「ひっ!」と息を呑み、バルガスが(厨房から)戦闘態勢に入ろうとする気配がした。
「聖者などと名乗り、奇跡を騙(かた)る。それは、神への最大の冒涜(ぼうとく)だ。……だが、中央神殿も慈悲深い。貴様に、最後の弁明の機会を与えよう」 ガルバスは、一枚の羊皮紙を陽人の前に叩きつけた。 「三日後。中央神殿の大聖堂にて、貴様の『奇跡』、我らの前で、再現してもらう。もし、できなければ――」
その言葉の続きは、言われなくても分かった。 (またかよ! しかも今度は神殿のど真ん中で!? もう、勘弁してくれ……!) 陽人は、あまりの理不尽さに、眩暈を覚えるのだった。
【日本・横浜】
一方、魔王ゼファーは、四畳半のアパートで、己の指先と、文明の利器(中古スマホ)との、壮絶な戦いを繰り広げていた。
「……ぬぅっ!」 ゼファーの太い指が、小さな液晶画面をタップする。だが、彼が入力したい『あ』の文字は現れず、無情にも『い』『う』『え』が量産されていく。 「ええい! なぜだ! なぜ我が意のままにならぬ! この『ふりっく入力』なる魔術は、いかなる理屈で動いておるのだ!」 「ま、魔王様、落ち着いてください! スマホさんが、魔王様の王気(おうき)に怯えて、誤作動を……!」 ギギが、的外れなフォローを入れる。
ゼファーは、昨日契約したばかりのスマホを、怒りのあまり握り潰しそうになっていた。 (……落ち着け、我。これも『法治国家』で生きるための試練。オヤカタとの『契約』を果たすためにも、この『らいん』なる通信魔術は、マスターせねばならん)
昨日、オヤカタ(山本権蔵)から、「明日の現場の集合場所は、LINEで送るから!」と、無慈悲な通告を受けていたのだ。 ゼファーとギギは、昨夜、文字通り徹夜で「アプリストア」という名の魔導書庫から、『LINE』という名の魔術式(アプリ)を召喚(インストール)することには成功していた。
「……よし。まずは、オヤカタに、我が健在である旨を伝えねば」 ゼファーは、ギギが図書館で調べてきた『若者言葉入門(古本)』を片手に、メッセージの作成を開始した。
『オ(お)……ヤ(や)……カ(か)……タ(た)……』 一文字入力するのに、30秒はかかる。
『……わ(わ)……れ(れ)……は(は)……げ(げ)……ん(ん)……き(き)……だ(だ)……』
「よし! 送信だ!」 ゼファーが、渾身の力を込めて「送信」ボタンを押す。 だが、その時。彼の指が、隣にあった、見慣れない「顔のアイコン」に触れてしまった。 「む?」
画面が切り替わり、無数の顔、動物、謎の図形が並んだ一覧――「スタンプ」選択画面――が表示された。 「な、なんだ、これは!? 無数の呪印(じゅいん)か!?」 「ひぃぃ! 罠です、魔王様! きっと、魂を吸い取る呪いです!」
ゼファーが慌てて画面を閉じようとタップした瞬間、彼の指は、よりにもよって『号泣するウサギ』のスタンプを、オヤカタに送信してしまった。
「「…………あっ」」
アパートの四畳半に、二人の絶望的な声が響いた。 「ぬぅぅぅっ! 我が魔王としての威厳が! この、涙を垂れ流す軟弱なウサギによって! 台無しに!」 ゼファーが、スマホを畳に叩きつけようとした、その時。
ピコン♪
軽い電子音と共に、スマホの画面が光った。 『オヤカタ』からの返信だ。
ゼファーが、震える指で画面を開くと、そこには、メッセージはなかった。 ただ、一つの画像――『笑顔のクマが、泣いているウサギの頭を、優しく撫でている』スタンプ――が、送られてきていた。
「…………」 ゼファーは、そのスタンプを、ただ、じっと見つめていた。 「ま、魔王様……? あのクマは、オヤカタ様、でしょうか……?」 「……」 「我らを……慰めて(なぐさめて)……いる、のでしょうか?」
ゼファーは、答えなかった。 彼は、王として、統治者として、常に「言葉」と「力」で全てを支配してきた。 だが、今、目の前にあるのは、言葉でも、力でもない。 ただの「絵」だ。 しかし、その一枚の「絵」は、オヤカタの不器用な優しさと、「心配するな」という想いを、どんな雄弁な言葉よりも、正確にゼファーの心に伝えていた。
(……これが。これが、この世界の『対話』……なのか?)
魔王ゼファーは、スマホの画面を凝視したまま、動けなかった。 彼が理解し始めた「法」や「契約」よりも、さらに深く、そして温かい、この世界の「理(ことわり)」の片鱗に、触れた気がした。 彼は、おもむろにスタンプ一覧を開くと、今度は、自らの意思で、一つのスタンプを選び、オヤカタに送信した。
――『ペコリと頭を下げる、工事現場のヘルメットを被ったネコ』のスタンプを。
陽人を「聖者」として崇める熱狂(フィーバー)は、日に日にエスカレートしていた。 今や店の前には、「聖者様の炊き出し」を求めて並ぶ長蛇の列だけでなく、各地から送られてくる高級食材(という名のお供え物)が、バルガスの背丈ほどに積まれている。
「シェフ……! もう、野菜の置き場がありません! このままだと、私たちが店の中で寝ることになります!」 リリアが、巨大なカボチャを涙目で転がしながら訴える。 「ひぃぃ! あ、あのカボチャ、昨夜、目が合ったんです! きっと、神の使い魔です!」 「ギギ、それはただのイボだ! 心を強く持て!」
陽人は、厨房でうんうんと唸っていた。「聖者」という重すぎる十字架(という名の勘違い)を背負わされ、彼の胃は限界寸前だった。 (どうする……! 聖者フィーバーを鎮めつつ、ボルドア派の陰謀にも備えないといけない。……そうだ、『聖者の癒し』メニュー第三弾は、もっとこう、地味で、滋養はあるけど、奇跡っぽくないヤツを……)
彼が「究極の滋養粥(じようがゆ)」のレシピを練っている、その時だった。 カラン――。 店の扉が開き、バルガスの静止を振り切って、一人の男が入ってきた。 これまでの「信者」とは明らかに違う。黒い法衣に身を包み、その目は、まるで獲物の粗(あら)を探す鷹のように、鋭く、冷たい。
「……ここが、民を惑わす『聖地』か。実に、俗っぽい匂いだ」 男は、店内に積まれた食材の山を一瞥し、侮蔑するように鼻を鳴らした。
「あ、お客様……!? 今、準備中で……!」 リリアが慌てて駆け寄るが、男はそれを手で制した。 「私は客ではない。中央神殿より派遣された、異端審問官のガルバスだ」 「いったんしんもんかん!?」 「ひぃぃぃ! つ、ついに、神の裁きが! 火あぶりの刑ですぅ!」
ギギが、白目を剥いて失神しかける。陽人も、背筋が凍るのを感じた。ギルドの次は、神殿か! (ボルドアの奴、どこまで手を回してるんだ!)
審問官ガルバスは、陽人の前に立つと、値踏みするように、その目を細めた。 「貴様が、橘陽人か。民衆を『奇跡の料理』なるもので扇動し、王宮の秩序を乱しているという報告を受けている」 「せ、扇動なんて、滅相も! 俺はただの料理人で……!」 「黙れ、異端者!」 ガルバスが一喝すると、ギギが「ひっ!」と息を呑み、バルガスが(厨房から)戦闘態勢に入ろうとする気配がした。
「聖者などと名乗り、奇跡を騙(かた)る。それは、神への最大の冒涜(ぼうとく)だ。……だが、中央神殿も慈悲深い。貴様に、最後の弁明の機会を与えよう」 ガルバスは、一枚の羊皮紙を陽人の前に叩きつけた。 「三日後。中央神殿の大聖堂にて、貴様の『奇跡』、我らの前で、再現してもらう。もし、できなければ――」
その言葉の続きは、言われなくても分かった。 (またかよ! しかも今度は神殿のど真ん中で!? もう、勘弁してくれ……!) 陽人は、あまりの理不尽さに、眩暈を覚えるのだった。
【日本・横浜】
一方、魔王ゼファーは、四畳半のアパートで、己の指先と、文明の利器(中古スマホ)との、壮絶な戦いを繰り広げていた。
「……ぬぅっ!」 ゼファーの太い指が、小さな液晶画面をタップする。だが、彼が入力したい『あ』の文字は現れず、無情にも『い』『う』『え』が量産されていく。 「ええい! なぜだ! なぜ我が意のままにならぬ! この『ふりっく入力』なる魔術は、いかなる理屈で動いておるのだ!」 「ま、魔王様、落ち着いてください! スマホさんが、魔王様の王気(おうき)に怯えて、誤作動を……!」 ギギが、的外れなフォローを入れる。
ゼファーは、昨日契約したばかりのスマホを、怒りのあまり握り潰しそうになっていた。 (……落ち着け、我。これも『法治国家』で生きるための試練。オヤカタとの『契約』を果たすためにも、この『らいん』なる通信魔術は、マスターせねばならん)
昨日、オヤカタ(山本権蔵)から、「明日の現場の集合場所は、LINEで送るから!」と、無慈悲な通告を受けていたのだ。 ゼファーとギギは、昨夜、文字通り徹夜で「アプリストア」という名の魔導書庫から、『LINE』という名の魔術式(アプリ)を召喚(インストール)することには成功していた。
「……よし。まずは、オヤカタに、我が健在である旨を伝えねば」 ゼファーは、ギギが図書館で調べてきた『若者言葉入門(古本)』を片手に、メッセージの作成を開始した。
『オ(お)……ヤ(や)……カ(か)……タ(た)……』 一文字入力するのに、30秒はかかる。
『……わ(わ)……れ(れ)……は(は)……げ(げ)……ん(ん)……き(き)……だ(だ)……』
「よし! 送信だ!」 ゼファーが、渾身の力を込めて「送信」ボタンを押す。 だが、その時。彼の指が、隣にあった、見慣れない「顔のアイコン」に触れてしまった。 「む?」
画面が切り替わり、無数の顔、動物、謎の図形が並んだ一覧――「スタンプ」選択画面――が表示された。 「な、なんだ、これは!? 無数の呪印(じゅいん)か!?」 「ひぃぃ! 罠です、魔王様! きっと、魂を吸い取る呪いです!」
ゼファーが慌てて画面を閉じようとタップした瞬間、彼の指は、よりにもよって『号泣するウサギ』のスタンプを、オヤカタに送信してしまった。
「「…………あっ」」
アパートの四畳半に、二人の絶望的な声が響いた。 「ぬぅぅぅっ! 我が魔王としての威厳が! この、涙を垂れ流す軟弱なウサギによって! 台無しに!」 ゼファーが、スマホを畳に叩きつけようとした、その時。
ピコン♪
軽い電子音と共に、スマホの画面が光った。 『オヤカタ』からの返信だ。
ゼファーが、震える指で画面を開くと、そこには、メッセージはなかった。 ただ、一つの画像――『笑顔のクマが、泣いているウサギの頭を、優しく撫でている』スタンプ――が、送られてきていた。
「…………」 ゼファーは、そのスタンプを、ただ、じっと見つめていた。 「ま、魔王様……? あのクマは、オヤカタ様、でしょうか……?」 「……」 「我らを……慰めて(なぐさめて)……いる、のでしょうか?」
ゼファーは、答えなかった。 彼は、王として、統治者として、常に「言葉」と「力」で全てを支配してきた。 だが、今、目の前にあるのは、言葉でも、力でもない。 ただの「絵」だ。 しかし、その一枚の「絵」は、オヤカタの不器用な優しさと、「心配するな」という想いを、どんな雄弁な言葉よりも、正確にゼファーの心に伝えていた。
(……これが。これが、この世界の『対話』……なのか?)
魔王ゼファーは、スマホの画面を凝視したまま、動けなかった。 彼が理解し始めた「法」や「契約」よりも、さらに深く、そして温かい、この世界の「理(ことわり)」の片鱗に、触れた気がした。 彼は、おもむろにスタンプ一覧を開くと、今度は、自らの意思で、一つのスタンプを選び、オヤカタに送信した。
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