「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第十二話 “愛さない契約”なのに、宰相様の世話焼きが止まらない

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 勝利の朝は、甘い香りと共にやってきた。

「……ん」

 私が目を開けると、そこは天蓋付きのキングサイズベッドの上だった。  隣を見ると、すでにアシュ様の姿はない。  代わりに、サイドテーブルには湯気を立てる紅茶と、山盛りの焼き菓子が置かれていた。

「起きたか、リディア」

 部屋の奥にあるウォークインクローゼットから、着替えを済ませたアシュ様が出てきた。  今日も今日とて、非の打ち所がない完璧な宰相スタイルだ。

「おはようございます、アシュ様。このお菓子は……」

「昨日の公約だ。君の脳は昨日の法廷闘争で大量の糖分を消費した。よって、朝食前に摂取するのが最も合理的だ」

 アシュ様は真顔で言いながら、ベッドサイドに歩み寄ってきた。  そして、私が起き上がろうとするのを手で制し、マカロンを一つ摘んで私の口元に差し出した。

「あーん」

「は?」

 思考が停止した。  今、この氷の宰相様は、幼児にするような真似を私に求めているの?

「手が汚れるだろう。私が直接供給する方が効率的だ」

「い、いえ! 自分で食べられますわ! それに、まだ顔も洗っていませんし……」

「君の寝起き顔は、すでに観測済みだ。多少髪が爆発していようと、私の評価(スペック査定)に変動はない。さあ、口を開けろ」

 有無を言わせぬ圧力。  私は抵抗を諦め、パクりとマカロンを口にした。  サクッとした食感と、フランボワーズの甘酸っぱさが広がる。美味しい。悔しいけれど、最高に美味しい。

「よろしい」

 アシュ様は満足げに頷くと、今度は私の乱れた髪に手を伸ばした。  彼の長い指が、櫛のように髪を梳いていく。

「ちょ、アシュ様!?」

「じっとしていろ。寝癖がついている。このままでは宰相夫人としての品位に関わる」

 彼はドレッサーから本物の櫛を持ってくると、私の背後に回り、丁寧に髪を整え始めた。  その手つきは、驚くほど優しい。  普段、書類を捌いている時の機械的な動きとは大違いだ。

「……あの、アシュ様。こういうのはメイドの仕事では?」

「ニナは今、君のドレスのアイロンがけに回している。人手が足りない以上、私が実行するのが最適解だ」

 嘘がつけない契約。  つまり、彼は本気で「自分がやるのが一番早い」と思っているのだ。  でも。

「……髪質が良いな。触れていて心地いい」

 ボソリと、独り言のような本音が頭上から降ってきた。

 ドクン。  心臓が跳ねる。  鏡越しに見えるアシュ様は、いつもの無表情だ。でも、その手は私の髪を慈しむように、何度も何度も撫でている。

 これ、本当に『愛さない契約』してます?  もしかして契約書に『妻をペットのように愛でる』という隠し条項でもありましたっけ?

「終わったぞ。……完璧だ」

 アシュ様は私の髪に、仕上げのキス――のような吐息を落とし、離れた。  私は顔が沸騰しそうで、鏡を見ることができなかった。

 ◇

 その後、私たちは揃って宰相府へと出勤した。  昨日の今日だ。私が執務室に入ると、部下の文官たちが一斉に起立し、尊敬と畏怖の混じった眼差しで迎えてくれた。  「悪魔(教会)を論破した女神」という新しい二つ名が聞こえた気がするけど、聞かなかったことにしよう。

「リディア、君の席はここだ」

 アシュ様が指差したのは、彼の執務机の真横――もはや合体していると言ってもいい距離――に新設されたデスクだった。

「……近くありませんこと?」

「遠いと書類の受け渡しに〇・五秒のロスが生じる。非効率だ」

 はいはい、合理的合理的。  私は溜息をつきつつ、席に着いた。

 仕事が始まると、アシュ様はやはり『氷の宰相』だった。  凄まじい速度で決裁を行い、部下に冷徹な指示を飛ばす。  私も負けじと、昨日の裁判で押収した教会側の裏帳簿の解析を始めた。数字と契約書の矛盾を見つけるのは、私の得意分野だ。

「……アシュ様。ここの支出、おかしいですわ。修繕費名目で、巨額の資金が『闇ギルド』らしき口座に流れています」

「ほう。見せてみろ」

 アシュ様が私の手元を覗き込む。  その時、彼の手が私の手に重なった。    ビクッとして引っ込めようとしたが、彼はさらに強く握り込んできた。

「動くな。指差している箇所が見えない」

「口で説明しますから!」

「視覚情報と君の解説、両方を同時に処理する方が確実だ」

 彼はそう言って、私を背後から包み込むような体勢で、書類を読み込み始めた。  彼の体温が背中に伝わる。  耳元で彼の吐息が聞こえる。  部下たちが「見ちゃいけないものを見た」という顔で書類に顔を埋めているのが視界の端に見える。

 これは……職場内セクハラ(無自覚)では?  でも、『嘘がつけない』彼が平然としているということは、本当に邪念がないのだ。  邪念がないなら、ドキドキしている私の方が不純だというの?

「……素晴らしいな、リディア」

 不意に、アシュ様が耳元で囁いた。

「この隠蔽工作、通常の監査官なら見落とすレベルだ。それを一瞬で見抜くとは。……やはり君は、私の最高の相棒(パートナー)だ」

 相棒。  その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。  王太子には「可愛げがない」「理屈っぽい」と疎まれた私の才能。  それを、この人は「素晴らしい」と肯定してくれる。  必要としてくれる。

「……ありがとう、ございます」

 私が小さく呟くと、アシュ様の左手の指輪がチクリと熱を持った。   『――愛おしい』

 え?  今、何か聞こえた?  アシュ様の口は動いていない。  でも、指輪を通じて、直接脳内に響いてきたような……。

 私が驚いて振り返ると、アシュ様はハッとしたように顔を背けた。  その耳は、朝よりもさらに赤くなっていた。

「……休憩だ。コーヒーを淹れる」

 彼は逃げるように給湯室へと向かってしまった。  残された私は、自分の薬指の指輪を見つめる。  この『真実の誓約印』。  もしかして、言葉にしなくても、強すぎる本音(感情)が漏れ聞こえてしまう機能までついているんじゃ……。

 だとしたら、今の『愛おしい』って……。

 いやいやいや!  まさかね!  きっと「(有能な部下として)愛おしい」って意味よ!  私は必死に自分に言い聞かせ、赤くなった頬をパタパタと扇いだ。

 ◇

 そんな、甘くも胃の痛い平和な時間が破られたのは、夕刻のことだった。

 執務室の扉が乱暴に叩かれ、顔色を変えた警備隊長が飛び込んできた。

「閣下! 緊急事態です!」

「騒々しい。簡潔に報告しろ」

 アシュ様はコーヒーカップを置き、瞬時に冷徹な宰相の顔に戻った。

「『セーフハウス・ベータ』より入電! 襲撃を受けています!」

 ガタッ。  私が椅子を蹴って立ち上がった。  セーフハウス・ベータ。  そこは、昨夜保護したミレイユ様を匿っている場所だ。

「襲撃者は?」

「所属不明の武装集団ですが……装備が『聖騎士団』の非正規部隊と酷似しているとのこと。数が多く、現地の警備兵だけでは持ちこたえられません!」

「……なるほど。法で勝てぬなら暴力か。野蛮な連中だ」

 アシュ様の瞳が、凍てつくような殺気を帯びた。  彼は立ち上がり、壁にかけてあった漆黒のマントを羽織った。

「リディア、行くぞ」

「はい!」

「君はここで待機……と言っても聞かないだろう?」

「当然です。ミレイユ様は私の大切な『共犯者』ですもの。それに、私が行けば、彼らに『法的・政治的な手出し』を躊躇させられます」

 アシュ様はニヤリと笑った。

「合理的だ。いいだろう、ついて来い。……ただし」

 彼は私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。

「私の背中から離れるな。傷一つでもつけたら、教会ごと地図から消すことになるからな」

「……善処しますわ」

 私たちは執務室を飛び出した。  平和な夫婦ごっこ(契約)はここまで。  ここからは、悪役令嬢と氷の宰相による、実力行使の時間だ。

 待っていなさい、ミレイユ。  そして、往生際の悪いおっさんたち。  私とアシュ様の『新婚旅行』の行き先が、あなたたちの殲滅現場になるとは運がないわね!
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