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第九話:戦後処理という名の断罪〜その分厚い書類は、元婚約者の破滅への請求書です〜
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王都の空は、皮肉なほどに晴れ渡っていました。 国境での泥と雨にまみれた激戦が嘘のような、突き抜けるような青空。 その下を、二つの軍団がメインストリートを行進しています。
先頭を行くのは、王立騎士団。 本来であれば、彼らは輝く鎧を纏い、民衆の歓声を浴びて誇らしげに凱旋するはずでした。 しかし、今の彼らの姿はどうでしょう。 泥を落としきれずに黒ずんだ鎧。傷つき、足を引きずる馬たち。そして何より、騎士たちの顔に張り付いた、隠しようのない疲労と敗北感。 団長であるフェルディナンド・フォン・アイゼンベルク伯爵令息は、予備の儀礼用鎧に身を包んでいますが、その表情は能面のように硬く、民衆に手を振る気力すらないようです。
対して、その後ろを行く私たち――傭兵団『鉄の牙』。 揃いの黒い実戦用鎧は、傷こそあれど手入れが行き届き、鈍い光を放っています。 整然とした足並み。背筋を伸ばし、堂々と前を見据える戦士たち。 その背には、今回の勝利の立役者である新型クロスボウが誇らしげに担がれています。 そして、隊列の先頭には、巨大な黒馬に跨った団長ヴォルフガング。その隣には、軍師として馬を並べる私、エリス。
「おい、見たか? 騎士様たち、なんだかボロボロじゃねぇか?」 「後ろの傭兵団の方が強そうに見えるぞ」 「あそこで黒い鎧を着てるデカイ男、あれが『剣聖』ヴォルフガングか! すげぇ迫力だ!」
沿道の民衆は正直です。 どちらが勝者で、どちらが敗者か、その空気感だけで敏感に察知しています。 ざわめきは次第に大きくなり、やがてそれは『鉄の牙』への称賛の声へと変わっていきました。
「ヴォルフ、手を振っては?」 「……柄じゃねぇよ。見世物じゃあるまいし」
ヴォルフガングはぶっきらぼうに答えましたが、その口元は微かに緩んでいました。 彼らはこれまで、日陰者として扱われてきました。汚れ仕事を請け負い、蔑まれながら戦ってきたのです。 それが今、王都のメインストリートを堂々と歩き、称賛を浴びている。 部下たちの目にも、光るものがありました。
ですが、浮かれている場合ではありません。 本当の戦いは、これからなのです。 王城の門が、大きな口を開けて私たちを待っています。 そこは、剣ではなく『言葉』と『権威』が飛び交う、もう一つの戦場。
「行きますよ、団長。書類の準備は?」 「おう、バッチリだ。……しかし、こんな紙束が本当に武器になるのか?」 「なりますとも。時には、剣よりも鋭く、魔法よりも残酷に、敵を切り刻むのです」
私は鞍に取り付けた革鞄を撫でました。 中には、この数週間の全てが記録されています。 さあ、精算の時間です、フェルディナンド様。
◇
王城、謁見の間。 高い天井にシャンデリアが輝き、深紅の絨毯が玉座へと続いています。 左右には、煌びやかな衣装を纏った貴族たちがずらりと並び、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと噂話を交わしていました。
玉座には、この国の国王陛下。 その横には宰相や軍務大臣といった重鎮たちが控えています。
「王立騎士団長、フェルディナンド・フォン・アイゼンベルク! ならびに、傭兵団『鉄の牙』団長、ヴォルフガング! 前へ!」
儀典官の声が響き渡ります。 私たちは並んで進み出ました。 フェルディナンドは緊張で顔を強張らせ、ガチガチと不自然な動きで歩いています。一方、ヴォルフガングは王の前でも物怖じせず、堂々とした歩調です。私は一歩下がって彼に付き従います。
玉座の前で片膝をつき、頭を垂れる。 沈黙が落ちました。
「……面を上げよ」
国王の厳かな声。 私たちが顔を上げると、老王は鋭い眼光で二人を見比べました。
「此度の国境紛争、大儀であった。敵軍を撃退し、国境の安全を守り抜いたこと、称賛に値する。……して、戦況の報告を聞こうか」
まず口を開いたのは、当然のようにフェルディナンドでした。 彼は咳払いを一つして、用意してきたであろう弁明――いえ、虚偽の報告を始めました。
「はっ! ご報告申し上げます! 今回の戦い、敵は卑劣にも悪天候を利用し、泥沼と化した平原に我が軍を誘い込みました。しかし! 私率いる王立騎士団は、その困難な状況にも屈せず、果敢に敵本陣へと突撃を敢行いたしました!」
よくもまあ、ぬけぬけと。 泥に足を取られて転がっていただけのことを「果敢に突撃」と言い換える語彙力には感服します。
「我々が敵の主力部隊を引きつけ、激戦を繰り広げている最中……あろうことか、こちらの傭兵団が勝手な行動に出たのであります!」
フェルディナンドは芝居がかった仕草で、隣のヴォルフガングを指差しました。 貴族たちが「ほう」とざわめきます。
「彼らは我々の作戦を無視し、功名心に駆られて敵の側面に突っ込みました。そのせいで戦場は混乱し、我々が追い詰めていた敵将を取り逃がす……ところでしたが、私の迅速な指揮により、なんとか事なきを得ました。つまり、今回の勝利は全て王立騎士団の奮闘によるものであり、傭兵どもはむしろ『邪魔』をしたに過ぎません!」
言い切った。 ここまで清々しい嘘をつかれると、怒りを通り越して笑いが出てきそうです。 自分の失態を隠すだけでなく、手柄を独占し、さらには協力者を悪者に仕立て上げる。 保身のためなら何でもする、貴族社会の悪い見本のような男です。
「……ほう。それは真か?」
国王の視線が、ヴォルフガングに向けられます。 ヴォルフガングは眉一つ動かさず、ただ短く答えました。
「陛下。俺は口下手な傭兵です。弁明は、我が団の軍師に任せてもよろしいでしょうか」
国王が頷くのを確認し、私は静かに立ち上がりました。 周囲の貴族たちが、「女か?」「あれは確か、ローゼンバーグ家の……」と囁き合うのが聞こえます。 私は一度深く礼をし、懐から分厚い革張りのバインダーを取り出しました。
「お初にお目にかかります、陛下。傭兵団『鉄の牙』にて軍師を務めております、エリスと申します。フェルディナンド様の素晴らしい『物語』、大変興味深く拝聴いたしました。……ですが、ここにある『数字』と『記録』は、少々異なる事実を示しております」
私はバインダーを開き、一枚の書類を掲げました。
「まず、こちらをご覧ください。これは『戦場日報』です。開戦から終結まで、一時間ごとの天候、気温、風向き、そして両軍の動きを詳細に記録したものです」
私は宰相に書類を渡しました。宰相は眼鏡の位置を直し、書類に目を通します。
「……ふむ。これは詳細だ。時間経過と共に、戦線の動きが手に取るようにわかる」 「ありがとうございます。この記録によりますと、開戦初日、午前十時。王立騎士団は敵の挑発に乗り、泥濘地帯へ突入。その十五分後には進軍停止。……いえ、正確には『移動不能』に陥っております」
私は淡々と事実を読み上げます。
「その際、敵の軽装歩兵による投石と槍の攻撃を受け、騎士団は一方的な損害を被りました。騎士団が『激戦』を繰り広げていたという記録はありません。あるのは『停滞』と『混乱』のみです」
「な、何を! それは貴様が勝手に書いた捏造だ!」
フェルディナンドが叫びます。 私は涼しい顔で、次の書類を取り出しました。
「捏造ではありません。なぜなら、この記録には『損害報告書』も添付されているからです。騎士団の鎧の損傷箇所、負傷者の傷の状態。それらを分析すれば、どのような状況で攻撃を受けたかは明白です。……背中や側頭部への打撃痕が多数。これは、敵に包囲され、防戦一方だったことの証明です」
貴族たちのざわめきが変わりました。 疑惑の目が、フェルディナンドに向けられ始めます。
「さらに、決定的な証拠がございます」
私はとっておきのカードを切りました。 泥と汗で少し汚れた、羊皮紙の束。 それは、あの戦場でフェルディナンドが泣きながらサインした、数々の『契約書』です。
「こちらは、戦場においてフェルディナンド様と我が団との間で交わされた、業務委託契約書および借用書の原本です」
私は一枚ずつ、タイトルを読み上げながら提示していきました。
「『泥沼からの救助要請に関する覚書』。……騎士団が動けなくなった際、我が団が援護射撃を行い、退路を確保したことに対する報酬契約です」 「『緊急医療支援および物資提供に関する契約書』。……騎士団内で疫病が発生した際、治療薬と清潔な水を提供したことに対する対価の支払いです」 「『敵陣夜襲における救援要請書』。……夜の森で包囲された騎士団を救出するため、我が団が介入したことに対する追加報酬の約束です」
私は書類を宰相に手渡しながら、フェルディナンドに微笑みかけました。
「フェルディナンド様。これらの書類には、全てあなたの直筆のサインと、家紋の印が押されています。……まさか、これも捏造だと仰るおつもりですか?」
フェルディナンドの顔から、血の気が引いていきました。 青を通り越して、白紙のように真っ白です。 彼はパクパクと口を開閉させ、何か言おうとしますが、声が出てきません。 動かぬ証拠。 自分が命惜しさにサインした書類が、今、自分の首を絞める絞首刑のロープとなって跳ね返ってきたのです。
「……ふむ。確かに、アイゼンベルク家の署名だ」
宰相が重々しく頷きました。 軍務大臣が、呆れ果てたようにフェルディナンドを睨みつけます。
「おい、アイゼンベルク。これはどういうことだ? 貴様、自力で戦うどころか、傭兵に助けられ通しではないか。しかも、水や薬まで恵んでもらっていたとは……騎士の恥晒しめ!」 「ち、違います! それは……その……脅されたのです! そう、彼らが私の命を盾に取って、無理やりサインさせたのです!」
フェルディナンドは必死に言い逃れをしようとします。 見苦しい。 どこまでも他人のせいにするその精神性には、ある種の感動すら覚えます。
「脅迫、ですか。……では、こちらの『収支報告書』もご覧ください」
私は最後の書類を出しました。
「これは、今回の遠征にかかった経費の明細です。我が団は、受け取った報酬の多くを、現地の物資調達や装備の補修に充てています。そして、その領収書も全て保管してあります。……対して、騎士団の予算はどうでしょう?」
私は懐から、もう一冊の帳簿を取り出しました。 これは、私が婚約者時代に管理していた、騎士団の裏帳簿の写しです。
「騎士団の予算の六割が、装備の『装飾費』と『宴会費』に消えています。兵站や衛生管理への予算は、ほぼゼロ。……これでは、疫病が発生するのも当然です。脅迫などせずとも、あなた方は自滅していたのです」
会場が静まり返りました。 もはや、誰もフェルディナンドを擁護する者はいません。 数字は嘘をつかない。 彼の無能さと腐敗ぶりは、白日の下に晒されました。
「……陛下」
ヴォルフガングが、静かに口を開きました。
「俺たちは傭兵です。金で雇われ、血を流すのが仕事です。名誉なんて高尚なもんはいりません。……ですが、命を懸けて戦った部下たちが『邪魔者』扱いされるのだけは、我慢なりませんでした」
彼は深く頭を下げました。
「どうか、公正なるご判断を」
その姿は、着飾った騎士よりも遥かに気高く、王の心を打ちました。 国王陛下は、ゆっくりと玉座から立ち上がりました。
「……あい分かった。フェルディナンドよ、申し開きはあるか?」
王の声は静かでしたが、そこには絶対的な威圧感がありました。 フェルディナンドはガタガタと震え、膝から崩れ落ちました。
「う、嘘だ……こんなの嘘だ……私は……私は選ばれし騎士なのだぞ……!」
彼は錯乱したように呟き、そして――私を睨みつけました。 その目には、狂気じみた憎悪が宿っていました。
「貴様……! エリス! よくも私を嵌めたな! 魔力なしの能無しのくせに! 魔女め! 悪魔め!」
彼は立ち上がり、私に掴みかかろうとしました。 しかし、その手は届きません。 ヴォルフガングが、壁のように私の前に立ちはだかったからです。
「……それ以上近づくな。次は斬るぞ」
ヴォルフガングが低く唸ると、フェルディナンドは「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさりました。 もはや、勝負はついていました。 論理でも、武力でも、そして人としての器でも、彼は完敗したのです。
しかし、追い詰められた鼠は、猫を噛むと言います。 フェルディナンドは、最後の悪あがきに出ました。 彼は狂ったように笑い出し、王に向かって叫びました。
「陛下! これは陰謀です! この女は魔女です! 言葉巧みに私を惑わせ、書類を偽造し、私を陥れようとしているのです!」
「往生際が悪いぞ、フェルディナンド」
「いいえ、真実です! 証明してみせます! ……陛下、『神明裁判』を申し立てます!」
神明裁判。 その言葉に、謁見の間がどよめきました。 それは、人間の判断では決着がつかない時、神に判定を委ねるという、古の因習です。 具体的には、熱した鉄を素手で握り、火傷を負わなければ無実、負えば有罪とする、野蛮極まりない儀式。 魔力至上主義のこの国では、まだ法的に有効な手段として残っていました。
「この女が本当に潔白なら、神が守ってくれるはずです! 魔力がなくても、正義があれば火傷しないはずだ! ……さあ、やれるものならやってみろ、エリス!」
フェルディナンドは勝ち誇ったように私を指差しました。 彼は知っているのです。私が魔力ゼロであることを。 魔法による防御ができなければ、熱した鉄を握れば大火傷を負うのは物理的な必然。 つまり、これは私を合法的に処刑するための、卑劣な罠。
「……ふざけんな!」
ヴォルフガングが激昂しました。
「そんなもん、ただのリンチじゃねぇか! 陛下、認められません! こんな理不尽な……」 「お待ちなさい、ヴォルフ」
私は彼を制しました。 そして、静かに一歩前へ出ました。
「……受けましょう」
「エリス!?」 「いいのです、団長。……フェルディナンド様、それがあなたの望みなら、お相手いたしましょう」
私はフェルディナンドを真っ直ぐに見つめ返しました。 彼が望むのは、神による判定。 いいでしょう。 ならば私は、『科学』という名の神の力で、あなたの蒙昧な信仰を打ち砕いて差し上げます。
「ただし、条件があります。もし私が無傷で生還したならば、あなたの騎士団長の地位を剥奪し、全財産を没収。そして、国外追放としていただきたい」 「……いいだろう! どうせ貴様は、鉄を握った瞬間に泣き叫ぶことになるのだからな!」
フェルディナンドは歪んだ笑みを浮かべました。 彼は気づいていません。 私が、勝算のない戦いなど絶対にしない女だということを。
「では、準備を。……神の審判を始めましょう」
謁見の間に、重苦しい空気が満ちました。 書類の戦いは終わりました。 次は、肉体と、そして知恵を懸けた、最後の決戦です。
私は袖の中で、こっそりと準備していた『あるもの』を握りしめました。 それは、魔力などなくても熱を遮断できる、私のとっておきの切り札。
さあ、フェルディナンド様。 あなたの信じる神と、私の信じる科学。 どちらが強いか、試してみましょうか。
先頭を行くのは、王立騎士団。 本来であれば、彼らは輝く鎧を纏い、民衆の歓声を浴びて誇らしげに凱旋するはずでした。 しかし、今の彼らの姿はどうでしょう。 泥を落としきれずに黒ずんだ鎧。傷つき、足を引きずる馬たち。そして何より、騎士たちの顔に張り付いた、隠しようのない疲労と敗北感。 団長であるフェルディナンド・フォン・アイゼンベルク伯爵令息は、予備の儀礼用鎧に身を包んでいますが、その表情は能面のように硬く、民衆に手を振る気力すらないようです。
対して、その後ろを行く私たち――傭兵団『鉄の牙』。 揃いの黒い実戦用鎧は、傷こそあれど手入れが行き届き、鈍い光を放っています。 整然とした足並み。背筋を伸ばし、堂々と前を見据える戦士たち。 その背には、今回の勝利の立役者である新型クロスボウが誇らしげに担がれています。 そして、隊列の先頭には、巨大な黒馬に跨った団長ヴォルフガング。その隣には、軍師として馬を並べる私、エリス。
「おい、見たか? 騎士様たち、なんだかボロボロじゃねぇか?」 「後ろの傭兵団の方が強そうに見えるぞ」 「あそこで黒い鎧を着てるデカイ男、あれが『剣聖』ヴォルフガングか! すげぇ迫力だ!」
沿道の民衆は正直です。 どちらが勝者で、どちらが敗者か、その空気感だけで敏感に察知しています。 ざわめきは次第に大きくなり、やがてそれは『鉄の牙』への称賛の声へと変わっていきました。
「ヴォルフ、手を振っては?」 「……柄じゃねぇよ。見世物じゃあるまいし」
ヴォルフガングはぶっきらぼうに答えましたが、その口元は微かに緩んでいました。 彼らはこれまで、日陰者として扱われてきました。汚れ仕事を請け負い、蔑まれながら戦ってきたのです。 それが今、王都のメインストリートを堂々と歩き、称賛を浴びている。 部下たちの目にも、光るものがありました。
ですが、浮かれている場合ではありません。 本当の戦いは、これからなのです。 王城の門が、大きな口を開けて私たちを待っています。 そこは、剣ではなく『言葉』と『権威』が飛び交う、もう一つの戦場。
「行きますよ、団長。書類の準備は?」 「おう、バッチリだ。……しかし、こんな紙束が本当に武器になるのか?」 「なりますとも。時には、剣よりも鋭く、魔法よりも残酷に、敵を切り刻むのです」
私は鞍に取り付けた革鞄を撫でました。 中には、この数週間の全てが記録されています。 さあ、精算の時間です、フェルディナンド様。
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王城、謁見の間。 高い天井にシャンデリアが輝き、深紅の絨毯が玉座へと続いています。 左右には、煌びやかな衣装を纏った貴族たちがずらりと並び、扇子で口元を隠しながらヒソヒソと噂話を交わしていました。
玉座には、この国の国王陛下。 その横には宰相や軍務大臣といった重鎮たちが控えています。
「王立騎士団長、フェルディナンド・フォン・アイゼンベルク! ならびに、傭兵団『鉄の牙』団長、ヴォルフガング! 前へ!」
儀典官の声が響き渡ります。 私たちは並んで進み出ました。 フェルディナンドは緊張で顔を強張らせ、ガチガチと不自然な動きで歩いています。一方、ヴォルフガングは王の前でも物怖じせず、堂々とした歩調です。私は一歩下がって彼に付き従います。
玉座の前で片膝をつき、頭を垂れる。 沈黙が落ちました。
「……面を上げよ」
国王の厳かな声。 私たちが顔を上げると、老王は鋭い眼光で二人を見比べました。
「此度の国境紛争、大儀であった。敵軍を撃退し、国境の安全を守り抜いたこと、称賛に値する。……して、戦況の報告を聞こうか」
まず口を開いたのは、当然のようにフェルディナンドでした。 彼は咳払いを一つして、用意してきたであろう弁明――いえ、虚偽の報告を始めました。
「はっ! ご報告申し上げます! 今回の戦い、敵は卑劣にも悪天候を利用し、泥沼と化した平原に我が軍を誘い込みました。しかし! 私率いる王立騎士団は、その困難な状況にも屈せず、果敢に敵本陣へと突撃を敢行いたしました!」
よくもまあ、ぬけぬけと。 泥に足を取られて転がっていただけのことを「果敢に突撃」と言い換える語彙力には感服します。
「我々が敵の主力部隊を引きつけ、激戦を繰り広げている最中……あろうことか、こちらの傭兵団が勝手な行動に出たのであります!」
フェルディナンドは芝居がかった仕草で、隣のヴォルフガングを指差しました。 貴族たちが「ほう」とざわめきます。
「彼らは我々の作戦を無視し、功名心に駆られて敵の側面に突っ込みました。そのせいで戦場は混乱し、我々が追い詰めていた敵将を取り逃がす……ところでしたが、私の迅速な指揮により、なんとか事なきを得ました。つまり、今回の勝利は全て王立騎士団の奮闘によるものであり、傭兵どもはむしろ『邪魔』をしたに過ぎません!」
言い切った。 ここまで清々しい嘘をつかれると、怒りを通り越して笑いが出てきそうです。 自分の失態を隠すだけでなく、手柄を独占し、さらには協力者を悪者に仕立て上げる。 保身のためなら何でもする、貴族社会の悪い見本のような男です。
「……ほう。それは真か?」
国王の視線が、ヴォルフガングに向けられます。 ヴォルフガングは眉一つ動かさず、ただ短く答えました。
「陛下。俺は口下手な傭兵です。弁明は、我が団の軍師に任せてもよろしいでしょうか」
国王が頷くのを確認し、私は静かに立ち上がりました。 周囲の貴族たちが、「女か?」「あれは確か、ローゼンバーグ家の……」と囁き合うのが聞こえます。 私は一度深く礼をし、懐から分厚い革張りのバインダーを取り出しました。
「お初にお目にかかります、陛下。傭兵団『鉄の牙』にて軍師を務めております、エリスと申します。フェルディナンド様の素晴らしい『物語』、大変興味深く拝聴いたしました。……ですが、ここにある『数字』と『記録』は、少々異なる事実を示しております」
私はバインダーを開き、一枚の書類を掲げました。
「まず、こちらをご覧ください。これは『戦場日報』です。開戦から終結まで、一時間ごとの天候、気温、風向き、そして両軍の動きを詳細に記録したものです」
私は宰相に書類を渡しました。宰相は眼鏡の位置を直し、書類に目を通します。
「……ふむ。これは詳細だ。時間経過と共に、戦線の動きが手に取るようにわかる」 「ありがとうございます。この記録によりますと、開戦初日、午前十時。王立騎士団は敵の挑発に乗り、泥濘地帯へ突入。その十五分後には進軍停止。……いえ、正確には『移動不能』に陥っております」
私は淡々と事実を読み上げます。
「その際、敵の軽装歩兵による投石と槍の攻撃を受け、騎士団は一方的な損害を被りました。騎士団が『激戦』を繰り広げていたという記録はありません。あるのは『停滞』と『混乱』のみです」
「な、何を! それは貴様が勝手に書いた捏造だ!」
フェルディナンドが叫びます。 私は涼しい顔で、次の書類を取り出しました。
「捏造ではありません。なぜなら、この記録には『損害報告書』も添付されているからです。騎士団の鎧の損傷箇所、負傷者の傷の状態。それらを分析すれば、どのような状況で攻撃を受けたかは明白です。……背中や側頭部への打撃痕が多数。これは、敵に包囲され、防戦一方だったことの証明です」
貴族たちのざわめきが変わりました。 疑惑の目が、フェルディナンドに向けられ始めます。
「さらに、決定的な証拠がございます」
私はとっておきのカードを切りました。 泥と汗で少し汚れた、羊皮紙の束。 それは、あの戦場でフェルディナンドが泣きながらサインした、数々の『契約書』です。
「こちらは、戦場においてフェルディナンド様と我が団との間で交わされた、業務委託契約書および借用書の原本です」
私は一枚ずつ、タイトルを読み上げながら提示していきました。
「『泥沼からの救助要請に関する覚書』。……騎士団が動けなくなった際、我が団が援護射撃を行い、退路を確保したことに対する報酬契約です」 「『緊急医療支援および物資提供に関する契約書』。……騎士団内で疫病が発生した際、治療薬と清潔な水を提供したことに対する対価の支払いです」 「『敵陣夜襲における救援要請書』。……夜の森で包囲された騎士団を救出するため、我が団が介入したことに対する追加報酬の約束です」
私は書類を宰相に手渡しながら、フェルディナンドに微笑みかけました。
「フェルディナンド様。これらの書類には、全てあなたの直筆のサインと、家紋の印が押されています。……まさか、これも捏造だと仰るおつもりですか?」
フェルディナンドの顔から、血の気が引いていきました。 青を通り越して、白紙のように真っ白です。 彼はパクパクと口を開閉させ、何か言おうとしますが、声が出てきません。 動かぬ証拠。 自分が命惜しさにサインした書類が、今、自分の首を絞める絞首刑のロープとなって跳ね返ってきたのです。
「……ふむ。確かに、アイゼンベルク家の署名だ」
宰相が重々しく頷きました。 軍務大臣が、呆れ果てたようにフェルディナンドを睨みつけます。
「おい、アイゼンベルク。これはどういうことだ? 貴様、自力で戦うどころか、傭兵に助けられ通しではないか。しかも、水や薬まで恵んでもらっていたとは……騎士の恥晒しめ!」 「ち、違います! それは……その……脅されたのです! そう、彼らが私の命を盾に取って、無理やりサインさせたのです!」
フェルディナンドは必死に言い逃れをしようとします。 見苦しい。 どこまでも他人のせいにするその精神性には、ある種の感動すら覚えます。
「脅迫、ですか。……では、こちらの『収支報告書』もご覧ください」
私は最後の書類を出しました。
「これは、今回の遠征にかかった経費の明細です。我が団は、受け取った報酬の多くを、現地の物資調達や装備の補修に充てています。そして、その領収書も全て保管してあります。……対して、騎士団の予算はどうでしょう?」
私は懐から、もう一冊の帳簿を取り出しました。 これは、私が婚約者時代に管理していた、騎士団の裏帳簿の写しです。
「騎士団の予算の六割が、装備の『装飾費』と『宴会費』に消えています。兵站や衛生管理への予算は、ほぼゼロ。……これでは、疫病が発生するのも当然です。脅迫などせずとも、あなた方は自滅していたのです」
会場が静まり返りました。 もはや、誰もフェルディナンドを擁護する者はいません。 数字は嘘をつかない。 彼の無能さと腐敗ぶりは、白日の下に晒されました。
「……陛下」
ヴォルフガングが、静かに口を開きました。
「俺たちは傭兵です。金で雇われ、血を流すのが仕事です。名誉なんて高尚なもんはいりません。……ですが、命を懸けて戦った部下たちが『邪魔者』扱いされるのだけは、我慢なりませんでした」
彼は深く頭を下げました。
「どうか、公正なるご判断を」
その姿は、着飾った騎士よりも遥かに気高く、王の心を打ちました。 国王陛下は、ゆっくりと玉座から立ち上がりました。
「……あい分かった。フェルディナンドよ、申し開きはあるか?」
王の声は静かでしたが、そこには絶対的な威圧感がありました。 フェルディナンドはガタガタと震え、膝から崩れ落ちました。
「う、嘘だ……こんなの嘘だ……私は……私は選ばれし騎士なのだぞ……!」
彼は錯乱したように呟き、そして――私を睨みつけました。 その目には、狂気じみた憎悪が宿っていました。
「貴様……! エリス! よくも私を嵌めたな! 魔力なしの能無しのくせに! 魔女め! 悪魔め!」
彼は立ち上がり、私に掴みかかろうとしました。 しかし、その手は届きません。 ヴォルフガングが、壁のように私の前に立ちはだかったからです。
「……それ以上近づくな。次は斬るぞ」
ヴォルフガングが低く唸ると、フェルディナンドは「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさりました。 もはや、勝負はついていました。 論理でも、武力でも、そして人としての器でも、彼は完敗したのです。
しかし、追い詰められた鼠は、猫を噛むと言います。 フェルディナンドは、最後の悪あがきに出ました。 彼は狂ったように笑い出し、王に向かって叫びました。
「陛下! これは陰謀です! この女は魔女です! 言葉巧みに私を惑わせ、書類を偽造し、私を陥れようとしているのです!」
「往生際が悪いぞ、フェルディナンド」
「いいえ、真実です! 証明してみせます! ……陛下、『神明裁判』を申し立てます!」
神明裁判。 その言葉に、謁見の間がどよめきました。 それは、人間の判断では決着がつかない時、神に判定を委ねるという、古の因習です。 具体的には、熱した鉄を素手で握り、火傷を負わなければ無実、負えば有罪とする、野蛮極まりない儀式。 魔力至上主義のこの国では、まだ法的に有効な手段として残っていました。
「この女が本当に潔白なら、神が守ってくれるはずです! 魔力がなくても、正義があれば火傷しないはずだ! ……さあ、やれるものならやってみろ、エリス!」
フェルディナンドは勝ち誇ったように私を指差しました。 彼は知っているのです。私が魔力ゼロであることを。 魔法による防御ができなければ、熱した鉄を握れば大火傷を負うのは物理的な必然。 つまり、これは私を合法的に処刑するための、卑劣な罠。
「……ふざけんな!」
ヴォルフガングが激昂しました。
「そんなもん、ただのリンチじゃねぇか! 陛下、認められません! こんな理不尽な……」 「お待ちなさい、ヴォルフ」
私は彼を制しました。 そして、静かに一歩前へ出ました。
「……受けましょう」
「エリス!?」 「いいのです、団長。……フェルディナンド様、それがあなたの望みなら、お相手いたしましょう」
私はフェルディナンドを真っ直ぐに見つめ返しました。 彼が望むのは、神による判定。 いいでしょう。 ならば私は、『科学』という名の神の力で、あなたの蒙昧な信仰を打ち砕いて差し上げます。
「ただし、条件があります。もし私が無傷で生還したならば、あなたの騎士団長の地位を剥奪し、全財産を没収。そして、国外追放としていただきたい」 「……いいだろう! どうせ貴様は、鉄を握った瞬間に泣き叫ぶことになるのだからな!」
フェルディナンドは歪んだ笑みを浮かべました。 彼は気づいていません。 私が、勝算のない戦いなど絶対にしない女だということを。
「では、準備を。……神の審判を始めましょう」
謁見の間に、重苦しい空気が満ちました。 書類の戦いは終わりました。 次は、肉体と、そして知恵を懸けた、最後の決戦です。
私は袖の中で、こっそりと準備していた『あるもの』を握りしめました。 それは、魔力などなくても熱を遮断できる、私のとっておきの切り札。
さあ、フェルディナンド様。 あなたの信じる神と、私の信じる科学。 どちらが強いか、試してみましょうか。
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