処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人

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第5話 純白の喪服は、極光(オーロラ)を纏って蘇る

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 公爵邸の地下には、かつてアレクセイが魔法の実験場として使っていた広い石造りの部屋がある。  長らく封鎖されていたその場所は今、私の「秘密のアトリエ」へと変貌を遂げていた。

 部屋の中央には、巨大な作業台。  その上には、アリスから送りつけられた例の「白いドレス」が広げられている。  安っぽい生地、古臭いデザイン、そして何より「死に装束」を連想させる不吉な純白。  普通ならゴミ箱へ直行させる代物だが、今の私には、これが「最高のキャンバス」に見えていた。

 「……それで、レティシア。本当にこれでいいのか?」

 アレクセイが不安げな声を上げた。  彼は作業台の向かい側で、袖をまくり上げ、両手に青白く光る氷の魔力を湛えている。  氷の公爵様を、染色のアシスタントとして使うなんて、国中の魔術師が卒倒しそうな贅沢な光景だ。

 「はい、お願いします。この生地、安物に見えますけど、実は『雪蚕(ゆきかいこ)』の糸が使われているんです。アリス様はご存じなかったようですが、この糸は魔力親和性が非常に高い。特に、氷属性の魔力とは相性が抜群なんです」

 私はビーカーの中で調合した、七色に揺らめく液体を軽く振った。  これは、村で採集した特殊な鉱石「虹色石」の粉末と、数種類の薬草のエキス、そして私の前世の知識である「化学発光」の原理を応用した、特製の染色液だ。

 「通常の方法では、このドレスを染めてもただの『色付きドレス』になるだけです。でも、アレクセイ様の氷魔法で繊維の奥まで瞬間凍結させながら、この染色液を浸透させれば……」

 「……色が、結晶として定着するわけか」

 「その通りです。光の屈折率が変わることで、見る角度によって色彩が変化する『極光(オーロラ)織り』が再現できるはずです」

 理論は完璧だ。  あとは、アレクセイの魔力制御にかかっている。  温度管理を少しでも間違えれば、ドレスはパリパリに砕け散るか、ただの濡れ雑巾になってしまう。

 「やってみよう。君のためなら、ミクロ単位の魔力操作も成し遂げてみせる」

 アレクセイの目が、真剣勝負の時のように鋭くなった。  その顔は相変わらず怖いが、頼もしさは天下一品だ。

 「では、いきます。……投入!」

 私が染色液をドレスにかけた瞬間。  アレクセイが両手をかざした。

 「『氷結定着(フリーズ・フィックス)』!」

 パキパキパキッ!  微細な氷の結晶が生成される音が響く。  液体が繊維に染み込む速度と、それが凍りつく速度が拮抗する。  アレクセイの額に汗が滲む。  膨大な魔力を、針の穴を通すような精密さでコントロールしているのだ。

 部屋の隅では、シオンがベビーチェアに座り、哺乳瓶(中身は最高級茶葉のミルクティー)を片手に、その様子を観察していた。

 『ふーん。パパ、やるじゃん。あの出力制御、僕でも結構集中しないと難しいよ』

 シオンからの念話が届く。  どうやら合格点らしい。

 作業は数時間に及んだ。  その間、私たちはほとんど言葉を交わさなかった。  私が指示を出し、彼が応える。  まるで長年連れ添った職人の夫婦のような、阿吽の呼吸。  かつて政略結婚だった頃には、想像もできなかった時間だ。

 「……よし、完了だ」

 アレクセイが大きく息を吐き、魔力を切った。  部屋に充満していた冷気が、ゆっくりと霧散していく。  作業台の上には、濡れたように輝くドレスがあった。

 「乾燥させます。風魔法で……」

 私が魔法を使おうとすると、シオンが小さく指を振った。  そよ風が巻き起こり、ドレスを優しく包み込む。  一瞬で水分が飛び、そこには完成品が残された。

 「……おお」

 アレクセイが感嘆の声を漏らした。  一見すると、それは深い藍色のドレスだ。  しかし、見る角度を変えると、紫、青緑、そして鮮烈な白銀へと、色が波打つように変化する。  まるで、夜空に揺らめくオーロラをそのまま布地に封じ込めたような、幻想的な美しさ。  元が安っぽい白のドレスだったとは、誰も信じないだろう。

 「成功ですね……!」

 「ああ。……これほど美しいものを、俺は見たことがない」

 アレクセイはドレスではなく、私を見て言った。  その蒼い瞳が、熱っぽく私を捉えている。

 「君は魔法使いではないが、魔法使い以上の奇跡を起こす。……惚れ直した」

 直球すぎる言葉に、私の顔が熱くなる。  彼は自然な動作で私の手を取り、その甲に口づけを落とした。  冷たい唇の感触に、心臓が跳ねる。

 『はいはい、そこまで。イチャイチャするなら部屋に戻ってからにしてくれる? ここ地下室だから寒いんだよね』

 シオンの呆れ声が脳内に響き、私は慌てて手を引っ込めた。  アレクセイは名残惜しそうに私の手を見つめていたが、シオンの方を向くと、急にキリッとした表情(本人は笑顔のつもり)を作った。

 「シオン、どうだ。パパの仕事ぶりは」

 『まあまあだね。次はもっと早くやってよ』

 シオンは「あーうー」と言いながら拍手をした。  こうして、アリスへの「お返し」の準備は整った。  あとは、これを着て戦場へ向かうだけだ。

       ◆

 デビュタント当日。  王都の夜空は快晴で、満月が青白く輝いていた。  王宮の大広間は、国中の貴族たちで埋め尽くされている。  シャンデリアの煌めき、楽団が奏でる優雅なワルツ、高価な香水の香り、そして交わされる値踏みするような視線と囁き声。

 会場の話題は、もっぱら「あの二人」のことだった。

 「ねえ、聞いた? 今日、フロスト公爵がいらっしゃるそうよ」  「まさか。公爵様は社交嫌いで有名じゃないか。それに、あの『悪役令嬢』を連れてくるなんて噂もあるが……」  「レティシア様のこと? 処刑を免れて逃亡していたという、あの?」  「図太い女だこと。よくものこのこと戻ってこられたわね」

 扇子で口元を隠しながら、令嬢たちがクスクスと笑う。  その中心に、一際華やかなドレスを纏った女性がいた。  アリス・ヴァン・ローゼン男爵令嬢。  五年前、私を罠に嵌めた張本人だ。

 彼女は今日、純白のドレスを着ていた。  本来、デビュタントで白を着るのは「処女性」のアピールだが、彼女の場合、どこか計算高い媚びを感じさせるデザインだ。  彼女は取り巻きたちに囲まれ、得意げに話していた。

 「ええ、私も心配なんですの。レティシア様、田舎暮らしが長くて、マナーもお忘れになっているんじゃないかって。だから私、親切心でドレスを贈って差し上げたんです」

 「まあ、アリス様はお優しい!」  「罪人にドレスを恵んであげるなんて、まさに聖女様のよう!」

 「ふふ、そんなことありませんわ。……でも、あの方に似合う『白』を選ばせていただきましたの。きっと、会場の皆様も驚かれると思いますわ」

 アリスの瞳の奥に、暗い愉悦の色が浮かぶ。  彼女は想像しているのだ。  私が、あの古臭い死に装束のようなドレスを着て現れ、笑いものになる姿を。

 その時だった。  会場の入り口を守る衛兵が、床を槍で突き、高らかに宣言した。

 「アレクセイ・フロスト公爵閣下、ならびに公爵夫人、レティシア様、ご入場!」

 一瞬で、会場の喧騒が止まった。  数百人の視線が、大階段の上にある扉へと集中する。

 重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。

 そこには、闇夜の帝王のように黒い礼服を纏ったアレクセイが立っていた。  その圧倒的な美貌と、冷気を纏った威圧感に、会場中の女性がため息を漏らす。  しかし、彼がエスコートしている女性を見た瞬間、ため息は驚愕の悲鳴へと変わった。

 「……なっ」

 誰かが息を飲んだ。

 そこにいたのは、夜の女神だった。  深い藍色のドレスは、シャンデリアの光を受けるたびに、紫へ、青緑へと色を変え、まるでオーロラを纏っているかのように輝いている。  その幻想的な美しさは、会場にいるすべての女性のドレスを霞ませるほどだった。

 磨き上げられた肌は白磁のように白く、手入れされた亜麻色の髪は真珠の髪飾りで結い上げられている。  そして何より、その表情。  かつてのような自信なげに俯く姿はない。  凛と背筋を伸ばし、堂々と微笑むその姿は、真の「公爵夫人」の気品に満ちていた。

 「あ、あれが……レティシア様?」  「なんて美しいんだ……」  「あのドレスの色、見たことがないぞ。どこの織物だ?」

 ざわめきが波紋のように広がる。  私はアレクセイの腕に手を添え、ゆっくりと階段を降りていった。  足が震えそうになるのを、必死にこらえる。  大丈夫。私には最強のパートナーがいる。  そして、ドレスの内側には、シオンがこっそり仕込んでくれた「転ばない魔法」の護符も縫い付けられている。

 階段の下で、アリスが口をパクパクさせて固まっていた。  彼女の顔色は、着ているドレスと同じくらい真っ白だった。

 (ごきげんよう、アリス様。プレゼント、有効活用させていただいたわ)

 私は心の中で彼女に挨拶し、余裕の笑みを向けた。  アリスが「ひっ」と小さな悲鳴を上げて後ずさるのが見えた。

       ◆

 フロアに降り立つと、すぐに貴族たちが挨拶に押し寄せてきた。  今まで遠巻きにしていた彼らが、手のひらを返したように媚びへつらってくる。

 「おお、公爵閣下! お久しぶりです!」  「奥様、そのドレスは素晴らしいですな! 流行の最先端ですか?」

 アレクセイは彼らを冷ややかな目で見下ろし、短く応対するだけだったが、私に対しては甘い態度を隠そうともしなかった。

 「レティシア、疲れていないか? 足は痛くないか? あそこの男の視線が不愉快だから凍らせていいか?」

 「ダメです。笑顔でいてください」

 私が小声で注意すると、彼はぎこちなく口角を上げた。  その「笑顔(仮)」を見た貴族の一人が、「ひぃっ、命だけはお助けを!」と腰を抜かしそうになったが、私は見なかったことにした。

 しばらくして、人波が途切れたタイミングを見計らったように、アリスが近づいてきた。  彼女は顔を引きつらせながらも、なんとか令嬢としての仮面を保とうとしていた。

 「……お久しぶりですわね、レティシア様」

 「ええ、お久しぶりです、アリス様。素敵なドレスですこと。まるで天使のよう」

 私が皮肉を込めて言うと、アリスの眉がピクリと跳ねた。

 「レティシア様こそ……ずいぶんと派手なドレスですわね。私が贈ったものは、お気に召さなかったのかしら?」

 「あら? これこそが、あなたが贈ってくださったドレスですわよ?」

 「は? 何を……」

 「素材がとても良かったので、少し『アレンジ』させていただきましたの。夫の愛と魔法をたっぷりと込めてね」

 私はアレクセイを見上げた。  彼はタイミングを心得たように、私の腰を抱き寄せた。

 「妻の才能には驚かされる。あの粗末な布切れを、これほどの芸術品に変えてしまうのだからな。……もちろん、元が良いから何を着ても似合うのだが」

 アレクセイの追撃に、アリスの仮面が崩れかけた。  彼女は悔しそうに唇を噛み締め、震える声で言った。

 「……ふん。見た目だけ着飾っても、中身は変わらないんじゃありませんこと? 所詮は、かつて罪を犯した身。皆様も忘れてはいませんわ」

 彼女は声を張り上げた。  周囲の注目を集めるためだ。

 「皆様! 騙されてはいけません! この女は、かつて私を殺そうとした恐ろしい人ですのよ! そんな人が、公爵夫人としてこの場にいるなんて、許されていいはずがありません!」

 会場が再び静まり返る。  アリスの言葉は、かつての事件を蒸し返すには十分な威力があった。  好奇と疑惑の視線が私に集まる。

 (来たわね。予想通りの展開)

 私は動じなかった。  むしろ、待っていた。  この場で、すべての因縁を精算するために。

 アレクセイが一歩前に出ようとしたが、私はそれを手で制した。  これは私の戦いだ。  私が自分でケリをつけなければ、本当の意味で公爵夫人には戻れない。

 「アリス様。……いいえ、アリス・ヴァン・ローゼン男爵令嬢」

 私は静かに、しかしよく通る声で彼女を呼んだ。

 「五年前の事件について、改めてお話ししましょうか。……いいえ、言葉だけでは信じていただけないでしょうね」

 私は胸元から、小さな水晶玉を取り出した。  これはシオンが持たせてくれた「記憶の投影石」だ。  本来は高位の魔術師しか扱えないアーティファクトだが、シオンがあらかじめ魔力を充填してくれてある。

 「これは『真実の鏡』と呼ばれる魔道具です。過去の出来事を、その場にいた者の記憶から再現することができます」

 「なっ……!?」

 アリスが後ずさる。  嘘だ、そんなものがあるはずがない、という顔だ。  確かに、普通ならこんな貴重品は手に入らない。  だが、私には「規格外の息子」がいる。

 「そんなハッタリ、通用しませんわ!」

 「ハッタリかどうか、試してみればわかります。……アレクセイ様、魔力を」

 「承知した」

 アレクセイが水晶に指を触れる。  瞬間、水晶が眩い光を放ち、空中に巨大な映像が投影された。

 そこに映し出されたのは、五年前の公爵邸の庭園。  レティシア(私)とアリスが対峙している場面だ。  映像の中で、アリスは自らナイフを取り出し、自分の腕を傷つけていた。  そして、叫んでいた。  『キャァァァ! レティシア様が! 殺される!』と。

 会場からどよめきが起きる。  映像は鮮明で、音声までついている。  アリスがニヤリと笑い、『これで公爵様は私のものよ』と呟く声まで、はっきりと再生されていた。

 「こ、これは……! 偽物よ! 幻影魔法で捏造したのよ!」

 アリスが金切り声を上げて叫ぶ。  しかし、アレクセイが冷たく言い放った。

 「この魔道具は、王家の宝物庫に眠っていた正真正銘の国宝だ。改竄(かいざん)など不可能だということは、ここにいる宮廷魔導師長殿が証明してくれるだろう」

 名指しされた老魔導師が、髭を震わせながら進み出た。  彼は水晶を確認し、厳かに頷いた。

 「……間違いありません。これは『真実の鏡』。映し出された映像は、過去の事実そのものです」

 決定的な証言。  アリスはその場に崩れ落ちた。  周囲の視線が、疑惑から軽蔑へと変わっていく。  さっきまで彼女をちやほやしていた令嬢たちも、蜘蛛の子を散らすように離れていった。

 「嘘……嘘よ……。なんで……」

 アリスは床を叩いて喚いたが、もう誰も耳を貸さない。

 私はアリスを見下ろした。  哀れだとは思う。  彼女もまた、歪んだ欲望の被害者なのかもしれない。  でも、同情はしない。彼女は一線を越えたのだから。

 「アリス様。罪は、償わなければなりません。……そして、私はもう逃げません」

 私はアレクセイの方を向いた。  彼は私を誇らしげに見つめていた。

 「よくやった、レティシア。……衛兵! この者を捕らえよ! 公爵家への反逆、ならびに虚偽申告の罪で!」

 衛兵たちがアリスを取り囲む。  彼女は連行されていきながら、最後に私を睨みつけた。

 「覚えてなさい……! あの方たちが……黙っていないわ……!」

 あの方たち?  気になる言葉を残し、アリスは会場から消えた。

 静寂が戻った会場で、アレクセイが私の手を取った。

 「レティシア。……踊ろうか」

 「はい、喜んで」

 楽団が再び演奏を始める。  今度は、私たちのためだけのワルツだ。  私たちはフロアの中央へ進み出た。  アレクセイのリードで、私は軽やかに回る。  オーロラのドレスが光の尾を引き、まるで二人で星空を舞っているようだった。

 「愛している」

 踊りながら、彼が囁いた。  今度は心の声ではなく、直接の言葉として。

 「私も……お慕いしております」

 私も小さな声で返した。  まだ「愛している」と言うには勇気が足りなかったけれど、その言葉は嘘ではなかった。

 会場からは割れんばかりの拍手が送られた。  悪役令嬢の汚名は雪がれ、私たちは「王都で最も美しい夫婦」として認められた瞬間だった。

 しかし、物語はここで終わらない。  アリスが残した捨て台詞。  そして、屋敷で留守番をしているはずのシオンが感じ取っていた、新たな不穏な気配。

       ◆

 一方その頃、公爵邸の子供部屋。  ピンク色の天蓋ベッドの上で、シオンは哺乳瓶を置き、鋭い目つきで窓の外を睨んでいた。

 『……嫌な気配だ』

 彼は小さな手で、空中に魔法陣を描いた。  屋敷を囲む結界に、何者かが接触しようとしていた。  アリスなど比較にならない、強大でドス黒い魔力。

 『ママの晴れ舞台に水を差す奴は、僕が許さない』

 シオンの瞳が、紫色に妖しく発光した。  赤ちゃん(中身は英雄)の、孤独な夜の戦いが始まろうとしていた。
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