処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人

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第20話(最終話) そして、幸せな朝食は続いていく

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 王都の空は、どこまでも高く、澄み渡っていた。  かつて黒い雲に覆われ、絶望の泥が降り注いだあの日から、三年。  フロスト公爵邸の庭園には、季節の花々が咲き乱れ、穏やかな風が吹き抜けている。

 「そこだ! 隙あり!」

 元気な声と共に、小さな影が芝生を駆ける。  銀色の髪をなびかせ、木剣を振るうのは、四歳になったシオンだ。  背丈は少し伸び、ぷにぷにしていた頬も少しだけ引き締まったが、天使のような愛らしさは健在である。

 「おっと。……良い踏み込みだ、シオン」

 それを受け止めるのは、アレクセイ・フロスト公爵。  彼は上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げて、息子の稽古に付き合っていた。  その表情は、かつての「氷の公爵」の面影もないほど柔らかく、目尻には笑い皺が刻まれている。

 「でも、まだ甘いな。剣先が少し浮いているぞ」

 「むぅ……! もう一回!」

 シオンは諦めずに打ち込んでいく。  端から見れば、微笑ましい親子の剣術ごっこだ。  しかし、よく観察すれば、シオンの動きが常人の子供のそれを遥かに凌駕していることがわかるだろう。  彼のステップは風のように軽く、剣筋は鋭い。  アレクセイもまた、手加減しつつも、達人級の防御技術でそれを受け流しているのだ。

 (……平和だなぁ)

 テラスでお茶を飲みながら、私、レティシアはその光景を眺めていた。  三年前の戦いの後、私たちは本当の意味での「平穏」を手に入れた。  帝国は新政府となり、我が国との国交も回復した。  アリスやヴィクトルのような脅威も去り、王都は復興を遂げ、かつてない繁栄を迎えている。

 そして、私も変わった。  かつて「悪役令嬢」と呼ばれ、怯えていた私はもういない。  今は「救国の聖女」……なんて大層な呼ばれ方はお断りして、「薬師の公爵夫人」として、王都で薬局を経営している。  私の作る「苦くないポーション」や「美容クリーム」は貴婦人たちの間で爆発的な人気となり、今や予約三ヶ月待ちの状態だ。  社交界でも、私に媚びを売ろうとする人々で行列ができるほどだが、私はそれを適度にあしらいつつ、マイペースに生きている。

 「レティシア、お茶のお代わりはどうだ?」

 アレクセイが汗を拭きながら戻ってきた。  シオンも「ママ、みてた? ぼくのひっさつけん!」と駆け寄ってくる。

 「ええ、見ていましたよ。とっても強かったわ」

 私がシオンの頭を撫でると、彼は猫のように目を細めた。  中身は前世の記憶を持つ英雄騎士だが、最近は子供としての生活を心から楽しんでいるようだ。  「二度目の人生は、甘えられるだけ甘える」というのが、彼のモットーらしい。

 「アレクセイ様も、お疲れ様です。今日は公務はお休みですか?」

 「ああ。今日は一日、家族サービスの日と決めている。……午後からは、約束通りピクニックに行こうか」

 「わーい! サンドイッチ!」

 シオンが飛び跳ねる。  アレクセイも嬉しそうに微笑んだ。        ◆

 その日の午後。  私たちは王都郊外の丘へピクニックに出かけた。  護衛の騎士たちは遠巻きに配置し、家族三人だけの時間を楽しむ。  アレクセイは約束通り、早起きして作ったサンドイッチをバスケットから取り出した。

 「どうだ? 今回はパンの耳を落としてみたんだが」

 「……完璧です、パパ。具のバランスも黄金比率だよ」

 シオンが絶賛する。  アレクセイの料理スキルは、ここ数年で劇的に向上していた。  かつては魔獣を凍らせるしか能がなかった手が、今では繊細な飾り切りまでこなすのだから、愛の力は偉大だ。

 草原に寝転がり、流れる雲を見上げる。  心地よい風。土の匂い。  アレクセイが私の手を握り、シオンが私のお腹に頭を乗せて寝転がる。

 「……幸せだな」

 アレクセイがぽつりと呟いた。

 「ああ、幸せだ。こんな日が、永遠に続けばいい」

 「続きますよ。私たちが守るんですから」

 私が答えると、彼は私の手を強く握り返した。

 「そうだな。……だが、最近少し気になることがある」

 「気になること?」

 「シオンの才能だ。……剣術も魔法も、教えれば教えるほど吸収していく。すでに宮廷魔導師レベルの術式を理解しているし、剣の腕も騎士団の若手を凌ぐほどだ」

 アレクセイは嬉しさと不安が入り混じった顔をした。

 「あの子は、将来どうなるんだろうか。……やはり、国のためにその力を使うべきなのか、それとも……」

 親としての悩みだ。  シオンの非凡さは隠しきれない。  いつか、その力が世間に知られ、また争いに巻き込まれるのではないかという懸念。

 その時、シオンが半目を開けて言った。

 「パパ、しんぱいしすぎ。……ぼくは、パパのあとをついで、りっぱなこうしゃくになるよ」

 「シオン……」

 「それでね、りょうちのみんなをまもって、おいしいやさいをたくさんつくるの。……たたかいなんて、たまにするくらいでいいよ」

 シオンはあくびをした。  前世で戦い抜いた彼だからこその、重みのある言葉だ。  彼はもう、英雄としての名声も、魔王を倒す使命も求めていない。  ただ、この平和な領地と家族を守れれば、それで満足なのだ。

 「……そうか。なら、安心だ」

 アレクセイは肩の荷が下りたように笑った。

       ◆

 異変が起きたのは、その数日後のことだった。

 朝、ベッドから起き上がろうとした瞬間、強烈な眩暈(めまい)に襲われた。

 「ッ……!」

 視界が回り、私はその場にうずくまった。  胃の奥からこみ上げてくる不快感。  冷や汗が出る。

 「レティシア!?」

 隣で着替えていたアレクセイが、瞬時に駆け寄ってきた。

 「どうした!? 顔色が悪いぞ! どこか痛いのか!?」

 「い、いえ……ただ、少し目が回って……」

 「医者だ! すぐに医者を呼べ! いや、俺が治癒魔法を……!」

 アレクセイはパニック状態だった。  彼は私を抱きかかえ、廊下に向かって「誰かある! 至急、医師を!」と叫んだ。  その声には魔力が乗っており、屋敷中の窓ガラスがビリビリと振動した。

 数分後。  寝室には、王都一番の名医と、心配そうな使用人たち、そして青ざめた顔のアレクセイが集まっていた。  シオンも私の枕元で、心配そうに手を握ってくれている。

 医師が私の脈を診て、お腹に聴診器を当てる。  長い沈黙。  アレクセイの周囲の温度が、零度近くまで下がっていく。  医師の手が震えているのは、寒さのせいか、公爵の威圧のせいか。

 「……せんせい。妻は、助かるのか……? どんな病気だ? 呪いか? 毒か?」

 アレクセイが悲痛な声で尋ねる。  もし「不治の病」などと言われたら、彼は世界を凍らせてしまいそうだ。

 医師は聴診器を外し、ゆっくりと顔を上げた。  そして、ニッコリと微笑んだ。

 「おめでとうございます、閣下」

 「……は?」

 アレクセイが間の抜けた声を上げた。

 「奥様は、ご懐妊です」

       ◆

 時が止まった。  アレクセイは口を半開きにして固まっていた。  氷の公爵が、ただの彫像になっている。

 「……か……かいにん……?」

 彼は壊れたレコードのように繰り返した。

 「はい。妊娠三ヶ月目に入ったところでしょう。つわりが少し重いようですが、母子ともに健康ですよ」

 医師の言葉が、ようやく彼の脳に浸透していったらしい。  アレクセイの顔が、みるみるうちに赤くなり、そして満面の笑みへと崩壊した。

 「にん……しん……! 赤ちゃん……!?」

 彼は私の手を取り、震える声で言った。

 「レティシア……! 本当か!? 俺たちの、二人目の子供が……!」

 「はい、アレクセイ様。……私も、今気づきました」

 私はお腹に手を当てた。  確かに、そこには新しい命の温かさがある。  シオンの時とは違う、もっと穏やかで、でも力強い鼓動。

 「ありがとう……! ありがとう、レティシア! なんて素晴らしい日だ!」

 アレクセイは私を抱きしめようとして、慌てて止めた。  強く抱きしめたらお腹に障ると思ったのだろう。  彼は代わりに、私の手を両手で包み込み、何度もキスをした。

 「シオン! 聞いたか! お前はお兄ちゃんになるんだぞ!」

 「うん! やったぁ! あかちゃん!」

 シオンも飛び跳ねて喜んだ。  部屋中が、祝福のムードに包まれた。  使用人たちも涙ぐみながら「おめでとうございます!」と声をかけてくれる。

       ◆

 その夜。  興奮冷めやらぬアレクセイは、すでに「子供部屋の増築」と「新しいベビー用品の買い占め」を画策していたが、私がなんとか止めて寝かしつけた。

 静かになった寝室。  私はシオンと二人で話していた。  アレクセイは隣で幸せそうな寝息を立てている。

 「……シオン。気づいていたの?」

 私が尋ねると、シオンは枕元で頷いた。

 「うん。ママの魔力の流れが、少し変わってたから。……新しい命が芽生えてるなって、わかってたよ」

 さすがだ。  私の身体の変化を、誰よりも早く察知していたなんて。

 「ねえ、シオン。……今度の子も、やっぱり『特別』な子かしら?」

 私は冗談めかして聞いた。  シオンのように、転生者だったり、すごい魔力を持っていたりするのだろうか。  もしそうなら、公爵家はますます賑やか(カオス)になる。

 シオンは少し考え込み、そしてニヤリと笑った。

 『……ママ。驚かないでね』

 シオンからの念話が届く。

 『さっき、お腹の子の魂に少しだけアクセスしてみたんだ。……挨拶しようと思って』

 『えっ、そんなことができるの?』

 『うん。そしたらね、向こうも返事をしてきたよ』

 シオンは楽しそうに言った。

 『「閣下! お久しぶりです! 遅ればせながら参上いたしました!」って』

 「……はい?」

 『間違いないよ。……あいつ、僕の前世の部下だ。一番信頼していた、宮廷魔導師長のじいさんだ』

 私は絶句した。  お腹の子は、お爺ちゃん(中身)?  いや、転生してくるなら赤ちゃんからやり直しなのだろうけれど……。

 『あいつ、魔法オタクで、研究熱心すぎて過労死したって聞いてたけど……まさか僕を追いかけて転生してくるとはね』

 シオンはクスクスと笑った。

 『でも、安心してママ。あいつは僕と違って、根は真面目だし、サポート役としては優秀だから。……きっと、いい子になるよ』

 「……そうね。シオンがそう言うなら、信じるわ」

 私はお腹をさすった。  中身が誰であれ、私の子だ。  それに、シオンにとって信頼できる仲間が増えるなら、これほど心強いことはない。

 「でも、女の子だったらどうするの? お爺ちゃんだったんでしょう?」

 「あ、それは考えてなかった。……まあ、あいつなら『性別なんて些細な問題です』とか言って順応しそうだけど」

 フロスト公爵家の未来は、まだまだ波乱万丈になりそうだ。  でも、不思議と不安はなかった。  どんな子が生まれてきても、私たちはきっと、笑って受け入れられる。

       ◆

 翌朝。  公爵邸のダイニングルームには、明るい日差しが差し込んでいた。  テーブルには、色とりどりの朝食が並んでいる。  焼きたてのパンの香り、挽きたてのコーヒーの香り、そして甘いフルーツの香り。

 「さあ、レティシア。たくさん食べてくれ。二人分……いや、三人の栄養が必要だからな」

 アレクセイが甲斐甲斐しくサラダを取り分けてくれる。  彼はすっかり「溺愛夫」から「溺愛パパ(二児の父予定)」へと進化していた。  その顔は、以前の氷のような冷たさは微塵もなく、春の日差しのように温かい。

 「ありがとうございます、あなた。……でも、そんなに食べられませんわ」

 「無理はしなくていい。残りは俺とシオンで食べる」

 「うん! ぼく、いっぱい食べるよ! お兄ちゃんだから、強くならないと!」

 シオンが大きな口でパンにかぶりつく。  その口元についたジャムを、私が拭ってあげる。  アレクセイがそれを見て、目を細める。

 何気ない日常。  でも、これこそが、私たちが命懸けで守り抜いた「宝物」だ。

 処刑されるはずだった悪役令嬢。  心を閉ざしていた氷の公爵。  孤独な最期を遂げた英雄。

 バラバラだった魂が、今こうして一つの食卓を囲んでいる。  それはきっと、どんな魔法よりも奇跡的なことなのだ。

 「……ねえ、アレクセイ様」

 「ん? なんだ?」

 「私、今、とっても幸せです」

 私が言うと、アレクセイは一瞬きょとんとして、それから顔を真っ赤にして照れた。

 「……俺もだ。世界一、幸せだ」

 シオンがニヤニヤしながら、私たちを交互に見た。

 「パパとママ、ラブラブ~」

 「こら、シオン。冷やかすな」

 「エヘヘ」

 笑い声が響く。  窓の外では、小鳥たちが歌っている。  今日という一日が、また始まる。

 お腹の中の赤ちゃんが、ポコンと動いた気がした。  『私も混ぜてください!』と言っているみたいに。

 「ふふ、焦らなくても、もうすぐ会えるわよ」

 私は小さく呟いた。

 物語はここで一区切り。  でも、私たちの人生はまだまだ続く。  これから生まれてくる新しい家族と、成長していくシオンと、そして最愛の夫と共に。

 『処刑された悪役令嬢の体に転生したので、とりあえず田舎へ逃げました。五年後、迎えに来た冷徹旦那様が「溺愛キャラ」に豹変しているのですが、もしかして私の抱いている赤ちゃん、人生2周目ですか?』

 ……ええ、そうですよ。  そして、これから始まるのは、『人生3周目の赤ちゃんも加わって、さらに賑やかになった公爵家のドタバタ溺愛ライフ』です。

 さあ、今日も頑張りましょうか。  愛と魔法と、オムツ替えに満ちた、素晴らしい一日を。

 (完)
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