『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人

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第14話:王太子の改心(遅すぎる)

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 王宮の西側に位置する王太子の居室。  かつては次期国王の住まいとして華やかに飾られていたその部屋は、今や墓場のような陰鬱な空気に包まれていた。

 カーテンは閉め切られ、床には空になった酒瓶が転がっている。  部屋の主であるアデル・フォン・ラングハイム王太子は、髪を振り乱し、血走った目で机の上の報告書を睨みつけていた。

『ベルガー男爵令嬢ミリア、ならびにその背後関係に関する調査報告書』

 宰相府から送られてきたその書類には、信じがたい真実が羅列されていた。  ミリアが隣国のスパイ組織と通じていたこと。  王都のスラム街に毒を撒いた主犯であること。  そして、アイゼンベルク侯爵邸への潜入と暗殺未遂。

「嘘だ……。嘘だと言ってくれ……」

 アデルは震える手で書類を握りつぶした。  彼にとって、ミリアは天使だった。  厳格な父王や、優秀すぎる宰相クラウスに比べられ、劣等感に苛まれていた自分を、「アデル様はすごいです」「そのままで素敵です」と全肯定してくれた唯一の少女。  彼女の笑顔を守るためなら、幼馴染であり婚約者であったエリスを切り捨てることも厭わなかった。

 だが、その笑顔の裏には、国を売るほどの真っ黒な悪意が潜んでいたのだ。

「俺は……利用されていただけなのか? ただの操り人形だったのか?」

 乾いた笑いが漏れる。  ミリアは自分を愛してなどいなかった。権力への足がかりとして、そしてエリスを陥れるための道具として、王太子の地位を利用しただけ。

 そして、そんな愚かな自分のせいで、エリスは傷つき、去っていった。  エリス。  今思い返せば、彼女はいつも正しかった。  ミリアの不自然な行動を諌め、王族としての規律を説いていた。  それを「口うるさい」「嫉妬深い」と決めつけ、断罪したのは自分だ。

「……エリス」

 脳裏に浮かぶのは、先日の夜会での彼女の姿。  宰相クラウスに寄り添い、静かに微笑む美しい姿。  自分を見る目は冷たく、言葉すら交わしてくれなかった。  それでも、彼女の沈黙は雄弁に語っていた。「貴方には失望しました」と。

「謝らなければ。……いや、謝って済む問題ではない。だが、俺の気持ちを伝えなければ」

 アデルは立ち上がり、ペンを取った。  羊皮紙に向かう。  溢れ出る後悔と、未練と、そして再起への決意を込めて。

 筆が走る。  一度書き始めると止まらなかった。  便箋十枚、二十枚。  気づけば、辞書のような厚みの手紙が出来上がっていた。

「これを……エリスに。俺の魂の叫びを読めば、きっと彼女もわかってくれるはずだ。俺たちは幼い頃、あんなに仲が良かったのだから」

 都合の良い妄想にすがりつき、アデルは侍従を呼んだ。  「これを至急、アイゼンベルク侯爵邸のエリス嬢へ届けろ。親展だ。必ず彼女の手元に渡すように」

 これが、彼にとって最後の希望だった。  しかし、その希望が、物理的な「燃料」として消費される運命にあることを、彼はまだ知らない。

          ◇

 一方その頃。  アイゼンベルク侯爵邸の中庭にて。

 私は、落ち葉と格闘していた。

「……(寒い)」

 季節は冬。  吐く息は白く、庭の木々は葉を落としきっている。  私は厚手のショールを巻き、モコモコのブーツを履いて、庭の隅に積まれた落ち葉の山を前にしゃがみ込んでいた。

 なぜこんな所にいるのか。  理由は単純だ。  「焼き芋」がしたかったからだ。

 前世の記憶にある、冬の風物詩。  ホクホクで甘い、焼きたてのサツマイモ。  屋敷のキッチンには最高級の食材が揃っているが、私が求めているのはシェフが作った上品なスイートポテトではない。  落ち葉で焚き火をして、その中でじっくりと焼いた、野性味あふれる焼き芋なのだ。

 クラウス様は公務で出かけている。  「今日は早く帰る」と言っていたが、まだ数時間はかかりそうだ。  その隙に、こっそりと実行に移したのである。

「お嬢様、火種をお持ちしました」

 アンナが苦笑しながら、火のついた松明(たいまつ)を持ってきた。  彼女は私の「庶民的な奇行」に慣れっこだ。  私は無言で頷き、サツマイモ(濡らした新聞紙……はないので、濡らした羊皮紙とアルミホイルの代わりの魔法銀紙で包んだもの)を落ち葉の山に突っ込んだ。

 さあ、着火だ。  アンナが火をつける。  パチパチと音を立てて、乾燥した葉が燃え上がる。  暖かい。  焚き火の炎を見ていると、心が安らぐ。

 しかし。  火力が足りない。  前日の雨で湿っていたのか、下の方の葉がなかなか燃えないのだ。  煙ばかりが出て、肝心のイモに熱が伝わらない。

(もっと燃えるものが欲しいなぁ……)

 私は周囲を見回した。  小枝を探そうか。  いや、取りに行くのが面倒だ。

 その時。  屋敷の門の方から、一人の使者が走ってきた。  王家の紋章が入った服を着ている。

「ローゼン公爵令嬢! エリス様! 王太子殿下より、親展のお手紙でございます!」

 使者は息を切らしながら、分厚い封筒を差し出した。  ずっしりと重い。  なんだこれ。  本?

 アンナが代わりに受け取り、私に渡してくれた。  私は封筒を見た。  『愛するエリスへ。魂の懺悔と、未来への誓い』  表書きにそう書いてある。

(うわぁ……)

 ドン引きした。  ポエムだ。  しかも、この厚み。  アデルの文字はミミズがのたうったように汚いので、解読するだけで一日が潰れるだろう。  読みたくない。  一行たりとも読みたくない。

 私は封筒を持ったまま、焚き火の前に戻った。  火は消えかかっている。  イモはまだ生だ。  このままでは、美味しい焼き芋が食べられない。

 手元には、分厚い紙の束。  目の前には、燃料を求めている焚き火。

 私の脳内で、悪魔的な方程式が成立した。  『紙=よく燃える』  『ポエム=精神的害悪』  『焼却=リサイクル』

 私は迷わず、封筒の封を切った。  中身を確認することなく、便箋の束を鷲掴みにする。  そして。

 ポイッ。

 焚き火の中心へ、無造作に投げ込んだ。

 ボッ!!

 素晴らしい。  乾燥した羊皮紙は、最高の着火剤だった。  一瞬で炎が上がり、弱々しかった焚き火が勢いを取り戻す。  パチパチパチ!  アデルの「魂の叫び」が、物理的な熱量となって私のイモを温めていく。

(うん、暖かい)

 私は満足げに手をかざし、炎の揺らめきを見つめた。  「愛してる」とか「やり直したい」とか書いてあったのかもしれないが、灰になってしまえば皆同じだ。  むしろ、私の胃袋を満たすための役に立ったのだから、アデルも本望だろう。

 私はトングでイモの位置を調整しながら、鼻歌(無音)交じりに焼き上がりを待った。

          ◇

 その光景を。  屋敷の門の陰から、目撃している人物がいた。

 アデル王太子本人である。

 彼は居ても立ってもいられず、使者の後を追って自ら来てしまったのだ。  直接会って、手紙の感想を聞き、涙ながらに謝罪するシミュレーションをしながら。

 しかし、彼が見た現実は、あまりにも残酷だった。

 エリスは手紙を受け取った。  その瞬間、彼女は一切の躊躇なく、中身も見ずに、それを燃え盛る炎の中へと投じたのだ。

「あ……あぁ……」

 アデルの膝から力が抜ける。  ガクッ、とその場に崩れ落ちる。

 燃えている。  俺の徹夜の力作が。  俺の愛の言葉が。  枯れ葉と一緒に、メラメラと燃えている。

 そして、エリスの表情。  彼女は燃えゆく手紙を見つめながら、どこか恍惚とした(焼き芋を楽しみにしている)表情を浮かべていた。  その瞳は、炎の色を映して赤く輝いている。

 アデルの脳内で、勝手な解釈が爆走を始めた。

『彼女は……俺の言葉を拒絶したのではない』 『過去を燃やしたんだ』 『俺との思い出、俺への未練、そして俺に裏切られた苦しみ……それら全てを、浄化の炎で焼き尽くそうとしているんだ』

 手紙が灰になって空へ舞い上がる。  それを見上げるエリスの横顔は、儚く、そして冷酷なほどに美しかった。

「俺の言葉など……灰に等しいということか」

 アデルは絶望した。  言葉は届かない。  文字ですら届かない。  彼女はもう、俺と同じ次元にはいないのだ。

「俺は……なんてことをしてしまったんだ。あんなに高潔な女性を、自らの手で灰にしてしまったのか」

 涙が溢れる。  もはや復縁などという甘い考えは消し飛んだ。  自分には、彼女の前に立つ資格すらない。

 アデルは地面に拳をつき、嗚咽を漏らした。

 すると、背後から冷ややかな声がかかった。

「……何をしているのですか、殿下」

 ビクッ!  アデルが振り返ると、そこには公務から戻ったクラウスが立っていた。  宰相としての威厳を纏い、ゴミを見るような目でアデルを見下ろしている。

「ク、クラウス……」

「私の屋敷の前で、うずくまって泣くのはやめていただきたい。通行人の邪魔です」

「俺は……俺はただ、彼女に謝りたくて……」

「謝罪? 今さら?」

 クラウスは鼻で笑った。  そして、庭のほうへ視線をやった。  そこには、焚き火で暖を取るエリスの姿がある。

 クラウスは瞬時に状況を理解した(もちろん、彼なりの解釈で)。

「見なさい。彼女のあの姿を」

 クラウスは指差した。

「彼女は、貴方からの手紙を火にくべた。……それは『決別』の儀式です。貴方の甘ったれた言葉など、暖を取るための燃料以下の価値しかないと、無言で告げているのです」

 まさしくその通りなのだが(燃料にしたという意味で)、クラウスの言葉には詩的な重みがあった。

「彼女は過去を断ち切った。貴方という呪縛から解き放たれ、今はただ、静寂の中で自己と向き合っている。……邪魔をするな」

 アデルはよろよろと立ち上がった。  もう、何も言えなかった。  クラウスの言う通りだ。エリスのあの毅然とした態度(ただイモが焼けるのを待っているだけ)を見れば、自分が入り込む隙間などないことは明白だった。

「……頼む」

 アデルは絞り出すように言った。

「彼女を……エリスを、幸せにしてやってくれ。俺にはできなかった。俺は彼女を傷つけることしかできなかった」

「言われるまでもありません」  クラウスは冷たく答えた。

「彼女の幸せは、私が保証します。……貴方は二度と、彼女の視界に入らないでください。それが、貴方にできる唯一の償いです」

 アデルは深く項垂れた。  そして、一度だけエリスのほうを振り返り、トボトボと去っていった。  その背中は、以前よりも一回り小さく見えた。  王太子の覇気は完全に消え失せ、ただの失恋した男の哀愁だけが漂っていた。

          ◇

 アデルが去った後。  クラウスは庭へと入っていった。

「エリス」

 私はビクッとして振り返った。  口の周りにススがついているかもしれない。  慌てて袖で拭う。

 クラウス様が立っていた。  優しい顔をしている。  怒っていない。  というか、焚き火でイモを焼いている公爵令嬢を見ても、「風流だね」みたいな顔をしている。  この人のフィルターも大概だ。

「……終わったよ」  彼は私の隣にしゃがみ込み、言った。

「王太子は去った。君の『手紙焼却』という強烈な意思表示を見て、完全に心を折られたようだ。もう二度と、君に付きまとうことはないだろう」

 えっ?  見てたんですか?  というか、アデルも来てたんですか?

 私は驚いて目を丸くしたが、すぐに「まあ、いいか」と思った。  結果的にストーカー撃退に成功したのなら、このイモ(とアデルの手紙)はいい仕事をしたことになる。

「君は本当に……言葉を使わずに人を動かす天才だな」  クラウス様は感心したように呟き、焚き火の中を覗き込んだ。

「おや、いい匂いがする」

 あ。  イモ。

 私はトングでアルミホイルの塊を取り出した。  熱い。  軍手をして、そっと割ってみる。  中から、黄金色に輝くホクホクの実が現れた。  湯気とともに、甘い香りが漂う。

 最高だ。  完璧な焼き加減だ。  アデルの手紙のおかげで、火力が絶妙だったらしい。ありがとうアデル。

 私は半分に割ったイモの片方を、無言でクラウス様に差し出した。  「食べますか?」の意。

 クラウス様は驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「……ありがとう。君と一緒に、勝利の味を噛み締めよう」

 彼は素手で(熱くないのかな)イモを受け取り、一口食べた。  ハフハフとしている。  宰相閣下が、庭で焼き芋をハフハフしている。  レアな光景だ。

「……甘いな」  彼は目を細めた。

「素朴だが、どんな高級菓子よりも温かい味がする。……君とこうしている時間が、私にとっては何よりの贅沢だ」

 私もイモを齧った。  甘い。  そして、隣に座る彼の体温が心地よい。

 アデルとの関係は、これで完全に終わった。  過去の因縁が、焚き火の煙と一緒に空へ消えていく。  私は心が軽くなるのを感じた。

          ◇

 しかし。  光があれば、影がある。  私たちが焼き芋で平和な時間を過ごしていたその裏で、闇の中では別の歯車が回っていた。

 王宮の地下牢。  ミリア・ベルガーが収監されていた独房。

 看守が見回りに来た時、そこはもぬけの殻だった。

「なっ……! 囚人が消えたぞ!」 「馬鹿な! 鍵は閉まっていたはずだ!」 「どこへ行った! 壁抜けでもしたというのか!?」

 牢の中には、一枚の書き置きだけが残されていた。  そこには、震えるような文字でこう書かれていた。

『エリス・フォン・ローゼン。  私が主役の座を取り戻すまで、物語は終わらせない。  次は、貴女が一番大切にしているものを奪ってやる』

 ミリアは消えた。  隣国の組織の手引きにより、地下水路を使って脱出したのだ。  彼女はもはや、ただのワガママな令嬢ではない。  復讐のためなら国さえ売る、危険なテロリストへと変貌を遂げていた。

 そして彼女が向かった先は、北の国境。  エリスとクラウスを陥れるための、最大の舞台装置が用意されている場所へ。

 王都に雪が降り始めた。  平和な焼き芋の香りの向こうから、冷たい嵐の気配が近づいていた。
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