89 / 178
第二部
89.現在の彼女達
しおりを挟む
「ん…………夢?」
嫌な夢を見てしまった。そう自覚できるほどには内容を憶えている。
時計を確認する。まだ起きるには早過ぎる時間だ。
「……汗かいちゃった」
びっくりするほど汗をかいていてパジャマが湿っていた。このままもう一度眠る気になれなくて、体を起こしてベッドから降りる。
このまま放っておいて汗臭いだなんて思われたくないし。うん、こんな時間だけれどシャワーを浴びよう。これは必要なことなのです。
準備を整えて静かに浴室へと入る。静か過ぎてなんだか変な感じ。
「はぁ……」
シャワーの温かさが体に纏わりついていた不快感を洗い流してくれる。でも、夢の内容までは消えてくれなくて吐息を漏らしてしまう。
「なんでこんな夢を見ちゃうのかな……」
トシくんと瞳子ちゃんがいない夢。そんな現実ではあり得ないはずなのに、それが当たり前のような世界。
これが初めてなんかじゃない。たまにではあるんだけど、思い出したかのようにこうやって夢に出てくる。
良い夢だと思おうとした。悪い夢は何かが好転するサインだって言い聞かせていた。
だけど、夢は段々と鮮明になっていって、まるでそこにいるのが本当に私なんだって思ってしまいそうになるほどに現実味があった。
不安を押しとどめようとするけれど、感情をコントロールするのが難しくなってしまって、胸のところが形容できないような変な感じになる。
「トシくんはいる……瞳子ちゃんだって……だから何も心配なんていらない……」
夢と現実の区別がつかなくなったら。それは私が変な子ということになってしまう。それだけならいいと思う。
鏡に映る自分の顔を見ると暗い表情だった。こんな顔をトシくんに見せたくない。私は自分の頬をマッサージして笑顔になってみる。まだ硬いけど及第点はあげていいかな。
シャワーから出るお湯が肌に降りかかる。温かくて気持ち良い。ついつい長く浴びていたくなる。
「胸の間も汗かいちゃってる」
ここの辺りは気をつけないと汗疹になっちゃう。いつも念入りに洗っている。けっこう大変なのだ。
最近はトシくん以上に美穂ちゃんから見られているのは気のせいかな? 自分のものではあるけれど、これだけ大きくなると同性でも見てしまうのはわからなくもないかな。
シャワーを止めてバスタオルで体を拭く。
「……こういうのってトシくん好きだったりするかな?」
大事な部分を隠すようにバスタオルを体に巻いてみる。鏡で確認するとけっこう色っぽいかも。なんてね。
こんな姿の私を見たらトシくんはどんな顔をするかな? そんなことを考えていたら暗かった気持ちが明るくなってきた。
朝になればトシくんに会える。そう思うと、早く寝ようと部屋へと戻ってベッドに潜った。
目を閉じて、ちょっとだけ怖くなる。またさっきの夢を見たらどうしよう。そんな不安が胸中に広がる。
「う~……だったら」
私はトシくんの姿を思い描きながら呟く。
「トシくんが一人、トシくんが二人、トシくんが三人……」
私の周りにトシくんがたくさんいる光景を思い描く。ふふっ、これだけトシくんがいれば怖くなんてないもんね。
私はトシくんに囲まれていく自分を想像しながら眠りに就いた。
そして朝になって目が覚めた。目覚めはスッキリだった。トシくん効果ってすごい。
今日は入学式がある。遅刻なんてするわけにはいかない。
台所で朝食を作っているとお母さんが起きてきた。
「早いわね葵。入学式なんだから朝食くらい私が作ったのに」
「いいよいいよ。今日は寝起きが良かったから体を動かしたかったしね」
「入学式だから目が冴えちゃったのね。ちゃんと眠れたんでしょうね? あくびなんかしたら俊成くんに笑われちゃうわよ」
「しないよー。それにトシくんだったら笑ったりしないもん」
お母さんは笑いながら朝の準備を整えていく。
そろそろ朝食が出来あがる。和食は香りがいいよね。
「おはよう。おっ、良いにおいだ。葵が作るご飯はいつも美味しいから楽しみだよ」
「あら? 私が作るご飯はどうなの?」
「もちろん最高の味さ」
お父さんとお母さんは朝から仲良しさんだ。ずっとラブラブ夫婦のままである。
子供の頃から見ていたからマヒしそうになるけれど、こんなにも仲良しでいられるのってすごいことなのかも。友達の両親の関係を聞くとそう思う。
私もいつかはトシくんと……。よし! 料理がんばるぞ!
朝食を取って支度を済ませていく。制服に着替えて身だしなみをチェックする。
今日から新しい制服だ。紺色を基調としたブレザー。赤いリボンがアクセントになってかわいい。
「おかしいところはない、と。忘れ物もなし」
うん、準備は整った。あとはトシくんが迎えにきてくれるのを待つだけだ。
「……」
待つだけなんだけど……、できるだけ早く会いたいな。
トシくんの家はすぐ近くだ。すぐ行けるのなら、行ってもいいよね。
「行ってきまーす!」
うずうずした気持ちが抑えられなくて、私は飛び出すように家を出てトシくんの家へと向かう。
早歩きのつもりがいつの間にか走っていた。ちょっとの距離で息が上がってしまう。体力って才能じゃないのかなって思う時がある。
トシくんの家が見えてきた。ちょうど玄関のドアが開いて、トシくんが姿を見せた。
瞳子ちゃんには悪いとは思いながらも、先にトシくんの制服姿が見れて嬉しくなる。そんな彼の元へと向かって走るスピードを上げる。
「トシくん!」
「え? 葵は家で待ってるんじゃ――」
トシくんの胸に飛び込んだ。突然だったのにしっかりと受け止めてくれる。
私を支えてくれる男の子の体。抱きしめるとそれがよくわかる。頼り甲斐を感じて胸が熱くなった。
「葵、どうしたの?」
「んー、トシくんに早く会いたくって」
頭を撫でられる。そんなことされたらほっぺが緩んじゃうよー。
「トシくん……」
「ん?」
「……キスして」
彼を見上げるとちょっとだけ目を瞬かせていた。それから優しい顔をして頷いてくれる。
目をつむって首を傾ける。顎に手を添えられてドキドキする。
「ん……」
唇に温かさが伝わってくる。離れてしまうのが切なくなった。
「トシくん、上手になりましたね」
「……おかげ様で」
冗談めかして言うと、彼は顔を赤くする。
そんなところがまた愛おしくて、もう一度抱きついた。
「葵……」
「なあに?」
「これ以上こうしていたら……遅刻する」
そうだった。今日は入学式があるんだった。遅刻はできない。
「じゃあ行こっか。瞳子ちゃんも待ってるよ」
「葵っ、引っ張ると危ないって」
トシくんの手を取って歩き出す。ウキウキした気持ちはそのままで。これが現実なんだって私に教えてくれていた。
※ ※ ※
「んっ…………あ?」
目が覚めた。そう、目が覚めたんだ。今までのは全部夢だった。
「……驚かせないでよね」
夢相手に悪態をついてしまう。これくらいは言いたくなるくらいの夢を見せられたのだから仕方がない。
体を起こすと涙を流していたことに気づいた。夢の自分と同調していたみたい。
「あれは……本当にあたしだったの?」
年齢が離れていて違うと言いたいのに、そうは言い切れないような感覚があった。
こういう夢は頻度は少ないけれど見ること自体はあった。元々現実感があって不思議な夢ではあったのだけれど、夢を見る度に現実味が増してきているように感じる。
ただの夢。気にすることじゃない。そう言い聞かせているのに、そうじゃないって訴えられているようだった。
「実は予知夢……なんてことはないわよね」
嫌な予感に首を振る。そんなことがあるわけがない。絶対に。
「シャワーでも浴びようかしら」
寝汗をかいて気持ち悪い。俊成に臭いって、言われないだろうけれど思われるのは嫌。
時計はまだ朝じゃないと告げていた。こんな時間にシャワーを浴びるのは気が引けるけれど、音を立てないようにして脱衣所へと向かった。
パジャマを脱いで下着に手をかける。……下着も替えておこう。
「冷たっ!?」
温度調節を忘れていた。冷たい水を浴びて驚いた声を漏らしてしまう。
思っている以上に動揺しているみたい。嫌なドキドキがあたしの心を支配しようとしていた。
「もうっ!」
イライラした声を出しながらちょうどいい温度へと調整する。温かいお湯が出てくれてようやく一息ついた。
「はぁ……」
心が不安がっている。夢の状況が足音を立てて近づいている気がするから。
「そんなこと、あるはずがないのに……」
あれはただの夢だったのだ。そう言い聞かせながら手を胸に当てる。深く沈み込ませて心臓の鼓動が収まるのを待つ。
こんな夢を見た時は無性に俊成に会いたくなる。
できれば今すぐに、とわがままを言いたいけれど、さすがにこんな夜遅くにというわけにもいかない。きっと俊成はぐっすりと寝ているのだから。
せめて俊成は良い夢を見ていますようにと考えてしまう。彼にはこんな気持ちになってほしくない。
シャワーのお湯があたしの体をつたって流れ落ちていく。少しばかり冷えていた体が温まって落ち着きを取り戻す。
「大丈夫。俊成はちゃんといてくれている……」
胸の鼓動も落ち着いてきた。慣れたくはないのだけれど、こういった夢を見るのは初めてじゃない。だから自分を落ち着かせるのには慣れてきた。
深呼吸をする。あとは俊成に会えばこんな夢、忘れてしまえる。
シャワーを止めると鏡に映る自分と目が合った。
ふっと笑ってみせる。夢とは違う自分を見せつけてあげた。
余裕を取り戻すと今度は自分の肢体に目が行ってしまう。
「……うん」
運動と睡眠には気をつかっているし、肌のケアもしている。ママに似て本当に良かったって思う。
「別に胸が小さいわけじゃないし、葵は……特別なのよね、うん」
体のラインに沿って指を這わせる。肌触りはいいわよね?
こんなところで時間をかけているわけにもいかない。スッキリしたのならもう寝てしまおう。
明日……、もう今日ね。今日は入学式があるのだから。
気分が持ち直すと朝まで眠ることができた。
「朝……、俊成と葵が迎えにくるわ……」
ベッドから降りると少し頭がフラフラした。変な時間に目が覚めたせいね。
でも、悪い夢は二回も続いたりはしなかった。
顔を洗って頭をスッキリさせる。
「おはよう瞳子。よく眠れまシタカ?」
「おはようママ。よく眠れたわ」
台所ではママが朝食を作っていた。あたしも手伝わせてもらう。
「今日から新生活デスネ。アピールは大事デスヨ?」
「もうっ、ママに言われなくてもわかっているわよ。それに学校に行くんだから成績の心配でもしててよ」
「そこに関してはまったく心配していマセンノデ」
面白そうにしちゃって。ママってちょっと変わっているわよね。
ママとおしゃべりしながら朝食の準備をした。そこへパパが起きてきた。
「ふぁ~、二人ともおはよう」
「おはようパパ。寝癖がひどいわよ」
「今日は起きるのが遅かったデスネ。いつもの時間に出なくて大丈夫なのデスカ?」
「ふふんっ、今日は瞳子の入学式だからね。仕事は遅れて出られるように調整済さ。瞳子が晴れ舞台を新しい制服に身を包んで登校するんだよ。僕が一番にその姿を見たいじゃないか」
パパは胸を張ってそんな親バカなことを口にした。
いつもならため息でも吐きながら流してもいいのだけれど、たまには親孝行でもしようかな。そんな気分になっていた。
「わかったわ。制服に着替えたら見せてあげるわね」
「おおっ! ありがとう瞳子!」
そんな涙ぐまなくてもいいから。パパったら仕方がないわね。
家族みんなで朝ご飯を食べる。パパが興奮気味に今日がどれだけ楽しみだったかを話して、それをママが笑顔で相槌を打つ。あたしはそれに混ざって……、混ざっているのはいつものことなのに特別のことのような幸せを感じてしまう。
朝食を終えて、自室で支度をする。制服に着替えて髪型を整える。
姿見の前で最終確認。ブレザータイプの制服がなんだか大人っぽい。
「お待たせパパ」
「おお……。瞳子……こんなに大きくなったんだな……」
パパがむせび泣いてしまった。「仕方のない人デスネ」なんて言いながらママが嬉しそうにパパを慰める。
「そろそろ俊成と葵が来る時間だから出るわね」
「行ってらっしゃい瞳子」
「どうごぉ! 気をづげで学校に行ぐんだぞぉぉぉぉぉっ!」
「……行ってきます」
親バカなパパには困ってしまう。ちょっとだけ口元が緩んでしまったのは俊成に会えるからだけじゃないのかもだけれど。
もうすぐ俊成に会える。早く会いたくて玄関のドアを開けた。
「あっと、おはよう瞳子」
眼前に飛び込んできたのはちょうど俊成がインターホンを押そうとしていたところだった。
「おはよう俊成」
いきなりでびっくりしたけれど、いつも通りの態度であいさつを返せた。……と思う。
「瞳子、ちょっと緊張してたりする?」
「あたしが緊張? 緊張なんてしていないわ」
「あはは、それならいいんだ。なんか俺を見て安心したみたいな顔になった気がしたからさ。学校が変わって不安だったのかなって思っただけ」
俊成……っ。
胸の奥がきゅっと苦しくなって、でもこの苦しさは嬉しいサインだった。
「……」
「瞳子?」
堪らなくなって俊成に抱きついてしまった。急にこんなことをしているのに、俊成はちゃんと抱きしめ返してくれる。
「……」
「……」
黙っているだけなのに優しい時間が流れる。俊成があたしを受け入れてくれているってわかるからなのだろう。
……キス、してほしいな。
彼の胸に埋めていた顔を上げる。見つめ合うだけで意志が通じたみたいに俊成の顔が近づいてくる。
「ん……」
目を閉じて彼の唇を受け入れた。温かさが心にまで伝わってくる。
唇を離すとまたほしくなってしまう。今度はあたしから。そうつま先を伸ばそうとして――
「じー……」
今になって、すぐ横からの葵の視線が突き刺ささっていたことに気づいた。
「はっ!? あ、葵……いつから?」
「最初からだよー。ていうかトシくんといっしょに私が迎えに来るってわかってたはずだよね」
「うっ……」
「まあ私もさっきしちゃったんだけど」
「ちょっ!? 何よそれ!」
俊成に顔を向けるとたははと笑って誤魔化された。誤魔化されないわよ!
「瞳子ちゃん、キスの権利は一日一回までだよ。約束は破ったらダメなんだからね」
「わ、わかっているわよ……」
「ほんとかなぁ? さっき二回目しようとしなかった?」
「き、気のせいじゃないかしら……」
こういう時の葵は鋭い。目を見たら嘘なんてつけなくなるほどの迫力がある。
そんなあたし達の間に入るのは俊成だった。
「まあまあ。今日はこれから高校の入学式なんだからさ。早く行かないと遅刻しちゃうよ?」
「あっ、そうだ時間」
「電車の時間があるんだからもたもたしてたらダメじゃない」
あたし達は駆け出した。仲良く同じペースで走る。
今年の春。あたし達は新しく高校生活を始める。
恋人と親友と。親友にとっても同じような関係で。そんな世間では三角関係と呼ばれるような関係でありながらも、あたし達の関係は世間一般的なものとは良い意味で違っていた。
こんな三角関係のまま、あたし達は順調に仲を深めながら日々を過ごしていたのだった。
嫌な夢を見てしまった。そう自覚できるほどには内容を憶えている。
時計を確認する。まだ起きるには早過ぎる時間だ。
「……汗かいちゃった」
びっくりするほど汗をかいていてパジャマが湿っていた。このままもう一度眠る気になれなくて、体を起こしてベッドから降りる。
このまま放っておいて汗臭いだなんて思われたくないし。うん、こんな時間だけれどシャワーを浴びよう。これは必要なことなのです。
準備を整えて静かに浴室へと入る。静か過ぎてなんだか変な感じ。
「はぁ……」
シャワーの温かさが体に纏わりついていた不快感を洗い流してくれる。でも、夢の内容までは消えてくれなくて吐息を漏らしてしまう。
「なんでこんな夢を見ちゃうのかな……」
トシくんと瞳子ちゃんがいない夢。そんな現実ではあり得ないはずなのに、それが当たり前のような世界。
これが初めてなんかじゃない。たまにではあるんだけど、思い出したかのようにこうやって夢に出てくる。
良い夢だと思おうとした。悪い夢は何かが好転するサインだって言い聞かせていた。
だけど、夢は段々と鮮明になっていって、まるでそこにいるのが本当に私なんだって思ってしまいそうになるほどに現実味があった。
不安を押しとどめようとするけれど、感情をコントロールするのが難しくなってしまって、胸のところが形容できないような変な感じになる。
「トシくんはいる……瞳子ちゃんだって……だから何も心配なんていらない……」
夢と現実の区別がつかなくなったら。それは私が変な子ということになってしまう。それだけならいいと思う。
鏡に映る自分の顔を見ると暗い表情だった。こんな顔をトシくんに見せたくない。私は自分の頬をマッサージして笑顔になってみる。まだ硬いけど及第点はあげていいかな。
シャワーから出るお湯が肌に降りかかる。温かくて気持ち良い。ついつい長く浴びていたくなる。
「胸の間も汗かいちゃってる」
ここの辺りは気をつけないと汗疹になっちゃう。いつも念入りに洗っている。けっこう大変なのだ。
最近はトシくん以上に美穂ちゃんから見られているのは気のせいかな? 自分のものではあるけれど、これだけ大きくなると同性でも見てしまうのはわからなくもないかな。
シャワーを止めてバスタオルで体を拭く。
「……こういうのってトシくん好きだったりするかな?」
大事な部分を隠すようにバスタオルを体に巻いてみる。鏡で確認するとけっこう色っぽいかも。なんてね。
こんな姿の私を見たらトシくんはどんな顔をするかな? そんなことを考えていたら暗かった気持ちが明るくなってきた。
朝になればトシくんに会える。そう思うと、早く寝ようと部屋へと戻ってベッドに潜った。
目を閉じて、ちょっとだけ怖くなる。またさっきの夢を見たらどうしよう。そんな不安が胸中に広がる。
「う~……だったら」
私はトシくんの姿を思い描きながら呟く。
「トシくんが一人、トシくんが二人、トシくんが三人……」
私の周りにトシくんがたくさんいる光景を思い描く。ふふっ、これだけトシくんがいれば怖くなんてないもんね。
私はトシくんに囲まれていく自分を想像しながら眠りに就いた。
そして朝になって目が覚めた。目覚めはスッキリだった。トシくん効果ってすごい。
今日は入学式がある。遅刻なんてするわけにはいかない。
台所で朝食を作っているとお母さんが起きてきた。
「早いわね葵。入学式なんだから朝食くらい私が作ったのに」
「いいよいいよ。今日は寝起きが良かったから体を動かしたかったしね」
「入学式だから目が冴えちゃったのね。ちゃんと眠れたんでしょうね? あくびなんかしたら俊成くんに笑われちゃうわよ」
「しないよー。それにトシくんだったら笑ったりしないもん」
お母さんは笑いながら朝の準備を整えていく。
そろそろ朝食が出来あがる。和食は香りがいいよね。
「おはよう。おっ、良いにおいだ。葵が作るご飯はいつも美味しいから楽しみだよ」
「あら? 私が作るご飯はどうなの?」
「もちろん最高の味さ」
お父さんとお母さんは朝から仲良しさんだ。ずっとラブラブ夫婦のままである。
子供の頃から見ていたからマヒしそうになるけれど、こんなにも仲良しでいられるのってすごいことなのかも。友達の両親の関係を聞くとそう思う。
私もいつかはトシくんと……。よし! 料理がんばるぞ!
朝食を取って支度を済ませていく。制服に着替えて身だしなみをチェックする。
今日から新しい制服だ。紺色を基調としたブレザー。赤いリボンがアクセントになってかわいい。
「おかしいところはない、と。忘れ物もなし」
うん、準備は整った。あとはトシくんが迎えにきてくれるのを待つだけだ。
「……」
待つだけなんだけど……、できるだけ早く会いたいな。
トシくんの家はすぐ近くだ。すぐ行けるのなら、行ってもいいよね。
「行ってきまーす!」
うずうずした気持ちが抑えられなくて、私は飛び出すように家を出てトシくんの家へと向かう。
早歩きのつもりがいつの間にか走っていた。ちょっとの距離で息が上がってしまう。体力って才能じゃないのかなって思う時がある。
トシくんの家が見えてきた。ちょうど玄関のドアが開いて、トシくんが姿を見せた。
瞳子ちゃんには悪いとは思いながらも、先にトシくんの制服姿が見れて嬉しくなる。そんな彼の元へと向かって走るスピードを上げる。
「トシくん!」
「え? 葵は家で待ってるんじゃ――」
トシくんの胸に飛び込んだ。突然だったのにしっかりと受け止めてくれる。
私を支えてくれる男の子の体。抱きしめるとそれがよくわかる。頼り甲斐を感じて胸が熱くなった。
「葵、どうしたの?」
「んー、トシくんに早く会いたくって」
頭を撫でられる。そんなことされたらほっぺが緩んじゃうよー。
「トシくん……」
「ん?」
「……キスして」
彼を見上げるとちょっとだけ目を瞬かせていた。それから優しい顔をして頷いてくれる。
目をつむって首を傾ける。顎に手を添えられてドキドキする。
「ん……」
唇に温かさが伝わってくる。離れてしまうのが切なくなった。
「トシくん、上手になりましたね」
「……おかげ様で」
冗談めかして言うと、彼は顔を赤くする。
そんなところがまた愛おしくて、もう一度抱きついた。
「葵……」
「なあに?」
「これ以上こうしていたら……遅刻する」
そうだった。今日は入学式があるんだった。遅刻はできない。
「じゃあ行こっか。瞳子ちゃんも待ってるよ」
「葵っ、引っ張ると危ないって」
トシくんの手を取って歩き出す。ウキウキした気持ちはそのままで。これが現実なんだって私に教えてくれていた。
※ ※ ※
「んっ…………あ?」
目が覚めた。そう、目が覚めたんだ。今までのは全部夢だった。
「……驚かせないでよね」
夢相手に悪態をついてしまう。これくらいは言いたくなるくらいの夢を見せられたのだから仕方がない。
体を起こすと涙を流していたことに気づいた。夢の自分と同調していたみたい。
「あれは……本当にあたしだったの?」
年齢が離れていて違うと言いたいのに、そうは言い切れないような感覚があった。
こういう夢は頻度は少ないけれど見ること自体はあった。元々現実感があって不思議な夢ではあったのだけれど、夢を見る度に現実味が増してきているように感じる。
ただの夢。気にすることじゃない。そう言い聞かせているのに、そうじゃないって訴えられているようだった。
「実は予知夢……なんてことはないわよね」
嫌な予感に首を振る。そんなことがあるわけがない。絶対に。
「シャワーでも浴びようかしら」
寝汗をかいて気持ち悪い。俊成に臭いって、言われないだろうけれど思われるのは嫌。
時計はまだ朝じゃないと告げていた。こんな時間にシャワーを浴びるのは気が引けるけれど、音を立てないようにして脱衣所へと向かった。
パジャマを脱いで下着に手をかける。……下着も替えておこう。
「冷たっ!?」
温度調節を忘れていた。冷たい水を浴びて驚いた声を漏らしてしまう。
思っている以上に動揺しているみたい。嫌なドキドキがあたしの心を支配しようとしていた。
「もうっ!」
イライラした声を出しながらちょうどいい温度へと調整する。温かいお湯が出てくれてようやく一息ついた。
「はぁ……」
心が不安がっている。夢の状況が足音を立てて近づいている気がするから。
「そんなこと、あるはずがないのに……」
あれはただの夢だったのだ。そう言い聞かせながら手を胸に当てる。深く沈み込ませて心臓の鼓動が収まるのを待つ。
こんな夢を見た時は無性に俊成に会いたくなる。
できれば今すぐに、とわがままを言いたいけれど、さすがにこんな夜遅くにというわけにもいかない。きっと俊成はぐっすりと寝ているのだから。
せめて俊成は良い夢を見ていますようにと考えてしまう。彼にはこんな気持ちになってほしくない。
シャワーのお湯があたしの体をつたって流れ落ちていく。少しばかり冷えていた体が温まって落ち着きを取り戻す。
「大丈夫。俊成はちゃんといてくれている……」
胸の鼓動も落ち着いてきた。慣れたくはないのだけれど、こういった夢を見るのは初めてじゃない。だから自分を落ち着かせるのには慣れてきた。
深呼吸をする。あとは俊成に会えばこんな夢、忘れてしまえる。
シャワーを止めると鏡に映る自分と目が合った。
ふっと笑ってみせる。夢とは違う自分を見せつけてあげた。
余裕を取り戻すと今度は自分の肢体に目が行ってしまう。
「……うん」
運動と睡眠には気をつかっているし、肌のケアもしている。ママに似て本当に良かったって思う。
「別に胸が小さいわけじゃないし、葵は……特別なのよね、うん」
体のラインに沿って指を這わせる。肌触りはいいわよね?
こんなところで時間をかけているわけにもいかない。スッキリしたのならもう寝てしまおう。
明日……、もう今日ね。今日は入学式があるのだから。
気分が持ち直すと朝まで眠ることができた。
「朝……、俊成と葵が迎えにくるわ……」
ベッドから降りると少し頭がフラフラした。変な時間に目が覚めたせいね。
でも、悪い夢は二回も続いたりはしなかった。
顔を洗って頭をスッキリさせる。
「おはよう瞳子。よく眠れまシタカ?」
「おはようママ。よく眠れたわ」
台所ではママが朝食を作っていた。あたしも手伝わせてもらう。
「今日から新生活デスネ。アピールは大事デスヨ?」
「もうっ、ママに言われなくてもわかっているわよ。それに学校に行くんだから成績の心配でもしててよ」
「そこに関してはまったく心配していマセンノデ」
面白そうにしちゃって。ママってちょっと変わっているわよね。
ママとおしゃべりしながら朝食の準備をした。そこへパパが起きてきた。
「ふぁ~、二人ともおはよう」
「おはようパパ。寝癖がひどいわよ」
「今日は起きるのが遅かったデスネ。いつもの時間に出なくて大丈夫なのデスカ?」
「ふふんっ、今日は瞳子の入学式だからね。仕事は遅れて出られるように調整済さ。瞳子が晴れ舞台を新しい制服に身を包んで登校するんだよ。僕が一番にその姿を見たいじゃないか」
パパは胸を張ってそんな親バカなことを口にした。
いつもならため息でも吐きながら流してもいいのだけれど、たまには親孝行でもしようかな。そんな気分になっていた。
「わかったわ。制服に着替えたら見せてあげるわね」
「おおっ! ありがとう瞳子!」
そんな涙ぐまなくてもいいから。パパったら仕方がないわね。
家族みんなで朝ご飯を食べる。パパが興奮気味に今日がどれだけ楽しみだったかを話して、それをママが笑顔で相槌を打つ。あたしはそれに混ざって……、混ざっているのはいつものことなのに特別のことのような幸せを感じてしまう。
朝食を終えて、自室で支度をする。制服に着替えて髪型を整える。
姿見の前で最終確認。ブレザータイプの制服がなんだか大人っぽい。
「お待たせパパ」
「おお……。瞳子……こんなに大きくなったんだな……」
パパがむせび泣いてしまった。「仕方のない人デスネ」なんて言いながらママが嬉しそうにパパを慰める。
「そろそろ俊成と葵が来る時間だから出るわね」
「行ってらっしゃい瞳子」
「どうごぉ! 気をづげで学校に行ぐんだぞぉぉぉぉぉっ!」
「……行ってきます」
親バカなパパには困ってしまう。ちょっとだけ口元が緩んでしまったのは俊成に会えるからだけじゃないのかもだけれど。
もうすぐ俊成に会える。早く会いたくて玄関のドアを開けた。
「あっと、おはよう瞳子」
眼前に飛び込んできたのはちょうど俊成がインターホンを押そうとしていたところだった。
「おはよう俊成」
いきなりでびっくりしたけれど、いつも通りの態度であいさつを返せた。……と思う。
「瞳子、ちょっと緊張してたりする?」
「あたしが緊張? 緊張なんてしていないわ」
「あはは、それならいいんだ。なんか俺を見て安心したみたいな顔になった気がしたからさ。学校が変わって不安だったのかなって思っただけ」
俊成……っ。
胸の奥がきゅっと苦しくなって、でもこの苦しさは嬉しいサインだった。
「……」
「瞳子?」
堪らなくなって俊成に抱きついてしまった。急にこんなことをしているのに、俊成はちゃんと抱きしめ返してくれる。
「……」
「……」
黙っているだけなのに優しい時間が流れる。俊成があたしを受け入れてくれているってわかるからなのだろう。
……キス、してほしいな。
彼の胸に埋めていた顔を上げる。見つめ合うだけで意志が通じたみたいに俊成の顔が近づいてくる。
「ん……」
目を閉じて彼の唇を受け入れた。温かさが心にまで伝わってくる。
唇を離すとまたほしくなってしまう。今度はあたしから。そうつま先を伸ばそうとして――
「じー……」
今になって、すぐ横からの葵の視線が突き刺ささっていたことに気づいた。
「はっ!? あ、葵……いつから?」
「最初からだよー。ていうかトシくんといっしょに私が迎えに来るってわかってたはずだよね」
「うっ……」
「まあ私もさっきしちゃったんだけど」
「ちょっ!? 何よそれ!」
俊成に顔を向けるとたははと笑って誤魔化された。誤魔化されないわよ!
「瞳子ちゃん、キスの権利は一日一回までだよ。約束は破ったらダメなんだからね」
「わ、わかっているわよ……」
「ほんとかなぁ? さっき二回目しようとしなかった?」
「き、気のせいじゃないかしら……」
こういう時の葵は鋭い。目を見たら嘘なんてつけなくなるほどの迫力がある。
そんなあたし達の間に入るのは俊成だった。
「まあまあ。今日はこれから高校の入学式なんだからさ。早く行かないと遅刻しちゃうよ?」
「あっ、そうだ時間」
「電車の時間があるんだからもたもたしてたらダメじゃない」
あたし達は駆け出した。仲良く同じペースで走る。
今年の春。あたし達は新しく高校生活を始める。
恋人と親友と。親友にとっても同じような関係で。そんな世間では三角関係と呼ばれるような関係でありながらも、あたし達の関係は世間一般的なものとは良い意味で違っていた。
こんな三角関係のまま、あたし達は順調に仲を深めながら日々を過ごしていたのだった。
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
友達の妹が、入浴してる。
つきのはい
恋愛
「交換してみない?」
冴えない高校生の藤堂夏弥は、親友のオシャレでモテまくり同級生、鈴川洋平にバカげた話を持ちかけられる。
それは、お互い現在同居中の妹達、藤堂秋乃と鈴川美咲を交換して生活しようというものだった。
鈴川美咲は、美男子の洋平に勝るとも劣らない美少女なのだけれど、男子に嫌悪感を示し、夏弥とも形式的な会話しかしなかった。
冴えない男子と冷めがちな女子の距離感が、二人暮らしのなかで徐々に変わっていく。
そんなラブコメディです。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
まずはお嫁さんからお願いします。
桜庭かなめ
恋愛
高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。
4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。
総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。
いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。
デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2025.11.25)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、感想をお待ちしております。
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
イケボすぎる兄が、『義妹の中の人』をやったらバズった件について
のびすけ。
恋愛
春から一人暮らしを始めた大学一年生、天城コウは――ただの一般人だった。
だが、再会した義妹・ひよりのひと言で、そんな日常は吹き飛ぶ。
「お兄ちゃんにしか頼めないの、私の“中の人”になって!」
ひよりはフォロワー20万人超えの人気Vtuber《ひよこまる♪》。
だが突然の喉の不調で、配信ができなくなったらしい。
その代役に選ばれたのが、イケボだけが取り柄のコウ――つまり俺!?
仕方なく始めた“妹の中の人”としての活動だったが、
「え、ひよこまるの声、なんか色っぽくない!?」
「中の人、彼氏か?」
視聴者の反応は想定外。まさかのバズり現象が発生!?
しかも、ひよりはそのまま「兄妹ユニット結成♡」を言い出して――
同居、配信、秘密の関係……って、これほぼ恋人同棲じゃん!?
「お兄ちゃんの声、独り占めしたいのに……他の女と絡まないでよっ!」
代役から始まる、妹と秘密の“中の人”Vライフ×甘々ハーレムラブコメ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる