おにょれ王子め!

こもろう

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いち。

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 公爵令嬢レティジアが巻毛をなびかせて学園の廊下を歩いていると、他の学生たちは打たれたように背筋を伸ばし、そして頭を垂れる。
 レティジアの堂々とした立ち振る舞い、その華やかでややきつい美貌、公爵家の権勢。そういったものに人々は畏怖を覚えるのだ。
 だけど。

「ふええ……フリード殿下に会うの気まずいですわ……お家に帰りたい……」

 他の者の視線がなくなると、とたんにレティジアは涙目で呟く。
 王国の薔薇姫と謳われる、緋色の髪に金色の瞳という鮮やかな色彩の彼女の中身は、ちょっとネガティブな泣き虫少女だった。

 出来れば領地に引っ込んで静かに暮らしたい。森林地帯が多い領地でゆっくり生活したい。
 でもレティジアは、弱冠10歳で第二王子フリードの婚約者に選ばれてしまっている。
 王子妃教育は大変だし、社交も苦手。夜会なんて、終わった後は必ずと言っていいほど寝込んでしまう。知恵熱ですね、と王宮の医師に言われてしまった。恥ずかしい。
 でもフリード王子のことが好きになっていたから、レティジアは我慢して頑張っていた。

 同じ歳のフリードは金髪碧眼の美少年だった。いつでも涼しい顔をしながら勉強や王子教育、剣術などをこなしている。だけどそれは、彼が努力している姿を見せないだけ。本当は誰よりも頑張り屋なのだと、しばらくしてから知った。
 女性の扱いがなっていない自覚はあるから嫌なことがあったらすぐに言え、とぶっきらぼうに告げられた時は嬉し過ぎて満面の笑みになってしまった。後でマナーの先生に叱られたけれど。

 はじめは政略だったけれど、そうやって次第に距離を縮めていき、寄り添うようになっていった二人だった。
 けれど今は違う。

 いつの頃からかあやふやだけど、レティジアとフリードの仲はぎくしゃくしてしまっている。

「どうかしたのでしょうか、殿下……?」

「何がだ? レティジアの方が、何か言いたいことがあるのではないか?」

「いえ、わたくしの方は特には……」

「特には? はっ! まったく女というのは――」

「わ、わたくしが何か粗相をいたしましたでしょうか? い、いたらないことは多いかと思いますが――」

「あ? いや、そうではないっ。もう、いい!」

 前回のお茶会での会話だ。この後二人とも黙り込み、お通夜みたいになってしまった。

 今日はまた二人のお茶会だ。学園の裏庭にある小さなサロンで行われるのだ。
 また、あんなことになるのだろうか。いや、きっとなるに違いない。フリードは自分のことが嫌いになってしまったのだ。だからあんなに怖い顔になっているのだ。
 フリードの眉間に皺や、険しい眼差しを思い出して、レティジアはまたじわりと涙を滲ませてしまう。

「しっかりしなくては……。でも、もう嫌……」

「――何が嫌だって?」

 間が悪いことに、こっそり弱音を吐いた時にフリードがやってきてしまった。
 フリードの護衛は黙って背後で控えているが、固唾をのんでこちらを窺っているのが感じられる。

「まさかレティジアは、俺――いや、この茶会が嫌だと言うのか?」

「と、とんでもないことです! 光栄ですわ!」

 内心アワアワしながらも、レティジアは素早く淑女の仮面をかぶってサロンへの扉を開けようとする。しかし後ろからフリードが手を伸ばして開けて、レティジアを中にいざなう。殿下のエスコートを邪魔しそうになってしまった自分に、レティジアはまた落ち込む。
 ああ、お家に帰りたい……がっくりとうなだれながら、レティジアは思ったのだった。






「おにょれ……」

 そこは王都にある公爵邸の、日当たりのいい客間。ふかふかの絨毯の上に、何故かちんまりと正座している男児がいた。
 セーラーカラーのシャツ、半ズボンにハイソックスという、子供だけに許された愛らしい服装。着ている本人はそれ以上に愛らしい。プクプクのほっぺたに、くりくりの大きな金色の瞳。柔らかそうな青い髪は寝ぐせ付き。
 そして何より。
 その小さな頭には髪と同色の三角の耳がパタパタしているし、ゴージャスな毛並みの尻尾がふさふさ揺れている。

 ケモミミにしっぽ。星狼という聖獣の子供である。名前はリュカ。
 星狼は完全な狼形体と人間形体どちらにもなれるが、幼い頃の人間形体はこうしてケモミミつきの中途半端な姿にしかなれない。逆に言えば、幼体の時だけのレアな姿だ。
 リュカは正座をしたまま、ぴるぴると震えていた。紅葉のような手は強く握られ、小さな拳になっている。頬は紅潮し、大きな金色の目は潤んでいる。

「おにょれ王子め!」

 拳を天に突き上げ、ぴょんと跳ねて立ち上がった。

「おにょれ王子め! お嬢ちゃまを泣かす奴は成敗なにょだ!」

 リュカは、レティジアが森で保護したはぐれ星狼だ。レティジアが偶然拾わなければ、彼は死んでいたことだろう。幼体は弱いのだ。
 リュカはレティジアのことが大好きだ。絶対に守りたいと思っている。
 できれば自分がレティジアのお婿さんになりたかったが、残念ながら歳が合わない。ただでさえ星狼は寿命が長いのだ。自分が大人になるよりも先にレティジアがお婆さんになってしまうだろう。

 だから仕方なく、ほんっとーに仕方なく、リュカは王子にレティジアを譲った。レティジアが幸せそうだから、今までは二人が逢う時にはこっそり覗くだけで我慢していた。

 それなのに、あのバカバカ王子め……!

 最近のレティジアは、痛々しすぎて見てられない。原因は全部あのバカバカバカ王子だ。
 レティジアの何が気に食わないというのか、最近ずっと睨みつけていた。イライラと椅子の肘置きを指で叩いたり、足を何度も組み替えたりと行儀も最悪だった。レティジアの所作は完璧なのに。

「……もう、我慢は限界なにょだ。お嬢ちゃまになんと言われようと、王子をやっつけてやるにょだ!」

 えいえいおー! と鬨の声を上げて、リュカは公爵邸から飛び出した。
 飛び出した時には、リュカの姿は星狼のそれになっていた。青く薄っすらと輝く小さな狼。夜の方が能力が高くなるが、昼間だって建物の屋根に飛び上がるくらいは出来るのだ。
 まだ短い脚を目一杯に伸ばし、ぴょーんと跳んだリュカは、そのまま屋根づたいに走って行った。


 そしてお茶会のサロンでは。
 レティジアの危惧した通り、重たい沈黙が辺りを支配していた。
 胃が痛い……とレティジアは固まっていた。
 胃も痛いが、フリードの視線も痛い。
 王子は今日も不機嫌丸出しでレティジアを睨んでいる。
 もう、この婚約は失敗なのでは……?
 そんなことが脳裏を過ぎり、レティジアは青ざめる。

「レティジア……?」

 フリードが不審そうに眉根を寄せる。
 その時。

「おおおおおじいいいい!!!」

 天から何かが降ってきた。
 青いその塊はフリードの後頭部を直撃し、レティジアの度肝を抜き、周囲に侍っていた護衛たちの毛根を一瞬で死滅させた。

「うごっ!?」

 美青年には似合わない声を上げたフリードは、塊に押し潰された衝撃でテーブルに額を打ち付ける。ゴッという鈍い音と同時に、辺りに紅茶が飛び散った。

「フリード様!?」

「殿下!!」

 ようやく動けるようになったレティジアたちの前で意気揚々と立ちはだかったのは、小さなケモミミ男児リュカだった。
 ちなみに立ちはだかった場所は、フリードの頭の上である。

「うはははは! 王子をやっつけてやったぞー!!」

 ケモミミも尻尾もぴーんと立てて、リュカは高らかに勝鬨を上げた。




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