悪役令嬢、心理学無双で氷の騎士様の心を溶してみせます

希羽

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9. 実験7. 愛着理論(別名: 嫉妬心の観測)

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 護身術の訓練は、いつしか私とケイン様の間の、奇妙な定例行事となっていた。

 週に二度、道場で交わす言葉は少ない。しかし、触れ合う手や、互いの呼吸を読む真剣な時間を通して、私たちの間には言葉以上の何かが、確実に積み重なっていた。

 それは、心地よい緊張感と、確かな信頼。

 しかし、これだけでは足りない。

 司令室(自室)で、私は新たな研究テーマを羊皮紙に書きつけた。

『実験7:愛着(アタッチメント)理論に基づく、対象の内的ワーキングモデルの検証』

(人は、幼少期の養育者との関係で形成された「愛着スタイル」を、成人後の恋愛関係でも繰り返す。ケイン様の自立心と親密さへの躊躇いは、典型的な『回避型』のそれ。ならば、私が『不安型』のように振る舞った時、彼はどう反応するだろうか?)

 『不安型』は過剰な親密さを求め、見捨てられることを恐れる。一方、『回避型』は親密さを避け、束縛を嫌う。この二つのタイプが組み合わさると、一方が追いかけ、もう一方が逃げるという、苦しいダンスが始まるのが定説だ。

 私の仮説はこうだ。

 私が彼に依存するような素振りを見せれば、回避型の彼は、息苦しさを感じて私から距離を置こうとするはず。

 それを観測できれば、彼の攻略法はさらに明確になる。

 絶好の実験場が、すぐに用意された。王妃様主催の、小規模な音楽会だ。謹慎中の私も、王妃様直々のお招きとあっては断れない。そして、護衛としてケイン様が同行することも、すでに確定していた。

 *

 月明かりが差し込む、優雅な夜会。

 弦楽四重奏の甘いメロディが流れる中、私は意図的に、いつもより少しだけ心細そうな表情を浮かべていた。

 案の定、数人の若い貴族たちが、婚約破棄された「傷心の公爵令嬢」に言い寄ってきた。その中の一人、マーカス子爵は特に熱心だった。

「セラフィナ嬢、あなたの憂いを帯びた瞳は、まるで夜露に濡れた菫のようだ。よろしければ、今宵は私があなたの騎士となりましょう」

 クサい台詞だ。しかし、好都合。

 私は助けを求めるように、部屋の隅で壁の花と化しているケイン様へと視線を送った。

(さあ、ケイン様。あなたの回避型としての反応を見せてちょうだい。私が他の男性と親しくすることで、あなたは面倒な関係から解放されると安堵し、私からさらに距離を置くはず…!)

 ケイン様は、マーカス子爵と私を一瞥すると、予測通り、ふいと顔をそむけた。

 まるで、私たちの存在など意に介さないというように。

(…よし。仮説通り)

 私は内心で頷き、マーカス子爵との当たり障りのない会話を続けた。

 しかし、その会話が長引くにつれ、私はケイン様の様子に、微かな違和感を覚え始めた。

 彼は壁に寄りかかったまま動かない。だが、その視線は、一見あらぬ方向を向いているようで、その実、ガラス窓や銀食器に反射する私たちの姿を、執拗に追いかけていた。

 そして、マーカス子爵が私の手にそっと触れようと、指を伸ばした、その瞬間だった。

 すっ、と。

 私たちの間に、影が差した。

 いつの間にか移動してきたケイン様が、無表情のまま、そこに立っていた。

「マーカス卿。申し訳ないが、セラフィナ嬢をお借りしても?」
「な、騎士団長殿…? しかし、我々は今、音楽の感想を…」
「緊急の用件だ」

 有無を言わせぬ、低く、静かな声。

 それは命令に等しかった。マーカス子爵は顔を引きつらせ、すごすごと退散していく。

 二人きりになったバルコニーで、私は彼に問いかけた。

「緊急の用件とは、何ですの?」
「……」

 ケイン様は何も答えない。ただ、じっと私を見つめている。

 その灰色の瞳の奥に、これまで見たことのない種類の感情が、暗い炎のように揺らめいていた。

 それは、焦燥? 苛立ち? あるいは…。

「…君は、見る目がないな」

 やがて、彼はぽつりと、そう呟いた。

「え?」
「マーカス卿は、女癖が悪いことで有名だ。見るからに下心しかない男に、安易に気を許すべきではない」

 それは、驚くほどストレートな非難だった。そして、庇護欲を超えた、独占欲にも似た響きがあった。

「まあ。ご心配してくださったのですか?」

 私がからかうように言うと、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。

「…護衛対象の安全を確保するのは、私の任務だ」

【実験7:愛着理論に関する報告】

  結果: 対象に意図的な嫉妬誘発刺激を与えたところ、予測された「回避行動」ではなく、明確な「介入・独占行動」が観測された。
  考察: 対象の愛着スタイルは、確かに「回避型」の傾向を持つ。しかし、これまでの実験で構築された「親密性」と、護身術訓練で芽生えた「情熱」が、その基本的な行動パターンを上書きし始めている可能性が高い。彼の内なるワーキングモデルは、私という変数によって、すでに書き換えられつつある。

 実験は、ある意味で失敗だった。

 彼の心は、教科書通りの単純なモデルでは、もはや測定できないほど、複雑に変化してしまっていたのだ。

 そして、その事実は、科学者としての私を困惑させると同時に、一人の女としての私を、どうしようもなく喜ばせていた。
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