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第三十四話:忍び寄る影
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北の村に、本当の意味での春が訪れていた。
フィンの指揮のもとで始まった浄化設備の基礎工事は着々と進み、私たちの畑では、試験栽培したロスマリン小麦が、痩せた土地に負けじと力強い緑の芽を伸ばしていた。村人たちの顔には、長年失われていた笑顔と活気が戻り、誰もが未来への希望を語り合っていた。
そんな希望に満ちた村に、その男がやってきたのは、数週間が過ぎた頃だった。
男は、旅の商人を名乗り、ゲルハルトと挨拶した。にこやかで人当たりが良く、帝都の珍しい品々を安価で村人たちに分け与え、巧みな話術で、彼はあっという間に村の輪の中に溶け込んでいった。
しかし、その柔和な笑顔の裏に、冷たい毒蛇のような瞳が隠されていることに、気づく者はいなかった。
ゲルハルト。彼は、失脚したオルデン公爵に狂信的な忠誠を誓う、腹心の部下だった。
彼は、村を破壊するために来たのではない。村の「心」を、内側から腐らせるために来たのだ。
夜、村人たちが集まる唯一の酒場で、ゲルハルトの毒はゆっくりと撒かれ始めた。
「いやはや、皆さんは熱心ですな。ですが、リディア様やフィン様に近い者たちばかりが、良い役をもらっているように見えなくもない……」
「古代の技術、ねえ。素晴らしいものなのでしょうが、万が一、呪われた技術だったとしたら……この土地が、今度こそ本当に死んでしまうやもしれませぬな」
彼の言葉は、巧みだった。断定はせず、ただ人々の心に潜む、嫉妬や不安という小さな棘を、優しく撫でるだけ。しかし、一度心に刺さった棘は、じわじわと膿を持ち始める。
村の雰囲気は、少しずつ、しかし確実に変わり始めた。
これまで一体となって作業していた村人たちの間に、ぎこちない空気が流れるようになった。些細なことで口論が起き、互いを疑うような視線が交わされる。
私やフィンに対して、どこかよそよそしく、探るような態度を取る者も現れ始めた。
「……何かが、おかしい」
ある日の夕暮れ、フィンが険しい顔で私に言った。
「村の空気が、淀んでいる。まるで、見えない毒が広がっているようだ。誰かが意図的に、村人たちの間に不和の種を蒔いているとしか思えん」
彼の言葉に、私も静かに頷いた。私も、この数日間、同じ違和感を覚えていたのだ。村から失われつつあるのは、活気ではない。信頼だ。そして、信頼を失った共同体は、どんな強固な城壁よりも脆い。
このままでは、計画が外敵によってではなく、内側から崩壊してしまう。
「その変化は……」
私は、ここ数日の村の出来事を思い返した。
「……あの商人が村に来てから、始まったように思うわ」
私の言葉に、フィンもはっとした表情を見せる。点と点が、繋がり始めた。
敵は、暴力ではなく、言葉と心理を巧みに操るタイプの人間だ。ならば、こちらも同じ土俵で戦うまで。
「彼が何を企んでいるのか、そして彼の正体が何なのか……」
私は、まっすぐにフィンの目を見て言った。
「直接、その尻尾を掴んでやりましょう」
私の頭の中では、大胆な反撃の作戦が、すでに形になり始めていた。
「彼の化けの皮、わたくしたちの手で、綺麗に剥がしてさしあげましょう」
私の瞳に、静かだが、燃えるような闘志の光が宿る。穏やかな村の日常の裏で、見えない敵との、新たな戦いの火蓋が切られようとしていた。
フィンの指揮のもとで始まった浄化設備の基礎工事は着々と進み、私たちの畑では、試験栽培したロスマリン小麦が、痩せた土地に負けじと力強い緑の芽を伸ばしていた。村人たちの顔には、長年失われていた笑顔と活気が戻り、誰もが未来への希望を語り合っていた。
そんな希望に満ちた村に、その男がやってきたのは、数週間が過ぎた頃だった。
男は、旅の商人を名乗り、ゲルハルトと挨拶した。にこやかで人当たりが良く、帝都の珍しい品々を安価で村人たちに分け与え、巧みな話術で、彼はあっという間に村の輪の中に溶け込んでいった。
しかし、その柔和な笑顔の裏に、冷たい毒蛇のような瞳が隠されていることに、気づく者はいなかった。
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彼は、村を破壊するために来たのではない。村の「心」を、内側から腐らせるために来たのだ。
夜、村人たちが集まる唯一の酒場で、ゲルハルトの毒はゆっくりと撒かれ始めた。
「いやはや、皆さんは熱心ですな。ですが、リディア様やフィン様に近い者たちばかりが、良い役をもらっているように見えなくもない……」
「古代の技術、ねえ。素晴らしいものなのでしょうが、万が一、呪われた技術だったとしたら……この土地が、今度こそ本当に死んでしまうやもしれませぬな」
彼の言葉は、巧みだった。断定はせず、ただ人々の心に潜む、嫉妬や不安という小さな棘を、優しく撫でるだけ。しかし、一度心に刺さった棘は、じわじわと膿を持ち始める。
村の雰囲気は、少しずつ、しかし確実に変わり始めた。
これまで一体となって作業していた村人たちの間に、ぎこちない空気が流れるようになった。些細なことで口論が起き、互いを疑うような視線が交わされる。
私やフィンに対して、どこかよそよそしく、探るような態度を取る者も現れ始めた。
「……何かが、おかしい」
ある日の夕暮れ、フィンが険しい顔で私に言った。
「村の空気が、淀んでいる。まるで、見えない毒が広がっているようだ。誰かが意図的に、村人たちの間に不和の種を蒔いているとしか思えん」
彼の言葉に、私も静かに頷いた。私も、この数日間、同じ違和感を覚えていたのだ。村から失われつつあるのは、活気ではない。信頼だ。そして、信頼を失った共同体は、どんな強固な城壁よりも脆い。
このままでは、計画が外敵によってではなく、内側から崩壊してしまう。
「その変化は……」
私は、ここ数日の村の出来事を思い返した。
「……あの商人が村に来てから、始まったように思うわ」
私の言葉に、フィンもはっとした表情を見せる。点と点が、繋がり始めた。
敵は、暴力ではなく、言葉と心理を巧みに操るタイプの人間だ。ならば、こちらも同じ土俵で戦うまで。
「彼が何を企んでいるのか、そして彼の正体が何なのか……」
私は、まっすぐにフィンの目を見て言った。
「直接、その尻尾を掴んでやりましょう」
私の頭の中では、大胆な反撃の作戦が、すでに形になり始めていた。
「彼の化けの皮、わたくしたちの手で、綺麗に剥がしてさしあげましょう」
私の瞳に、静かだが、燃えるような闘志の光が宿る。穏やかな村の日常の裏で、見えない敵との、新たな戦いの火蓋が切られようとしていた。
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