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2章
13 聖女のいたずら
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全身の血の気が引いていく。
いやな汗が、背中をつたった。
「そんなことが、許されると……?」
「ゆるすも何も、それがバルトハイルさまのためになるなら何でもするって、あたしは決めたんです」
闇を映したような黒い瞳に射抜かれる。
彼女は彼女なりに、覚悟を決めているのだ。聖女の力を行使した先に、何が待ち受けていようとも。
この少女を、レニエッタをルディオに近づけてはいけない。
出来うる限りのことをして、彼から遠ざけなければ――
そう決意したシェラの名を、低い男性の声が呼ぶ。
それはとても恋しくて、いま一番聞きたくない人の声だった。
「シェラ」
ゆっくりと振り返る。
声の主は、少しだけ不機嫌さを滲ませた顔で言った。
「ルーゼに呼ばれて急いできてみれば、そんな格好で何故外にいる?」
「ル、ディオ、さ、ま」
震える唇で、辛うじて名前を紡ぐ。
彼はバルコニーの入り口で腕を組みながら、シェラたちを見ていた。
あの位置からなら、こちらの会話は聞こえていないだろう。
だが、問題はそこではない。
彼をここに来させてはいけない。レニエッタの近くに、来させては。
後ろにいたルーゼから何かを受け取り、ルディオはバルコニーへと足を踏み出す。
「ルディオさっ――」
「ルディオ殿下」
慌てて止めようとしたシェラの声を、隣にいたレニエッタが遮った。
「あたしがシェラさまとお話ししたくて、付き合わせたんです。すみませんでした、もう戻りますね」
一礼して、レニエッタはバルコニーの入り口へと、早足で歩いていく。
止めようと伸ばした手は、空を切っただけだった。
向かい側から歩いてきたルディオとすれ違う瞬間、レニエッタの身体がぐらりと揺れる。
「きゃあっ」
悲鳴をあげてバランスを崩した彼女は、そのままのルディオの胸に倒れ込むように沈んでいった。
彼は驚いた表情を見せながら、片手でレニエッタを受け止める。
「しっ失礼しましたっ。歩き慣れない靴でつまづいてしまって……」
申し訳なさそうに謝ってはいるが、今のはすべて彼女がわざとやったことだろう。
聖女の力を使うために。
彼を己の人形とするために。
二人の様子を、シェラは声も出せずに見ていることしかできなかった。
レニエッタによる支配は、触れた一瞬で終わってしまうから――
「……ルディオ殿下、くじいた足が痛くて歩けそうもないんです。あたしを部屋まで運んでくれませんか?」
わざとらしくか細い声音で、要求を口にする。
一国の王族に運ばせるなど非常識もいいところだが、彼女に支配されてしまえば、それは絶対になる。
がくがくと一度震えだした身体は止まることを知らず、シェラはその場にくず折れた。
自分のせいで、彼をレニエッタの支配下に置いてしまった。
シェラがすぐにバルトハイルのもとに戻っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
絶望に似た感覚が頭を支配し、目の前の二人を見たくなくて俯いた。
一筋のしずくが頬をつたう。
――それは、こぼれ落ちたしずくが、床にはじけるのと同時だった。
「あっ……!」
小さな悲鳴に顔を上げると、レニエッタが床に尻もちをついているのが見えた。
彼女を支えていたルディオの腕は、いつの間にか離されている。そのせいで、床に倒れ込んでしまったのだろうか。
彼は何事もなかったかのように、目の前の少女を見下ろしていた。
その緑色の瞳は、恐ろしく冷たい光を宿している。
「痛がっているようには見えないが? 歩けないなら、人を呼んでやる」
感情のない低い声で告げて、レニエッタを睨みつける。
その誰をも寄せ付けない威圧感に、視線を受けとめた少女は顔色を変えた。
「ど、どうしてっ……」
「どうして? それはこちらの台詞だろう。なぜ私が君を運ばなければならない? 手を借りたいなら、自分の夫に頼むんだな」
冷え切った声で告げて、ルディオはルーゼを呼ぶ。
「バルトハイル王を連れてこい。王妃が怪我をしたと言えば、さすがにやってくるだろう」
「御意」
「まっ待って……!」
慌てて静止の声をあげたレニエッタの顔は、蒼白に染まっていた。
見開かれたままの黒い瞳が、心の動揺を表すように揺れている。
「だ、だいじょうぶ、みたい、です。自分で歩いてもどります!」
勢いよく立ち上がり、そのまま会場の中へと走っていく。
その様子を見ていたルーゼが、あきれた声で言った。
「歩けないどころか、走れるじゃないの」
意味がわからないとでも言うように、首を傾げながら肩を竦める。
「ルーゼ、先に戻って部屋を暖めておいてくれ。目的は済んだ、早めに宮に戻る」
「了解」
ルーゼを帰し、彼はバルコニーの奥まで歩いてくる。
蹲るようにして座り込んだシェラを見下ろして、大きく息を吐いた。二回ほど深呼吸を繰り返してから、床に膝を突く。そのまま手に持っていたものを、シェラの肩にかけた。
ふわりとした柔らかい感触が、むき出しの肩を包み込む。その温かさに、自然と吐息がこぼれた。
これはシェラの私室からドレスと一緒に運び出した、冬用の外套だ。入用になるかもしれないと回収したものを、ルーゼが持ってきてくれたのだろう。
まさか、こんなに早く使うことになるとは、思っていなかったが。
そんなことを、冷静に考えていた。
冷静にならなければ、今のこの状況をどうしても信じられなかった。
レニエッタの動揺からして、彼女が聖女の力を行使したのは間違いないだろう。
それならばなぜ彼はここに、シェラの前に、いるのだろうか……
いやな汗が、背中をつたった。
「そんなことが、許されると……?」
「ゆるすも何も、それがバルトハイルさまのためになるなら何でもするって、あたしは決めたんです」
闇を映したような黒い瞳に射抜かれる。
彼女は彼女なりに、覚悟を決めているのだ。聖女の力を行使した先に、何が待ち受けていようとも。
この少女を、レニエッタをルディオに近づけてはいけない。
出来うる限りのことをして、彼から遠ざけなければ――
そう決意したシェラの名を、低い男性の声が呼ぶ。
それはとても恋しくて、いま一番聞きたくない人の声だった。
「シェラ」
ゆっくりと振り返る。
声の主は、少しだけ不機嫌さを滲ませた顔で言った。
「ルーゼに呼ばれて急いできてみれば、そんな格好で何故外にいる?」
「ル、ディオ、さ、ま」
震える唇で、辛うじて名前を紡ぐ。
彼はバルコニーの入り口で腕を組みながら、シェラたちを見ていた。
あの位置からなら、こちらの会話は聞こえていないだろう。
だが、問題はそこではない。
彼をここに来させてはいけない。レニエッタの近くに、来させては。
後ろにいたルーゼから何かを受け取り、ルディオはバルコニーへと足を踏み出す。
「ルディオさっ――」
「ルディオ殿下」
慌てて止めようとしたシェラの声を、隣にいたレニエッタが遮った。
「あたしがシェラさまとお話ししたくて、付き合わせたんです。すみませんでした、もう戻りますね」
一礼して、レニエッタはバルコニーの入り口へと、早足で歩いていく。
止めようと伸ばした手は、空を切っただけだった。
向かい側から歩いてきたルディオとすれ違う瞬間、レニエッタの身体がぐらりと揺れる。
「きゃあっ」
悲鳴をあげてバランスを崩した彼女は、そのままのルディオの胸に倒れ込むように沈んでいった。
彼は驚いた表情を見せながら、片手でレニエッタを受け止める。
「しっ失礼しましたっ。歩き慣れない靴でつまづいてしまって……」
申し訳なさそうに謝ってはいるが、今のはすべて彼女がわざとやったことだろう。
聖女の力を使うために。
彼を己の人形とするために。
二人の様子を、シェラは声も出せずに見ていることしかできなかった。
レニエッタによる支配は、触れた一瞬で終わってしまうから――
「……ルディオ殿下、くじいた足が痛くて歩けそうもないんです。あたしを部屋まで運んでくれませんか?」
わざとらしくか細い声音で、要求を口にする。
一国の王族に運ばせるなど非常識もいいところだが、彼女に支配されてしまえば、それは絶対になる。
がくがくと一度震えだした身体は止まることを知らず、シェラはその場にくず折れた。
自分のせいで、彼をレニエッタの支配下に置いてしまった。
シェラがすぐにバルトハイルのもとに戻っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
絶望に似た感覚が頭を支配し、目の前の二人を見たくなくて俯いた。
一筋のしずくが頬をつたう。
――それは、こぼれ落ちたしずくが、床にはじけるのと同時だった。
「あっ……!」
小さな悲鳴に顔を上げると、レニエッタが床に尻もちをついているのが見えた。
彼女を支えていたルディオの腕は、いつの間にか離されている。そのせいで、床に倒れ込んでしまったのだろうか。
彼は何事もなかったかのように、目の前の少女を見下ろしていた。
その緑色の瞳は、恐ろしく冷たい光を宿している。
「痛がっているようには見えないが? 歩けないなら、人を呼んでやる」
感情のない低い声で告げて、レニエッタを睨みつける。
その誰をも寄せ付けない威圧感に、視線を受けとめた少女は顔色を変えた。
「ど、どうしてっ……」
「どうして? それはこちらの台詞だろう。なぜ私が君を運ばなければならない? 手を借りたいなら、自分の夫に頼むんだな」
冷え切った声で告げて、ルディオはルーゼを呼ぶ。
「バルトハイル王を連れてこい。王妃が怪我をしたと言えば、さすがにやってくるだろう」
「御意」
「まっ待って……!」
慌てて静止の声をあげたレニエッタの顔は、蒼白に染まっていた。
見開かれたままの黒い瞳が、心の動揺を表すように揺れている。
「だ、だいじょうぶ、みたい、です。自分で歩いてもどります!」
勢いよく立ち上がり、そのまま会場の中へと走っていく。
その様子を見ていたルーゼが、あきれた声で言った。
「歩けないどころか、走れるじゃないの」
意味がわからないとでも言うように、首を傾げながら肩を竦める。
「ルーゼ、先に戻って部屋を暖めておいてくれ。目的は済んだ、早めに宮に戻る」
「了解」
ルーゼを帰し、彼はバルコニーの奥まで歩いてくる。
蹲るようにして座り込んだシェラを見下ろして、大きく息を吐いた。二回ほど深呼吸を繰り返してから、床に膝を突く。そのまま手に持っていたものを、シェラの肩にかけた。
ふわりとした柔らかい感触が、むき出しの肩を包み込む。その温かさに、自然と吐息がこぼれた。
これはシェラの私室からドレスと一緒に運び出した、冬用の外套だ。入用になるかもしれないと回収したものを、ルーゼが持ってきてくれたのだろう。
まさか、こんなに早く使うことになるとは、思っていなかったが。
そんなことを、冷静に考えていた。
冷静にならなければ、今のこの状況をどうしても信じられなかった。
レニエッタの動揺からして、彼女が聖女の力を行使したのは間違いないだろう。
それならばなぜ彼はここに、シェラの前に、いるのだろうか……
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