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3 話してみた
しおりを挟む「それで、どうしてあんなところで倒れていたの」
テーブルの上にコップを置くと、向かい側に座ったイリューザはお礼を言ってから受け取った。ごくごくと飲み干して、右手で口元を拭ってから話し出す。
「きみを探して南のほうまで来たのはいいが、どこもかしこも暑くて……竜の姿なら溶岩の中でも流氷の中でも問題はないんだが、この姿は万能ではなくてな」
そうは言うが、人間が耐えられるくらいの暑さだ。いくら人の姿だからと言っても、倒れてしまうほどなのだろうか。
「暑いのは苦手?」
「得意ではないな。今は最北の国に住んでいるから、こんなに暑いのは久しぶりだ。それに国の結界を維持しているから、体力の消耗が大きいんだ」
「結界……?」
「ああ、今住んでいる国は寒さが厳しくてな。私が結界をはってやらないと、人が住めないほどなんだ」
なるほど、と頷く。きっと彼はその国の守護竜なのだろう。
この辺りにも黒い竜を神として崇め、信仰している国がある。恐らくそれと似たようなものだろう。
「距離が離れるほど、結界の維持に使う力が大きくなるからな。暑さと相まって体力の限界だったらしい。すまないことをした」
「いえ……それならすぐに帰った方がいいんじゃ」
「なぜ?」
きょとんとした顔で、琥珀色の瞳がわたしを見つめる。
その眩しいきれいな顔であまり見ないほしい。なんだか心臓がどきどきと慌ただしくなる。
「ここにいたら結界の維持が大変なんじゃ?」
「大丈夫だ。水をもらったから復活した」
なんだそれは。おまえは干からびたトカゲか。
思わずツッコミそうになった言葉は飲み込んだ。
「では、いつまでここに?」
「きみの準備ができ次第、国に帰る」
「わたしの?」
どういう意味かと尋ねると、彼は当たり前のことのように言った。
「私はきみを連れて帰りたい。だから、きみがこの村を発つ準備ができるまで待っている」
「えーと……」
なんだか勝手に話が進んでいる。わたしはこの村を出る気なんてないのだが。
「わたしが村を出ないって言ったら、あなたはここに住むの?」
「それは無理だな。結界から離れているのは、7日が限界だ」
「……ということは?」
「7日以内に心を決めてほしい」
待っていると言ったり、7日間で決めろと言ったり、なんなんだいったい。
7日以内に準備をしろと? ちょっと待ってほしい。そもそもわたしは行くとは言っていない。
「わたしはここに残るので、いますぐ帰っていただいても」
「そんな……やっと会えたのに」
やっとって、そんなに探されていたのか。少し気の毒な気もするが、いきなりつがいだと言われて、はい付いていきますなんて言えるわけがない。
あからさまに残念そうに肩を落としてから、イリューザは上目遣いでわたしを見てきた。
だからその純粋なまなざしで見つめないでほしい。なんだか心が揺らぎそうになる。
「……ダメなものはダメ」
「うう……せっかく人間の女性なのに……」
そういえば、さっきも人間の女でよかったとか言っていた。あれはどういう意味だったのだろうか。
「むしろ竜族の女性のほうがよかったんじゃ」
「そうじゃない。つがいは魂で繋がっている。死んでも魂だけは輪廻転生をして、またこの世に生を受ける。何度生まれ変わろうとも、私たちはつがいなんだ」
「はあ……要するに?」
「前世のきみはハムスターだった」
「ハムスター」
それはたしかネズミの仲間だった気がする。前世なんて覚えているわけもないので、まったく実感はわかないが。
「私の手のひらの上で果実をむさぼる姿は、とてもかわいらしかった」
思い出したのか、口元を綻ばせながら懐かしそうに話す。
自分のことを言われているはずだが、ちっとも嬉しくない。
「それじゃ、ハムスターの前は?」
「赤い小さな花を咲かせる植物だった。とても甘い香りのする花で、私はその花を一輪摘み取ってベッドでひとり……いや、なんでもない」
なぜかわずかに頬を染めて、イリューザは視線を逸らした。ベッドで何をしたのかは、聞かないほうが良さそうだ。
他には金魚や蝶々や、とにかく人型の生物ではなかったらしい。
竜族の寿命は、人間と比較できないほど長いと言われている。彼はわたしが生まれ変わる度に探してくれていたようだ。それを聞いてしまうと、無下に断るのも悪い気がしてしまう。
「やっと人型のつがいに会えたんだ。言葉も通じるし、なによりかわいい」
「かわいい……?」
「ああ、本当にかわいい。ハムスターのきみよりも数倍はかわいい」
ハムスターと比較されても嬉しくはないのだが……そうは思うが、口には出さなかった。イリューザがわたしを見つめてくる視線はとても熱がこもっていて、反論しにくい。むしろ反論したところで意味がなさそうだ。
とりあえず彼に付いていくかは後回しにして、その日は適当に他愛ない話をして過ごした。
食事はどうするかと尋ねたらなんでも食べると言うので、普段わたしが食べているものを出した。十分に育ち切っていない野菜や干し肉しかなかったが、彼は意外なことにおいしそうに食べていた。
もしかしたらわたしに気を使ってくれていたのかもしれないが、そうだとしても、彼の優しさがなんだか少し嬉しかった。
そして夜になると、イリューザは迷わずわたしのベッドに潜り込む。
「あの、わたしに床で寝ろと?」
「つがいなんだ、一緒に寝ればいいだろう?」
「むり」
速攻で否定するも、彼は負けじと言ってくる。
「ふむ。了承をもらうまでは手を出すつもりはないが」
「そういうことじゃなくて……」
襲われるとか、そういうことを気にしているわけではない。そもそも異性と同じベッドで寝るなど経験がないのだ。こういうことは普通結婚してからか、もしくは婚約を結んでからなのでは? もしかしてつがいってその辺すっとばせるの?
なんだが自分の思考までよく分からなくなってきて頭を抱えていると、ふむ、ともう一度呟いて、イリューザは提案してきた。
「それなら明日も浄化魔法をかけるから、その礼に一緒に寝てはくれないか?」
「浄化魔法?」
「昼間にやったものと同じやつだ。風呂に入った気分になれる」
少し考えて、こくりと頷いた。なんと言っても、わたしはきれい好きなのだ。
最近はめったにお風呂に入れないから本当につらかった。あの魔法をもう一度かけてもらえるなら、一緒に寝るだけであれば構わない。なんてちょろいんだわたしは。
イリューザが嬉しそうに手を差し出したので、控えめに指先を乗せた。そのまま手を引かれ、ベッドの中に……というよりは彼の胸の中に着地する。
急に近づいた距離に、心臓が大きな鼓動を刻んだ。
ふたりで寝るにはこのベッドは狭すぎる。どう見ても一人用だし、体格のいいイリューザとふたりで横に並ぶには無理があるため、大人しく目の前の胸に顔を埋めた。
他人の体温とは、こんなにも気持ちのいいものなのだろうか。この人とは今日初めて会ったばかりなのに、なぜかとても落ち着く。
これもつがいとやらだから? なんだかすごくいい匂いがするし、心地よくてすぐに寝てしまいそうだ。
「ツィータ、今さらだが……きみのご両親は?」
「両親は……2年前のわたしが15歳のときに、流行り病で死んだの」
両親が死んでから、もう2年も経つのか……とぼんやりと考える。病はだいぶ落ち着いてきたが、今でも年に数人は死者が出ている。この村では治療できる施設がなく、患ってしまったら本人の気力に頼るしかない。
実はわたし自身も病にかかったのだか、若かったおかげで回復できた。この病は年を重ねるほど重症化するのだ。
両親がいなくなってからは三人で住んでいた家を売り払い、いまはこの小さな家でひとりで暮らしている。近くにはサハクも住んでいるし、ひとりでも特別困ることはない。
「……そうか。すまない、不躾な質問だった」
「いえ……」
申し訳ないと思ったのか、彼は優しく頭を撫でてくる。指先の感触が心地よくて、どんどん意識がまどろんでいった。
「ご両親の代わりに、きみを愛してもいいだろうか」
夢の中に落ちてしまったツィータには、その質問に答えることはできなかった。
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