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プロローグ

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【SIDE 元婚約者 フィリベール王太子】

「くそぅっ! 私は何も聞いていなかったぞ。知っていれば、ジュディットとの婚約破棄などしなかったのに。リナのやつめ……私を騙しやがって」

 いら立ちを堪えられず赤い髪をかきむしるが、そんなことをしたところで一向に気持ちは収まらない。

 元凶の人物を訪ね歩き二か所目。駆けつけた馬車から急いで飛び降り、ドゥメリー公爵家の屋敷へ上がり込む。

 勝手知ったる公爵家の邸宅内を突き進み、当主の部屋の前に到着した。

 その扉を勢いよく開ければ、中年の大男が部屋の中で一人、頭を抱えて佇んでいた。

 やつは、許可もなく入室した私を睨みつけてきたが、相手が私だと気づけば瞬時に青ざめた。

 怒鳴り散らしたいところだが、周囲の人間に聞かれるのはまずい。感情任せに大声を出すわけにはいかないと、ドゥメリー公爵に近づく。

「探せ! 公爵が捨てた筆頭聖女のジュディットを、この場に連れ戻せ」

「——フ、フィリベール王太子殿下の仰りたいことは分かりますが……。娘を捨て置いた場所からすると、狼に襲われ、もう生きてはいないはずです」

「いいや、彼女は死んでいない。あの女と私が結んだ闇魔法の契約が、まだ消えてはいないからな。どこかにいるのは間違いない。探し出せ!」

「左様でございますか。——ですが、娘を連れ帰ってきても、魔力が封印されているのでは、聖女として役立たずのままではありませんか……?」

「いいや。あの日結んだ私との魔法契約を解呪する」

「そ、それでは魔力と共に……娘の記憶も戻ってしまいます。そうなると殿下もわたくしも、妹のリナも……。いえ、殿下の妻となる婚約者も……。まずいことになります」

「馬鹿だな。ジュディットとの魔法契約は二つ結んであるんだ。その魔法契約の一つ。封印した魔力を解放するが、あいつの記憶は一生封印したまま二度と戻す気はない」

「なるほど!」

 私の提案である「記憶を戻さないこと」に安堵すると、ポンと手を叩いた。

「どうせあの女は今ごろ草の根を噛むような暮らしをしているはずだ。そんな中で王太子の元婚約者だから恩情を与えると言われれば、あの女は泣いて喜び、私の言いなりになるだろう。どうせ不満も言えないさ。こちらの都合のいいように、あの聖女の力を利用する」

「承知いたしました。それでは、公爵家総出でジュディットを探し出し、再び殿下の元へ連れて参ります」

「そうしてくれ。時は一刻を争う。大司教のガラス玉の製作者はジュディットだった。早く見つけなければ騒動が起きる。すぐに動け!」

「ま、まさか……ガラス玉はジュディットが作っていたと仰るのですか?」

「それだけじゃない。魔物の捕獲もこの国の結界も全て、あの女が独りでやっていたんだ! ああぁ~、畜生ッ。何がどうなっているんだ!」

「そそそそ、それは……いいい、一大事ではありませんか!」

「そうだッ! だからさっさと探し出せ。リナとの関係も、もう後戻りはできない。連れ戻したジュディットのことは側室にでもしてやるからそのつもりでいてくれ」

 それを言い残し、ドゥメリー公爵家を後にした。

◇◇◇

【SIDE ジュディ(ジュディット)】

 ある日。全く知らない場所で目が覚めると、整った容姿の青年が横にいた。

 まるで、繊細なガラス細工のような見知らぬ美男子が、わたしを覗き込む。

 優しい空気を纏う彼の瞳は、黒色なのに、情熱を帯びる赤色が重なっている。

 そんな不思議な色合いに吸い寄せられるよう、彼を見つめ返してしまう。

 頭の奥がうずく、運命的な出会いに感じた。

 ――理由はもちろん分からない。

 恋? いいえ違うわね。
 ときめきとは無縁の感情だから、それは否定しておく。

 ぽぉーっとするわたしを全く気にも留めない彼は、品のいい口元をゆっくりと動かす。

「琥珀色の瞳ですか……珍しいですね」

 彼がぽつりと発した琥珀色の瞳とは……はてな。
 わたしのことなのか?

 そう言われたところで、自覚がない。

 自分の容姿でさえ他人事に感じてしまい、きょとんと間の抜けた顔を向け、黙りこくる。
「……」

「あなたの名前は?」

 気遣わしげに訊ねられたものの……。
 あれ? わたしは誰だ? 名前が分からない……。

 ――まさか。そんなはずはないだろう。
 何故って? それは、何もかも分からないわけではないもの。

 もし、この国の名前を聞かれれば「ルダイラ王国」と答えるし、王家の名前を訊ねられれば、躊躇うことなく「リファール家」と返答できるから。

 それなのに自分の名前が分からないのは……見知らぬ場所で、ただ困惑しているだけだと言い聞かせ、ゆっくり答えを探してみた。

 けれど――……駄目ね。ちっとも分からない。

 一体どうしたんだ?
 自分の身に起きている現象に、ただただ困惑してしまう。

 たかだか名前一つで悩むわたしを、彼が揶揄うように笑い、話を続ける。

「ははっ。何もしませんから、そこまで警戒しないでください」

 すっと美しく通った鼻筋の彼は、キリリとした黒い目を細め、口元を綻ばせる。

 潤いのある黒い髪が印象的で、影を連想させる黒色の貴公子。彼は自分を「アンドレ」と名乗った。

 気遣いを見せる彼に微笑みかけられても、自分が誰か分からず、戸惑うばかり。

 だけど彼なら大丈夫だろう。そう感じたわたしは、思い切って打ち明けることに決めた。

「それが……名前が分からないの」
 菫色の髪に触れながら、もじもじと告げる。

 不可思議な言動を告げた途端、彼が緊張した気配を放ち、この部屋の空気がピリリと一変した。

「あ~。僕としたことが、とんでもない失敗をしてしまったようですね。よりによって、面倒なものを拾ってきたのか……」

「ねぇ。拾ってきたって……どこから? わたし……最後に何をしていたのか、それさえも思い出せないわ」

 目覚めてからというもの、頭の中で疑問符がいくつも回っている。

 これまでの人生で培った知識はあるのだが、不思議なことに、自分に関する事柄だけ綺麗さっぱり忘れ去っているんだから。

 ――まるで意図的に「わたしという存在だけ」、記憶からすっぽり切り取られたみたいに。

 だけど、魔法や魔物の知識だけは、たんまりと持ち合わせている。それはそれで何故かさっぱり分からない。

 変だな。年頃の乙女の暮らしには関係のない、どうでもいい知識ばかりが記憶の大半を占めている……。どうしてだろう。

 頑張って思い出そうと自分を応援してみたけれど、わたしは誰で何をしていたのか?

 家族はどこにいるのか?
 それらは、ちっとも思い出せない……。変だな。

 どうしてこうなったのか? 意味が分からない。ちぐはぐな記憶が気持ち悪い。

 胸に何かがつかえているみたいに感じる。

 わたしの正体を探ろうとしたけれど、自分の所持品といえるのは、危うく転売容疑をかけられそうになった、大量の「魔力の結晶」——いわゆる「大司教のガラス玉」

 それに「フィリ❁&ジュディ」と刺繍されたハンカチ。

 そういえば、何も書いていない古めかしい指輪をはめていたわね。

 ――以上、三種類のそれだけだ。

 とりあえず、持っていた刺繍に合わせ、今は『ジュディ』と名乗っている。

 奇異なわたしに戸惑うアンドレだけど、なんだかんだと優しい彼は、わたしに部屋と仕事を与えてくれた。

 名前なし、金なし、荷物なし、記憶なし、おまけに魔力もなし。
 何から何まで、ないない尽くしのオンパレードのわたしが、彼のおかげで、カステン辺境伯軍で穏やかに過ごせている。

 彼と一緒にいる、ありきたりな日常が幸せだ。

 この平和な時間がずっと続きますようにと願っているのだけれど……。

 原因の分からない奇妙な感覚がわたしを襲う。頭の内側から、得体の知れないおかしな気配を感じていた。



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