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第4章 逃がさない

だまされない③

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「はぁ、はぁ――」と息が上がる。
 走るのはもう限界なほど……苦しい。

 けれど、足を緩めるわけにはいかない。
 木の奥から獣の気配を感じる。急いで森を抜けないと冗談抜きで危ない。

 そう思った次の瞬間──。
 キーンと周囲にピリついた空気が漂った。やはり気づかれたかと、小さく体が震える。

 少し離れた前方から、「アゥオオーーン」と狼の遠吠えが聞こえた。

 それに呼応するように、あちこちから野性味あふれる狼の声が響き渡る。
 この遠吠えは、狩を始める合図なんじゃないかしら。まずいな。

 あちらに眠る男どもの元に行ってくれたらよかったのにと思うが、まあ狼も賢いし、竜巻の起きた場所は警戒しているのだろう。
 あ~あ、終わったなと諦めの心境に陥る。

 追ってきたアンドレを振り切るために使った風魔法。あれで手の中のガラス玉が、ピキッと割れる感覚が伝わった。

 残念ながら見るまでもなく、今握りしめている魔力の結晶は、すでに使い切っている。

 進行方向に狼がいるのは間違いない。逃げたいのに逃げる方向が分からない。たぶん、もう取り囲まれた。

 怖くて足がすくむ。その場に立ち尽くし、ゆっくりと首を動かし周囲を見渡す。
 わたしの真正面に眼光が四つある。
 息をひそめ左右を見れば、青い光がいくつもこちらを窺がっている。

 ――ということは、前方だけで二頭の狼がいるのか。そのうえ、左右は数えきれない。

 わたしと狼との均衡が崩れたタイミングで、一気に襲ってくるのだろう。

 わたしは武器一つ持っていない。何か応戦できる物はないかと探すけれど、目に付くのは、足元に無数に転がる小枝ばかり。

 悔しいけど、もうここまでかと観念すれば、空笑が漏れた。
「ははは」
 おかしいな……。今朝まではすごく楽しかった――。

 美味しくないスープをけらけら笑って、夜にみんなでバーベキューをする予定だったんだけど。何がいけなかったのか……。

 ジュディとしての人生。
 皮肉なことに、走馬灯となる記憶さえ持ち合わせていないため、ここ数日の話を振り返るだけで人生を締めくくる。

 そして、「はぁ~」と一息ついたのをきっかけに、前方の青い光が一気に距離を詰めてきた。

 ――いよいよ駄目だなと、狼が飛びかかってくる覚悟を決め、目を瞑る。

 ――瞑る。
 ――――瞑る?

 あれ、おかしいな。いつまで経っても感じるはずの痛みが襲ってこない。
 変だなと思いながら、ゆっくりと目を開ける。

 すると、一斉に飛びかかってくると思っていた狼は、尾を下げて、すごすごと立ち去っている。

 傍と意識を変えると、人の魔力の気配が迫っていることに気づき、後ろを振り返る。

 その途端「きゃっー」と大きな悲鳴が漏れた。

 どうして気絶させたはずのアンドレが、ピンピンした姿で立っているのだ。それも、先ほどとは少し違う軍服を着ている。本気で怖いから。

 服が泥で汚れたからって着替えたのか? 僅かな時間で? ますます奇妙な様相のアンドレを見て恐ろしくなり、ことさら警戒心が増す。

「大丈夫ですか?」
「やだっ、何しに来たの! 追いかけてくるのはもう止めてよ」

 慌ててしゃがみ、先ほど目に付いた小枝を鷲づかみすると、アンドレの顔にパラパラと投げつけた。

 けれど、いくらぶつけようが、攻撃力は皆無といえる貧弱な枯れ枝にすぎない。
 彼は魔法を使うまでもなく、手で払いのけるだけで終わる。

「ジュディ、落ち着いて。僕です。アンドレだから」

「ええ、知ってるわよ。わたしはアンドレに言ってるの!」
 敵意を含んだ低い声で伝える。

「参りましたね。どうしてあちらは、僕の偽装と同じ姿でジュディの前に現れたんですかね。おかげで僕が告白する前に、すっかり嫌われているじゃないですか」

「は? さっきから愛しているだの、告白だのいい加減にしてちょうだい。アンドレなんて大嫌いだわ。近づかないで!」

「大っ嫌いって……流石にその言葉はへこみます」

「あっそう。じゃあ何度でも言うわ。大嫌い! アンドレのような最低な人間を好きにならなくて本当に良かったわ。わたしに何をする気なのよ!」
 彼はザァーッと青ざめた。

「ジュディは記憶が混乱しているだけです。まずは落ち着いてくれませんか。これでは僕の話もできないから」

「さっきから話、話ってしつこいわ。冷たくコーヒーゼリーを突き返した姿が、アンドレの本性だったのに、どうして見て見ぬ振りをしたのかしら。今まで、どうかしていたんだわ」

「あのゼリーの件は、完全に僕が悪いです。それは謝るから」
 彼が一歩前へ出れば、わたしは一歩後退する。

「もうどうだっていいわよ。アンドレの顔も見たくないから近づかないで」

「困りましたね。初めて会ったときの方が、余程聞き分けが良かったのに」

「何が初めてよ、白々しい。アンドレはずっと前からわたしのことを知っているんでしょう。そして、あなたのせいで記憶がないんだわ」

「違います」

「嘘つき! アンドレに近づくなって、わたしの体があなたを拒絶するの。その魔力、一緒にいるとむかむかして吐きそうだわ」

 彼の魔力が気持ち悪い。そう思って遠ざかろうと後ずさる。

「これでは本当に僕の話を聞く気はなさそうですね」

「当然だわ。カステン辺境伯には、わたしのことを気味が悪いから嫌だって言っていたくせに……何が一緒に暮らそうよ! アンドレの態度も話も矛盾する時点で、あなたから逃げるべきだったんだわ。もう纏わりつかないでよ。気味が悪いわたしなんかに、二度と関わらないで。本当、最ッ低ね」

「ああ~、もう。イヴァン卿は何を言ってくれたんだよ!」

 激昂する彼に恐怖を抱き、隙を突いて一気に走り出す。
 だが、向かった先で大きな木に進路を塞がれた。
 踵を返せば、彼の両腕が、ドンッと両サイドに伸びてきて、木の間に挟まれた。
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