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穂波晴野

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第一章「袖振り合う世の縁結び」

14.あなただけの花

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 鏡にうつった女性がわらう。
 モノトーンのワンピース。厚く化粧のほどこされた顔。妖艶な印象をまとう美人。

「この人……! 恵太くんの部屋から出てきたあの綺麗なひと……!」

 蓉子さんが叫ぶ。

「そうか……君にはそう見えるのか。僕が最初にこの鏡を覗き込んだときに写っていたのは、男とも女ともつかない、ぶざまで不格好で、どうしようもない化物のような人間だったよ。……むりやり男らしく振る舞っても、否定しきれないものなんだな」

 言葉尻の哀愁が、恵太さんの心の奥底に沈められた真実を物語っていた。

「男はこうだ。女はこう。ああ、ほんとうに、世の中そんなのばっかだよな。わかりやすい答えがほしかった」

 おそらく、九遠堂に飛び込んできてから見せた高圧的な態度は、彼が抱く「男らしさ」につきまとうイメージの現れなのだろう。

 学校に制服があるように、僕たちは二つの性に振り分けられながら社会で生きている。

 けれど、きっと本当はその二つの枠組みだけでは説明できないほど、ヒトの心は自由で多様だ。世界には白と黒の間に七色のグラデーションが存在していると、僕らは理解しつつある。それでも、これまで積み上げられてきた価値観は強固で、テストの答案のように正解らしきものは見え透いてる。

 あなたは何者なのか。
 その問いに対して自分らしさを貫くことは簡単ではない。
 ……きっと、恵太さんのような人ならばなおさら。

 この人は大人だ。
 矛盾を抱えて生きることのむずかしさを、僕には想像もつかないほどに深く実感しているはずだ。

 それを証明するように、恵太さんは断腸の思いを引きずるようにして、言葉を探していた。
 恋人に向けて、苦しげに吐息を漏らして。

「蓉子。これは僕なんだ。僕は……こういう格好をするのが好きだ。おしゃれな化粧品も、カラフルなアパレル用品にも、身につけたいと思うほど惹かれる。……恋愛対象は女性だけだし、蓉子との関係に不満はなかった。ただ……ずっと打ち明ける勇気が持てなくて」
「……嘘、でしょう?」
「本当だよ、なにもかも」

  俯いていた恵太さんが顔をあげる。

「固く太ましい肩も腕も、頼んでないのに生えてくる髭も……。なにもかも嫌いだった。だれかを守れる力は欲しい。だけど、僕は……何かをねじ伏せたいわけじゃない」

 そう言って、青年はやるせなく肩を落とした。
 悄然とした蓉子さんがつぶやく。

「……私がいるのに?」
「……君がいたから。ちかづけば近づくほどよくわかった。華奢で我儘でそれでいてしたたかな容子が……好きだから、嘘をついてた。自分に魔法をかけるみたいに心を騙して、自信家で万能な青年を演じてた。君は……自分らしく生きてくことに迷いがなくて、欲しいものをためらわない。……そういう君に嫌われたくなかった」

「そ、そんなこと一度も……」
「伝えたら引いたろ? 君が素敵だっていうものだけが、僕ならよかったのにな」

 告白を聞きながら大きく瞳孔を見開いて、蓉子さんは目尻に涙を溜めていた。
 茫然と言葉をなくしてそれから、彼女は気の抜けたようにやわらかく笑った。とろけそうなほどの慈愛を込めた瞳と、優しく結い上げられた唇。

 蓉子さんは小さく肩を落として、恵太さんを見つめる。

「そっか。ずっと隠して、黙ってたんだね。……気づいてあげられなくて、ごめんね。わたし、ばかだなぁ」

 蓉子さんが涙ぐんだ目元をぬぐう。
 それから、はっきりと告げた。

「恵太くんは、王子様じゃないよね」
「蓉子……」
「いいの。みんなに都合のいい王子様なんて御伽噺にしかいなかった。それは……私の望んだ幻だもの。……ずっと一緒にいたのに、あなたの痛みが見えなくなるくらい、まぶしかった。そんなの盲目すぎるよね。……だから、ごめんなさい。わたしも……それからあなたも、舞踏会にドレスを着ていく権利を奪われていいはずない」

 恵太さんを正面から見据え、蓉子さんがほほえみかける。

「それが本物のあなたなら、諦めなくていいよ」

 凍りつくように青ざめた青年の頬に、蓉子さんがそっと触れる。
 そのときの表情はこれまで彼女が見せた、どんな顔よりも穏やかに見えた。

「だから、ごめんね。……わたし、もう隣には座れない。けっこうがさつだし。無神経だし。たぶん、そばにいたら、これから芽吹くあなたの蕾を潰すでしょ?」
「そんなことは……」
「ないって言える恵太くんは優しすぎ。お姫様でいられる時間、私はもう充分もらったから……。ねえ、ほら、魔法は解いて」

 片手をハンドバッグから現れたのは、花柄の日傘だ。
 淡い桃色の上品な傘には、小さな蕾と花開いた桜がしなやかに舞う。

「恵太くん。……これはあなたの花」



 それから――。

 僕らは三人で九遠堂を立ち去る恵太さんを見送った。「もう駅まで送らなくてもいいよ」と言うのが蓉子さんからの提案だった。手を振ってから青年の背が遠くなるまで、彼女はずっと道路の先を見ていた。

 どことなく、声をかけづらい空気が残る。どんな同情もきっとふさわしくない。

 黙然と見守っていたら、蓉子さんが急にその場に立ちすんだ。そして目を閉じて、顔を覆う。

「……好きだったんです。こんなに本気で好きになれたの、恵太くんだけだった。なのに、あの人が自分にかけてた魔法を愛してただけだった。……自分勝手でいやな女」

 僕が店頭でしどろもどろしているうちに、ぐっと力をこめて、彼女は立ち上がった。

「けど…………それもわたしだってことは知ってるの」
 それから蓉子さんは、最後に打ち明け話をしてくれた。

 じつは恵太さんにプレゼントする前に、こっそり雲外鏡を覗き込んでいたらしい。そこに映っていたのは、無邪気にドレスを着て笑う少女だった。
 鏡像は、学生だった頃の蓉子さんと変わらないあどけない瞳で、ここにいる彼女を見つめ返したのだそうだ。


「だからこそ、少しずつでも変わっていかなきゃね。気づかせてくれてありがとう」

 思いがけないお礼を告げて――客人は九遠堂を去っていった。

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