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第一章「袖振り合う世の縁結び」
15.僕と店主と、奇妙な縁
しおりを挟む「どう思いましたか。あの二人のこと」
あのあと、蓉子さんは「ご迷惑をおかけしました」と丁重に詫びてから、鏡の返品を申し出た。
「お代はどうかそのままで」とのことだったが、椎堂さんは意外にもあっさり五十万円を返金した。九遠堂を去ったふたりが、この店に再び来店する日は訪れるのだろうか。
「個人の趣味嗜好が千差万別であることに対して、俺はさして興味がない」
「どうでもいいってことですか。なら、どうして蓉子さんから恵太さんに鏡を贈るようにとそそのかしたんですか」
雲外鏡には本性が映し出される、と椎堂さんは言った。
鏡に映った恵太さんの姿は、僕には男性のようにも女性のようにも見えていた。美しく力強く、脆く不安定な人。きっと、あの揺らぎこそが、恵太さんをあらわしていたのだ。
それを見て、はっきりと恋人関係を打ち切ったのは蓉子さんだった。
蓉子さんは、自分が何を好み、どう生きていきたいのかをよく理解していた。良くも悪くも目的がはっきりしている人なのだろう。
両者を比較したときに、己の本性のままに自由に生きていたのは、蓉子さんのほうだ。けれども、誰も彼もがそう強く生きられるはずはない。
「これで懲りただろう。この店に訪れる者は皆、彼女のように叶わぬ願いに妄執を抱いている。言うなれば俺は、他人の人生を食いものに生きる亡者だ」
椎堂さんは、暗に自分が悪趣味な人間であると認めて言った。
おそらく、この人も、己の本性をよく知る人なのだ。
対して僕は未熟だ。
九遠堂に関わってから、突拍子のない行動ばかりとっているのだ。枠の内側で、でしゃばらず、これからも普通に安住する。そう思っていたけれど――。
本当の自分なんてものは探せば探すほどにわからなくなる。
もしも僕があの鏡を覗き込んだのなら、どんなふうに映るのだろう。
「そうですね。椎堂さんが人でなしだということは、よくわかりました。けど、アルバイトは続けますよ。六百万円、きちんと完遂するまで」
己の真実を見つけて、それが社会や誰かに受け入れられるとはかぎらない。
それでもひとつだけ、僕自身について断言できるとすれば。
――業腹ながら、目の前に現れた特異な存在に心惹かれつつあるようだ。このひとは一体、何者なのか。目線の先にどんな景色が広がっているのか。叶うならば、見てみたい。そう強く思った。
すると、背後から拍手が聞こえた。
振り返ると戸口に誰かが立っている。見覚えのある顔の御仁だ。目があうと、優しくほほえみかけられる。
「こんにちは。偏屈店主のごきげんうかがいに来たついでに、アルバイトくんの様子を見にきたよーっと」
のんびりとした語り口。作務衣に身を包んだ小柄な男性からは、どこか年齢不詳の印象を受ける。
そういえば、最初に顔をあわせたときも飄々としてつかみどころのない人だと感じていた。夏祭りの夜に、九遠堂に訪れる前のことだ。
「あなたは、みたらしの売りのおじ……お兄さん!」
「みたらし……?」
椎堂さんが不思議そうに首をひねる。
不要かもしれないが念のため、説明しておく。
「僕にこの店と椎堂さんのことを教えてくれたの、この人なんです。祭りの夜に屋台を引いていたところで偶然、お会いしまして。お二人は知り合いなんでしょう?」
「いや、こいつは……」
椎堂さんにしてはめずらしく歯切れが悪い。
どうしたものかと思案する間を奪うようにして、みたらし売りの男がぬるりと距離をつめてくる。
「久しぶり、椎堂。すっかり懐かれたみたいだね。君のそんな不愉快そうな顔が見れたのは僥倖だったな」
「帰れ」
椎堂さんがこれまでになく強い語調でぴしゃりと言い放つ。
九遠堂の店内にぴりぴりとした緊張感が漂う。突如として現れたお兄さんは、椎堂さんにはお構いなしに気安く話しかけてくる。今度は僕に向かって。
「やあ、君。椎堂は薄汚い金の亡者でろくでもない男な上に、とにかくあくどい奴だけれども、アルバイトは続けるんだろう? そうこなくっちゃだよね。がんばっておくれよ。おや、おやおや? もしや気に入らないかい? 社の前で君は願ってくれたじゃないか。良いご縁に恵まれますようにって」
鼻を寄せてまくしたてられて、思わず息をのむ。
社の前? 良いご縁?
よみがえるのは、またも夏祭りの夜の記憶だ。けれどもそれは、口にはしていない。ひっそりと胸の奥でつぶやいただけだ。
――あわよくば、この世界にとって良き縁に恵まれますように。
さりげない良縁祈願のつもりだった。
頭の中をかけ巡った嫌な想像を振りはらいたくて、みたらし売りの男に尋ねておく。
「あの、ひょっとしてお兄さん。……心の声とか聞こえたりします?」
「人と人との縁を結ぶ。そのくらいのことならばお安い御用さ」
つまり、このヒトは……。いや、ヒトではないのだろうか?
答えを求めて椎堂さんを仰ぐ。
「まさか知らなかったのか。物の怪も悪魔もいれば八百万の神々もいる。昨今のこの国はそういう風土だ」
店主が鼻で笑うようにしながら禍々しいことを教えてくれる。この人がそういうのであれば、まちがいない。
僕の目前に居るのは、単なる愉快なみたらし売りのおじさんではなく――。
「私のことは大主とでも呼んでくれ。これでもこの近辺ではそれなりに力を持った土地神だからね、あのときのお団子にはちょっとした神通力を込めさせてもらったよ。なあに、ちと人払いの呪いをスキップする程度のものさ」
チッと舌打ちをする音を聞いた。
大主さんを前にした椎堂さんは、この上なく機嫌が悪い。
「やはりおまえの差し金か」
「合縁奇縁。そして人生とはかくもままならない。君たち二人ともこういう刺激があるほうがいいだろう?」
大主さんはお茶目にえくぼを窪ませて、得意げにウィンクをしてみせた。
――運命はかくのごとく扉を叩いた。
などと、大袈裟な例句を引用しはしない。
こうして僕は九遠堂という境界に身をおくことになった。
僕らのあいだになかば強制的に結ばれた因縁は、果たして「多生の縁」とやらに起因しているのか。
とりあえず「多少の縁」では終わらないよう、僕はせめて精一杯、椎堂さんの長い袖をそっとつかんでおくつもりである。
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