私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜

日室千種・ちぐ

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冷たく重い鎖

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 少し離れたところに立つ警護の男達が剣に手をかけて警戒する。
 それが見えていないかのように、令嬢は中腰のままジョゼットを手招いた。

「はあ……」
「ちょっと、こっちにいらして。話があるの」

 そう言われて、ホイホイ近づく者がいると思っているのかと、ジョゼットは心底不思議に思った。
 断ると、ギリ、と音がしそうなほどこちらを睨んでから、令嬢だけが近寄ってきた。腰を屈めたまま、ずるずるとドレスの裾を引きずっている。警護が制止する限界の距離をうまく見定めて足を止め、奇妙なしなをつくった。

「貴方が、ジョゼット何某さんよね? わたくし、ランドリック様とお付き合いをさせて頂いていたのよ。貴女が現れるまではね?」

 その令嬢は、男爵家のボーニーだと名乗った。

「家の名前を出すと叱られるから、言わないわ。あなたも調べないでね。ほんと、手間がかかるったら! 噂を聞いてすぐ調べ始めたのに、なかなか会えないのだもの! でも私って運がいいわね。最高のネタが同時に手に入ったわ。ねえ、先ほどのご家族のやりとり、きっちり、この記者が記録しましたから。世の中に出して欲しくなければ、さっさとランドリック様との婚約を辞退してちょうだい」

 ジョゼットは圧倒されて、絶句しかできない。

「いい? 七日待ってあげる。七日待ってもまだ婚約してたら、都のあちこちでゴシップ記事を印刷して売るから」

 言いたいだけ言って去り際に、ポトリと、後ろ手に何かを落とした。明らかにわざとだ。煌めきのある小さなものだからアクセサリーだろうか。
 そうやって何かを残して去るのは、次にその場所に立ち入る口実に使うためだと聞いたことがある。まさか仮にも令嬢が、と思ったが、余計なものを置いておかれても困る。

「ボーニーさん」

 無視されたが、もともとゆっくりだった歩みがさらに遅くなったので、聞こえてはいるのだろう。

「ボーニーさん」

 仕方なく警護に合図をして止めさせる。
 警戒しつつも、警護の兵が肩にそっと触れて呼び止めた時。

「きゃあー」

 棒読みの悲鳴と共に、ボーニーはもんどり打って転がった。

「い、いたーい。ひどいわ、ジョゼットさん」

 ジョゼットは、指一本触れていない。
 眉を顰めて見ていたが、痛い痛いと茶番は一向に終わりそうにない。付き添いの男が駆けつけてボーニーを助け起こし、これも棒読みで、誰にやられたのかとわざとらしく聞いている。

「見たでしょう? ジョゼットさんに指示をされた男に突き倒されたのよ! これは決定的ね。あなたなんか、ランドリック様にも、侯爵家にも相応しくないんだから」

 七日以内よ、と捨て台詞を吐いて、二人はそそくさと門を走り出ていった。
 本館から、侯爵が先頭を切って駆けつけたのはその直後だ。ボーニーはそれを見つけて、撤退したのだろう。
 二人の背を鋭く見やる侯爵に向けて、なるべくゆっくりと頷いて、ジョゼットは問題ないことを示した。
 ジョゼットが危害を加えられていないから、周囲の騎士たちもじっと警戒の姿勢でいるだけだ。何も、問題はない。警備は確かだった。
 ただ、兄や、父、そしてボーニーに投げつけられた言葉を思い出せば、心が少し重たくなる。
 ジョゼットは胸に手を当てて俯いた。





 

 母が部屋を訪れたのは、夕食も済んで使用人も減った夜のことだ。
 ジョゼットはこれを予測していて、何も言わずに迎え入れて茶を振る舞った。
 父は突き倒されて転んだ時に頭を軽く打ったものの、怪我はなかった。夕食も食べたと聞いている。しきりに屋敷を出ていくと言い張っていたが、侯爵自らが部屋に出向いて逗留を勧めることで、渋々大人しくなったらしい。
 父はジョゼットを呼びつけようとしていたらしいが、ジョゼットはあの直後に見舞いに寄った以外、予定が立て込んでいることを理由に近寄っていない。実際、今のジョゼットの予定は分刻みだ。
 父は、ジョゼットの予定に理解など示さないだろう。きっと憤慨しているし、それを宥める母の苦労を思うと申し訳なくも思ったが。
 だがそれも、侯爵夫妻も同席しての夕食の誘いを断られたと執事から聞くまでのことだった。
 ここは、ゼンゲン侯爵家だ。父の支配する実家の子爵家ではない。
 夕食に出席していればジョゼットとも話す機会はあったのに、そこに合わせて来ないなら、ジョゼットが無理を押して父の都合に合わせる必要はない、そう思った。

 ただ、だからこそきっと、夜には母が訪ねてくると思っていた。

「ごめんなさいね、ジョゼット」

 そして、予想した通りの言葉。
 母はしきりに廊下の方を気にしながら、四年前までと同じように言った。

「ごめんなさいね。でも、ジョゼットのいいようにしていいから」

 勧めた三人掛けの長椅子の端に小さく座り、父とは逆に丸みの目立つようになった肩を、大きなため息とともに力なく下げる。
 その姿に、ジョゼットは結局、父と兄をなじる言葉を飲み込んだ。

「……兄さんが、母さんが病気だって言ってた。大丈夫なの?」

 母の顔が陰ると、途端にジョゼットの心が騒いだ。
 隠すつもりだったのだろうか。もっと早く尋ねて、父と一緒に医師に診てもらうべきだったのではないか。
 だが。

「ソムズがそんなことを言ったの? 私は病気なんて何もしていないわよ」
「そうなの? ……そう」

 それはそれで、愉快ではない話だ。
 母がふぅ、とまた息をついた。
 そうだ、実家では、ため息にため息が重なるのが日常だった。四年で忘れていたことを、思い出した。



 万事父が最優先な母だったが、父の過度な怒りからは庇おうとしてくれたし、父のいないところでは、子供と一緒に笑ってくれる母でもあった。
 父の前ではいつも身構えていたジョゼットも、母と二人の時は年相応のわがままも言った。
 父は苦手だが、母は好きだ。

「もう、ソムズのことはいいのよ。私達のことはほっといていいから」

 ただ、その、頑ななまでに父には働きかけないところと、こびりついたような諦めには、もどかしさと悲しさを覚えてきた。今はそれが、息子にも及んでいるということか。
 万事父と息子を優先して、変えることも変わることも望まず。
 母の心はいつも、ため息となって空気に溶けるだけ。

「ジョゼット、自由でいなさい。あなたは、ただ幸せになることを考えて」

 決してあの父の在り方を良いと思ってるわけではないはずだ。
 今も、自由に幸せになっていいんだよと、ジョゼットの背中を押す。
 けれどそれは、母は父や兄の側に残り、ジョゼットだけを切り離しているのと同じ。
 母と自分との間にはいつも、はっきりと深い溝が刻まれる。

 話が終わるや、そわそわとしながら母は部屋へ戻った。
 ジョゼットには、久しぶりに母に抱き締められたぬくもりと、こっそり持ってきたと渡された、母お手製の酸っぱいジャムが残された。
 実家には、振り回されたりはしない。
 さっきまでジョゼットは、迷いなくそう思っていた。
 けれど、ジョゼットが実家を切り捨てれば、母のことも捨てることになってしまうだろう。

『いいのよ』

 娘のためだろう母の言葉が、冷たく重い鎖のように、ジョゼットに絡みついた。


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