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第1章
第3話 企画会議にて。
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朝倉が編集部に来て、三日が経った。
私は徹底的に距離を取っている。
会話は業務上の話題だけ。それ以外は、極力関わらないようにしている。
昼休みは外に出るか、給湯室で時間を潰す。屋上には行かなくなった。朝倉がいるかもしれないから。
退勤時間も、わざとずらしている。朝倉より早く帰るか、残業して遅く帰るか。エレベーターで二人きりになるのだけは、絶対に避けたかった。
我ながら、子供じみているとは思う。
二十九歳にもなって、元恋人を避けて逃げ回っている。
でも、そうするしかなかった。
「結城さん。この企画書、確認お願いします」
朝倉が私のデスクにやってくる。
教育係だから仕方がないのだ。仕事の質問には答えなければならない。
「……どこ?」
「三ページ目のコスト試算のところ。これで妥当かどうか」
企画書を受け取り、ざっと目を通す。
外部ライターへの発注費、撮影費、デザイン費。新人にしては、よくまとまっている。営業企画にいただけあって数字の感覚は悪くない。
「概ね問題ないけど、撮影費の見積りがちょっと甘いかな。このロケ地だともう少しかかるかもしれないわ」
「具体的にはどのくらいですか?」
「二割増しくらいで見積もっておいた方がいいと思う。あと、予備費が入ってないかな」
朝倉がメモを取る。真剣な横顔。
視界に入れないようにしていたのに、つい見てしまった。
「わかりました。修正して、また持ってきます」
「……うん」
それだけのやり取り。
朝倉が自分の席に戻っていく。私は、止めていた息をそっと吐いた。
大丈夫。仕事だけなら、まだやっていける。
私情を挟まなければ問題ない。
◇
昼休み。給湯室でお茶を淹れていると、後輩の宮本がやってきた。
宮本美月、二十五歳。入社三年目で、私の一番の相談相手だ。仕事では私が先輩だけど、プライベートでは友人に近い関係になっている。
「真帆さん、最近お昼一緒に行かないですね」
宮本がマグカップを手に、隣に立つ。
「……ちょっと、立て込んでてね」
「嘘。サボってますよね、お昼」
鋭い。この子は昔から勘がいい。
「サボってないよ。食べてるし」
「コンビニのおにぎりとか、カロリーメイトとかでしょ」
図星だ。ここ三日間、まともなランチを取っていない。朝倉と同じ空間で食事をする気になれなくて、逃げるように外に出て適当に済ませている。
「……痩せたいの」
「真帆さん、これ以上痩せたら折れますよ」
宮本がじっと私の顔を見る。
何かを探るような目。
「あの新しく来た人……朝倉さん、でしたっけ。真帆さん、なんか避けてません?」
心臓が跳ねる。
「……避けてないよ?」
「教育係なのに、必要最低限しか話してないじゃないですか。普段の真帆さんなら、もっと丁寧に教えるのに」
確かに、私は後輩の面倒見がいい方だ。新人が入ってきたら仕事のことだけじゃなく、編集部の人間関係や、ランチの美味しい店まで教えるタイプではある。
でも、朝倉には。朝倉にだけは、それができない。
「……別に、特別な理由があるわけじゃないよ」
特別な理由。避けたい理由。いや、避けなければならない理由がある。
朝倉のペースに巻き込まれないようにしないと。
宮本は何も言わなかった。ただ、「ふーん」とだけ言って、お茶を啜った。
その視線が、妙に重く感じた。
◇
午後、企画会議があった。
編集長の藤堂さんを中心に、次号の特集内容を詰める。私は美容ページの担当なので、スキンケア特集の企画案を出す予定だった。
「じゃあ、結城さんから」
藤堂さんに促され、企画書を配る。
「夏に向けたスキンケア特集です。今年はミニマルケアがトレンドなので、『引き算のスキンケア』をテーマに……」
説明を始めた、その時だった。
「それ、ちょっと弱くないですか」
声の主は、朝倉だった。
会議室が静まる。新人が、いきなり先輩の企画にケチをつけた。そんな空気が流れた。
「……どういう意味?」
「ミニマルケアは確かにトレンドですけど、もう半年以上前から言われてることですよね。今さら感がある」
カチンときた。
編集未経験のくせに、何を言っているんだ。
「トレンドを押さえるのは基本でしょ。読者が求めているものを提供するのが、雑誌の役割なんだから」
「でも、読者が求めているものって、本当にそれですか?」
朝倉が真っ直ぐに私を見る。
反論されることに慣れていない私は、一瞬言葉に詰まった。
「ミニマルケアって、要は『手を抜いてもいい』っていうメッセージですよね。でも、本当にそれを求めてる人って、どれくらいいるんでしょう。忙しくてケアできない自分を正当化したいだけじゃないですか」
会議室が静まり返る。
藤堂さんが、興味深そうに朝倉を見ていた。
「朝倉くん、対案は?」
「逆張りです。『手をかける贅沢』をテーマにしたらどうでしょうか。忙しい毎日だからこそ、夜の十五分は自分のために使う。そういうメッセージの方が、刺さる層がいると思います」
悔しいけれど、筋は通っていた。
ミニマルケアの逆を行く。その発想自体は悪くない。営業企画にいたからこそ、読者心理を違う角度から見られるのかもしれない。
「面白いね」
藤堂さんが頷く。
「結城さん、どう思う?」
「……一理あると思います」
それが、精一杯の答えだった。
朝倉と目が合う。彼は何も言わず、軽く頷いただけだった。
勝ち負けじゃない。仕事なんだから、いい意見は取り入れるべきだ。
頭ではわかっている。わかっているから、なおさら癇に障る。
五年前も、そう。朝倉の言葉は、いつも私の痛いところを突いてくる。
私は徹底的に距離を取っている。
会話は業務上の話題だけ。それ以外は、極力関わらないようにしている。
昼休みは外に出るか、給湯室で時間を潰す。屋上には行かなくなった。朝倉がいるかもしれないから。
退勤時間も、わざとずらしている。朝倉より早く帰るか、残業して遅く帰るか。エレベーターで二人きりになるのだけは、絶対に避けたかった。
我ながら、子供じみているとは思う。
二十九歳にもなって、元恋人を避けて逃げ回っている。
でも、そうするしかなかった。
「結城さん。この企画書、確認お願いします」
朝倉が私のデスクにやってくる。
教育係だから仕方がないのだ。仕事の質問には答えなければならない。
「……どこ?」
「三ページ目のコスト試算のところ。これで妥当かどうか」
企画書を受け取り、ざっと目を通す。
外部ライターへの発注費、撮影費、デザイン費。新人にしては、よくまとまっている。営業企画にいただけあって数字の感覚は悪くない。
「概ね問題ないけど、撮影費の見積りがちょっと甘いかな。このロケ地だともう少しかかるかもしれないわ」
「具体的にはどのくらいですか?」
「二割増しくらいで見積もっておいた方がいいと思う。あと、予備費が入ってないかな」
朝倉がメモを取る。真剣な横顔。
視界に入れないようにしていたのに、つい見てしまった。
「わかりました。修正して、また持ってきます」
「……うん」
それだけのやり取り。
朝倉が自分の席に戻っていく。私は、止めていた息をそっと吐いた。
大丈夫。仕事だけなら、まだやっていける。
私情を挟まなければ問題ない。
◇
昼休み。給湯室でお茶を淹れていると、後輩の宮本がやってきた。
宮本美月、二十五歳。入社三年目で、私の一番の相談相手だ。仕事では私が先輩だけど、プライベートでは友人に近い関係になっている。
「真帆さん、最近お昼一緒に行かないですね」
宮本がマグカップを手に、隣に立つ。
「……ちょっと、立て込んでてね」
「嘘。サボってますよね、お昼」
鋭い。この子は昔から勘がいい。
「サボってないよ。食べてるし」
「コンビニのおにぎりとか、カロリーメイトとかでしょ」
図星だ。ここ三日間、まともなランチを取っていない。朝倉と同じ空間で食事をする気になれなくて、逃げるように外に出て適当に済ませている。
「……痩せたいの」
「真帆さん、これ以上痩せたら折れますよ」
宮本がじっと私の顔を見る。
何かを探るような目。
「あの新しく来た人……朝倉さん、でしたっけ。真帆さん、なんか避けてません?」
心臓が跳ねる。
「……避けてないよ?」
「教育係なのに、必要最低限しか話してないじゃないですか。普段の真帆さんなら、もっと丁寧に教えるのに」
確かに、私は後輩の面倒見がいい方だ。新人が入ってきたら仕事のことだけじゃなく、編集部の人間関係や、ランチの美味しい店まで教えるタイプではある。
でも、朝倉には。朝倉にだけは、それができない。
「……別に、特別な理由があるわけじゃないよ」
特別な理由。避けたい理由。いや、避けなければならない理由がある。
朝倉のペースに巻き込まれないようにしないと。
宮本は何も言わなかった。ただ、「ふーん」とだけ言って、お茶を啜った。
その視線が、妙に重く感じた。
◇
午後、企画会議があった。
編集長の藤堂さんを中心に、次号の特集内容を詰める。私は美容ページの担当なので、スキンケア特集の企画案を出す予定だった。
「じゃあ、結城さんから」
藤堂さんに促され、企画書を配る。
「夏に向けたスキンケア特集です。今年はミニマルケアがトレンドなので、『引き算のスキンケア』をテーマに……」
説明を始めた、その時だった。
「それ、ちょっと弱くないですか」
声の主は、朝倉だった。
会議室が静まる。新人が、いきなり先輩の企画にケチをつけた。そんな空気が流れた。
「……どういう意味?」
「ミニマルケアは確かにトレンドですけど、もう半年以上前から言われてることですよね。今さら感がある」
カチンときた。
編集未経験のくせに、何を言っているんだ。
「トレンドを押さえるのは基本でしょ。読者が求めているものを提供するのが、雑誌の役割なんだから」
「でも、読者が求めているものって、本当にそれですか?」
朝倉が真っ直ぐに私を見る。
反論されることに慣れていない私は、一瞬言葉に詰まった。
「ミニマルケアって、要は『手を抜いてもいい』っていうメッセージですよね。でも、本当にそれを求めてる人って、どれくらいいるんでしょう。忙しくてケアできない自分を正当化したいだけじゃないですか」
会議室が静まり返る。
藤堂さんが、興味深そうに朝倉を見ていた。
「朝倉くん、対案は?」
「逆張りです。『手をかける贅沢』をテーマにしたらどうでしょうか。忙しい毎日だからこそ、夜の十五分は自分のために使う。そういうメッセージの方が、刺さる層がいると思います」
悔しいけれど、筋は通っていた。
ミニマルケアの逆を行く。その発想自体は悪くない。営業企画にいたからこそ、読者心理を違う角度から見られるのかもしれない。
「面白いね」
藤堂さんが頷く。
「結城さん、どう思う?」
「……一理あると思います」
それが、精一杯の答えだった。
朝倉と目が合う。彼は何も言わず、軽く頷いただけだった。
勝ち負けじゃない。仕事なんだから、いい意見は取り入れるべきだ。
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