元恋人と、今日から同僚です

紗和木 りん

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第1章

第5話 広がり始めた噂

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 一週間が経った。
 朝倉が編集部に来てから、七日。私はまだ、彼を避け続けている。

 でも、限界が近いことは感じていた。
 教育係という立場上、最低限の会話はしなければならない。原稿のチェック方法、入稿のスケジュール、外部スタッフとのやり取り。教えることは山ほどあった。
 そのたびに朝倉と顔を合わせ、声を聞き、昔の記憶が蘇る。
 消耗する。じわじわと、確実に。

「結城さん、この写真のセレクト、見てもらえますか」

 朝倉が私のデスクに来る。もう何度目かわからない。
 手には、次号の特集用の写真データが入ったタブレット。

「……どれ」
「この三枚で迷ってます。誌面の雰囲気に合うのは、どれでしょう」

 画面を覗き込む。モデルのポートレート写真。光の当たり方が微妙に違う三枚。
 朝倉との距離が近い。近すぎる。
 肩が触れそうな位置に立たれて、心臓がうるさい。

「……二枚目」
「理由を聞いてもいいですか」
「光が柔らかい。この特集のトーンに合ってる」

 短く答えて、視線を逸らす。

「なるほど。ありがとうございます」

 朝倉が戻っていく。
 また息を止めていたことに気づいて、深く吸い込んだ。

 いつまで、こんなことを続けるんだろう。
 自分でも、わからなくなってきた。



 昼休み、宮本と一緒に近くのカフェに行った。
 ここ数日、宮本がしつこく誘ってくるので根負けしてしまった。

「真帆さん、ちゃんと食べてます?」
「食べてるよ」
「嘘。また痩せたでしょ」

 確かに、ベルトの穴が一つ変わった。ストレスで食欲が落ちているのは自覚している。

「……ダイエット成功ってことで」
「笑えないですよ、それ」

 宮本がパスタを巻きながら、ちらりと私を見る。

「あの、聞いていいですか」
「何を?」
「朝倉さんのこと」

 フォークを持つ手が、一瞬止まる。

「……何?」
「編集部で、ちょっと噂になってるんです」

 噂。
 その言葉に胃のあたりが重くなる。

「どんな」
「結城さんと朝倉さん、なんか変だよねって。仲悪いのかなって」

 仲が悪い。そう見られているのか。
 それも当然かもしれない。私が露骨に避けているんだから。

「別に、仲悪くはないよ」
「でも、他の人と接する時と全然違うじゃないですか。朝倉さんにだけ、すごく冷たい」

 図星だった。あまりに鋭い。
 自分でもわかっている。朝倉にだけ、私は過剰に距離を取っている。それが周囲から見て不自然なのは、当たり前だ。

「……気をつける」
「気をつけるって、そういう問題じゃなくて」

 宮本が少し身を乗り出す。

「何かあったんでしょ? 昔の知り合いって言ってましたけど、それだけじゃないですよね?」

 またもや鋭い。この子は……本当に鋭い。
 私は、サラダをつついていた手を止めた。

「……聞いて、どうするの」
「どうもしないです。ただ、真帆さんが辛そうだから」

 辛そう。
 そう見えているのか。隠しているつもりだったのに。

「……元彼」

 口に出した瞬間、喉と胸がぎゅっと締まった。

「元彼? 朝倉さんが?」

 宮本の目が大きくなる。

「五年前に別れたのよ。それっきり連絡も取ってなかったのに、いきなり同じ部署に異動してきて……」

 言葉にすると、状況のひどさが改めてわかる。
 運が悪いにもほどがある。いや、もうこれは運じゃなくて呪いなのかもしれない。

「……それは、きついですね」
「きついよ。毎日、胃が痛いんだから……」

 宮本が黙って、私の顔を見ていた。
 責めるでも、同情するでもない。ただ、聞いている。そんな目だった。

「別れた理由は?」
「価値観の違い、かな。将来のこととか、仕事のこととか。色々」

 曖昧な言い方になる。
 本当の理由は、自分でもよくわかっていない。わかりたくないのかもしれない。

「今は、どう思ってるんですか」
「どうって」
「朝倉さんのこと。まだ好きとか、嫌いとか」

 ストレートな質問に、言葉が詰まる。

「……わからない」

 正直に答えた。

「好きかどうかはわからない。ただ、顔を見ると落ち着かない。声を聞くと、心臓がうるさくなる。それが好きってことなのか、ただ動揺してるだけなのか」

 宮本が小さく頷く。

「それ、たぶん好きですよ」
「……根拠は?」
「嫌いな人に、そんな反応しないです」

 ズバっと言われてしまった。
 そうなのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。自分の感情なのに、まるで他人事みたいに掴めない。

「朝倉さんは、どうなんですか」
「何が」
「真帆さんのこと、どう思ってるんでしょう」

 屋上での会話を思い出す。「もう一度ちゃんと話したい」と言った朝倉の声。真剣な目。

「……わからない。向こうも何か思うところがあるみたいだけど」
「へえ」

 宮本が意味深に笑う。

「何よ、その顔」
「いえ。元彼が同じ職場って、少女漫画みたいだなって」
「笑い事じゃないんだけど」
「すみません。でも、ちょっと羨ましいかも」

 羨ましい。そんな感想が出てくるとは思わなかった。

「どこが」
「だって、運命じゃないですか。五年ぶりの再会。しかも同じ部署。これで何も起きなかったら、逆にすごいですよ」

 運命。その言葉を、私は信じていない。運命なんてものがあるなら、五年前に別れたりしなかった。

「……別に、何も起こさないよ。終わったことだから」
「そうですか?」

 宮本がじっと私を見る。

「終わったんなら、そんなに避ける必要あります?」

 ……返す言葉がなかった。
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