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第1章
第6話 週末まで、あと三日
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午後、編集部に戻ると、空気が少し変わっている気がした。
視線を感じる。ひそひそ話をしている人がいる。
気のせいだと思いたかった。でも、そうじゃないかもしれない。
席に着くと、隣のデスクの先輩——田村さんが話しかけてきた。
田村恵子、三十四歳。ファッションページ担当で、編集部の古株だ。噂好きで有名。
「結城さん、ちょっと聞いていい?」
嫌な予感がする。
「何ですか」
「朝倉くんと、昔から知り合いなの?」
心臓が跳ねる。
「……どうしてですか」
「なんか、二人の雰囲気が変だなって。他の人にはあんなに冷たくないのに、朝倉くんにだけ素っ気ないでしょ?」
やっぱり、バレている。
私の態度は、思った以上に不自然だったらしい。
「別に、冷たくしてるつもりはないですけど」
「そう? 朝倉くん、ちょっと可哀想かなって思ったんだけど」
可哀想。
その言葉に、少し後ろめたさを感じてしまった。
「……気をつけます」
「うん。教育係なんだから、もうちょっと優しくしてあげてね」
田村さんが自分のデスクに戻っていく。
私は、パソコンの画面を見つめながら、深く息を吐いた。
噂になっている。
私と朝倉の関係が、編集部内で話題になっている。
最悪だ。本当に、最悪だ。
◇
夕方、給湯室でコーヒーを淹れていると、足音が近づいてきた。
振り返らなくても、わかる。この足音。
「結城さん」
朝倉だった。
「……何?」
「さっき、田村さんと話してましたよね」
見ていたのか。
「聞こえてたわけじゃないけど、なんとなく察しました。俺たちのこと、噂になってるんでしょう」
否定する気にもなれなかった。
「……そうみたい」
「すみません。俺がもっとうまくやれれば——」
「あなたのせいじゃないでしょ」
自分でも驚くほど、きつい言い方になった。
「私が避けてるから、変に見えてるだけ。あなたは普通にしてる」
朝倉が黙る。
給湯室に、お湯が沸く音だけが響いている。
「……普通になんて、してないですよ」
朝倉が、静かに言った。
「俺だって動揺してる。毎日、真帆の顔を見るたびに色んなことを思い出す」
真帆。
また、名前で呼んだ。職場なのに。
「……やめて」
「何を?」
「名前で呼ぶの。ここ、職場だから」
朝倉が苦笑する。
「結城さん、ね。わかりました」
私は、コーヒーカップを手に取った。
逃げるように、給湯室を出ようとする。
「結城さん」
背中に、朝倉の声が届く。
「今週末、時間ある?」
足が止まる。
「……何?」
「話したいことがある。仕事じゃなくて、ちゃんと」
振り返らない。振り返ったら、断れなくなる気がした。
「……考えとく」
同じ答え。一週間前と、同じ答え。
私は早足で給湯室を出た。
◇
帰り道、電車の中でスマホを見る。
朝倉からのLINEは、あれから来ていない。
一週間前のメッセージが、既読のつかないまま残っている。
噂になっている。
そのことが、頭から離れなかった。
編集部は狭い世界だ。
噂はすぐに広がる。「元恋人同士」なんてことがバレたら、どうなるか。
腫れ物扱いされるかもしれない。変に気を遣われるかもしれない。
仕事がやりにくくなるかもしれない。
今のままじゃ、まずい。
かといって、どうすればいいのかもわからない。
朝倉と、ちゃんと話すべきなんだろうか。
五年前のことを、整理するべきなんだろうか。
電車の窓に映る自分の顔は、ひどく疲れて見えた。
今週末。
朝倉は、話したいと言った。
私は、また「考えとく」と逃げた。
いつまで、逃げ続けるんだろう。
いつか、向き合わなきゃいけない。わかっている。
わかっているんだけど……
五年前の別れが、まだ傷として残っている。
その傷に触れるのが怖い。
電車が駅に着く。
立ち上がって、ドアに向かう。
週末まで、あと三日。
それまでに答えを出さなきゃいけない。
でも、今の私には、その勇気がない。
視線を感じる。ひそひそ話をしている人がいる。
気のせいだと思いたかった。でも、そうじゃないかもしれない。
席に着くと、隣のデスクの先輩——田村さんが話しかけてきた。
田村恵子、三十四歳。ファッションページ担当で、編集部の古株だ。噂好きで有名。
「結城さん、ちょっと聞いていい?」
嫌な予感がする。
「何ですか」
「朝倉くんと、昔から知り合いなの?」
心臓が跳ねる。
「……どうしてですか」
「なんか、二人の雰囲気が変だなって。他の人にはあんなに冷たくないのに、朝倉くんにだけ素っ気ないでしょ?」
やっぱり、バレている。
私の態度は、思った以上に不自然だったらしい。
「別に、冷たくしてるつもりはないですけど」
「そう? 朝倉くん、ちょっと可哀想かなって思ったんだけど」
可哀想。
その言葉に、少し後ろめたさを感じてしまった。
「……気をつけます」
「うん。教育係なんだから、もうちょっと優しくしてあげてね」
田村さんが自分のデスクに戻っていく。
私は、パソコンの画面を見つめながら、深く息を吐いた。
噂になっている。
私と朝倉の関係が、編集部内で話題になっている。
最悪だ。本当に、最悪だ。
◇
夕方、給湯室でコーヒーを淹れていると、足音が近づいてきた。
振り返らなくても、わかる。この足音。
「結城さん」
朝倉だった。
「……何?」
「さっき、田村さんと話してましたよね」
見ていたのか。
「聞こえてたわけじゃないけど、なんとなく察しました。俺たちのこと、噂になってるんでしょう」
否定する気にもなれなかった。
「……そうみたい」
「すみません。俺がもっとうまくやれれば——」
「あなたのせいじゃないでしょ」
自分でも驚くほど、きつい言い方になった。
「私が避けてるから、変に見えてるだけ。あなたは普通にしてる」
朝倉が黙る。
給湯室に、お湯が沸く音だけが響いている。
「……普通になんて、してないですよ」
朝倉が、静かに言った。
「俺だって動揺してる。毎日、真帆の顔を見るたびに色んなことを思い出す」
真帆。
また、名前で呼んだ。職場なのに。
「……やめて」
「何を?」
「名前で呼ぶの。ここ、職場だから」
朝倉が苦笑する。
「結城さん、ね。わかりました」
私は、コーヒーカップを手に取った。
逃げるように、給湯室を出ようとする。
「結城さん」
背中に、朝倉の声が届く。
「今週末、時間ある?」
足が止まる。
「……何?」
「話したいことがある。仕事じゃなくて、ちゃんと」
振り返らない。振り返ったら、断れなくなる気がした。
「……考えとく」
同じ答え。一週間前と、同じ答え。
私は早足で給湯室を出た。
◇
帰り道、電車の中でスマホを見る。
朝倉からのLINEは、あれから来ていない。
一週間前のメッセージが、既読のつかないまま残っている。
噂になっている。
そのことが、頭から離れなかった。
編集部は狭い世界だ。
噂はすぐに広がる。「元恋人同士」なんてことがバレたら、どうなるか。
腫れ物扱いされるかもしれない。変に気を遣われるかもしれない。
仕事がやりにくくなるかもしれない。
今のままじゃ、まずい。
かといって、どうすればいいのかもわからない。
朝倉と、ちゃんと話すべきなんだろうか。
五年前のことを、整理するべきなんだろうか。
電車の窓に映る自分の顔は、ひどく疲れて見えた。
今週末。
朝倉は、話したいと言った。
私は、また「考えとく」と逃げた。
いつまで、逃げ続けるんだろう。
いつか、向き合わなきゃいけない。わかっている。
わかっているんだけど……
五年前の別れが、まだ傷として残っている。
その傷に触れるのが怖い。
電車が駅に着く。
立ち上がって、ドアに向かう。
週末まで、あと三日。
それまでに答えを出さなきゃいけない。
でも、今の私には、その勇気がない。
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