元恋人と、今日から同僚です

紗和木 りん

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第1章

第6話 週末まで、あと三日

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 午後、編集部に戻ると、空気が少し変わっている気がした。
 視線を感じる。ひそひそ話をしている人がいる。
 気のせいだと思いたかった。でも、そうじゃないかもしれない。

 席に着くと、隣のデスクの先輩——田村さんが話しかけてきた。
 田村恵子、三十四歳。ファッションページ担当で、編集部の古株だ。噂好きで有名。

「結城さん、ちょっと聞いていい?」

 嫌な予感がする。

「何ですか」
「朝倉くんと、昔から知り合いなの?」

 心臓が跳ねる。

「……どうしてですか」
「なんか、二人の雰囲気が変だなって。他の人にはあんなに冷たくないのに、朝倉くんにだけ素っ気ないでしょ?」

 やっぱり、バレている。
 私の態度は、思った以上に不自然だったらしい。

「別に、冷たくしてるつもりはないですけど」
「そう? 朝倉くん、ちょっと可哀想かなって思ったんだけど」

 可哀想。
 その言葉に、少し後ろめたさを感じてしまった。

「……気をつけます」
「うん。教育係なんだから、もうちょっと優しくしてあげてね」

 田村さんが自分のデスクに戻っていく。
 私は、パソコンの画面を見つめながら、深く息を吐いた。

 噂になっている。
 私と朝倉の関係が、編集部内で話題になっている。
 
 最悪だ。本当に、最悪だ。





 夕方、給湯室でコーヒーを淹れていると、足音が近づいてきた。
 振り返らなくても、わかる。この足音。

「結城さん」

 朝倉だった。

「……何?」
「さっき、田村さんと話してましたよね」

 見ていたのか。

「聞こえてたわけじゃないけど、なんとなく察しました。俺たちのこと、噂になってるんでしょう」

 否定する気にもなれなかった。

「……そうみたい」
「すみません。俺がもっとうまくやれれば——」
「あなたのせいじゃないでしょ」

 自分でも驚くほど、きつい言い方になった。

「私が避けてるから、変に見えてるだけ。あなたは普通にしてる」

 朝倉が黙る。
 給湯室に、お湯が沸く音だけが響いている。

「……普通になんて、してないですよ」

 朝倉が、静かに言った。

「俺だって動揺してる。毎日、真帆の顔を見るたびに色んなことを思い出す」

 真帆。
 また、名前で呼んだ。職場なのに。

「……やめて」
「何を?」
「名前で呼ぶの。ここ、職場だから」

 朝倉が苦笑する。

「結城さん、ね。わかりました」

 私は、コーヒーカップを手に取った。
 逃げるように、給湯室を出ようとする。

「結城さん」

 背中に、朝倉の声が届く。

「今週末、時間ある?」

 足が止まる。

「……何?」
「話したいことがある。仕事じゃなくて、ちゃんと」

 振り返らない。振り返ったら、断れなくなる気がした。

「……考えとく」

 同じ答え。一週間前と、同じ答え。
 私は早足で給湯室を出た。





 帰り道、電車の中でスマホを見る。
 朝倉からのLINEは、あれから来ていない。
 一週間前のメッセージが、既読のつかないまま残っている。

 噂になっている。
 そのことが、頭から離れなかった。

 編集部は狭い世界だ。
 噂はすぐに広がる。「元恋人同士」なんてことがバレたら、どうなるか。
 腫れ物扱いされるかもしれない。変に気を遣われるかもしれない。
 仕事がやりにくくなるかもしれない。

 今のままじゃ、まずい。
 かといって、どうすればいいのかもわからない。

 朝倉と、ちゃんと話すべきなんだろうか。
 五年前のことを、整理するべきなんだろうか。

 電車の窓に映る自分の顔は、ひどく疲れて見えた。

 今週末。
 朝倉は、話したいと言った。
 私は、また「考えとく」と逃げた。

 いつまで、逃げ続けるんだろう。
 いつか、向き合わなきゃいけない。わかっている。
 
 わかっているんだけど……

 五年前の別れが、まだ傷として残っている。
 その傷に触れるのが怖い。

 電車が駅に着く。
 立ち上がって、ドアに向かう。

 週末まで、あと三日。
 それまでに答えを出さなきゃいけない。

 でも、今の私には、その勇気がない。
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