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最終章 黒い羽と青のそら
どいつもこいつも 3
しおりを挟む「お帰りなさい、お祖父さま!」
愛しい孫娘が、腕に飛び込んでくる。
ぎゅっと抱きついてくる仕草に、彼は微笑んだ。
「ただいま、レティ」
見上げてくるレティシアの頭を、ゆるく撫でる。
なにやら口元が緩んでいることに気づいた。
彼は、ひょこんと、眉を上げてみせる。
「なにか楽しいことでもあったのかい?」
「本当は良くないことなんだけど……ちょっと面白かったっていうか」
レティシアの肩を抱き、小ホールのほうに向かって歩いた。
夕食前に、軽く、その「面白い」話を聞いておきたかったからだ。
レティシアも話したくて、うずうずしている。
それが顔に出ているところが、愛らしい。
「是非とも聞きたいね。なにがあったか、教えてくれるかい?」
小ホールに入り、2人で長ソファに座った。
グレイとサリーの姿がないことには気づいていたが、なにも聞かずにいる。
おそらく、それもこの話に関係しているのだろうと、予測できたからだ。
「今日ね、レイモンド・ウィリュアートン公爵が来たんだよ」
「レイモンドが?」
聞き返しはしても、それほど驚いてはいない。
女性魔術師に「言づて」をした時から、そうなる可能性は、考えていた。
早速に来たことは、多少、意外ではあったけれど、来訪自体は、意外でもなんでもない。
レイモンド・ウィリュアートンは、そういう男だ。
(誰も彼も、せっかちに過ぎる。結末が、それほど気になるのかね)
良い結末になるとは限らないのに、と皮肉っぽく彼らを反じる。
が、隣に座るレティシアの、きらきらした瞳を見て、心が凪いだ。
危険があることや、心配事もあるだろうに、彼女の心は明るさを保っている。
彼にとって大事なのは、レティシアだけだった。
「お祖父さまは、あの人のこと知ってる?」
「知っているというほどではないが、噂くらいはね。耳に入ってくるものさ」
彼が屋敷を離れている間、ジークがユージーンの近くにいる。
ウィリュアートンが訪ねてきたことは知っていたはずだ。
けれど、彼に連絡はなかった。
ウィリュアートン本人は、危険とは言えない人物だと、彼も思っている。
ジークも、そう判断したから連絡してこなかったのだろう。
実際、もし戦うことになったとしても、サリー1人で手に負える程度だ。
体裁ばかりを繕う、レイモンド・ウィリュアートンは、なにもかもが中途半端な男だった。
「ユージーンが押されてて、びっくりしたよ。だって、あのユージーンが、だよ。手を伸ばされただけで、飛んで逃げてたしさ」
その場面を思い出しているのか、レティシアが、くすくすと笑う。
それだけで、胸の奥が暖かくなった。
彼の口元にも、自然と笑みが浮かぶ。
「レイモンドの嗜好は、独特らしいね」
「有名な話なの?」
「そうでもないさ。知っている者は、知っている、といったところかな」
「金髪好きらしいね。ユージーン、キラッキラだもんなー」
レイモンドは、男女の別なく、金髪に翠眼を好んでいた。
飽き性でもあり、のべつ幕無し相手を取り換えている。
特殊な選り好みが、できる立場でもあった。
ユージーンは、格好の標的ではあるだろう。
「いやぁ、私は、好みから外れてて良かったよ。つくづく、そう思った」
「レイモンドは変わっているからねえ」
「そうなんだよ! あんなに人の話を聞かない人、初めて見た! ユージーンも、言葉が通じないこと多いけど、ああいう感じじゃないもんなぁ」
もしかするとレイモンドに、何か言われたのかもしれない。
さりとて、レティシアに気にした様子は見られなかった。
彼も思う。
仮に、レイモンドがレティシアを標的にしていたのなら、瞬殺していたかもしれない。
「彼は、自己愛が強過ぎるきらいがあるのだよ」
「自己愛かぁ。うん、そういう感じだったかも。ナルシストっぽかった」
そこが、ユージーンとは違うところだ。
ユージーンは尊大で傲慢ではあるが、自己愛精神には富んでいない。
むしろ、自己評価すらしない傾向がある。
自信家ではあっても、自信過剰ではないのだ。
きちんと裏打ちされたものがなければ、そもそも自信を持たない。
だから、わからないこと、できないことを、極端に嫌うのだろう。
自分には何が出来て、何ができないかを知っている。
『そうだ。俺は何も知らんのだ。それはわかっている』
サハシーの湖で、彼がユージーンを「不器用」だと皮肉った時のことだ。
ユージーンは、あっさり、そう答えている。
単に傲慢なだけなら、簡単には認めなかったに違いない。
口調や態度は横柄だが、ユージーンは体裁だけを重んじてはいなかった。
体裁を重んじつつ、それ以上に「実」を重んじる。
(サイラスが、“貴族”としても、まともに育てなかったのが良かったのだろう。結果論ではあるが)
貴族教育に染まり過ぎると、レイモンドのようになることは少なくない。
レスターしかり、ラペルの三男しかり。
貴族同士で群れる中、狭い世界の中だけで生きている。
そして、ユージーンには、その「狭い世界」すらなかったのだ。
サイラスと、たった2人の世界で生きていた。
「それでね……あの……お祖父さま、怒らないでね?」
「私が怒りそうなことなのかい?」
「うーん……私は笑いそうになったけど……お祖父さまは当事者だから、笑えないかも」
「いいよ、話してごらん。笑えなくても、怒りはしないさ」
レティシアが、少し頬を赤くする。
それで、彼はピンときた。
彼女は、その手の話をするのが苦手なのだ。
「えーと、ね……お祖父さまが、あの人に何かを教えたがってるって……」
「それだけかい?」
レティシアの初心な反応が可愛らしくて、ついからかってしまう。
だいたいは予想がついていたのだけれども。
「あ~……うん……なんかさー……お祖父さまが教えようとしてるのは……よ、よ、夜の……そ、そういうことなんじゃないか、とか……」
ぷっと、彼は思わず吹き出す。
最後のあたりは、ほとんど言葉にはなっておらず「ごにょごにょ」といったふうだったからだ。
「あ! お祖父さま、また! なんとなく、わかってたんでしょっ?」
「だいたいはね」
「も、もお! 隠し事したくないなって思ったから、苦手だけど話したのに~」
「ごめんよ、レティの愛らしいところが見たかったのさ」
額に軽く口づける。
くきゅ~というレティシア独特の呻き声が聞こえた。
可愛らしい彼女が見たかった、というのは本当だが、あまりからかい過ぎるのも良くない。
ご機嫌を損ねるつもりはなかった。
「ザックが金髪でなくて、本当に良かったね?」
レティシアは、何度か瞬きしたあと、笑い声をあげる。
笑いながら、うなずいていた。
「そうだね! あの人に粘着されたら、お父さま、職場放棄して逃げ出しちゃうよ!」
「私でも、逃げ出すさ」
「そーなの?」
「ユージーンを差し出して、その隙にね」
またレティシアが、声を上げて笑う。
彼女には笑顔が、とてもよく似合っていた。
こうして笑っていてほしい、と思う。
「さすがにユージーンが、かわいそうかも。めちゃくちゃ嫌がってたもん。好みって、人それぞれだし、どういう嗜好でもかまわないんだけどさ。相手が嫌がることをしないっていうのは、性別じゃないと思うんだよね」
言ってから、じいっと彼を見つめてきた。
少し首をかしげてみせると、今度は目を逸らせる。
「でもさー、心配だよ……」
「なにがだね?」
「お祖父さま、素敵だからさ。男の人にだって、好かれてもおかしくないし」
「そうなのかい? それなら、グレイに聞いてみようかな?」
いたずらっぽく笑う彼に、レティシアが目を真ん丸にした。
それから、笑いだす。
「ダメだよ、お祖父さま! それ、グレイ、息の根、止まっちゃう!」
「そうだねえ。サリーに恨まれるのは、私も困るから、やめておこうか」
レティシアの頭を軽く、ぽんぽんとした。
レティシアに微笑みかけながら、彼は思っている。
(どうやら、私の言づては、正しく伝わらなかったらしい)
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