続・上司に恋していいですか?

茜色

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陽子が言うには、澪が受けている嫌がらせは、妙な手紙だけではないらしい。
机に置いたはずの書類が紛失していたり、ロッカーに入れてあったはずの買い置きのストッキングが見当たらなかったり、椅子にお茶がこぼれていてスカートが濡れてしまったり・・・。
最初は自分のうっかりや気のせいだと思っていたらしいが、短期間にあまりにもいろいろなことが続くため、さすがにこれは手紙と一緒に誰かが意図的に仕掛けているのではと疑うようになったのだそうだ。

「今朝、澪からこの手紙を預かった後、私しばらく周りを観察してたんですよ。昼休憩も初めのうちトイレで時間つぶして、みんなが食事に出払った頃にフロアに戻ったんですよね。そしたらいましたよ、田丸さんが一人で。澪の机の近くでなんかコソコソしてるから、『どうしたんですか~?』って明るく声かけてやったわ。『別に』とか言って、そそくさと出て行ったけど、あれは絶対クロですね」
「・・・まるで探偵みたいだな。武田が澪を気にかけてくれて頼もしいよ。ありがとう」
半分感心し半分たじろぎながらも、昇吾は陽子に感謝した。

それにしても犯人が田丸雅美だとして、なぜそこまで昇吾と澪に執着するのか、男である昇吾にはどうも理解できない。
「田丸が俺に気持ちを打ち明けてきたのって、もう5、6年前だぞ。そんなにいつまでも、俺なんかにこだわるか・・・?」
「分かってないなぁ、成瀬さん。そういう変に鈍いとこが、女泣かせなんですよぉ」
陽子に人差し指を突き付けられ、昇吾はますますたじたじとなった。上司相手にまったく遠慮のない社員だ。
「ああいう、実らない片想いの相手をずーっと想い続けてこじらせる人って、結構いるんですよ?特に社内なんかだとね、そうそう出逢いもなくて毎日同じことの繰り返しだと、過去の片想いを引っ張りだしては再燃させたり、まだチャンスはあるんじゃないかと期待してみたりね。それくらいしか楽しみないんですって!」
「そうなのか・・・?なんでそんなめんどくさいこと・・・」
「かぁーーっ!これだからリア充は!成瀬さんと澪みたいに、ラブラブハッピーなバカップルには到底理解できないかもしれないですけどねっ」
なんだかさっきからひどい言われような気がするが、昇吾は複雑な気持ちに蓋をして、熱弁をふるう陽子の意見に耳を傾けた。

「田丸さんからすれば、長年の想いをこじらせて、今度こそ成瀬さんをモノにするって意気込んで異動してきたわけですよ、きっと。なのに仕事でペア組んでる澪と成瀬さんの仲の良さを見せつけられて、嫉妬にかられても不思議はないですって。実際、田丸さんてば時々、澪と成瀬さんがふたりで仕事の打ち合わせしてる様子をジトーッと怨念のこもった眼で見てますからね。あれは、ヤバいですよ」
「だったら俺に直接ぶつければいいのに、澪に当たるなんておかしいだろう。子供じゃあるまいし」
「女は女を恨むんです。私から愛しいあの人を奪い取った、憎い泥棒猫!みたいな?メンタル歪んでますけどね」
昇吾はムカムカと腹が立ってきた。好意を持ってくれるのはありがたいことかもしれないが、そんな屈折した気持ちをこじらせた挙句、澪に恨むような感情を向けるなんてもってのほかだ。

「まあ、田丸さんが犯人だっていう確実な証拠もないんで、断定はできないですけど・・・。でも成瀬さん、澪は自分ひとりで我慢して抱え込もうとしてるから、なんとかしてやってください。あの子、成瀬さんに迷惑がかかるからって、すごい気にしてるんです」
最後はしんみりとした様子で陽子に請われ、昇吾は何度も頷いた。
「分かったよ。ありがとう、武田。俺が何とかする。澪ともきちんと話すから、心配するな」
昇吾がきっぱりそう言うと、陽子はようやく安心したような笑顔を見せた。
陽子にご執心の山崎の顔がふと浮かんで、昇吾は少し微笑ましい気持ちになった。体育会系で打たれ強い山崎なら、陽子みたいに勝気なタイプはよく合っているのかもしれない。


その日は仕事を早めに切り上げ、澪を食事に誘ってみた。一瞬、澪は躊躇するような顔を見せた。
「嫌がらせの手紙のことなら武田から聞いてる。気にしなくていいから」
そう言い聞かせ、よく一緒に行く創作ダイニングの店に連れ出した。
ふたりきりの個室で美味しいものを食べながら話しているうちに、いつもの明るい澪が戻ってきたので昇吾はホッとした。くだらない中傷なんて無視して、自分のことだけ信じてついてきてくれればいい。そう言って、澪をどうにか安心させた。

「昇吾さん、ありがとう。黙っててごめんなさい。・・・こんなつまらないゴタゴタに巻き込みたくなかったの」
酔客や家路を急ぐ人々でごった返す駅までの道を歩きながら、澪はスッキリした顔で昇吾の顔を見上げて微笑んだ。
「でも、全部話して楽になっちゃった」
「俺を気遣ってくれるのは嬉しいけど、困った時に知らせてくれない方がよっぽど淋しいんだからな。これからは、遠慮しないでちゃんと言えよ」
そう言って昇吾は澪の手を握り、指を絡ませた。
「あ・・・誰か、社内の人がその辺にいるかも・・・」
会社の最寄り駅で人も多いので、確かに誰かに見られる可能性はある。けれども昇吾はそういうこと自体、もうどうでもいいと思い始めていた。
「見られたっていいさ。もう隠すのが面倒になってきた。悪いことしてるわけじゃないんだから、コソコソするのやめないか?」
「・・・昇吾さん、お酒飲むといつも考えが大雑把になるんだから」
澪が可笑しそうに昇吾の顔を仰ぎ見て、繋いだ手を強く握り返してきた。この角度で見上げてくる澪の表情に、昇吾はいつも欲望を刺激されてしまう。今すぐここでキスしたい衝動をなんとか抑え、華奢な手を引っ張ってタクシー乗り場へ向かった。


その週の金曜日は、隔週で行われる課のミーティングの日だった。
午前中いっぱい会議室を使い、それぞれの営業報告、受注傾向の分析、そして今後の方針について話し合うお決まりの集まりだ。
ガヤガヤと会議室に集まる部下の間を縫って席についた昇吾は、珍しく会議以外のことに心を奪われていた。昨日の夕方森山部長に内密に呼び出され、打診された思いがけない誘いに心が乱れていたのだ。
「昼間、M支店の山崎にも意見を聞いたんだ。あいつも、おまえが引き受けてくれるなら喜んでついていくって全面的に賛同してくれてる。上の連中もほぼ了承してるし、後はおまえの気持ち次第なんだ。どうだ、受けてくれないか?」
カバみたいな巨体を揺らしていつも豪快な部長が、珍しく声を潜め、真面目な顔で昇吾に持ちかけてきた重要な話。昇吾はあまりに予想外の展開に、しばらく言葉を失ってしまった。

・・・受けるべきだろうか。社会人として、男として、これほど大きな話は滅多にあるものではない。人生で二度とないチャンスかもしれない。でも本当に自分みたいな人間でいいのだろうか?それほどの実力と器が自分に備わっているのか?正直、怖い気持ちがあるのも事実だった。
引き受ければ、来月早々にも自分はこの課から去らねばならない・・・。澪は何と言うだろうか。喜んでくれるのか、それとも・・・。

「成瀬さん、始めないんですか?」
ペットボトルのお茶を皆に配り終えた澪が、ボーッと物思いにふけっていた昇吾に小声で囁いた。
いつも会議の席には、営業マンだけでなく、営業補佐や事務の女性も記録係として一人出席することになっている。ローテーションで、今日は澪が当番で成瀬の横に座っていた。
「ああ、悪い。寝不足でボケた。・・・さ、始めようか」
少し心配そうに伺っている澪の顔を見たら、もしも部長からのオファーを受けたら、こうして澪と一緒に仕事ができなくなるんだな、と淋しさが込み上げてきた。そうなったときは、強引にでも澪を自分の部屋に住まわせよう。二度と離れ離れにはなりたくない。
昇吾は書類を広げて部下の営業報告を聞きながら、そんなことをぼんやり考えていた。


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