孔雀とナイフとヒエラルキー

石嶋ユウ

文字の大きさ
21 / 33
友達

サイレン

しおりを挟む
 私たちは空を見上げた。そこには私たちには似合わないくらい綺麗な夕空が広がっていた。私は空を見つめたままで言葉を発した。一瞬だけ白い息が見えた。
「夜まではまだ少しだけ時間があるね」
「そうだね」
 彼女もまた空を見上げていた。だから、この時彼女がどんな顔をしていたのか私にはわからない。それでも楽しそうな声で彼女が嬉々とした気持ちになっていたのはわかっていた。

「見られるといいな」
「そうだね。どんなふうに見えるか私は楽しみ」
 これは私の心の底からの言葉だった。

「私も初めて見るからすごい楽しみ」
「いよいよだね」
「うん、これで旅が終わる」
「そうだね……」

 この時の私はやはり彼女のサイゴの旅という言葉がどうしても気になっていた。それが彼女にとってどれくらいの価値があるのか私には計りかねたからだ。

 空はどんどん暗くなっていった。そろそろ空に星が見えるか見えないかの頃になった。私たちは何も言わずに空を見上げ続けた。このままの時間が永遠に続けば良いのに。そうすれば旅も終わらない。だから、お願い神様。終わらないで。と私は思っていた。

「ねえ、見れるまでまだ時間があるから、しりとりでもしようよ」
 咲が唐突に提案してきた。
「急だね」
 私は笑った。お互いの白い息が見えていた。
「いいよ。じゃあ咲の方から」

「ハサミ」
「ミスド」
「ドクター」

「た、太鼓」
「小鉢」
「ち、ち……、チアリーダー」

「ダイヤモンド」
「ドラマ」
「マリオネット」

「トイ、トイプ……」

 その瞬間だった。どこか遠くの方からパトカーのサイレンの音が聴こえてきた。時間切れだった。
 私たちは三十秒くらい何も言えなくなった。それから、咲の方がポケットの方からナイフを取り出した。
「時間切れみたい……」
「そうだね……」
「まだ夕方だね」
「夜まであと少しだったのに……」

 この時、私は神様や世界の仕組みなどという存在に対して彼らはなんて残酷なんだと感じた。なんでこんなところで警察に見つかってしまうのだろうか。この世には残酷な運命があるということを痛感した。私たちにはこんな運命しか残っていないのか。悲しい結末しか残っていないのか。なんて悲しい世界なんだ。私は私たちの運命を悔やんだ。

 私は悔しかった。ここまで来て、まさか孔雀座を見れそうにないことが。彼女もまた悔しそうだった。
「私はこうなった代償を払わなくちゃいけないのかもしれないね」
 咲は苦しそうに空を見上げた。夜までにはほんの少し時間がありそうだった。それが悔しかった。

「ねえ、私は友美をさ……」
「言わなくていいよ。わかってる」
「ありがとう。でも、あなたを巻き込んでしまった……」

 彼女には後悔の気持ちがあったのだと思う。結果的に友美を殺してしまったこと。私を巻き込んでしまったこと。それが彼女の罪である。とても十六歳の少女には背負いきれない罪だったと思う。一方で私にも罪がある。それは、友美を止めることができなかったこと。彼女をここまで連れてきてしまったこと。

「ねえ、由香里。あなたは何にもしてない。だからあなたが罪を背負う必要はないよ。私が全部の代償を払わなくちゃいけないんだ」
「でも、ここまで来たら私にも罪はある。だから、私も何か代償を払わなくちゃ」
 咲は苦しそうだった。おそらく、頭の中でずっと悩んでいたのだ。私たちは何か代償を払わなくちゃいけない。それについて彼女はずっと悩んでいた。

 咲は何かを確かめるような目で私のことを見つめた。
「ねえ、改めて言うけど、私たちは友達だよ」
「当たり前だよ。私たちは友達」

「ありがとう」
 彼女は目を閉じて深呼吸をした。私も目を閉じた。決意しなくてはいけなかった。ここで全てを終わらせないと。私たちは知っていた。ここで自分達は終わりだと。だからこそ、最後の戦いが迫っていた。私たちの運命を賭した最後の戦いが。

 咲は目を開けた。それから折り畳み式ナイフの刃先を出した。
「じゃあ、私たちでこの事件を起こした代償を払おう」
 ナイフの刃先が私の方に向けられた。彼女なりに悩みに悩んだ末の決断だったと思う。私はそれに同意するしかなかった。私にも罪はある。だから、私はナイフを向けられなくちゃいけなかった。なぜなら、私は向けられるべき存在だから。

「ここから先は崖よ。端の方まで行きましょう」
 咲はナイフをこちらに向けて歩き始めた。
「わかった」
 私は崖の方を向いて歩き出した。

 耳に残るサイレンの音が遠くから聞こえてくる。私たちを追いかけている警察官たちがすぐそこまで来ているという合図だった。星空が見え始めた一月の夕暮れ。広大な海が目の前に広がり、少し荒れた潮風が流れてきて塩っぱい味が口の中に入ってくる。私は両手を上げて背中を気にしていた。背後には血に塗れたナイフが突きつけられている。ナイフを突きつけている咲の表情は複雑だった。
 
 私を連れ去ったことで逃げきれなかったことへの後悔と、もうすぐ楽になれるという安堵の思いが同時に込み上げているように私は感じる。彼女の顔は数時間前よりさらにやつれていた。一方で私も背中にナイフを突きつけられている恐怖と彼女の死の気配を察して複雑な顔をしていたのだと思う。私と咲は一歩ずつ前へと進む。暗がりから微かに見える彼女のナイフを握る手は汗ばみ震えていた。

「由香里、もうすぐお別れだね」
「お別れって、どういうこと?」
「飛び降りようと思うの。この先から」
「そんな……」

 悲しげだけど喜んでいるような調子で彼女はこう言った。彼女の言葉には普段から多くの含みがあった。この時もおそらくいくつかの意味があったと思うのだが、私はすぐに彼女の本意には気づけなかった。なぜならば、私たちは断崖絶壁の先の方へと歩んでいるからだ。私はこのまま彼女と飛び降りることになるのだろうか? 少なくとも私はそう感じた。

 死への恐怖が私の心に芽生えたが、同時に、ああ、私はこのまま彼女に突き落とされても仕方のない人間なのだとも考えた。だって、私は彼女の苦しみにずっと気づけなかったから。私たちは一歩、また一歩と崖の先へと歩んでいく。

「孔雀座は結局見れなかったな……」
 彼女は残念そうにしながらも呑気な声で一言呟いた。咲がどうしてここまできたのかを私は知っていたが、この言葉に私は何も言えずにいる。なんて言えばいいのかが咄嗟に判断できなかった。一歩、一歩と進むと次第に崖の先の全てを飲み込むような荒波が下の方から私たちを覗き込んできた。

 私はこのまま助かるのだろうか。それとも彼女と共に死ぬのだろうか。日が沈み、近くにある灯台の灯りだけが私たちを照らしている。日が沈んだことで彼女の顔が見えなくなっていく。その暗闇の中で彼女はすすり泣いていた。彼女の涙をすする音が聞こえてくるのだ。

 サイレンの音がさっきよりも近づいてきた。数分後にはこの辺りは警察官たちに囲まれているのだろう。咲は私と一緒に崖の下へと飛び降りようとするかもしれない。まもなく全てが終わろうとしている。太陽が沈んでいった海の遠くの水平線を眺めながら私は彼女との死を覚悟した。
 
 何台ものパトカーが遂に私たちの後ろまで到達し、取り囲んだ。私と彼女の周りは一瞬のうちに明るくなって、後ろに目を向けると彼女の覚悟決めた顔が見てとれた。パトカーの群れから大勢の警官が現れた。警官の一人が叫ぶ。
「警察です! こっちに来て話を聞いてください!」

 咲はそれを聞くと、私の首元を掴んでから体を警官たちの方に向けた。それから私の体を自分の方へ近づけてナイフを首元に突きつけて、警官たちに向かって叫んだ。
「動かないで! 動いたらこの子を殺す!」

 私たちの最後の戦いが始まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】知られてはいけない

ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。 他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。 登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。 勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。 一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか? 心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。 (第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)

神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー! 愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は? ―――――――― ※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

七竈 ~ふたたび、春~

菱沼あゆ
ホラー
 変遷していく呪いに終わりのときは来るのだろうか――?  突然、英嗣の母親に、蔵を整理するから来いと呼び出されたり、相変わらず騒がしい毎日を送っていた七月だが。  ある日、若き市長の要請で、呪いの七竃が切り倒されることになる。  七竃が消えれば、呪いは消えるのか?  何故、急に七竃が切られることになったのか。  市長の意図を探ろうとする七月たちだが――。  学園ホラー&ミステリー

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...