黒い聖域

久遠

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修羅の道 第五章・結縁(7)

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 門脇孝明宅を辞去した洋介は、帰宅の道すがらある人物に電話を掛けた。
 話を済ませた直後だった。
 背後からの駈けるような足音に、洋介が振り返ると、手にナイフを光らせた釣り人風の男が突進して来た。さらに、その右手やや後方から、もう一つの物体が重なって映り込んだ。
 坂根は洋介の電話の邪魔にならないようにと、少し前を歩いていた。昨夜、神栄会の峰松重一が不審な三人組を取り押さえたとの報を受けて、気を緩めるという隙もあった。
「社長!」
 只ならぬ気配に振り返った坂根が絶叫した。彼にとっては悪夢のような光景の再現だった。 
――やられた!
 洋介も目を瞑り、身を硬くした次の瞬間、
「ぐえっー」
 とまるでヒキガエルが押し潰されたような声がして、大きな物体が身体のすぐ脇を通り抜けた感覚が奔った。
 おもむろに目を開けると、足元から右手方向の五メートル先に二人の男が折り重なるように這い蹲っていた。
 何事が起こったか、と唖然と佇む洋介に、
「社長、大丈夫ですか」
 と聞き慣れた声が届いた。
 暴漢からナイフを取り上げ、ワイヤーのような細紐で手際よく両手を後手に縛った男が目深に被った野球帽を脱いだ。
「蒲生!」
 洋介は驚嘆とも安堵とも付かぬ声を上げた。
「蒲生君、どうして君が……」
 近づいて来た坂根も訝しげに訊いた。
「話は後で。こいつをどうしますか」
 元SPが冷静な声で指示を仰いだ。
「おお、そうやな」
 洋介は落ち着きを取り戻すように言うと、辺りを見回して村人が無いことを確認し、
「そこに俺の車がある。それに乗せて足立興業に連れて行く」
 と指図した。
 明け方まで及んだ盆踊りのお蔭で、いつもと違って人通りのなかったことが幸いした。

 足立万亀男は驚愕と同時に恐縮した。
「これは迂闊でした。私の失態です」
 と深く頭を下げた。
 通常、暴力団の抗争に於いて放たれる、いわゆる『ヒットマン』というのは三組編成が常道である。本宅と愛人宅、そして飲食やゴルフなど、生活実態に標準を合わせる機動部隊である。
 余談だが、いわゆる『鉄砲玉』とヒットマンとは違う。たしかに、ヒットマンの役目を鉄砲玉といわれる使い捨てのチンピラが担うこともあるが、その場合は人材の少ない弱小組織かあるいは陽動作戦、つまり本命のヒットマンの隠れ蓑としての役割でしかない。
 本来のヒットマンは、殺害専門のプロに委託するか――この場合は足が付かないように外国人が雇われることが多い――幹部候補生が選ばれる。つまり、組への貢献と服役という実績を積み上げさせ、箔を付けさせるのが目的である。
 森岡の場合は暴力団同士の抗争とは違うが、峰松重一に取り押さられた三人組が本隊だとしても、別働隊の懸念を抱く必要はあった。
「いや、私にも気の緩みが有りました。この蒲生が気を回してくれたお陰で助かりました」
 洋介は万亀男を庇うように言った。事実、彼には相手が神栄会との関係を掴んでいれば、迂闊には手を出せないだろうという油断があった。
「この方は?」
「私の護衛役の蒲生亮太といいます」
「後ろから、体当たりされたとか」
「高校、大学とラグビーをやっていました」
「なるほど」
 万亀男は得心したように肯いた。
「大学日本代表レベルだったようです」
「ほう、それはなかなかのものですな」
「ラグビーだけではなく、柔道、空手、合気道の有段者で、逮捕術でも全国表彰されたこともあるのです」
「逮捕術?」
 統万が驚いたように訊いた。
「彼は元SPです」
「ということは、元警察官ですか」
 統万の声には、足立興業のようなところに連れて来て大丈夫か、という響きがあった。
「統万、彼は全て承知のうえだ」
 と、洋介は統万の懸念を取り払った。その言葉に、
「では、この男も神栄会に渡しましょう」
 万亀男が躊躇いもなく言い切った。

「どういうことや」
 足立興業からの帰途、洋介が蒲生に訊いた。
「社長に休暇を頂いたので東京に帰ったのですが、叔父から『大馬鹿者』と一喝されましてね。すぐに後を追ったというわけです」
 と影警護に徹していたことを告げた。
 叔父から叱責を受けた蒲生は、その足で東京を発ち、夜を徹して東名、名阪、中国道、米子道を走破し、早朝浜浦に着いたのだという。
 お盆の間、盆踊りの櫓を設営するため、北岸に臨時特設されていた村の共同駐車場に車を止めたときである。元SPの勘が働いた。蒲生は釣りもそぞろに、しきりとある方角に視線を送る挙動不審な男を看とめたのである。
 そこで蒲生は、車から降りると灘屋へは向かわず、漁協の建屋に身を隠しながら張り込みを続けた。すると、しばらくして男が注視していた方角の家から森岡と坂根が出て来たのだという。
「叔父さんという方もなかなかの人物だが、蒲生君もさすがだな」
 坂根の言葉に、
「叔父も元警察官でして、警護の仕事をしていながら帰郷などという機会が一番危ないのがわからないのかと怒鳴られました」
 と、蒲生は苦笑いをした。
「何にしても、お前のお陰で助かった。いずれ、叔父さんにも礼を言わなあかんな」
 洋介の言葉に、
「礼など気になさならいで下さい」
 と遠慮した蒲生が、
「しかし、殺意はなかったようです」
 と含みのある言葉を吐いた。
「なぜですか」
「ナイフの切っ先は腹ではなく、太腿辺りに向いていました」
 坂根の問いに蒲生があっさりと答えた。さすがに警護のプロである。切迫した中でも、冷静沈着に暴漢を観察していた。
「警告ということか」
 そう言った洋介の脳裡には、
――瑞真寺……。
 と、伊能の受けた災禍が過ぎっていた。

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