報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう

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9 這い寄る亡霊

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 王宮に向かうと昨晩と同じ会場に、同じように綺羅びやかな人々が集まっていた。皆銘々に食事や会話を楽しんでいる。まだアルフォンスの――といっても側近が変装しているらしき彼の姿は無かったが、既に踊りを初めている者達もいた。
 昨晩、偽者の王が友好国の姫を気に入っている様子を見て、他の娘であれば踊っても良さそうだと、招待客が安心したらしい。ロザリーも数人の男性から踊りを申し込まれたが、のらりくらりと逃げ続けた。昨日、セオの足を踏みつけたのだ。誰とも踊るつもりはなかった。
 そのセオの姿は再び見えない。またしても仕事にかかりきりなのかもしれない。

 人目を逃れ、ロザリーは壁際に寄って行った。オフィーリアの記憶も蘇ることはなく、ぼんやりと会場の人々を見つめる。また庭に出てもいいが、アルフォンスに遭遇しかねない状況では、気が進まなかった。
 ロザリーはあくびを必死に噛み殺す。

(結局、本を読み漁って一睡もできなかったんだもの)

 心の中で誰にも聞かれない言い訳をした直後だった。

「王族が開いた舞踏会で、暇そうにあくびをしているとはいい度胸だな」

 皮肉めいた声が聞こえて驚き顔を向けると、あろうことがアルフォンスが立っていた。皆の注目を浴びながら。
 一瞬どきりとするが、すぐに思い直す。半眼で見つめながら答えた。

「知っているわ、あなたは陛下の側近なんでしょう? 騙されません。本物の彼は、薔薇の咲く庭にいるはずだもの」

「いいや、あいにく本物だ」

 まさか! と呆気に取られるロザリーに彼は苦笑しながらも、片手を上に向け、小さくお辞儀をした。礼儀正しい、紳士的な態度で。

「せっかくだ、踊らないか」

「――え?」

 返事を戸惑っていた時にはすでに、体は彼の腕の中にあった。慌てて身を引こうとしたが、ますます強く引き寄せられる。
 まずい――! ロザリーはますます焦る。

「わっわたし! 踊れません!」

 王の足を踏んだら、どんな罪に問われるのだろう。体が硬直する。しかし、自分でも驚くことがロザリーの身に起きた。
 意に反して足取りは軽く、知らないはずのダンスが体に馴染む。

「踊れないというのは謙遜のつもりだったのか?」

 ロザリーの踊りは完璧だった。アルフォンスに導かれるまま、彼に合わせて踊る。
 オフィーリアの記憶だ、とロザリーはすぐに気がついた。彼女の体に馴染んだ姫としての教養が、ロザリーを助けている。
 なんて楽しい――。心の底から、ロザリーはそう感じた。
 思いがけず訪れた幸福な時間に心が弾んで、昨日からの憂いも忘れてロザリーは目の前の男に無邪気に笑いかけた。

「すごいわ、踊れてる! ダンスってこんなに楽しいのね!」

 笑みを見たアルフォンスの目が僅かに開かれたように感じ、ロザリーは熱が引けたように冷静になった。

(わたしってば、馬鹿じゃないの! 相手は町にいる友達じゃないのよ! 王様なのに!)

 顔面蒼白のまま、ロザリーは謝罪を口にする。

「ご、ごめんなさい! わたしったらとんだご無礼を……」

「……ああ、いや構わない」
 
 アルフォンスはそう言っただけだ。無愛想だけど悪い人ではないんだと、ロザリーは胸を撫で下ろす。

(オフィーリアの知るこの人も、いつも温かくて優しかった。今ほど棘もなくって――。なのに彼女(わたし)は、この人を……)

 思考が暗くなりかけた時、アルフォンスが話題を変えた。

「昨晩は無事に帰れたようで良かった。御者から聞いたが、君は魔導書店の娘か。あの書店の書物を、私も数冊持っているが、品が揃えられている良い店だ」

 彼には驚かされてばかりだ。出自を調べるような真似をされたことに不快感はなく、誰とも知らない相手にも馬車を用意してくれた親切を思えば、到底責められはしない。驚いたのはむしろ、店の書物を所有していることだった。こそばゆくも、誇らしくもある。
 そういえば、彼もまた魔術の才に恵まれた人であったとロザリーは思い出す。

「陛下にそのように言っていただけるなんて、身に余る光栄です。亡くなった両親も、きっと喜びます」
 
「馬車の用意立てなど、誰にでもしているわけではない」
  
 聞こえた言葉に目を向けると、視線が交差した。その瞬間、ロザリーの胸は高鳴った。何を言われたのか、いくら鈍感なロザリーでさえ分かってしまった。
 アルフォンスはこう言ったのだ。ロザリーだから親切にしたのだと。

 この胸の高鳴りが、彼に気づかれなければいいと強く願った。幸福と同時に、恐怖を覚えるなんて。この心臓の鼓動は、心地が良くて、恐ろしい。

 会場中の視線が、ロザリーに向けられている。
 何故あの娘が王と踊っているんだ――羨望、嫉妬、憧れ、好奇――それらが入り混じる。だが今のロザリーに、周囲を気にしている余裕はなかった。代わりに感じていたのは、アルフォンスの痛いほどの体の熱だった。
 悲しみが、ロザリーの心を支配する。

(ずっとこうしていられたら、どんなに幸せだろう。彼に身を寄せて、彼だけを感じていられたら)
 
 ロザリーの知らない誰かが、心の中にいるようだった。美しい旋律に身を任せ、あらゆる悲しみを忘れて、光の中を、いつまでも彼と踊っていられたらいいのに。そんな欲望が芽生えて、ロザリーは戸惑っていた。

(どうしてこんな感情になるの?)

 自分の前世がオフィーリアだったとしても、こんな想いを抱くのはひどく身勝手な話だ。なぜならオフィーリアはアルフォンスを裏切っていたからだ。

(頭と心がぐちゃぐちゃになりそう――)

 再び見上げると、またしても彼と目が合った。懐かしくて、愛おしい瞳だ。十七年前に、この場所にやってきたよりも、遥か昔に記憶が遡る。
 遠い夏の日、太陽の日差しを受けながら少年がこちらに向かい手を振っている。少女は彼に白い薔薇の花束を差し出した。そんな知らない光景が浮かぶ。
 ふいに込み上げる想いがあり、気がつけば彼の名を呼んでいた。

「アルフォンス様……」

 彼の瞳がわずかに揺れ、熱い手がロザリーの頬に添えられた。ゆっくりと彼が近づいてくる。後少しで、唇が触れそうな距離だった。
 他人任せの怠慢な思考が浮かぶ。
 このまま身を任せてしまおうか――。
 だが寸前のところで我に返り、足を半歩引く。瞬間、アルフォンスの足を踏みつけた。

「ご、ごめんなさい!」

 急いで離れようとしたはずみでバランスを崩し、後方に倒れそうになる。だがそうはならなかったのは、アルフォンスの力強い腕がロザリーを支えたからだ。
 粗相に、ロザリーは自分の顔が熱を放つのを感じた。

(き、消えてしまいたい……!)

 視界を横にしながら、体勢を立て直そうとした時だ。目の端に、ここにいるはずのない人物の姿が見えた。
 年の頃は二十代前半で、アルフォンスに似た金色の髪に、アルフォンスに似た顔を持つ、けれど決してアルフォンスではない人。オフィーリアにいつも親切で、そうして許されない罪を犯した人。
 ロザリーは、顔を向け、彼の姿をはっきりと見た。

(嘘でしょう? どうしてここに)

 信じられない思いで彼の名を呼ぶ。

「ジルヴァ様?」

 アルフォンスの表情に、さっと緊張が走るのが見えた。

「なに……?」

 ロザリーの視線が向く方向に、アルフォンスも目を向ける。だが彼女と同じ光景を見ることは叶わなかった。ジルヴァの姿は、ロザリーにしか見えていなかったのだから。
 
 ――誰にも愛されない可哀想なオフィーリア。私があなたを救ってあげよう。

 ジルヴァの幻影は、ロザリーにそう囁いた。

 ――彼を殺すのはあなたにとっては実に簡単なことだよ。そうして二人で幸せになろうじゃないか。
 
 優しい声色で、その亡霊は語りかける。

「い、嫌――。嫌よ。わたしは……は」

 来ないで。どうかわたくしの中に入って来ないで。
 ロザリーは激しい眩暈に襲われた。

 ――俺が連れていきます。

 ――いや、いい。

 幻か現実か判断のつかぬ声が聞こえた刹那、ロザリーの呼吸は荒くなり、遂には意識を手放した。
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