20 / 20
最終話 あなたに薔薇の花束を
しおりを挟む
向かう先は決まっていた。
三日間、通い続けた場所であり、十七年前に住んでいた場所だ。
その時のようなドレスも着ていなければ、靴も宝飾品もなく、ロザリーは単なる質素なワンピースを着ているだけで、どう考えても宮殿には相応しくない。それでも白亜の城まで、足を止めることはできなかった。
門兵に用件を告げると、不審げに一瞥される。当然のことだ。誰が単なる町娘を、王に引き合わせるというのだろうか。
ロザリーは言ったのだ。「アルフォンス様にお会いしたい」と。
無理だろうと思った。自分が門兵だとしても、ロザリーを王に会わせるなどと馬鹿な真似はしない。取り次ぐことさえしないかもしれない。
けれどもロザリーに諦めるつもりはなかった。何日でもここで待つつもりだった。
せめて彼の無事をこの目で確かめるまでは――。
だからすんなりと王宮内に通されたことは、意外だった。半ば野宿を覚悟していたロザリーは拍子抜けする。
(こんなに警備が甘くていいの? もしわたしが暗殺者だったらどうするの?)
もちろんロザリーは暗殺者ではないし、アルフォンスがロザリーだと気がついて中に入れてくれたのだろうとは想像ができたため、いざ彼に会う前に緊張でどうにかなりそうな心臓を落ち着かせるための考え事に過ぎなかった。
「客人の案内はここまででよいとのことです。ここから先は、どうぞお一人で」
庭園の途中に差し掛かったところで兵士はそう言い、ロザリーを一人置いて去っていく。
昼間の庭園は、十七年前の記憶と寸分違わない。
(まるで昔に戻ったみたい)
そんなことを思いながら、ロザリーは、花の間を歩いていった。
どこへ行けばいいのかは、想像ができた。庭を抜け、最奥にある白薔薇庭園に、迷わずロザリーは向かった。
やはり彼は椅子に座っていて、視線はしかし、穴の方へは向いておらず、まっすぐこちらに向けられていた。ロザリーはちらりと穴の空いていた場所を見ようとしたが、新たに薔薇の木を植えたらしく、すでに地面は塞がれており、その正確な場所さえ分からなかった。
「アルフォンス様、あの――」
「なぜ来た?」
厳しい声だった。
彼からの言葉はいくつか想定していた。「やあ」「こんにちは」「久しぶり」「変わりないか?」――だがそれのどれでもなく、第一声が咎めるような言葉だったことに、ロザリーは思わず言い訳めいた口調になってしまう。
「わ、わたしだって、あの時はこれで終わりだって思っていたんです! おしまいにした方がいいって……! なのに、あなたが何度も花を贈ってくださるから!」
「君は何を言っているんだ?」
不審そうに眉を顰め、アルフォンスが立ち上がる。
――ああ、本当にわたしは何を言っているんだろう。
やっぱり、来なければ良かった。
ロザリーは顔を真っ赤にして下を向いて、小声で同じことを囁いた。
「だってアルフォンス様が、花を贈ってくださったんです」
「ああ、弔いのつもりで」
声の近さで分かってしまう。彼がすぐ近くにいるということを。
意を決して顔を上げると、やはり目の前に彼が立っていた。
「わたしはここにいるのに! 死んでなんていないのに! 花を贈るくらいなら、会いに来てくださればいいのに! それか、会いに来てくれって、たったひと言、そうお手紙をくだされば、そうしたらわたし、どこにいたってすぐ飛んで行くのに!」
身勝手な言葉が口から出てしまうのを、自分では制御できない。アルフォンスは当惑したように突っ立っている。
「わたしがどんな思いであの花の世話をしていると思っているんですか!? あなたを諦めた方が良いって、そんなこと分かりきっているのに、だけど、忘れることがどうしてもできませんでした!
だって、薔薇の花が一つ枯れる度に、あなたまで少しずつ遠くに行ってしまうみたいに思えて、とても怖いんです! あなたが寿命なんてくれるから……! わたしは死んだって良かったのに、あなたがいつ死ぬか分からないから、毎日毎日ヒヤヒヤするし、薔薇の花束が次に届かなかったらどうしようって、そんなことばかり考えるのが、もう嫌なんです」
「気にするなと言っただろう。あれは私の我儘だ」
アルフォンスの声は冷静に思えた。それがますますロザリーを焦らせる。
「だがすまなかったな。君が困っているのなら、もう花束は渡さない」
「違う!」
ロザリーは叫んだ。アルフォンスは何も分かっていなかった。
「わたしは、あなたが好きだから! あなたの側にいたいと思った! そう言っているんです!」
勢いに任せて、遂に言ってしまった。
誰かに聞かれたら不敬罪で殺されるだろうか。それとも頭のおかしな娘の盲言として大目に見られるだろうか。頭の片隅でそんなことまで考えたが、ロザリーは至って真剣だった。
「どうして花束だけで、他には何もないんですか? わたしのことを、もう好きじゃないの? アルフォンス様は、何を気にされているんです――身分の差ですか!?」
眉間に皺を寄せたまま、アルフォンスは異様なものを見るが如く、ロザリーを凝視していた。
「いや、そうではなく――」
「それでは年の差ですか!? ――だったらわたしはちっとも気にしません! そもそもオフィーリアの記憶だってあるんだもの。十五足す十七で、考えてみたらわたし、三十二歳だわ! アルフォンス様のご年齢と丁度いいと思います!」
「無茶苦茶な理論を作らないでくれ。違う、違う――いや、年の差は確かに気にしていない訳では無いが……」
珍しく、アルフォンスは狼狽しているようだった。口の中で唸ったかと思うと、腕を組み、苦渋に満ちたような表情で下を向き、長考するかのような間の後で、小さな声で言った。
「……………………君が言ったんだ」
「わたしが? 何を?」
食い気味にロザリーは問いただしてしまう。またしても訪れた少しの沈黙の後、観念したかのようにアルフォンスは言った。
「君がオフィーリアにはなれないと言ったんじゃないか! 私の結婚相手にはなれないと。
だから私は諦めようと――諦めきれずに未練がましく花など贈ってしまったが――それでも諦めようとしたんだ……!」
怒っているような口調だった。
「年の差もあるし、私の残りの命がいかほどか、私にさえ分からない。そんな中で、あんな風に君に思い切り振られて、どうしてまた一緒に生きてくれと言えるんだ? 諦める努力を重ねていたのに、何故こうして現れた! これでは諦めきれなくなるだろう!」
確かにアルフォンスは怒っていた。怒られているにも関わらず、ロザリーの顔はますます熱くなる。
「あなたを振ってなんていません! 結婚相手にはなれないとはもっと言っていません!」
アルフォンスは強情だった。
「そういう言い方だった」
「絶対に違います!」
いや、もしかするとそういう言い方だったかもしれない。それでも主張を譲る訳にはいかなかった。
「絶対に、そんなこと、ない……」
言いながら、これでは結婚したいみたいじゃないか。そう思ってロザリーは口を閉ざした。代わりに口を開いたのはアルフォンスの方だった。
「それは、卑怯じゃないか。そんな風に言われると、まるで私は君を諦めなくていいと言われているように感じる」
そう言っているのだから当然だった。
「先日の別れの際も、口付けを額で我慢した。褒めて欲しいくらいだ」
「唇にしていただいても構いませんでした」
淀み無くロザリーが答えると、アルフォンスはますます眉根を寄せる。
「だが君は前に、泣いて嫌がったじゃないか。君に傷が付くのは耐えられない。もう二度と傷つけたくはない」
「傷ついてなどいませんでした。ただ――わたしは臆病で、覚悟もなくって」
傷つけたのは、むしろロザリーの方だったと、今になってはそう思う。
「君は、つまりどうしたいんだ」
その声色は、考えていたよりもよほど穏やかなものだった。ロザリーが答える前に、言ったのはアルフォンスの方だった。
「私の妻になりたいのか?」
なりたいというか――と、口の中でもごもごとロザリーは誤魔化そうとして、しかし結局は頷いた。彼の瞳をまっすぐに見つめ返しながら、返事をした。
「はい。そう望みます」
アルフォンスの顔が曇ったのを、ロザリーは見逃さなかった。彼は困っているのだと気がついた。この気持ちは迷惑だったに違いない、そう思いながら泣きそうになり、それでも泣くまいと彼の言葉を待ち続けた。
やがてゆっくりと、彼は言った。
「どれほど生きるのか分からない身の上だ。私の寿命は短いかもしれない」
ロザリーは首を横に振る。
「そんなの、誰だってそうだわ! わたしだって、明日死んでしまうかもしれない。オフィーリアだって、その日死ぬなんてまさか思ってもいませんでした! 一秒後にだって隕石が落ちてきて皆滅んでしまうかもしれないわ。生きてる人、皆そうでしょう? だから――」
だから、二度と後悔をしたくないのだ。
一度は彼を忘れようとした。だがあの花束を見て思い直した。
命の終わりなど誰も知らない。
大切な人に大切だと伝えないまま死ぬなんて、それこそ死んでも死にきれない。愛する人が側にいない人生を生きるのなら、なんのために生まれ変わったのか分からない。
アルフォンスの呼吸が空気を震わせ、そうして、遂に、彼は言った。
「なって、くれるのか。私の妻に? 私でいいのか?」
信じられなかったのはロザリーの方だ。その台詞を言うのは、ロザリーの方だ。
目を丸くしてアルフォンスを見上げる。
彼の指がロザリーの頬に触れた。まるで大切な宝物を扱うかのような手つきで。
「我ながら執着が恐ろしいほどだが、十七年間、オフィーリアを忘れられなかった。いやもっとだ。幼い頃に出会って以来、私の心の中には、オフィーリアしかいなかった。
遠い昔に失ってしまった彼女が目の前にいると思うだけで、気が変になりそうなんだ。君に向かう感情は、君が思っているよりも――――重い。引かれるか……傷つけてしまうかもしれない。それでもいいのか……?」
確認するような彼の言葉がおかしくて、ロザリーは笑った。
「あなたに付けられるなら、傷だって愛おしい」
それに、傷つくことにはならないだろうとロザリーは思った。ロザリーがアルフォンスに向ける想いも、同等か、それ以上のものなのだから。
アルフォンスの瞳が微かに揺れて、それを隠すかのように彼は目を閉じた。
「望みを言ってもいいだろうか」
ロザリーの頷きを気配で確認した後で、アルフォンスは目を開いた。
アルフォンスの瞳は宇宙のように広大で、春のように暖かい。無数の光を宿していて、その光の謎を解き明かしたくてしょうがくなる。
だからロザリーは、その神秘に惹き寄せられてしまうのだ。
「十七年間分のキスがしたい」
聞いた時には、ロザリーは彼に口付けをしていた。
もう二度と離すまいと首に手を回すと、それよりも強い力で抱きしめ返された。
ロザリーの心は満ち足りていた。一度死んだ自分の魂が、過ぎたる幸福を噛み締めているのを感じていた。
(この人に、薔薇の花束をあげよう。小さい頃と同じように――たくさんの綺麗な薔薇を)
きっとそうしようと、心に決めた。
彼がくれた溢れんばかりの愛情へのお返しに、それ以上の愛を込めて渡すのだ。
だからもう、弔いの花束はいらない。
白い薔薇はきっとこれからは、二人の喜びの象徴になるのだろうから。
〈おしまい〉
三日間、通い続けた場所であり、十七年前に住んでいた場所だ。
その時のようなドレスも着ていなければ、靴も宝飾品もなく、ロザリーは単なる質素なワンピースを着ているだけで、どう考えても宮殿には相応しくない。それでも白亜の城まで、足を止めることはできなかった。
門兵に用件を告げると、不審げに一瞥される。当然のことだ。誰が単なる町娘を、王に引き合わせるというのだろうか。
ロザリーは言ったのだ。「アルフォンス様にお会いしたい」と。
無理だろうと思った。自分が門兵だとしても、ロザリーを王に会わせるなどと馬鹿な真似はしない。取り次ぐことさえしないかもしれない。
けれどもロザリーに諦めるつもりはなかった。何日でもここで待つつもりだった。
せめて彼の無事をこの目で確かめるまでは――。
だからすんなりと王宮内に通されたことは、意外だった。半ば野宿を覚悟していたロザリーは拍子抜けする。
(こんなに警備が甘くていいの? もしわたしが暗殺者だったらどうするの?)
もちろんロザリーは暗殺者ではないし、アルフォンスがロザリーだと気がついて中に入れてくれたのだろうとは想像ができたため、いざ彼に会う前に緊張でどうにかなりそうな心臓を落ち着かせるための考え事に過ぎなかった。
「客人の案内はここまででよいとのことです。ここから先は、どうぞお一人で」
庭園の途中に差し掛かったところで兵士はそう言い、ロザリーを一人置いて去っていく。
昼間の庭園は、十七年前の記憶と寸分違わない。
(まるで昔に戻ったみたい)
そんなことを思いながら、ロザリーは、花の間を歩いていった。
どこへ行けばいいのかは、想像ができた。庭を抜け、最奥にある白薔薇庭園に、迷わずロザリーは向かった。
やはり彼は椅子に座っていて、視線はしかし、穴の方へは向いておらず、まっすぐこちらに向けられていた。ロザリーはちらりと穴の空いていた場所を見ようとしたが、新たに薔薇の木を植えたらしく、すでに地面は塞がれており、その正確な場所さえ分からなかった。
「アルフォンス様、あの――」
「なぜ来た?」
厳しい声だった。
彼からの言葉はいくつか想定していた。「やあ」「こんにちは」「久しぶり」「変わりないか?」――だがそれのどれでもなく、第一声が咎めるような言葉だったことに、ロザリーは思わず言い訳めいた口調になってしまう。
「わ、わたしだって、あの時はこれで終わりだって思っていたんです! おしまいにした方がいいって……! なのに、あなたが何度も花を贈ってくださるから!」
「君は何を言っているんだ?」
不審そうに眉を顰め、アルフォンスが立ち上がる。
――ああ、本当にわたしは何を言っているんだろう。
やっぱり、来なければ良かった。
ロザリーは顔を真っ赤にして下を向いて、小声で同じことを囁いた。
「だってアルフォンス様が、花を贈ってくださったんです」
「ああ、弔いのつもりで」
声の近さで分かってしまう。彼がすぐ近くにいるということを。
意を決して顔を上げると、やはり目の前に彼が立っていた。
「わたしはここにいるのに! 死んでなんていないのに! 花を贈るくらいなら、会いに来てくださればいいのに! それか、会いに来てくれって、たったひと言、そうお手紙をくだされば、そうしたらわたし、どこにいたってすぐ飛んで行くのに!」
身勝手な言葉が口から出てしまうのを、自分では制御できない。アルフォンスは当惑したように突っ立っている。
「わたしがどんな思いであの花の世話をしていると思っているんですか!? あなたを諦めた方が良いって、そんなこと分かりきっているのに、だけど、忘れることがどうしてもできませんでした!
だって、薔薇の花が一つ枯れる度に、あなたまで少しずつ遠くに行ってしまうみたいに思えて、とても怖いんです! あなたが寿命なんてくれるから……! わたしは死んだって良かったのに、あなたがいつ死ぬか分からないから、毎日毎日ヒヤヒヤするし、薔薇の花束が次に届かなかったらどうしようって、そんなことばかり考えるのが、もう嫌なんです」
「気にするなと言っただろう。あれは私の我儘だ」
アルフォンスの声は冷静に思えた。それがますますロザリーを焦らせる。
「だがすまなかったな。君が困っているのなら、もう花束は渡さない」
「違う!」
ロザリーは叫んだ。アルフォンスは何も分かっていなかった。
「わたしは、あなたが好きだから! あなたの側にいたいと思った! そう言っているんです!」
勢いに任せて、遂に言ってしまった。
誰かに聞かれたら不敬罪で殺されるだろうか。それとも頭のおかしな娘の盲言として大目に見られるだろうか。頭の片隅でそんなことまで考えたが、ロザリーは至って真剣だった。
「どうして花束だけで、他には何もないんですか? わたしのことを、もう好きじゃないの? アルフォンス様は、何を気にされているんです――身分の差ですか!?」
眉間に皺を寄せたまま、アルフォンスは異様なものを見るが如く、ロザリーを凝視していた。
「いや、そうではなく――」
「それでは年の差ですか!? ――だったらわたしはちっとも気にしません! そもそもオフィーリアの記憶だってあるんだもの。十五足す十七で、考えてみたらわたし、三十二歳だわ! アルフォンス様のご年齢と丁度いいと思います!」
「無茶苦茶な理論を作らないでくれ。違う、違う――いや、年の差は確かに気にしていない訳では無いが……」
珍しく、アルフォンスは狼狽しているようだった。口の中で唸ったかと思うと、腕を組み、苦渋に満ちたような表情で下を向き、長考するかのような間の後で、小さな声で言った。
「……………………君が言ったんだ」
「わたしが? 何を?」
食い気味にロザリーは問いただしてしまう。またしても訪れた少しの沈黙の後、観念したかのようにアルフォンスは言った。
「君がオフィーリアにはなれないと言ったんじゃないか! 私の結婚相手にはなれないと。
だから私は諦めようと――諦めきれずに未練がましく花など贈ってしまったが――それでも諦めようとしたんだ……!」
怒っているような口調だった。
「年の差もあるし、私の残りの命がいかほどか、私にさえ分からない。そんな中で、あんな風に君に思い切り振られて、どうしてまた一緒に生きてくれと言えるんだ? 諦める努力を重ねていたのに、何故こうして現れた! これでは諦めきれなくなるだろう!」
確かにアルフォンスは怒っていた。怒られているにも関わらず、ロザリーの顔はますます熱くなる。
「あなたを振ってなんていません! 結婚相手にはなれないとはもっと言っていません!」
アルフォンスは強情だった。
「そういう言い方だった」
「絶対に違います!」
いや、もしかするとそういう言い方だったかもしれない。それでも主張を譲る訳にはいかなかった。
「絶対に、そんなこと、ない……」
言いながら、これでは結婚したいみたいじゃないか。そう思ってロザリーは口を閉ざした。代わりに口を開いたのはアルフォンスの方だった。
「それは、卑怯じゃないか。そんな風に言われると、まるで私は君を諦めなくていいと言われているように感じる」
そう言っているのだから当然だった。
「先日の別れの際も、口付けを額で我慢した。褒めて欲しいくらいだ」
「唇にしていただいても構いませんでした」
淀み無くロザリーが答えると、アルフォンスはますます眉根を寄せる。
「だが君は前に、泣いて嫌がったじゃないか。君に傷が付くのは耐えられない。もう二度と傷つけたくはない」
「傷ついてなどいませんでした。ただ――わたしは臆病で、覚悟もなくって」
傷つけたのは、むしろロザリーの方だったと、今になってはそう思う。
「君は、つまりどうしたいんだ」
その声色は、考えていたよりもよほど穏やかなものだった。ロザリーが答える前に、言ったのはアルフォンスの方だった。
「私の妻になりたいのか?」
なりたいというか――と、口の中でもごもごとロザリーは誤魔化そうとして、しかし結局は頷いた。彼の瞳をまっすぐに見つめ返しながら、返事をした。
「はい。そう望みます」
アルフォンスの顔が曇ったのを、ロザリーは見逃さなかった。彼は困っているのだと気がついた。この気持ちは迷惑だったに違いない、そう思いながら泣きそうになり、それでも泣くまいと彼の言葉を待ち続けた。
やがてゆっくりと、彼は言った。
「どれほど生きるのか分からない身の上だ。私の寿命は短いかもしれない」
ロザリーは首を横に振る。
「そんなの、誰だってそうだわ! わたしだって、明日死んでしまうかもしれない。オフィーリアだって、その日死ぬなんてまさか思ってもいませんでした! 一秒後にだって隕石が落ちてきて皆滅んでしまうかもしれないわ。生きてる人、皆そうでしょう? だから――」
だから、二度と後悔をしたくないのだ。
一度は彼を忘れようとした。だがあの花束を見て思い直した。
命の終わりなど誰も知らない。
大切な人に大切だと伝えないまま死ぬなんて、それこそ死んでも死にきれない。愛する人が側にいない人生を生きるのなら、なんのために生まれ変わったのか分からない。
アルフォンスの呼吸が空気を震わせ、そうして、遂に、彼は言った。
「なって、くれるのか。私の妻に? 私でいいのか?」
信じられなかったのはロザリーの方だ。その台詞を言うのは、ロザリーの方だ。
目を丸くしてアルフォンスを見上げる。
彼の指がロザリーの頬に触れた。まるで大切な宝物を扱うかのような手つきで。
「我ながら執着が恐ろしいほどだが、十七年間、オフィーリアを忘れられなかった。いやもっとだ。幼い頃に出会って以来、私の心の中には、オフィーリアしかいなかった。
遠い昔に失ってしまった彼女が目の前にいると思うだけで、気が変になりそうなんだ。君に向かう感情は、君が思っているよりも――――重い。引かれるか……傷つけてしまうかもしれない。それでもいいのか……?」
確認するような彼の言葉がおかしくて、ロザリーは笑った。
「あなたに付けられるなら、傷だって愛おしい」
それに、傷つくことにはならないだろうとロザリーは思った。ロザリーがアルフォンスに向ける想いも、同等か、それ以上のものなのだから。
アルフォンスの瞳が微かに揺れて、それを隠すかのように彼は目を閉じた。
「望みを言ってもいいだろうか」
ロザリーの頷きを気配で確認した後で、アルフォンスは目を開いた。
アルフォンスの瞳は宇宙のように広大で、春のように暖かい。無数の光を宿していて、その光の謎を解き明かしたくてしょうがくなる。
だからロザリーは、その神秘に惹き寄せられてしまうのだ。
「十七年間分のキスがしたい」
聞いた時には、ロザリーは彼に口付けをしていた。
もう二度と離すまいと首に手を回すと、それよりも強い力で抱きしめ返された。
ロザリーの心は満ち足りていた。一度死んだ自分の魂が、過ぎたる幸福を噛み締めているのを感じていた。
(この人に、薔薇の花束をあげよう。小さい頃と同じように――たくさんの綺麗な薔薇を)
きっとそうしようと、心に決めた。
彼がくれた溢れんばかりの愛情へのお返しに、それ以上の愛を込めて渡すのだ。
だからもう、弔いの花束はいらない。
白い薔薇はきっとこれからは、二人の喜びの象徴になるのだろうから。
〈おしまい〉
256
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~
ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。
しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。
周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。
だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。
実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。
追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。
作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。
そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。
「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に!
一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。
エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。
公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀……
さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ!
**婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛**
胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!
【完結】王太子妃候補の悪役令嬢は、どうしても野獣辺境伯を手に入れたい
たまこ
恋愛
公爵令嬢のアレクサンドラは優秀な王太子妃候補だと、誰も(一部関係者を除く)が認める完璧な淑女である。
王家が開く祝賀会にて、アレクサンドラは婚約者のクリストファー王太子によって婚約破棄を言い渡される。そして王太子の隣には義妹のマーガレットがにんまりと笑っていた。衆目の下、冤罪により婚約破棄されてしまったアレクサンドラを助けたのは野獣辺境伯の異名を持つアルバートだった。
しかし、この婚約破棄、どうも裏があったようで・・・。
【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!
たまこ
恋愛
エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。
だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。
婚約破棄歴八年、すっかり飲んだくれになった私をシスコン義弟が宰相に成り上がって迎えにきた
鳥羽ミワ
恋愛
ロゼ=ローラン、二十四歳。十六歳の頃に最初の婚約が破棄されて以来、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの婚約破棄を経験している。
幸い両親であるローラン伯爵夫妻はありあまる愛情でロゼを受け入れてくれているし、お酒はおいしいけれど、このままではかわいい義弟のエドガーの婚姻に支障が出てしまうかもしれない。彼はもう二十を過ぎているのに、いまだ縁談のひとつも来ていないのだ。
焦ったロゼはどこでもいいから嫁ごうとするものの、行く先々にエドガーが現れる。
このままでは義弟が姉離れできないと強い危機感を覚えるロゼに、男として迫るエドガー。気づかないロゼ。構わず迫るエドガー。
エドガーはありとあらゆるギリギリ世間の許容範囲(の外)の方法で外堀を埋めていく。
「パーティーのパートナーは俺だけだよ。俺以外の男の手を取るなんて許さない」
「お茶会に行くんだったら、ロゼはこのドレスを着てね。古いのは全部処分しておいたから」
「アクセサリー選びは任せて。俺の瞳の色だけで綺麗に飾ってあげるし、もちろん俺のネクタイもロゼの瞳の色だよ」
ちょっと抜けてる真面目酒カス令嬢が、シスコン義弟に溺愛される話。
※この話はカクヨム様、アルファポリス様、エブリスタ様にも掲載されています。
※レーティングをつけるほどではないと判断しましたが、作中性的ないやがらせ、暴行の描写、ないしはそれらを想起させる描写があります。
たいした苦悩じゃないのよね?
ぽんぽこ狸
恋愛
シェリルは、朝の日課である魔力の奉納をおこなった。
潤沢に満ちていた魔力はあっという間に吸い出され、すっからかんになって体が酷く重たくなり、足元はふらつき気分も悪い。
それでもこれはとても重要な役目であり、体にどれだけ負担がかかろうとも唯一無二の人々を守ることができる仕事だった。
けれども婚約者であるアルバートは、体が自由に動かない苦痛もシェリルの気持ちも理解せずに、幼いころからやっているという事実を盾にして「たいしたことない癖に、大袈裟だ」と罵る。
彼の友人は、シェリルの仕事に理解を示してアルバートを窘めようとするが怒鳴り散らして聞く耳を持たない。その様子を見てやっとシェリルは彼の真意に気がついたのだった。
【完結】精霊姫は魔王陛下のかごの中~実家から独立して生きてこうと思ったら就職先の王子様にとろとろに甘やかされています~
吉武 止少
恋愛
ソフィアは小さい頃から孤独な生活を送ってきた。どれほど努力をしても妹ばかりが溺愛され、ないがしろにされる毎日。
ある日「修道院に入れ」と言われたソフィアはついに我慢の限界を迎え、実家を逃げ出す決意を固める。
幼い頃から精霊に愛されてきたソフィアは、祖母のような“精霊の御子”として監視下に置かれないよう身許を隠して王都へ向かう。
仕事を探す中で彼女が出会ったのは、卓越した剣技と鋭利な美貌によって『魔王』と恐れられる第二王子エルネストだった。
精霊に悪戯される体質のエルネストはそれが原因の不調に苦しんでいた。見かねたソフィアは自分がやったとバレないようこっそり精霊を追い払ってあげる。
ソフィアの正体に違和感を覚えたエルネストは監視の意味もかねて彼女に仕事を持ち掛ける。
侍女として雇われると思っていたのに、エルネストが意中の女性を射止めるための『練習相手』にされてしまう。
当て馬扱いかと思っていたが、恋人ごっこをしていくうちにお互いの距離がどんどん縮まっていってーー!?
本編は全42話。執筆を終えており、投稿予約も済ませています。完結保証。
+番外編があります。
11/17 HOTランキング女性向け第2位達成。
11/18~20 HOTランキング女性向け第1位達成。応援ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
納得のハッピーエンドで良かったです!最近わけわかんない安直なモノばかり読んでたのでイヤケさしてましたよ。ほんとに良かった☆
でもアルフォンスの寿命が…。どうか二人とも出来るだけ長くお幸せに。
感想いただきありがとうございます!
気づくのが遅くなってしまい申し訳ありません
短い話に自分の好みを凝縮したお話だったので気に入っていただけて本当に本当に嬉しいです!
寿命問題も二人ならなんとか解決するかもしれないと思いつつ、この話はここまでにしておきました。
お読みいただきありがとうございました!
ずっと シリアスなシーンが続いていたんですが 、ラスト、 こちらの 口元が緩んでしまうような 言い合い(?)笑
いやいや、 ロザリー 、私も アルフォンスは 振られたのかと思って どう答えをみつければいいか考えちゃったよ(笑)とツッコミを入れつつ……
ロザリーの 素直な心が爆発していて…可愛かったです♡
アルフォンスの命があとどれだけ残されているか分かりませんが、
再び同じ時間を生きている 奇跡 (自分の命を差し出してでも生きていて欲しかった)に…
1分1秒でも長く一緒に…
新しく 植えたバラのように、また新しく始まった2人が幸せでありますように💖
完結お疲れ様でした 😊
素敵な物語をありがとうございました🌹
はる太様
感想いただきありがとうございます‼︎返信が遅くなりすみません。
一番初めに考えていたのは最終話の一つ前までの話で、薔薇が枯れておしまいにしようとしていたのですが、自分がハッピーエンド好きなのでどうしても我慢ならずに最終話を作ってしまいました。
幸せな物語になって良かったです!
お読みいただき、本当にありがとうございました!