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第一章 下
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「はーい、それでは文化祭実行委員を始めたいと思います。まずは――」
さて、実行委員というのだからもちろん集まりなどもあるわけで。今俺たちは会議室に集まって初めての会議に参加しているわけだが、周りにいるのは何ともやる気に満ち溢れているような人ばかりで何となく場違いかなと思ってしまう。同学年の男子には見知った顔もいるが、そいつらは揃ってなんでお前がいるんだ見たいな目で見てくる。いやまあさ、今まで自分が積極的にこういうのに関わらなかったのは確かですけどね? みんなひどくない?
前にも言ったがうちの学校の文化祭は他校に比べて比較的早い時期に行われる。それゆえ準備期間というものも少なく、各クラスすることが決まってからの猶予は一か月弱ぐらいだろう。その後にはすぐにテストも控えていたりするので精神的にもなかなか厳しいものがある。そう思うと最小限のことにしか参加してなかった去年の自分が恥ずかしくなってくるんだが。
またその期間の短さから、どうやら実行委員もなかなか忙しいらしい。それぞれの役割はもちろん、クラスの方についても手伝いがあったり、放課後も残っていろいろしたりするのは当たり前のようだ。
総務や会計は基本的には三年生がやってくれるらしいが、それはつまり俺たちが動き回る仕事をするということらしい。人と関わることも必然的に多くなるし、それこそよく知らない他の実行委員と連携していかないといけないのだ。
実行委員長の話で分かったことだけでもなんだか不安になってくるがここまで来たのならばやるしかない。
一、二年生が受け持つのは写真での記録や備品の各クラス、部活への貸し出しの管理、ステージの機材関係全般、展示関係などなどまだまだいっぱいあって、どう考えても今いる人数じゃあ足りない感じなんですが……。どうやら話を聞いていると責任者とかに実行委員をつけるだけで人数は有志で集めるんだとか。
ひとしきり説明が終わったところでまずは自己紹介だと実行委員長が自ら自己紹介を始める。え、何こういうのあるんですか? 順番が回ってきたがひとまず学年、組、名前だけ言って座る。上野さんも普通にできたみたいでとりあえず一安心。よくよく考えてみれば彼女はクラスでの自己紹介も自分の名前だけだったような気がする。
ようやく自己紹介も終わり今度は役割分担を決めることになる。どうやら移動して話し合って決めろとのことで会議室もなんだか騒がしくなってきた。二人離れて別の係になってしまっては今後彼女と連携が取れなくなってしまうので先にどれにするかを決めておく。
「上野さん、どの係にする?」
「そうね、備品の貸し出しとかがいいんじゃない」
俺は別に写真以外なら何でもよかったので首肯した。備品の貸し出しならば適度にいろんな人に関わりながら仕事をすることになるので案外俺たちにピッタリかもしれない。それに人数もそんなに控えてる必要もないだろうしクラスの方にも結構顔を出せるかもしれない。
そんな風に考えていたたところ、同じく実行委員の長山がこちらに向かってきた。長山とは去年クラスが一緒だったのだが、普通に話す程度の関係だ。
「溝部が実行委員なんてなんか変な感じだな。それに上野さんと一緒なんてうらやましいなおい」
そして彼は上野さんファンの一人である。後半は小声で言っていた。
「俺にも心境の変化があってな。まあそういうことでよろしく頼むよ」
「ふうん。そんなことより上野さん、俺長山って言います! よろしくお願いします!」
「え、ええ。よ、よろしく」
俺に対する態度と違いすぎるだろ!
「それよりなんか用か長山」
「ああそうだった、二人はどこの係がいいんだ? 一応みんなに聞いて回ってるんだけど」
さすがまじめな長山だ。もうすでに一、二年を仕切り始めているらしい。
「それなら俺たちは備品がいいぞ」
「俺たちってことは上野さんもそれでいいんですか?」
上野さんがうなずくと
「了解です。それにしても溝部は女子とまともに話せるようになったのか? 上野さんとすでに話しているとは何とも意外なのだが」
「俺ってそんなに露骨に女子と話せない人間だったのか……。まともに話せるかどうかはともかく、前よりはマシになってると思うよ」
長山はさらに、それにと付け加えて俺に耳打ちをすると
「上野さんってあんな感じだったっけか? なんか以前とイメージが違うんだが」
何とも返答に困る。
「そ、そうかな? もとからこんな感じじゃないかな」
「そうだっけな。まあいいかひとまずまた後でな」
「はいよ~」
翌日、俺たちはいつもの場所で昼食を採っていた。
「で、結局希望通りに備品係になったわけだけど」
「けど?」
「クラスの方と両立するのきついと思わないか?」
「そうよねぇ……」
そうなのである。考えていたよりもかなり仕事がきつい気がするのだ。
「当日まで放課後かなりの時間学校に拘束されると考えると……」
帰宅部的にもなんとも気が重い話である。
「まあそれは準備期間が始まってから考えるとして」
「問題は今後どういう風に身を振っていくかでしょ」
そう、ここまでは黙っていても話が進んだ可能性は高いしそもそもあんまりコミュ障の改善に役立ってもいない。ここから文化祭に向けてクラスの人や実行委員の人とどういう風にコミュニケーションをとっていくかが重要なのである。
「まずはクラスでどうやっていくかだけど」
クラスの企画はコスプレ喫茶で決定、各責任者も決まりあとは衣装と内装をどうするか決めていくだけだ。これには買い出しなども必要になってくるだろう。率先して買い出しに行くべきか否か、それはその時に考えるとして
「衣装ってどんな風になるんだろうな。そもそも作れる人とかいるのかな」
できればとびっきり露出が高いのとかでもいいんだけど。
「どうしたの急にニヤニヤして。気持ち悪いわよ」
思考が顔に出ていたようだ。それにしても気持ち悪いってひどくないですかね。
「コスプレ喫茶っていうくらいだからやっぱり何種類か用意するんでしょ? 私はメイドさんくらいしか思い浮かばないけど」
アニメのキャラクターになっても分かりづらいし、あまり過激な格好をしても実行委員に止められそうだしなぁ。
「まあ女子の皆さんに決めていただけばいいんじゃないかな」
「えっ、男子もコスプレするのに?」
「えっ」
どうやら俺と彼女の間には認識の齟齬があったようだ。
「てっきりかわいい女子を使って客引きをするためにコスプレ喫茶にしたんだと思ったんだけど」
「そうはいうけど、かっこいい男子を使えば女の子も客引きできるじゃない」
いや、言われてみたらそうなんだけど、俺の中の何かがそれは違うと言っているような気がしてな……。
「そうよ! 女装とかしたらいいじゃない! ありきたりだけど盛り上がるのは間違いないわよ」
「俺は食事時に女装なんか見たくないんだが……ていうか俺たちがやるわけじゃないんだからこんなの考えてもあんま意味ないよな」
「先に言い出したのはあなたでしょ」
「そうだったっけ? まあそれはともかく、実行委員ではどういう風にする?」
「クラスの方は何も決まっていないんだけれど……。まあそうね、備品の実行委員はもう一人いたわよね? 長山君だっけ、私はひとまずあの人と話せるようになればいいかなって感じかしら」
そうだ、頼れる長山がいたんだったな。長山になら少し備品係をひとりで任せることもできるかもしれない。
「それじゃあ長山と普通に話せるようになって、その他の有志の人にも少し話せる人ができたらクラスが大変だとか言って少し仕事を抜けてクラスの様子も見に行けばいいか」
「それって大丈夫なのかしら」
「備品の方が滞らない限りは大丈夫だと思うよ。去年も実行委員の人がクラスでも頑張ってたし」
それに上野さんも無表情にならなくなってきている。この間にできるだけ多くの人と話す機会を作った方がいいだろう。
「そういうものかしら」
「そういえば昼ご飯なんだけど、クラスの人と食べてみるのはどうかな」
突然の提案に目を白黒させる上野さん。
「俊之が前に言ってたんだけど、一緒に食事をした方が人と仲良くなりやすいんだってさ」
「確かに、私たちも一緒に食事をして仲良くなったわよね」
急にそういうことを言われてもちょっと照れるんですけど。
「……まあそういうことで、藤井さんと一緒に食べるなりしたら周りの人とも一緒に食べることになるだろ?今なら文化祭が共通の話題になるし」
「だけど、ここでも週二回は食事をしましょ。作戦会議は必要でしょう?」
「それは別にいいけど」
作戦会議ならSNSでもできると思うのだが。
それから数日が経った。
「それで、調子の方はどうだ? 樹」
突拍子もなく俊之が聞いてきた。
「まあ、ぼちぼちかな」
「何がぼちぼちだよまったく、少しは上野さんを見習え。彼女はぎこちなくはあるが他の女子と一緒にご飯を食べているというのに」
わざとらしい口調で嫌味のように俊之が言う。ここ数日の彼女は確かに藤井さんと一緒に女子の中に入ってご飯を食べたりしている。
まあ俺がそうするように言ったのもあるとは思うが……。
「ここはお前も一緒になって女子とご飯を食べるしかないとは思わないか?」
「ちょっと待てそれはおかしくないか!?」
「おかしくはないと思うわよ溝部君?」
また背後から藤井さんが現れた。彼女は忍者か何かなのだろうか。
「渡会君の言う通り、一緒に食べてみるのも悪くはないんじゃない? 今のままじゃ上野さんだけが頑張ってるだけよ。あなたも一緒に頑張るんじゃないの?」
この人もこちらのことはもう何でも知ってそうな感じだな……。上野さんか俊之、どっちかが話したんだろうけど、むやみやたらに広めずに俺を弄るだけ弄るのは助かるのだがこう、複雑な気持ちだ。
「いやまあそうだけど、だからといって俺が入っていくのはどう考えても変だろ……」
「そこはまあ、私が何とかしてあげるからさ! ね?」
何ちょっとかわいく言ってるんだこの人は。
どうしてこうなった。
俺はなぜか一人で女子が昼食を食べている中に投下されている。唯一の救いは上野さんがいることか。
「でさ~溝部君ったらその後耳まで真っ赤にしちゃって~――」
そんな中で藤井さんに恥を晒されているわけだが、
「ちょっと溝部君、これは一体……」
上野さんが小声で聞いてくるがそれはこっちのセリフだ。
「なにそれウケるんですけど」
「恥ずかしがり屋なのになんで実行委員になったの?」
「そ、それはなんというか、こう、急に思い立ったというか、ははは……」
名前も覚えてない人にこう言う風に話しかけられるとやっぱり言葉に詰まってしまう。
「それに前から気になってたんだけど、上野さんもどうしてオッケー出したの?」
「えっ、わ、私はその、別にやってもいいかなって、その、思って」
「そうなんだ~なんかイメージと違うよね~」
「確かに初めて話したのもここ最近だけど、なんだか思ってたよりこう」
「控え目?」
「だよね~」
なんだか上野さんにいいイメージをもってくれたのかな? そういうことにしておこうか。
「朱里も恥ずかしがり屋さんだもんね~溝部君と二人合わせて恥ずかしがりやコンビでしょ?」
「それじゃあ藤井さんと俊之は意地悪コンビだよ!」
「ふふ、あなたにだけね」
なんでいまちょっと色っぽい声出したんだよ……。
「あ、溝部君ちょっと赤くなってる」
「何考えたの……」
「やっぱり溝部君は弄りがいがあるわね!」
ううう、ひどい。上野さんはクスクス笑ってるし。
「あ、上野さん笑ってる~」
「初めて見たかも」
「え、あ、いや、その」
あ、上野さんも赤くなった。
「ふふ、二人とも赤くなっちゃって、かわいいわねあなたたちホントに!」
もうやだ、帰りたい……
有志の人たちも集まったようで、今日から本格的に実行委員の仕事が始まるらしい。始まるらしいというのも、なんだか全体的に、特に三年生からゆったりした雰囲気が漂っていて何とも緊張感に欠けるというか、思っていたのとちょっと違う感じだ。
「なあ長山、実行委員って普通はこんな感じの雰囲気なのか? なんか不安になってくるんだけど」
「ああ、俺もここまで緩んだ感じなのは初めてかもしれないが、こういうのに慣れてる人が多いだけだと思うぞ。なあに、責任が大きい役はほとんど三年生だからな、俺たちが心配することでもないさ」
言われてみればその通りだ。俺たちは下っ端も下っ端、備品の管理しかすることはないだろうし気楽にしていることにしよう。
クラスなどでの準備も今日から本格的に始まることになる。いわゆる文化祭週間というやつだ。
「そうだ長山、クラスの方も忙しいみたいで手伝いとかしに行きたいんだけど、大丈夫かな」
「それならちょっと前に説明されてただろ。うちのところは大丈夫だとは思う。思うけど、お前本当に溝部か?クラスを手伝うなんてなんか気持ち悪いぜ」
ひどい言われようだ……。ともあれクラスの方にも顔が出せそうなので一安心だ。まあやることなんて装飾の手伝いくらいなんだけどさ。
しかしメインはあくまで実行委員で女子と少しでも関わってコミュ障を矯正することである。この係のまとめ役はもちろん長山だが俺も長山補佐のような役割をして積極的に人と関わっていくべきだろう。幸いにもうちに来てくれた有志は女子がほとんど、機会はいくらでもある。
「あ、すみません先輩。トンカチとかってどこにありますかね」
早速話しかけられた。それにしても後輩か、なんてコミュ力だ。俺ならいきなり普通に先輩に話しかけるなんてできない、絶対にできない。相手が男でも無理だ!
「あ、えっと、トンカチならここら辺に……あったあった。はいどうぞ」
「ありがとうございます」
くっ、なんて自然なありがとうございますなんだ! つられてこっちもお辞儀しちゃったよ。圧倒的なコミュ力に対して自然と頭が下がった感じだ。変に思われてないかな大丈夫かな……。
こんな感じで仕事をしていくなか、少し仕事と担当の女子たちになれ始めたころになってようやく他のことにも気が回るようになってきた。そう、上野さんの様子を見るのをすっかり忘れていたのだ。まったく見かけないのだが……。
「なあ長山、上野さんはどこに行った?」
「上野さんならなんだか端っこの方で椅子に座ってるんだが……。なんか声かけづらくてな」
あっ、ほんとだ。なんだか椅子に座っていつもの無表情になってる。
「ああ~、ちょっと行ってくるわ」
「マジか溝部。やめとけって……」
長山はちょっと前に上野さんのイメージが変わったって言ってたのに、意外とビビりなのかな。
とりあえず俺は小声で彼女に話しかけてみる。
「上野さんどうしたの」
「……へへへ」
彼女は気味の悪い笑い方をして無表情のままこう言った。
「初対面で名前も知らないのにあんなふうに接せるなんて、つくづく自分のコミュ力のなさを実感させられるわ」
ああ~どうやら彼女は俺も少し感じたように彼女たちのコミュ力の高さに当てられたようだ。しかもほとんど心を折られている。
「大丈夫だって、あの人たちも藤井さんほどのコミュ力は持ってないはずだから」
多分、
「そんなに落ち込まなくても自分のペースでいいんだから。俺だって少しずつ話せるようになってるし」
それでも上野さんの無表情は元に戻らない。これは相当だな……。
時間的にもちょうどいい、ここはひとつ戦略的撤退をすべきだろう。
「長山、ちょっと俺たちクラスの方を見てくるけど任せてもいいか?」
「あ、ああ、いいぜ」
「それじゃあまた後で」
上野さんの手を引いてひとまずこの場から離脱する。
「え? ちょ、ちょっと!」
彼女は混乱しているようだがさっさと退場してしまおう。
「ちょ、ちょっと待って」
しばらく歩いたところで彼女が声をかけてきたので落ち着いたようだと判断し振り返る。すると彼女の顔は、なんだか真っ赤になっていた。
「……手」
? 何か言っているがよくわからない。
「……手! 手よ!」
「手?」
俺はいま彼女の手をそれなりの強さでしっかりと握っている。言われてから気づいたが女の子の手をしっかり握ったのなんて初めてだ。なんだか柔らかくてすべすべしてて、ずっと触っていたいと思えるような……。そこまで考えて、俺は急に恥ずかしくなって手を放した。
「ご、ごめん!」
「いや、その、別にいいんだけど、その……恥ずかしかった」
「ほんとにごめんなさい!」
その日、それから家に着くまでの間のことはあまりよく覚えていない。クラスの手伝いを少ししたことは確かだが、彼女のことで頭がいっぱいだった。今まで無理にでも意識しまいとしてきたことが一気に膨れ上がって俺の中で溢れそうになった。最初は一方的に憧れていただけだ。彼女は綺麗で、孤高で、だけどどこか儚くて。でも、本当はコミュ障で友達がいなかっただけで、彼女と話すようになってからは一緒にいると楽しかったし、ちょっとした反応もいちいち可愛くて、二人で一緒に目指すものができて―――
今までに味わったことのない胸の高鳴りといえばよいのか。考えれば考えるほどどつぼにはまっていくこの感覚はやはりそうなのだろうか。ただ手を握った。それだけのことで自分がこんなになってしまうなんて思いもしなかった。思考が彼女で支配されている。言い訳がましいが今までの彼女を応援したい気持ちも、感じていた友情も決して嘘だったわけではない。俊之が言っていた男女間の友情についての話を思い出す。俊之が言っていたことはまさにこのことだ。少なくとも男は否応にもなくこの感情に飲み込まれるということをあいつは言おうとしていたんだと今になって理解した。
これは今後彼女のことを直視できないかもしれないな……。
かといって二人でコミュ障を脱却するということは決定事項だし、実行委員でも一緒になる。そして週に二回は彼女と食事をとることになっている。こんなの血気盛んな普通の男性諸君にはご褒美以外の何物でもないはずなのだが、彼女のことを強く女性として意識してしまったことと、一人で勝手に感じている後ろめたさとでまともに話ができる気がしない。
そう、結局は自分の問題なのだ。勝手に憧れて勝手に友情を感じて勝手に応援しようとして、そして勝手に好きになった。彼女が俺のことをどう思っていようがこうなっては仕方がない。一度意識してしまったことはどう足搔いても離れていくことはなく、ただ近づいていくものなのだ。なのだが、俺にはそれを強引に押し通す気概もなければ抑え込んでいく今まで通りにする自信もない。いったいどうすればいいんだろう。
こんな時こそいつも通りに、俺は俊之を頼ることにした。
「というわけで俊之、何か助言を」
「今度は何かと思えば……そんなこと俺に聞くんじゃねえよ」
「まあそう言わずにさ、親友だろ?」
俊之は心底呆れたようにため息をする。
「こっちとしては何を今更って感じだけどな。とりあえず今まで通りにする以外に何か俺がアドバイスするようなことあるか?こんなの相手に不信感与えたら終わりだろ」
さすが俊之。ごもっともである。
「いくら幼馴染のこととはいえ、自分以外の色恋沙汰ってのはなんとも言えんな。こういうのは首を突っ込んだら痛い目見るからな」
どこか遠い目をする俊之。俺の知らない何かが過去の俊之にはあったようだ。
「そうだなぁ、いっそのこと告っちまうとかどうだ? まあお前には難しいか」
俊之の提案はどちらも俺が考えて厳しいと思ったことだ。このどちらかを天秤にかけてみることができれば決心などすぐにできるのだろうか。
「まあ現状維持が一番だと俺は思うけどな。変に焦ることはないよ」
やっぱりそれしかないか。今のままで文化祭を終えることができるのか、不安だ。
文化祭実行委員になってからいつもよりもちょっと忙しく、いつもよりも人と話すことが多くなっていっているのを実感している。これは溝部君と話して決めた、昼食を彼以外の人ともとるようにすることが伊万里のおかげで思いのほかうまくいっているのが大きい。
こうしてみるとやっぱり友達という存在がいかに大切なものかがわかる。溝部君や伊万里の協力がなければ、私は今も変わらず教室で一人毎日を孤独に過ごしていただろう。
ところがここ数日彼、溝部君の様子が以前と違うような気がするのだ。表面上は特に変わった様子もなく見えるが、ふとした拍子にぼーっとしていたり、表情が硬かったり。
心当たりがないわけでもないのだが、それが原因っていうのもなんだか釈然としないというか。
「それで私を頼ってきたってわけね」
こういう時、一人で悩んでいても仕方がない。ということを今の私は知っている。そういうわけで早速伊万里に相談を持ち掛けることにした。
「どうにも彼の様子がおかしいのよ」
「そうかしら? 私が今朝からかったときにはそんな感じはなかったと思うけど」
どうやら伊万里に対してはいつも通りらしい。
「で、朱里には心当たりがあるのよね? 一体何かしら」
「いや、それがね」
私は彼の様子が変わる前、私が後輩たちのコミュ力に震えていた時、急に手を取られ教室の方に向かったときのことを話す。
「……釈然としないも何もそれしかないでしょ。そこから態度が変わったっていうなら」
やっぱりそうなのだろうか。私の方はみんなになんだか変な目で見られていたから恥ずかしかっただけなのだが。
「何不思議そうな顔してるのよ! ……彼も相当だけどあなたもかなりアレね。」
「そう言われても、こっちは全くピンと来ないのだけれど」
「あーもうめんどくさいわね。そうね、あなたたち今まで手をつないではいなかったでしょ?」
それはそうだ。わざわざ手をつないで何かすることもなかったし。
「あなたと彼の関係は? ただの友達でしょ?」
「ただの友達じゃないわよ」
私と彼はコミュ障仲間、一蓮托生のコミュ障脱却同盟である。
「だからそうじゃなくてね、あなたたちは彼氏彼女の関係じゃないってこと」
それはまあそうである。彼も私も友達だと言っている。
「ここからは私の推測に過ぎないんだけど、朱里と咄嗟に手をつないだ時には何も思わなかったかもしれないけど、冷静になってから気づいちゃったんでしょうね。その感触とか朱里の反応で」
「気づいた? 何に?」
「あんたわざと言ってるわけじゃないでしょうね……。そこまで鈍い子だとは思ってなかったけど、これ私が言っちゃっていいのかな……」
そこまで言いかけて言葉を濁す伊万里。しかしそれではこちらも気になってしまう。
「そんな目で見られても……。わかった、言うわよ! それで、もう一度言うけどこれは私の推測だから。多分溝部君はあなたのことを女性として意識しちゃったんじゃないかしら?」
……えーっと。ちょっと聞き取れなかったのでもう一度聞いてみる。
「だから、溝部君が、朱里のことを異性として、強く意識しちゃったんじゃないかなって」
そ、それはつまり、アレ? likeじゃなくてloveの方ってこと? いやいやいやそんな馬鹿な。
「あら朱里、どうしたのそんなに口を半開きにして顔真っ赤にして固まっちゃって。案外、満更でもなかったりして」
「だ、だだだだって私と溝部君だよ? そんなことあるわけないっていうか」
「なんでそう言い切れるの? 男と女なんだからそういうこともあるに決まってるでしょ」
言われて冷静になってみるとその通りである。彼の高嶺の花がどうとかいう発言を思い出してみても友達になる前はそういう風にみていたわけで、私が一度もそんなことを考えなかったかというと……
「まあ私のはただの推測だし? 溝部君が別にあなたを異性として好きかどうかは決まったわけじゃないんだけど。この前の時朱里に気があるかって聞いた時にはノーって即答してたし」
いつの間にそんなことを!? しかも即答って……。
それに今のを聞いて嫌だと感じる気持ちが湧いてしまっている。伊万里の言ったとおり私も満更じゃないのか……。いや待て私、まだ彼の気持ちがそうだと決まったわけじゃないし、焦るな焦るな。
「ふふふっ、相変わらず表情がどんどん変わっておもしろい子ね。可愛すぎて私がもらっちゃいたいくらい」
「だ、だってこんな話あ、慌てない方がおかしいっていうか」
「はいはいそうね」
これから彼とまともに話せる気がしない。それでも避けるわけにはいかないし、文化祭のことだってあるのに一体どうしたらいいのよ!
「ねえ上野さん! 上野さんもコスプレしてお店に出ない?」
時は昼食。今日も今日とて伊万里と一緒にクラスの人たちとなんとか昼休みを過ごしていたわけだが、突然こんなことを言われた。
「それいいわね。上野さんなら何でも似合うだろうし、客引き効果も期待大よ」
そのまま皆は私に何を着せるかについて勝手に話し始める。私の意思は……。
「やっぱりメイド服がいいんじゃないかな?」
「いや、ここはスーツなんかどうかしら!」
「あえて男装ってのもアリね」
話はどんどん不穏な方向へと向かっていく。このままではまずい、なんとかしてこの話をなかったことにしなければ。
「え、えっとその、私はあの、実行委員の方が忙しいから……」
「ああ~そっか、それなら難しいね」
よしよし、これで話は流れるはず。実際は当日そんなに忙しくないのだが接客なんて私にできるわけがない。
するとそこで突然伊万里が立ち上がった。
「ねえ溝部君! 二人とも実行委員のおんなじ部署だって言ってたけど、文化祭当日ってこっちに手伝いとか来れないかな?」
「き、急に大声出さないでよ……。うちのところは準備と片付けが主だから、当日はそんなに仕事ないし普通に手伝いくらいはできると思うけど……」
「そっかーありがとー! と、いうことで大丈夫そうね朱里?」
「え、ええ。そうみたい……」
し、しまったー!伊万里はしてやったりといった様子でニヤニヤといつもの笑みを浮かべている。
こうなってしまってはもう逃れることはできないのか。なにせ他の女子たちも自分はやりたくないと思っているだろうし、実行委員という立場上準備にはなかなか参加できなくても当日は参加可能といった都合のいい存在は接客に向かわされるに決まっている。少しでも女子のコスプレ枠をつぶして自分はやらないようにしようという魂胆が見え見えだ。
「い、いや、でも私、人と話すのもそんなに上手じゃないし、接客なんてできるかなって」
「大丈夫大丈夫! 皆やったことないんだから、案外うまくできるかもしれないでしょ?」
その理屈はおかしい。
「それに絶対似合うと思うから! やっぱりこういうのは似合う人がやらないとね」
こ、こうなったら……
「じゃ、じゃあ溝部君にもやってもらわない?」
「えっ溝部君?」
なぜ? と怪訝な顔になる女子たち。
「ほ、ほら、彼って普通顔だし? ど、どう弄っても邪魔にならない顔してるじゃない」
「なるほどね、言われてみれば確かにメイクさせて女装とか似合いそうね。体型もほっそりしてるしありかも」
な、何やら真剣に考え始めるクラスの皆さん。そしてその端で一人必死に笑いをこらえる伊万里。まさか皆がこんなに真剣に考え始めるとは思ってもいなかったがうまくいった。こうして女子に興味を持ってもらえれば彼のコミュ障脱却にも近づくのではないだろうか。
彼の女装を私も少しだけ想像してみる。……うん、ありだな。
あれから数日、結局のところうまく今まで通りにするしかないという結論に至ってからそれなりにうまく平静を装うことができていると思う。
一回ほど上野さんと二人でいつもの場所で昼休みを過ごした時も割と何とかなっていたはずだ。途中上野さんの仕草に見とれたりぼーっとしてしまったりしたが不審には思われていないはず……多分。
自信はあまりないがそう思っていないとこれから先やっていけないだろうし、なるべく余計なことを考えない方が今まで通りに過ごせるだろう。
目下一番の目標は文化祭を何事もなく終わらせることだ。この際コミュ障脱却は第二目標にしてしまってもいいだろう。いや待て、いいのか? 彼女との約束にして彼女の一番の目標であるコミュ障脱却を後回しにしていいのか? いいわけがないだろう。しかし今の俺に彼女に協力することが果たしてできるだろうか。彼女と仲良くなるような男子がいたら……とてもじゃないが協力できる気がしない。
それは置いといて、現状彼女は徐々にではあるがクラスの人とコミュニケーションをとることに成功している。きっかけは藤井さんだろう。彼女がいなければこんなにうまくいくことはなかった。ここまで考えてふとあることに気づく。俺、今までもあんまり彼女の役に立ってないじゃん……。
まあもともと女子が苦手ってことで仕方ない面もあるかもしれないがこれはさすがになさけない。少なくとも彼女が頑張っているんだったら自分も頑張って見せなければならないのではないだろうか。
「……くん」
かといって何をすればいいのやら。前みたいに藤井さんと無理やりご飯を食べてみるとか? いや、あれはさすがに……。
「……溝部君!」
「は、はい!?」
「何回呼んでも返事しないからついつい大きな声出しちゃった。驚いた?」
「驚くよそりゃ!」
噂をすればなんとやら。藤井さんである。呼ばれていたのに気づかなかったこっちも悪いが心臓に悪い。
「えっとごめん、何か御用で?」
「いやあ、一人で何やら考え事してるみたいだったからさ。なんかこう、顔が目まぐるしく変化してたし」
その様子を一体どれだけの時間見られていたのだろうか。急に恥ずかしくなる。
「それで、悩み事? よかったら相談に乗るわよ!」
そんな元気そうに好奇心の塊みたいな顔で促されると一層話したくなくなるのだが。人に話すようなことはない人だと信じたいがそこまで信じるほど仲が良くなった覚えもない。でもこの様子だと退いてくれそうにないしなあ。
「う~ん、いや、どうやったら女子と仲良くなれるのかなって思って。仲良くはなれなくてもせめて普通に友達になれたらいいかなって思うんだけど」
「そんなこと? じゃあ私と仲良くしましょうよ」
「いやそうじゃなくってさ。こう不特定多数の人と普通に会話できるようになったらなって」
「それはちょっと高望みしすぎなんじゃないかな。逆にそんな人なんて一握りしかいないでしょ。それを溝部君が……どう考えても無理よ」
笑いをこらえる感じでこちらを見てくる。それはちょっと失礼なのでは。
「だって私や渡会君だってそんなことできないのよ? ちょっと前まで朱里に普通に話しかけられる人なんていた? いなかったでしょ。誰とでもってのはちょっとおかしい話だと思うな私は」
言われてみれば納得だ。それに、と彼女は続ける。
「今のあなたのコミュ力なら実際困ることはないんじゃないかって思うのよね。そりゃ相手によっては変に思われたりもするでしょうけれど、私や朱里で慣れてきたんならそんなに心配することはないわよ」
「いやでも、実感がわかないから、今でもうまくしゃべれないんじゃないかって」
「いいのよ親しくない人とは別段難しい話なんてしないんだし、今なら適当な受け答えができるくらいの自信はあるんじゃない?」
勉強会の日の朝のことを例に出して藤井さんは大丈夫だとしきりに言ってくる。それはただ単に藤井さんに慣れただけなのではないだろうか。
「それとも何、私が女子じゃないとでもいうのかしら」
「いや、そんなつもりはないんだけど」
「冗談よ。まあとにかくそんな悲観的にならなくても大丈夫よ。私が保証するわ」
彼女が一体俺の何を知っているというのか。でもなんだか不思議と大丈夫な気がしてくるからびっくりだ。普段は俺をからかってばかりだけどこういう一面もあるんだな。
「うん、ありがとう。藤井さん」
「どういたしまして。そうね、伊万里って呼んでもいいのよ?」
「それは遠慮しとくよ」
「あら残念」
それからというものの、実行委員での活動で後輩の女子と話すときやちょっとしたクラスの手伝いで女子と会話が必要な時、確かに藤井さんの言う通り、俺はまともな受け答えができていたように思う。何というか、今まで考えすぎていたんじゃないだろうかっていうほどにそれはもう普通に、良くも悪くも普通に話すことができるようになってきていた。
藤井さんに助言をもらうまでは女子というだけでびくびくしていたのに、なんだか嘘のようだ。
しかしそれとは裏腹に、上野さんと話すのはどんどん難しくなっていくように思う。何と言ったらいいのだろうか、今までのすべてがひっくり返ったというか、俺が今まで女性を意識していたそのすべてが彼女に集約されているというか。
コミュ障をいつの間にかクリアして上野さん限定のコミュ障になりました。とかもうわけわかんないから!
今日はまた彼女とあの階段で作戦会議、もといお食事をすることになっている。これさえ終えてしまえば文化祭が終わるまで彼女と二人きりになることもない。なんとか乗り越えねば……。
平静を保つため、あえて早めに待ち合わせ場所に向かう。彼女はいつも購買に寄ってからここまで来るため急ぐ必要もないのだが、なるべく心を落ち着けたいのだ。
本棟からかすかにざわざわと、生徒たちの騒ぎ声がいつもよりよく聞こえるような気がした。いつもなら自分の足音にしか注意が向かないが、ここはこんなにも静かだったのか。
そして屋上へ向かう階段に足をかけたその時。
「溝部君」
その声に心臓がドクンと一際大きく跳ねた。そう、もうすでに彼女はこの場所に来ていた。
「うっ、上野さん、は、早いね」
「ええ。驚いた? その、たまには私の方が先に来てみようかなって」
こんな時に気まぐれでそういうことをするのは止めてほしい……。こっちは口から内臓が出るかと思ったよ。
「まあ単なる気まぐれってだけじゃないんだけれど。実はその……言っておかなきゃならないことがあって」
俺に言っておかなきゃならないこととは一体何だろうか。
「驚かないでね? ……その、」
なんだかとても言いづらそうにしている。こんな場所で勇気が必要なことを言い出すなんてまさか……。
「……溝部君に女装をしてもらうことになりました」
あ、うん。知ってたけどね? 告白なんてありえないし。
うん? ちょっと待って。
「い、今なんて仰いましたか」
「だからその、女装をしてもらうことが決定しました」
状況がどうもよく呑み込めないのだが、いったいこれは何の冗談なのか。
「ごめんね? その、私の力では止められなかったというか……」
非常に申し訳なさそうな顔をする上野さん。八の字になった眉毛が可愛い。じゃなくて、
「え、えーっと、どうしてそうなったのかな」
彼女はじわりと目をそらす。
「実はその、怒らないで聞いてね?」
どうやら自分がコスプレさせられる流れを俺が確定的にしてしまったために、俺を道連れにしようとしたところなんとなく女装させる流れになってしまったとのことで。
「いやなんでそうなった?」
「う~ん、なんとなく?」
ちょっと首をかしげて可愛く言ってもこればっかりはだめだぞ!
「まあ、でもね、その、似合うんじゃないかな意外と。メイク映えしそうな顔してるから!」
「そういう問題じゃないのでは。俺の意思が完全に無視されてるんだが……」
「大丈夫! いけるいける!」
ふんすーと鼻息を荒くする上野さん。なんか今まで見たことないタイプの彼女だ。なんか怖い。俺の女装を望んでいるかのような。
「そんなに俺の女装が見たいの」
「ええ! 見たいわ! ……あ、いやその違うのよ? 私じゃなくて他の人が」
本音が完全に出てましたよ上野さん。それにしてもそんなにみたいのか? ならやってみてもいいかもな。それにしてもかなり緊張してここに来たのがなんだかばからしい。
「まあいいよ、とりあえずご飯にしようか」
「えっいいの? よかった~」
この日はこの空気のまま、なんとか乗り越えることができた。
「おお~」
「結構いいんじゃない?」
「思った通りね! 可愛いわよ」
「はあ、どうも」
どうしてこうなった。
文化祭当日、いつもより早めに学校に到着した俺は無理やり女装をさせられていた。女子にいろいろ触れられてちょっとドキドキしたのは別にいいとして、本当に似合っているのだろうか。
「ほらこれ、鏡みてみて」
近くにいた女子が鏡をもって見せてくる。そこにはいつも見慣れた俺の顔。ではなく、見たことない女の子の顔があった。
ちょっと待ってこれが俺!? いやいやいやいや思考が追い付かないんだが、おかしい。確かに化粧には化けるって字が入ってはいるがこれは化けすぎである。詐欺みたいなもんだ。
「くっ、溝部君に負けた感じがしてなんだか悔しいわ」
そんな目で見られても困るんですが藤井さん。
「まあ、声出したら男なんだけどね。そうだ!裏声出してみてよ」
他の女子がまた余計なことを言っている。やめてくれ!
「いいわねそれ。ほら溝部君何かしゃべって」
「えっ、え~あーあー。こ、こんな感じでどうかな」
言われたら逆らえない感じのこの空間ではこうするしかなかったのだ。
「……」
あーこれダメなやつだわ。絶対キモいとか思われてるよ。
「……いい! これはイケるわよ絶対!」
予想外の反応に驚いたがそうか、イケるのか俺。見た目もなかなか決まってたしな。
このとき、俺の中で何かがはじけた。
「ふふっ皆さん、今日はよろしくお願いしますね」
「いや、ノリノリでやられるとキモいわよさすがに」
ですよね!
そんなこんなで文化祭二日目は始まったのであった。
初日の体育館でのオープニングや文化部の発表は例年通りの楽しい時間だった。俺たち実行委員はその後の各クラス企画前日準備でてんてこまいだったわけだが何とか乗り切ることができた。
そして始まった二日目の今日。外部からもお客さんが来て毎年大盛況の文化祭本番ともいえるクラス企画の日がやってきたのだ。
「そろそろ時間だよ! 皆配置について!」
係の人が皆に呼び掛けていく。俺もそろそろ配置につかなくちゃな。
「えっ溝部君?」
その声に振り向くと、そこにはコスプレをした上野さんが立っていた。なんて言ったらいいのか、天使かと思った。
「うっ上野さん、その」
彼女はシンプルなメイド服を着ていた。その綺麗な黒髪も相まって清楚な印象を与えているが、それでいて以前の彼女よりも柔らかい雰囲気を醸し出している。
「びっくりした。もう女装してたのね。それにしてもなんというか、いいわね」
口の端が変に吊り上がった彼女の顔は先ほど感じた印象を台無しにしていた。
「上野さん顔が変になってるよ……その様子だと大丈夫みたいだね」
当日緊張していたら大変だと思っていたが、今のところ大丈夫そうだな。
「時間時間! お客さん来るよー!」
どうやら予定されていた時間になったらしい。
「それじゃあ溝部君、最後のひと踏ん張りね」
「うん、そうだね。あっそれと」
「何?」
「その恰好、とっても似合ってる」
「えっ、そっそそう? あ、ありがとう……。そ、それじゃあ!」
よし! なんとかうまく言えたぞ! あの反応なら変には思ってないはずだ。俺は張り切って最初のお客さんを迎えた。
「いらっしゃいませ!」
お客さんはぽかんとしている。あれ、俺何かした?
「溝部君、地声じゃあそりゃびっくりするよ」
「あっごめんなさい」
最初のお客さんこそ元気なあいさつで出迎えた俺だったが、その後は失敗したということもあるが、我に返って裏声を出すのが恥ずかしくなってしまいなかなか接客ができずにいた。幸い俺と上野さんは飛び入り参加だったため、なぜか衣装は用意されていたが、それほど仕事をしなくても許されている雰囲気だ。というかぶっちゃけ何をやっていいかわからない。いらっしゃいませ以外に何すればいいんだ?わからないことはしっかり聞こう。これ大切。
「あの~」
「何? 溝部君」
「いや、結局何をすればいいか聞いてないなーと思いまして」
「ああ~ごめんごめん。といっても接客してとしか言えないんだけど、マニュアルとかないし。そうだなぁ、男なんだしもしもの時に備えて見張りってのはどう?」
じゃあなんで俺はこんな格好させられてるんですかね……。
「はあ、わかりました」
「んじゃよろしく~」
結局仕事がなくなってしまった。俺ここにいる必要ないんじゃないのかな。
暇なのでここは辺りの様子をしっかり見張ることに専念しようと思う。
コスプレ喫茶とは言ったものの、みんな結局メイド服ばっかりである。ただ色はみんなそれぞれ違うようだ。明るめの色が多い中、上野さんの黒だけが逆に目立っている。
上野さんも何をしていいのかわからないのか、ぼーっとしている。その様子をじっと見ているとふいに目が合ってしまった。すると彼女は近寄ってきて小声で話しかけてくる。
「ねえ、これ結局どうすればいいの?」
彼女がひそひそと話しかけてくるので耳が幸せだ。じゃなくて、
「え、えっと、俺はなんか見張りやっとけって言われて……」
「私もそれでいいかしら? 接客なんてまだ私には無理と思うのよね」
そういえば彼女は俺と違ってコミュ障の範囲が広い。最近人と少し話すようになったけどそれは知り合いとだけだ。
「じゃ、じゃあ二人で立ってようか」
こうして二人揃って見張りをすることにした。はっきり言ってめっちゃ気まずい。普通ならラッキーだと思うのだろう。だが今俺が置かれている状況はいささか普通とはかけ離れているように思う。
一つは俺が彼女を意識しすぎて現在進行形で彼女に対してコミュ障状態であること。正直他の女子より緊張する。
そして今俺は女装しているということ。どうして好きな人と女装しながら二人でいないといけないのか。これは拷問に等しい。
ここはいったん退くしかない。じゃないと俺がもたない。
「お、俺はあっちの方で見てるよ」
「そう? そんなに広くないからどこで見てても変わらないと思うけど」
「いやいや、見張る以上はとことんやらないと」
そう言って彼女との対角線上に移動することに成功した俺は安堵しつつも軽く後悔をする。
いつまでもこのままではいけないと思いつつも打開をする勇気が俺にはないのだ。現状をきっぱりと維持することも、思い切って告白することもできないのだ。
こうしていつものようにうじうじしているとその時、
「ねえちゃんたち可愛いな。このあとちょっと付き合ってくれよ」
「いえその、困ります……」
「ああ? いいじゃねえか」
まるで見本のような迷惑客が現れたのだった。
見張りを任されている身であるので咄嗟に前に出る。何を思ったのか俺はこの時裏声を忘れていなかった。
「お客様、そういったことは他のお客様にご迷惑が掛かりますので……」
「なんだよ……おっ、ねえちゃん可愛いね! どうだい代わりにあんたが相手してくれないか」
「ですからお客様」
「いいじゃねえかよ。な?」
「私男なんですよ?」
「えっ。……またまた冗談がうまいね!」
「いや、だから俺、男です」
「えっ」
迷惑男は一瞬固まった。
「いやいや俺は騙されねえぜ。男の声も出せるなんて芸達者だね!」
「だから男なんだってば」
「いいからいいから行こうぜ」
男は俺の腕をつかみそのまま連れていこうと歩き出す。力はかなり強かった。
「ちょっと、やめてくださいって」
俺が本気で力を入れようとしたその時、
「そこまでです」
一言で静寂が訪れた。
「そこまでにしていただけますか。これ以上は本当に、警察呼びますよ」
声の主はもう一人の見張り役、上野さんだった。その凛とした声は怒気をはらんでいた。底冷えするような迫力に迷惑男は、先までの態度はどこに行ったのか、気圧されていた。
それに、と上野さんは付け加え、
「この子は私のですよ?」
まるで凍り付くような笑みで……いや待って今なんて言ったこの人?
すごい迫力で放たれたその言葉に、男はおろか周りのみんなの空気が凍り付いた。
「えっとその、お幸せに?」
混乱しているのだろう。男は意味不明なことを言って立ち去っていった。
そのままの空気でしばらくたつと、ようやくといっていいのか、拍手が巻き起こった。
その後、俺たち二人はなぜだかクラスの皆さんから見張り役を降ろされ、楽しんできてねと生暖かく見送られた。もちろん女装は解いてもらった。
「あの~上野さん?」
「と、とりあえず何か食べましょうか!」
上野さんが歩きだすので仕方なくついていくことにした。彼女は迷わずたこ焼きを出しているクラスに行きたこ焼きを買って俺に渡してきた。
「あ、ありがとう。そ、それにしても、動きに迷いがないね」
「その、友達と回れるかもと思って、結構パンフとか読み漁っちゃったのよ」
彼女は頬を赤らめ顔をそらす。控え目に言って超かわいい。
「友達とってことは、仲いい人ができたの?」
「いや、その、あなたと回れるかなって」
なんだってこの状況でそういうことを言うのか。いよいよ俺の頭の中は混乱してくる。
「と、とりあえず落ち着いて食べれるところに行きましょ」
いや、確かに落ち着いて食べれる場所だけど。
「なんでまたいつものところに?」
上野さんに言われるがままについてきたら、いつもの場所に来ていた。
「あなたと食べるなら、ここかなって」
階段に座りいつも通りに、彼女は食事を始めた。俺も彼女に倣いおとなしくたこ焼きを食べることにする。
確かにいつも通りなのだが、何とも言えない緊張感に包まれている。間違いなくさっきの出来事が原因である。
「あの、さっきのことだけど」
「何?」
「いや、その、迷惑客を撃退した時の」
「あーあれね、なんていうかその……咄嗟に出ちゃったというか」
咄嗟に「この子は私の」なんて言葉が出てくるのか……。
「だ、だから、その、その場の勢いで出ちゃったというか」
「本音が?」
冗談めかして聞いてみる。
「ええそう本音が……待って今のなし!」
顔を真っ赤にして上野さんが否定してくるがもう遅い。そうか、本音が、ね。
「ち、違うのよ! あなたに迷惑客がつっかかってるの見てたらなんだか腹が立っちゃって、そしたら頭がこうピシッとなっちゃって……あーもう忘れて!」
「あーあれだね。コミュ障特有の妙なテンションのやつだよねわかるわかる。それにしても、普通立場が逆でしょ」
否定を適当に流して一番の問題点を指摘する。この時俺も半ばやけくその変なテンションになっていた。
すると彼女は気が抜けたような顔になった。
「ふふふ、確かにそうね。おかしいわ」
「でしょ? ははは」
二人でおかしくなったかのようにしばらく笑っていると、不意に彼女が問いかけてきた。
「もし今回と立場が逆だったら、あなたはどうした?」
「どうだろうね。その時にならないと分かんないや」
「なによそれ。でもそんなもんかもね」
彼女は一人、何かに納得したようだった。
「私ね、ずっと考えてたのよ」
「何を?」
「あなたのことどう思ってるのかなって」
俺は息を吞んだ。黙って続きを待つ。
「それで、多分、ね。その、好き、なんだと思う」
彼女の口から出たその言葉。俺にはこの時実感がわかなかった。
「えっとそのね、異性としての好きだとか、友達としての好きだとか、そういうの関係なしにあなたのことが好きなんだと思う。あなたといれば落ち着くし、あなたといれば楽しいの」
「それは、俺だって」
「ちょっと前からあなたの様子がおかしかったのが気になってたの。それで実は伊万里に相談してたのよ」
どうやら彼女にはいろいろバレているらしい。
「あなたがおかしいのは異性として意識してるからじゃないかって伊万里は言ってたわ」
この前の件といい今回の件といい藤井さんはエスパーか何かなのかな。こちらの考えていることがバレバレで恥ずかしすぎる。
「だから私も考えたの。私があなたに対して抱いているのは何かなって」
彼女は今までみたこともない優しい顔を浮かべていた。
「あなたは私にたくさんのはじめてをくれた。あなたは私と一緒に悩みを背負ってくれた。そこに下心なんてなかったし、いつでも私と一緒に頑張ってくれた」
確かにその通りだ。彼女の手伝いをしたいと思ったのは純粋な気持ちだった。
「そんなあなたに、好意を持たないわけないじゃない」
そう言って彼女は笑いかけてくる。
俺は、どういっていいのかわからなかった。でも言わなきゃいけない気がしたんだ。
「俺も上野さんが好きだ。大好きなんだ」
すると彼女はまたおかしいといった風に笑った。
「ふふっ、また立場が逆だったわね」
恥ずかしさで自分の顔が真っ赤になっていくのがわかった。
「うっ、それはその、あーもう! どうして今日の上野さんはそんなに強気なのさ! コミュ障はどこにいったんだよ!」
「そうはいうけれど、私があなたに対してコミュ障だったのって最初だけじゃない? むしろ最初から結構話せてたと思うんだけど」
言われてみれば確かにそうである。
「結局どうしてなのさ」
「さあ、どうしてでしょう?」
「なんだよそれ。ははは」
「ふふふ」
「で、これからの話だけど」
「ええ、なに?」
「俺達好き合ってるってことでいいんだよね?」
「ええ、そうね」
「それじゃあ、付き合わない?」
「いいわよ」
「えー何でそんなに軽いの」
「だって、私たちの関係にそんなに変化なんてないじゃない。それに今日一日であなたも吹っ切れて前みたいに戻ってるわよ」
言われてみれば確かに普通に彼女と話せているように思う。
「いや、そうだけど。付き合うからにはそのいろいろと……」
「なに? エッチなことでもしたいの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「それはそれで傷つくわね。でもまあそれならいいんじゃないの?」
「うーんいいのかな?」
俺がどうしたもんかと悩んでいると、彼女が肩を叩いてきた。なんだろうと彼女の方に首をひねると、彼女の顔がすぐ近くにあり―――
「んっ……!」
口に柔らかい感触を感じびっくりした俺は首をすぐに後ろに戻した。
「なっ、ななな何を」
「ふふふ、また逆。結構面白いわね。伊万里があなたで遊んでる理由がよくわかるわ」
まだ妙なテンションを引きずっているのだろうか。俺と彼女のファーストキスは何の余韻も感じられなかった。
「仲良くなった人とはとことん仲良くなりたいのよ」
なんか、性格変わってませんかね? その不敵な顔もとてもかわいらしく見えてしまうのだが。
文化祭も無事に終わり、片付けも終わり、私は疲れながらも家に帰ってきて布団に横になっていた。
片付けですり減っていた精神が回復し、今日一日で何があったのかを思い出す。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ私のばかああああああああああああああああああああああああ!!」
どうしてあんな恥ずかしいことを言いまくったの私!
「ちょっと朱里! また歌ってるの? うるさいわよ!」
お母さんが何やら言っているがそれどころではない。
ああどうしよう明日どんな顔をして溝部君に会えばいいの! 穴があったら入りたい……。
しばらく布団の中で悶えているとスマホに着信が入る。まさか彼からかと思いながらいつもより素早くチェックをする。本当に彼からの着信だった。
「今日は多分変なテンションになってただけだと思うけど
あんまり気にしないでいいからね」
あの溝部君にまで察されていた。ああ恥ずかしすぎて死にそう。
翌日、私は憂鬱な気分で登校していた。
「あっ上野さん! ってどうしたの!? そんなに実行委員が大変だったの?」
最近よく話しかけてくれる同じクラスの女子が私の様子に疑問を持ったようだ。確かに片づけは大変だったが本当に大変だったのは私ですよというわけにもいかず、適当に応対する。
「そうなのよ、片付けも大変だったの」
「片付けもって他に何かあったの」
自分のコミュ力を過信した私がばかだった! テキトーに言ってしまって自分から晒してるじゃない!
「あっもしかして昨日の溝部君とのこと?」
言われて一瞬頭が真っ白になった。
「まさか上野さんがあんな大胆告白するなんてね! しかも相手は溝部君、公衆の面前で私のモノ発言なんてびっくりだよ」
そうだったああああああああああ! そういえばそんなこともありましたね! ああ死にたい。
「ち、違うのよ、あれはその」
その時、タイミング悪くいつもは時間が合わない彼が現れた。
「あっ、上野さんおはよう。ええっとそれと……」
「池田よ」
「ああ池田さんおはよう。上野さん、昨日のことはその、お気になさらず」
そう言ってそそくさと先に行ってしまう。
「ほほう、昨日の事とは、何があったのか教えてくれるかな上野さん」
「勘弁してください……」
「あなたがちょうど通りかかってあんなこと言ったせいで大変だったわよ……」
「まあ上野さんにも藤井さん以外の女友達ができてるようで安心したよ」
そんなことより、と彼は言うと、
「次のコミュ障脱却作戦なんだけど何をしたらいいと思う?」
「へ?」
「だって俺はまあいいとして、上野さんのコミュ障ってほとんど治ってないでしょ」
確かに言われてみればその通りだ。
「だから次は俊之辺りと話してみるのはどうかなって思うんだけど」
溝部君、ほんと渡会君のこと好きよね。あまつさえ彼女に他の男と話すことを提案するなんてちょっとおかしいわよ。
「はあ、なんだかいろんな事考えてた自分がばかみたい」
「ん? 何か言った?」
「いや、いいわよ。今度こそコミュ障脱却しましょうか」
「おっやる気だね上野さん。じゃあここに俊之呼んでみようか」
「それはダメ。ここは私とあなただけの場所よ」
「ははは、そうだね」
急には私たちの関係は変わらないけど、こうして少しずつ少しずつ変化していくのも、悪くないかな。
さて、実行委員というのだからもちろん集まりなどもあるわけで。今俺たちは会議室に集まって初めての会議に参加しているわけだが、周りにいるのは何ともやる気に満ち溢れているような人ばかりで何となく場違いかなと思ってしまう。同学年の男子には見知った顔もいるが、そいつらは揃ってなんでお前がいるんだ見たいな目で見てくる。いやまあさ、今まで自分が積極的にこういうのに関わらなかったのは確かですけどね? みんなひどくない?
前にも言ったがうちの学校の文化祭は他校に比べて比較的早い時期に行われる。それゆえ準備期間というものも少なく、各クラスすることが決まってからの猶予は一か月弱ぐらいだろう。その後にはすぐにテストも控えていたりするので精神的にもなかなか厳しいものがある。そう思うと最小限のことにしか参加してなかった去年の自分が恥ずかしくなってくるんだが。
またその期間の短さから、どうやら実行委員もなかなか忙しいらしい。それぞれの役割はもちろん、クラスの方についても手伝いがあったり、放課後も残っていろいろしたりするのは当たり前のようだ。
総務や会計は基本的には三年生がやってくれるらしいが、それはつまり俺たちが動き回る仕事をするということらしい。人と関わることも必然的に多くなるし、それこそよく知らない他の実行委員と連携していかないといけないのだ。
実行委員長の話で分かったことだけでもなんだか不安になってくるがここまで来たのならばやるしかない。
一、二年生が受け持つのは写真での記録や備品の各クラス、部活への貸し出しの管理、ステージの機材関係全般、展示関係などなどまだまだいっぱいあって、どう考えても今いる人数じゃあ足りない感じなんですが……。どうやら話を聞いていると責任者とかに実行委員をつけるだけで人数は有志で集めるんだとか。
ひとしきり説明が終わったところでまずは自己紹介だと実行委員長が自ら自己紹介を始める。え、何こういうのあるんですか? 順番が回ってきたがひとまず学年、組、名前だけ言って座る。上野さんも普通にできたみたいでとりあえず一安心。よくよく考えてみれば彼女はクラスでの自己紹介も自分の名前だけだったような気がする。
ようやく自己紹介も終わり今度は役割分担を決めることになる。どうやら移動して話し合って決めろとのことで会議室もなんだか騒がしくなってきた。二人離れて別の係になってしまっては今後彼女と連携が取れなくなってしまうので先にどれにするかを決めておく。
「上野さん、どの係にする?」
「そうね、備品の貸し出しとかがいいんじゃない」
俺は別に写真以外なら何でもよかったので首肯した。備品の貸し出しならば適度にいろんな人に関わりながら仕事をすることになるので案外俺たちにピッタリかもしれない。それに人数もそんなに控えてる必要もないだろうしクラスの方にも結構顔を出せるかもしれない。
そんな風に考えていたたところ、同じく実行委員の長山がこちらに向かってきた。長山とは去年クラスが一緒だったのだが、普通に話す程度の関係だ。
「溝部が実行委員なんてなんか変な感じだな。それに上野さんと一緒なんてうらやましいなおい」
そして彼は上野さんファンの一人である。後半は小声で言っていた。
「俺にも心境の変化があってな。まあそういうことでよろしく頼むよ」
「ふうん。そんなことより上野さん、俺長山って言います! よろしくお願いします!」
「え、ええ。よ、よろしく」
俺に対する態度と違いすぎるだろ!
「それよりなんか用か長山」
「ああそうだった、二人はどこの係がいいんだ? 一応みんなに聞いて回ってるんだけど」
さすがまじめな長山だ。もうすでに一、二年を仕切り始めているらしい。
「それなら俺たちは備品がいいぞ」
「俺たちってことは上野さんもそれでいいんですか?」
上野さんがうなずくと
「了解です。それにしても溝部は女子とまともに話せるようになったのか? 上野さんとすでに話しているとは何とも意外なのだが」
「俺ってそんなに露骨に女子と話せない人間だったのか……。まともに話せるかどうかはともかく、前よりはマシになってると思うよ」
長山はさらに、それにと付け加えて俺に耳打ちをすると
「上野さんってあんな感じだったっけか? なんか以前とイメージが違うんだが」
何とも返答に困る。
「そ、そうかな? もとからこんな感じじゃないかな」
「そうだっけな。まあいいかひとまずまた後でな」
「はいよ~」
翌日、俺たちはいつもの場所で昼食を採っていた。
「で、結局希望通りに備品係になったわけだけど」
「けど?」
「クラスの方と両立するのきついと思わないか?」
「そうよねぇ……」
そうなのである。考えていたよりもかなり仕事がきつい気がするのだ。
「当日まで放課後かなりの時間学校に拘束されると考えると……」
帰宅部的にもなんとも気が重い話である。
「まあそれは準備期間が始まってから考えるとして」
「問題は今後どういう風に身を振っていくかでしょ」
そう、ここまでは黙っていても話が進んだ可能性は高いしそもそもあんまりコミュ障の改善に役立ってもいない。ここから文化祭に向けてクラスの人や実行委員の人とどういう風にコミュニケーションをとっていくかが重要なのである。
「まずはクラスでどうやっていくかだけど」
クラスの企画はコスプレ喫茶で決定、各責任者も決まりあとは衣装と内装をどうするか決めていくだけだ。これには買い出しなども必要になってくるだろう。率先して買い出しに行くべきか否か、それはその時に考えるとして
「衣装ってどんな風になるんだろうな。そもそも作れる人とかいるのかな」
できればとびっきり露出が高いのとかでもいいんだけど。
「どうしたの急にニヤニヤして。気持ち悪いわよ」
思考が顔に出ていたようだ。それにしても気持ち悪いってひどくないですかね。
「コスプレ喫茶っていうくらいだからやっぱり何種類か用意するんでしょ? 私はメイドさんくらいしか思い浮かばないけど」
アニメのキャラクターになっても分かりづらいし、あまり過激な格好をしても実行委員に止められそうだしなぁ。
「まあ女子の皆さんに決めていただけばいいんじゃないかな」
「えっ、男子もコスプレするのに?」
「えっ」
どうやら俺と彼女の間には認識の齟齬があったようだ。
「てっきりかわいい女子を使って客引きをするためにコスプレ喫茶にしたんだと思ったんだけど」
「そうはいうけど、かっこいい男子を使えば女の子も客引きできるじゃない」
いや、言われてみたらそうなんだけど、俺の中の何かがそれは違うと言っているような気がしてな……。
「そうよ! 女装とかしたらいいじゃない! ありきたりだけど盛り上がるのは間違いないわよ」
「俺は食事時に女装なんか見たくないんだが……ていうか俺たちがやるわけじゃないんだからこんなの考えてもあんま意味ないよな」
「先に言い出したのはあなたでしょ」
「そうだったっけ? まあそれはともかく、実行委員ではどういう風にする?」
「クラスの方は何も決まっていないんだけれど……。まあそうね、備品の実行委員はもう一人いたわよね? 長山君だっけ、私はひとまずあの人と話せるようになればいいかなって感じかしら」
そうだ、頼れる長山がいたんだったな。長山になら少し備品係をひとりで任せることもできるかもしれない。
「それじゃあ長山と普通に話せるようになって、その他の有志の人にも少し話せる人ができたらクラスが大変だとか言って少し仕事を抜けてクラスの様子も見に行けばいいか」
「それって大丈夫なのかしら」
「備品の方が滞らない限りは大丈夫だと思うよ。去年も実行委員の人がクラスでも頑張ってたし」
それに上野さんも無表情にならなくなってきている。この間にできるだけ多くの人と話す機会を作った方がいいだろう。
「そういうものかしら」
「そういえば昼ご飯なんだけど、クラスの人と食べてみるのはどうかな」
突然の提案に目を白黒させる上野さん。
「俊之が前に言ってたんだけど、一緒に食事をした方が人と仲良くなりやすいんだってさ」
「確かに、私たちも一緒に食事をして仲良くなったわよね」
急にそういうことを言われてもちょっと照れるんですけど。
「……まあそういうことで、藤井さんと一緒に食べるなりしたら周りの人とも一緒に食べることになるだろ?今なら文化祭が共通の話題になるし」
「だけど、ここでも週二回は食事をしましょ。作戦会議は必要でしょう?」
「それは別にいいけど」
作戦会議ならSNSでもできると思うのだが。
それから数日が経った。
「それで、調子の方はどうだ? 樹」
突拍子もなく俊之が聞いてきた。
「まあ、ぼちぼちかな」
「何がぼちぼちだよまったく、少しは上野さんを見習え。彼女はぎこちなくはあるが他の女子と一緒にご飯を食べているというのに」
わざとらしい口調で嫌味のように俊之が言う。ここ数日の彼女は確かに藤井さんと一緒に女子の中に入ってご飯を食べたりしている。
まあ俺がそうするように言ったのもあるとは思うが……。
「ここはお前も一緒になって女子とご飯を食べるしかないとは思わないか?」
「ちょっと待てそれはおかしくないか!?」
「おかしくはないと思うわよ溝部君?」
また背後から藤井さんが現れた。彼女は忍者か何かなのだろうか。
「渡会君の言う通り、一緒に食べてみるのも悪くはないんじゃない? 今のままじゃ上野さんだけが頑張ってるだけよ。あなたも一緒に頑張るんじゃないの?」
この人もこちらのことはもう何でも知ってそうな感じだな……。上野さんか俊之、どっちかが話したんだろうけど、むやみやたらに広めずに俺を弄るだけ弄るのは助かるのだがこう、複雑な気持ちだ。
「いやまあそうだけど、だからといって俺が入っていくのはどう考えても変だろ……」
「そこはまあ、私が何とかしてあげるからさ! ね?」
何ちょっとかわいく言ってるんだこの人は。
どうしてこうなった。
俺はなぜか一人で女子が昼食を食べている中に投下されている。唯一の救いは上野さんがいることか。
「でさ~溝部君ったらその後耳まで真っ赤にしちゃって~――」
そんな中で藤井さんに恥を晒されているわけだが、
「ちょっと溝部君、これは一体……」
上野さんが小声で聞いてくるがそれはこっちのセリフだ。
「なにそれウケるんですけど」
「恥ずかしがり屋なのになんで実行委員になったの?」
「そ、それはなんというか、こう、急に思い立ったというか、ははは……」
名前も覚えてない人にこう言う風に話しかけられるとやっぱり言葉に詰まってしまう。
「それに前から気になってたんだけど、上野さんもどうしてオッケー出したの?」
「えっ、わ、私はその、別にやってもいいかなって、その、思って」
「そうなんだ~なんかイメージと違うよね~」
「確かに初めて話したのもここ最近だけど、なんだか思ってたよりこう」
「控え目?」
「だよね~」
なんだか上野さんにいいイメージをもってくれたのかな? そういうことにしておこうか。
「朱里も恥ずかしがり屋さんだもんね~溝部君と二人合わせて恥ずかしがりやコンビでしょ?」
「それじゃあ藤井さんと俊之は意地悪コンビだよ!」
「ふふ、あなたにだけね」
なんでいまちょっと色っぽい声出したんだよ……。
「あ、溝部君ちょっと赤くなってる」
「何考えたの……」
「やっぱり溝部君は弄りがいがあるわね!」
ううう、ひどい。上野さんはクスクス笑ってるし。
「あ、上野さん笑ってる~」
「初めて見たかも」
「え、あ、いや、その」
あ、上野さんも赤くなった。
「ふふ、二人とも赤くなっちゃって、かわいいわねあなたたちホントに!」
もうやだ、帰りたい……
有志の人たちも集まったようで、今日から本格的に実行委員の仕事が始まるらしい。始まるらしいというのも、なんだか全体的に、特に三年生からゆったりした雰囲気が漂っていて何とも緊張感に欠けるというか、思っていたのとちょっと違う感じだ。
「なあ長山、実行委員って普通はこんな感じの雰囲気なのか? なんか不安になってくるんだけど」
「ああ、俺もここまで緩んだ感じなのは初めてかもしれないが、こういうのに慣れてる人が多いだけだと思うぞ。なあに、責任が大きい役はほとんど三年生だからな、俺たちが心配することでもないさ」
言われてみればその通りだ。俺たちは下っ端も下っ端、備品の管理しかすることはないだろうし気楽にしていることにしよう。
クラスなどでの準備も今日から本格的に始まることになる。いわゆる文化祭週間というやつだ。
「そうだ長山、クラスの方も忙しいみたいで手伝いとかしに行きたいんだけど、大丈夫かな」
「それならちょっと前に説明されてただろ。うちのところは大丈夫だとは思う。思うけど、お前本当に溝部か?クラスを手伝うなんてなんか気持ち悪いぜ」
ひどい言われようだ……。ともあれクラスの方にも顔が出せそうなので一安心だ。まあやることなんて装飾の手伝いくらいなんだけどさ。
しかしメインはあくまで実行委員で女子と少しでも関わってコミュ障を矯正することである。この係のまとめ役はもちろん長山だが俺も長山補佐のような役割をして積極的に人と関わっていくべきだろう。幸いにもうちに来てくれた有志は女子がほとんど、機会はいくらでもある。
「あ、すみません先輩。トンカチとかってどこにありますかね」
早速話しかけられた。それにしても後輩か、なんてコミュ力だ。俺ならいきなり普通に先輩に話しかけるなんてできない、絶対にできない。相手が男でも無理だ!
「あ、えっと、トンカチならここら辺に……あったあった。はいどうぞ」
「ありがとうございます」
くっ、なんて自然なありがとうございますなんだ! つられてこっちもお辞儀しちゃったよ。圧倒的なコミュ力に対して自然と頭が下がった感じだ。変に思われてないかな大丈夫かな……。
こんな感じで仕事をしていくなか、少し仕事と担当の女子たちになれ始めたころになってようやく他のことにも気が回るようになってきた。そう、上野さんの様子を見るのをすっかり忘れていたのだ。まったく見かけないのだが……。
「なあ長山、上野さんはどこに行った?」
「上野さんならなんだか端っこの方で椅子に座ってるんだが……。なんか声かけづらくてな」
あっ、ほんとだ。なんだか椅子に座っていつもの無表情になってる。
「ああ~、ちょっと行ってくるわ」
「マジか溝部。やめとけって……」
長山はちょっと前に上野さんのイメージが変わったって言ってたのに、意外とビビりなのかな。
とりあえず俺は小声で彼女に話しかけてみる。
「上野さんどうしたの」
「……へへへ」
彼女は気味の悪い笑い方をして無表情のままこう言った。
「初対面で名前も知らないのにあんなふうに接せるなんて、つくづく自分のコミュ力のなさを実感させられるわ」
ああ~どうやら彼女は俺も少し感じたように彼女たちのコミュ力の高さに当てられたようだ。しかもほとんど心を折られている。
「大丈夫だって、あの人たちも藤井さんほどのコミュ力は持ってないはずだから」
多分、
「そんなに落ち込まなくても自分のペースでいいんだから。俺だって少しずつ話せるようになってるし」
それでも上野さんの無表情は元に戻らない。これは相当だな……。
時間的にもちょうどいい、ここはひとつ戦略的撤退をすべきだろう。
「長山、ちょっと俺たちクラスの方を見てくるけど任せてもいいか?」
「あ、ああ、いいぜ」
「それじゃあまた後で」
上野さんの手を引いてひとまずこの場から離脱する。
「え? ちょ、ちょっと!」
彼女は混乱しているようだがさっさと退場してしまおう。
「ちょ、ちょっと待って」
しばらく歩いたところで彼女が声をかけてきたので落ち着いたようだと判断し振り返る。すると彼女の顔は、なんだか真っ赤になっていた。
「……手」
? 何か言っているがよくわからない。
「……手! 手よ!」
「手?」
俺はいま彼女の手をそれなりの強さでしっかりと握っている。言われてから気づいたが女の子の手をしっかり握ったのなんて初めてだ。なんだか柔らかくてすべすべしてて、ずっと触っていたいと思えるような……。そこまで考えて、俺は急に恥ずかしくなって手を放した。
「ご、ごめん!」
「いや、その、別にいいんだけど、その……恥ずかしかった」
「ほんとにごめんなさい!」
その日、それから家に着くまでの間のことはあまりよく覚えていない。クラスの手伝いを少ししたことは確かだが、彼女のことで頭がいっぱいだった。今まで無理にでも意識しまいとしてきたことが一気に膨れ上がって俺の中で溢れそうになった。最初は一方的に憧れていただけだ。彼女は綺麗で、孤高で、だけどどこか儚くて。でも、本当はコミュ障で友達がいなかっただけで、彼女と話すようになってからは一緒にいると楽しかったし、ちょっとした反応もいちいち可愛くて、二人で一緒に目指すものができて―――
今までに味わったことのない胸の高鳴りといえばよいのか。考えれば考えるほどどつぼにはまっていくこの感覚はやはりそうなのだろうか。ただ手を握った。それだけのことで自分がこんなになってしまうなんて思いもしなかった。思考が彼女で支配されている。言い訳がましいが今までの彼女を応援したい気持ちも、感じていた友情も決して嘘だったわけではない。俊之が言っていた男女間の友情についての話を思い出す。俊之が言っていたことはまさにこのことだ。少なくとも男は否応にもなくこの感情に飲み込まれるということをあいつは言おうとしていたんだと今になって理解した。
これは今後彼女のことを直視できないかもしれないな……。
かといって二人でコミュ障を脱却するということは決定事項だし、実行委員でも一緒になる。そして週に二回は彼女と食事をとることになっている。こんなの血気盛んな普通の男性諸君にはご褒美以外の何物でもないはずなのだが、彼女のことを強く女性として意識してしまったことと、一人で勝手に感じている後ろめたさとでまともに話ができる気がしない。
そう、結局は自分の問題なのだ。勝手に憧れて勝手に友情を感じて勝手に応援しようとして、そして勝手に好きになった。彼女が俺のことをどう思っていようがこうなっては仕方がない。一度意識してしまったことはどう足搔いても離れていくことはなく、ただ近づいていくものなのだ。なのだが、俺にはそれを強引に押し通す気概もなければ抑え込んでいく今まで通りにする自信もない。いったいどうすればいいんだろう。
こんな時こそいつも通りに、俺は俊之を頼ることにした。
「というわけで俊之、何か助言を」
「今度は何かと思えば……そんなこと俺に聞くんじゃねえよ」
「まあそう言わずにさ、親友だろ?」
俊之は心底呆れたようにため息をする。
「こっちとしては何を今更って感じだけどな。とりあえず今まで通りにする以外に何か俺がアドバイスするようなことあるか?こんなの相手に不信感与えたら終わりだろ」
さすが俊之。ごもっともである。
「いくら幼馴染のこととはいえ、自分以外の色恋沙汰ってのはなんとも言えんな。こういうのは首を突っ込んだら痛い目見るからな」
どこか遠い目をする俊之。俺の知らない何かが過去の俊之にはあったようだ。
「そうだなぁ、いっそのこと告っちまうとかどうだ? まあお前には難しいか」
俊之の提案はどちらも俺が考えて厳しいと思ったことだ。このどちらかを天秤にかけてみることができれば決心などすぐにできるのだろうか。
「まあ現状維持が一番だと俺は思うけどな。変に焦ることはないよ」
やっぱりそれしかないか。今のままで文化祭を終えることができるのか、不安だ。
文化祭実行委員になってからいつもよりもちょっと忙しく、いつもよりも人と話すことが多くなっていっているのを実感している。これは溝部君と話して決めた、昼食を彼以外の人ともとるようにすることが伊万里のおかげで思いのほかうまくいっているのが大きい。
こうしてみるとやっぱり友達という存在がいかに大切なものかがわかる。溝部君や伊万里の協力がなければ、私は今も変わらず教室で一人毎日を孤独に過ごしていただろう。
ところがここ数日彼、溝部君の様子が以前と違うような気がするのだ。表面上は特に変わった様子もなく見えるが、ふとした拍子にぼーっとしていたり、表情が硬かったり。
心当たりがないわけでもないのだが、それが原因っていうのもなんだか釈然としないというか。
「それで私を頼ってきたってわけね」
こういう時、一人で悩んでいても仕方がない。ということを今の私は知っている。そういうわけで早速伊万里に相談を持ち掛けることにした。
「どうにも彼の様子がおかしいのよ」
「そうかしら? 私が今朝からかったときにはそんな感じはなかったと思うけど」
どうやら伊万里に対してはいつも通りらしい。
「で、朱里には心当たりがあるのよね? 一体何かしら」
「いや、それがね」
私は彼の様子が変わる前、私が後輩たちのコミュ力に震えていた時、急に手を取られ教室の方に向かったときのことを話す。
「……釈然としないも何もそれしかないでしょ。そこから態度が変わったっていうなら」
やっぱりそうなのだろうか。私の方はみんなになんだか変な目で見られていたから恥ずかしかっただけなのだが。
「何不思議そうな顔してるのよ! ……彼も相当だけどあなたもかなりアレね。」
「そう言われても、こっちは全くピンと来ないのだけれど」
「あーもうめんどくさいわね。そうね、あなたたち今まで手をつないではいなかったでしょ?」
それはそうだ。わざわざ手をつないで何かすることもなかったし。
「あなたと彼の関係は? ただの友達でしょ?」
「ただの友達じゃないわよ」
私と彼はコミュ障仲間、一蓮托生のコミュ障脱却同盟である。
「だからそうじゃなくてね、あなたたちは彼氏彼女の関係じゃないってこと」
それはまあそうである。彼も私も友達だと言っている。
「ここからは私の推測に過ぎないんだけど、朱里と咄嗟に手をつないだ時には何も思わなかったかもしれないけど、冷静になってから気づいちゃったんでしょうね。その感触とか朱里の反応で」
「気づいた? 何に?」
「あんたわざと言ってるわけじゃないでしょうね……。そこまで鈍い子だとは思ってなかったけど、これ私が言っちゃっていいのかな……」
そこまで言いかけて言葉を濁す伊万里。しかしそれではこちらも気になってしまう。
「そんな目で見られても……。わかった、言うわよ! それで、もう一度言うけどこれは私の推測だから。多分溝部君はあなたのことを女性として意識しちゃったんじゃないかしら?」
……えーっと。ちょっと聞き取れなかったのでもう一度聞いてみる。
「だから、溝部君が、朱里のことを異性として、強く意識しちゃったんじゃないかなって」
そ、それはつまり、アレ? likeじゃなくてloveの方ってこと? いやいやいやそんな馬鹿な。
「あら朱里、どうしたのそんなに口を半開きにして顔真っ赤にして固まっちゃって。案外、満更でもなかったりして」
「だ、だだだだって私と溝部君だよ? そんなことあるわけないっていうか」
「なんでそう言い切れるの? 男と女なんだからそういうこともあるに決まってるでしょ」
言われて冷静になってみるとその通りである。彼の高嶺の花がどうとかいう発言を思い出してみても友達になる前はそういう風にみていたわけで、私が一度もそんなことを考えなかったかというと……
「まあ私のはただの推測だし? 溝部君が別にあなたを異性として好きかどうかは決まったわけじゃないんだけど。この前の時朱里に気があるかって聞いた時にはノーって即答してたし」
いつの間にそんなことを!? しかも即答って……。
それに今のを聞いて嫌だと感じる気持ちが湧いてしまっている。伊万里の言ったとおり私も満更じゃないのか……。いや待て私、まだ彼の気持ちがそうだと決まったわけじゃないし、焦るな焦るな。
「ふふふっ、相変わらず表情がどんどん変わっておもしろい子ね。可愛すぎて私がもらっちゃいたいくらい」
「だ、だってこんな話あ、慌てない方がおかしいっていうか」
「はいはいそうね」
これから彼とまともに話せる気がしない。それでも避けるわけにはいかないし、文化祭のことだってあるのに一体どうしたらいいのよ!
「ねえ上野さん! 上野さんもコスプレしてお店に出ない?」
時は昼食。今日も今日とて伊万里と一緒にクラスの人たちとなんとか昼休みを過ごしていたわけだが、突然こんなことを言われた。
「それいいわね。上野さんなら何でも似合うだろうし、客引き効果も期待大よ」
そのまま皆は私に何を着せるかについて勝手に話し始める。私の意思は……。
「やっぱりメイド服がいいんじゃないかな?」
「いや、ここはスーツなんかどうかしら!」
「あえて男装ってのもアリね」
話はどんどん不穏な方向へと向かっていく。このままではまずい、なんとかしてこの話をなかったことにしなければ。
「え、えっとその、私はあの、実行委員の方が忙しいから……」
「ああ~そっか、それなら難しいね」
よしよし、これで話は流れるはず。実際は当日そんなに忙しくないのだが接客なんて私にできるわけがない。
するとそこで突然伊万里が立ち上がった。
「ねえ溝部君! 二人とも実行委員のおんなじ部署だって言ってたけど、文化祭当日ってこっちに手伝いとか来れないかな?」
「き、急に大声出さないでよ……。うちのところは準備と片付けが主だから、当日はそんなに仕事ないし普通に手伝いくらいはできると思うけど……」
「そっかーありがとー! と、いうことで大丈夫そうね朱里?」
「え、ええ。そうみたい……」
し、しまったー!伊万里はしてやったりといった様子でニヤニヤといつもの笑みを浮かべている。
こうなってしまってはもう逃れることはできないのか。なにせ他の女子たちも自分はやりたくないと思っているだろうし、実行委員という立場上準備にはなかなか参加できなくても当日は参加可能といった都合のいい存在は接客に向かわされるに決まっている。少しでも女子のコスプレ枠をつぶして自分はやらないようにしようという魂胆が見え見えだ。
「い、いや、でも私、人と話すのもそんなに上手じゃないし、接客なんてできるかなって」
「大丈夫大丈夫! 皆やったことないんだから、案外うまくできるかもしれないでしょ?」
その理屈はおかしい。
「それに絶対似合うと思うから! やっぱりこういうのは似合う人がやらないとね」
こ、こうなったら……
「じゃ、じゃあ溝部君にもやってもらわない?」
「えっ溝部君?」
なぜ? と怪訝な顔になる女子たち。
「ほ、ほら、彼って普通顔だし? ど、どう弄っても邪魔にならない顔してるじゃない」
「なるほどね、言われてみれば確かにメイクさせて女装とか似合いそうね。体型もほっそりしてるしありかも」
な、何やら真剣に考え始めるクラスの皆さん。そしてその端で一人必死に笑いをこらえる伊万里。まさか皆がこんなに真剣に考え始めるとは思ってもいなかったがうまくいった。こうして女子に興味を持ってもらえれば彼のコミュ障脱却にも近づくのではないだろうか。
彼の女装を私も少しだけ想像してみる。……うん、ありだな。
あれから数日、結局のところうまく今まで通りにするしかないという結論に至ってからそれなりにうまく平静を装うことができていると思う。
一回ほど上野さんと二人でいつもの場所で昼休みを過ごした時も割と何とかなっていたはずだ。途中上野さんの仕草に見とれたりぼーっとしてしまったりしたが不審には思われていないはず……多分。
自信はあまりないがそう思っていないとこれから先やっていけないだろうし、なるべく余計なことを考えない方が今まで通りに過ごせるだろう。
目下一番の目標は文化祭を何事もなく終わらせることだ。この際コミュ障脱却は第二目標にしてしまってもいいだろう。いや待て、いいのか? 彼女との約束にして彼女の一番の目標であるコミュ障脱却を後回しにしていいのか? いいわけがないだろう。しかし今の俺に彼女に協力することが果たしてできるだろうか。彼女と仲良くなるような男子がいたら……とてもじゃないが協力できる気がしない。
それは置いといて、現状彼女は徐々にではあるがクラスの人とコミュニケーションをとることに成功している。きっかけは藤井さんだろう。彼女がいなければこんなにうまくいくことはなかった。ここまで考えてふとあることに気づく。俺、今までもあんまり彼女の役に立ってないじゃん……。
まあもともと女子が苦手ってことで仕方ない面もあるかもしれないがこれはさすがになさけない。少なくとも彼女が頑張っているんだったら自分も頑張って見せなければならないのではないだろうか。
「……くん」
かといって何をすればいいのやら。前みたいに藤井さんと無理やりご飯を食べてみるとか? いや、あれはさすがに……。
「……溝部君!」
「は、はい!?」
「何回呼んでも返事しないからついつい大きな声出しちゃった。驚いた?」
「驚くよそりゃ!」
噂をすればなんとやら。藤井さんである。呼ばれていたのに気づかなかったこっちも悪いが心臓に悪い。
「えっとごめん、何か御用で?」
「いやあ、一人で何やら考え事してるみたいだったからさ。なんかこう、顔が目まぐるしく変化してたし」
その様子を一体どれだけの時間見られていたのだろうか。急に恥ずかしくなる。
「それで、悩み事? よかったら相談に乗るわよ!」
そんな元気そうに好奇心の塊みたいな顔で促されると一層話したくなくなるのだが。人に話すようなことはない人だと信じたいがそこまで信じるほど仲が良くなった覚えもない。でもこの様子だと退いてくれそうにないしなあ。
「う~ん、いや、どうやったら女子と仲良くなれるのかなって思って。仲良くはなれなくてもせめて普通に友達になれたらいいかなって思うんだけど」
「そんなこと? じゃあ私と仲良くしましょうよ」
「いやそうじゃなくってさ。こう不特定多数の人と普通に会話できるようになったらなって」
「それはちょっと高望みしすぎなんじゃないかな。逆にそんな人なんて一握りしかいないでしょ。それを溝部君が……どう考えても無理よ」
笑いをこらえる感じでこちらを見てくる。それはちょっと失礼なのでは。
「だって私や渡会君だってそんなことできないのよ? ちょっと前まで朱里に普通に話しかけられる人なんていた? いなかったでしょ。誰とでもってのはちょっとおかしい話だと思うな私は」
言われてみれば納得だ。それに、と彼女は続ける。
「今のあなたのコミュ力なら実際困ることはないんじゃないかって思うのよね。そりゃ相手によっては変に思われたりもするでしょうけれど、私や朱里で慣れてきたんならそんなに心配することはないわよ」
「いやでも、実感がわかないから、今でもうまくしゃべれないんじゃないかって」
「いいのよ親しくない人とは別段難しい話なんてしないんだし、今なら適当な受け答えができるくらいの自信はあるんじゃない?」
勉強会の日の朝のことを例に出して藤井さんは大丈夫だとしきりに言ってくる。それはただ単に藤井さんに慣れただけなのではないだろうか。
「それとも何、私が女子じゃないとでもいうのかしら」
「いや、そんなつもりはないんだけど」
「冗談よ。まあとにかくそんな悲観的にならなくても大丈夫よ。私が保証するわ」
彼女が一体俺の何を知っているというのか。でもなんだか不思議と大丈夫な気がしてくるからびっくりだ。普段は俺をからかってばかりだけどこういう一面もあるんだな。
「うん、ありがとう。藤井さん」
「どういたしまして。そうね、伊万里って呼んでもいいのよ?」
「それは遠慮しとくよ」
「あら残念」
それからというものの、実行委員での活動で後輩の女子と話すときやちょっとしたクラスの手伝いで女子と会話が必要な時、確かに藤井さんの言う通り、俺はまともな受け答えができていたように思う。何というか、今まで考えすぎていたんじゃないだろうかっていうほどにそれはもう普通に、良くも悪くも普通に話すことができるようになってきていた。
藤井さんに助言をもらうまでは女子というだけでびくびくしていたのに、なんだか嘘のようだ。
しかしそれとは裏腹に、上野さんと話すのはどんどん難しくなっていくように思う。何と言ったらいいのだろうか、今までのすべてがひっくり返ったというか、俺が今まで女性を意識していたそのすべてが彼女に集約されているというか。
コミュ障をいつの間にかクリアして上野さん限定のコミュ障になりました。とかもうわけわかんないから!
今日はまた彼女とあの階段で作戦会議、もといお食事をすることになっている。これさえ終えてしまえば文化祭が終わるまで彼女と二人きりになることもない。なんとか乗り越えねば……。
平静を保つため、あえて早めに待ち合わせ場所に向かう。彼女はいつも購買に寄ってからここまで来るため急ぐ必要もないのだが、なるべく心を落ち着けたいのだ。
本棟からかすかにざわざわと、生徒たちの騒ぎ声がいつもよりよく聞こえるような気がした。いつもなら自分の足音にしか注意が向かないが、ここはこんなにも静かだったのか。
そして屋上へ向かう階段に足をかけたその時。
「溝部君」
その声に心臓がドクンと一際大きく跳ねた。そう、もうすでに彼女はこの場所に来ていた。
「うっ、上野さん、は、早いね」
「ええ。驚いた? その、たまには私の方が先に来てみようかなって」
こんな時に気まぐれでそういうことをするのは止めてほしい……。こっちは口から内臓が出るかと思ったよ。
「まあ単なる気まぐれってだけじゃないんだけれど。実はその……言っておかなきゃならないことがあって」
俺に言っておかなきゃならないこととは一体何だろうか。
「驚かないでね? ……その、」
なんだかとても言いづらそうにしている。こんな場所で勇気が必要なことを言い出すなんてまさか……。
「……溝部君に女装をしてもらうことになりました」
あ、うん。知ってたけどね? 告白なんてありえないし。
うん? ちょっと待って。
「い、今なんて仰いましたか」
「だからその、女装をしてもらうことが決定しました」
状況がどうもよく呑み込めないのだが、いったいこれは何の冗談なのか。
「ごめんね? その、私の力では止められなかったというか……」
非常に申し訳なさそうな顔をする上野さん。八の字になった眉毛が可愛い。じゃなくて、
「え、えーっと、どうしてそうなったのかな」
彼女はじわりと目をそらす。
「実はその、怒らないで聞いてね?」
どうやら自分がコスプレさせられる流れを俺が確定的にしてしまったために、俺を道連れにしようとしたところなんとなく女装させる流れになってしまったとのことで。
「いやなんでそうなった?」
「う~ん、なんとなく?」
ちょっと首をかしげて可愛く言ってもこればっかりはだめだぞ!
「まあ、でもね、その、似合うんじゃないかな意外と。メイク映えしそうな顔してるから!」
「そういう問題じゃないのでは。俺の意思が完全に無視されてるんだが……」
「大丈夫! いけるいける!」
ふんすーと鼻息を荒くする上野さん。なんか今まで見たことないタイプの彼女だ。なんか怖い。俺の女装を望んでいるかのような。
「そんなに俺の女装が見たいの」
「ええ! 見たいわ! ……あ、いやその違うのよ? 私じゃなくて他の人が」
本音が完全に出てましたよ上野さん。それにしてもそんなにみたいのか? ならやってみてもいいかもな。それにしてもかなり緊張してここに来たのがなんだかばからしい。
「まあいいよ、とりあえずご飯にしようか」
「えっいいの? よかった~」
この日はこの空気のまま、なんとか乗り越えることができた。
「おお~」
「結構いいんじゃない?」
「思った通りね! 可愛いわよ」
「はあ、どうも」
どうしてこうなった。
文化祭当日、いつもより早めに学校に到着した俺は無理やり女装をさせられていた。女子にいろいろ触れられてちょっとドキドキしたのは別にいいとして、本当に似合っているのだろうか。
「ほらこれ、鏡みてみて」
近くにいた女子が鏡をもって見せてくる。そこにはいつも見慣れた俺の顔。ではなく、見たことない女の子の顔があった。
ちょっと待ってこれが俺!? いやいやいやいや思考が追い付かないんだが、おかしい。確かに化粧には化けるって字が入ってはいるがこれは化けすぎである。詐欺みたいなもんだ。
「くっ、溝部君に負けた感じがしてなんだか悔しいわ」
そんな目で見られても困るんですが藤井さん。
「まあ、声出したら男なんだけどね。そうだ!裏声出してみてよ」
他の女子がまた余計なことを言っている。やめてくれ!
「いいわねそれ。ほら溝部君何かしゃべって」
「えっ、え~あーあー。こ、こんな感じでどうかな」
言われたら逆らえない感じのこの空間ではこうするしかなかったのだ。
「……」
あーこれダメなやつだわ。絶対キモいとか思われてるよ。
「……いい! これはイケるわよ絶対!」
予想外の反応に驚いたがそうか、イケるのか俺。見た目もなかなか決まってたしな。
このとき、俺の中で何かがはじけた。
「ふふっ皆さん、今日はよろしくお願いしますね」
「いや、ノリノリでやられるとキモいわよさすがに」
ですよね!
そんなこんなで文化祭二日目は始まったのであった。
初日の体育館でのオープニングや文化部の発表は例年通りの楽しい時間だった。俺たち実行委員はその後の各クラス企画前日準備でてんてこまいだったわけだが何とか乗り切ることができた。
そして始まった二日目の今日。外部からもお客さんが来て毎年大盛況の文化祭本番ともいえるクラス企画の日がやってきたのだ。
「そろそろ時間だよ! 皆配置について!」
係の人が皆に呼び掛けていく。俺もそろそろ配置につかなくちゃな。
「えっ溝部君?」
その声に振り向くと、そこにはコスプレをした上野さんが立っていた。なんて言ったらいいのか、天使かと思った。
「うっ上野さん、その」
彼女はシンプルなメイド服を着ていた。その綺麗な黒髪も相まって清楚な印象を与えているが、それでいて以前の彼女よりも柔らかい雰囲気を醸し出している。
「びっくりした。もう女装してたのね。それにしてもなんというか、いいわね」
口の端が変に吊り上がった彼女の顔は先ほど感じた印象を台無しにしていた。
「上野さん顔が変になってるよ……その様子だと大丈夫みたいだね」
当日緊張していたら大変だと思っていたが、今のところ大丈夫そうだな。
「時間時間! お客さん来るよー!」
どうやら予定されていた時間になったらしい。
「それじゃあ溝部君、最後のひと踏ん張りね」
「うん、そうだね。あっそれと」
「何?」
「その恰好、とっても似合ってる」
「えっ、そっそそう? あ、ありがとう……。そ、それじゃあ!」
よし! なんとかうまく言えたぞ! あの反応なら変には思ってないはずだ。俺は張り切って最初のお客さんを迎えた。
「いらっしゃいませ!」
お客さんはぽかんとしている。あれ、俺何かした?
「溝部君、地声じゃあそりゃびっくりするよ」
「あっごめんなさい」
最初のお客さんこそ元気なあいさつで出迎えた俺だったが、その後は失敗したということもあるが、我に返って裏声を出すのが恥ずかしくなってしまいなかなか接客ができずにいた。幸い俺と上野さんは飛び入り参加だったため、なぜか衣装は用意されていたが、それほど仕事をしなくても許されている雰囲気だ。というかぶっちゃけ何をやっていいかわからない。いらっしゃいませ以外に何すればいいんだ?わからないことはしっかり聞こう。これ大切。
「あの~」
「何? 溝部君」
「いや、結局何をすればいいか聞いてないなーと思いまして」
「ああ~ごめんごめん。といっても接客してとしか言えないんだけど、マニュアルとかないし。そうだなぁ、男なんだしもしもの時に備えて見張りってのはどう?」
じゃあなんで俺はこんな格好させられてるんですかね……。
「はあ、わかりました」
「んじゃよろしく~」
結局仕事がなくなってしまった。俺ここにいる必要ないんじゃないのかな。
暇なのでここは辺りの様子をしっかり見張ることに専念しようと思う。
コスプレ喫茶とは言ったものの、みんな結局メイド服ばっかりである。ただ色はみんなそれぞれ違うようだ。明るめの色が多い中、上野さんの黒だけが逆に目立っている。
上野さんも何をしていいのかわからないのか、ぼーっとしている。その様子をじっと見ているとふいに目が合ってしまった。すると彼女は近寄ってきて小声で話しかけてくる。
「ねえ、これ結局どうすればいいの?」
彼女がひそひそと話しかけてくるので耳が幸せだ。じゃなくて、
「え、えっと、俺はなんか見張りやっとけって言われて……」
「私もそれでいいかしら? 接客なんてまだ私には無理と思うのよね」
そういえば彼女は俺と違ってコミュ障の範囲が広い。最近人と少し話すようになったけどそれは知り合いとだけだ。
「じゃ、じゃあ二人で立ってようか」
こうして二人揃って見張りをすることにした。はっきり言ってめっちゃ気まずい。普通ならラッキーだと思うのだろう。だが今俺が置かれている状況はいささか普通とはかけ離れているように思う。
一つは俺が彼女を意識しすぎて現在進行形で彼女に対してコミュ障状態であること。正直他の女子より緊張する。
そして今俺は女装しているということ。どうして好きな人と女装しながら二人でいないといけないのか。これは拷問に等しい。
ここはいったん退くしかない。じゃないと俺がもたない。
「お、俺はあっちの方で見てるよ」
「そう? そんなに広くないからどこで見てても変わらないと思うけど」
「いやいや、見張る以上はとことんやらないと」
そう言って彼女との対角線上に移動することに成功した俺は安堵しつつも軽く後悔をする。
いつまでもこのままではいけないと思いつつも打開をする勇気が俺にはないのだ。現状をきっぱりと維持することも、思い切って告白することもできないのだ。
こうしていつものようにうじうじしているとその時、
「ねえちゃんたち可愛いな。このあとちょっと付き合ってくれよ」
「いえその、困ります……」
「ああ? いいじゃねえか」
まるで見本のような迷惑客が現れたのだった。
見張りを任されている身であるので咄嗟に前に出る。何を思ったのか俺はこの時裏声を忘れていなかった。
「お客様、そういったことは他のお客様にご迷惑が掛かりますので……」
「なんだよ……おっ、ねえちゃん可愛いね! どうだい代わりにあんたが相手してくれないか」
「ですからお客様」
「いいじゃねえかよ。な?」
「私男なんですよ?」
「えっ。……またまた冗談がうまいね!」
「いや、だから俺、男です」
「えっ」
迷惑男は一瞬固まった。
「いやいや俺は騙されねえぜ。男の声も出せるなんて芸達者だね!」
「だから男なんだってば」
「いいからいいから行こうぜ」
男は俺の腕をつかみそのまま連れていこうと歩き出す。力はかなり強かった。
「ちょっと、やめてくださいって」
俺が本気で力を入れようとしたその時、
「そこまでです」
一言で静寂が訪れた。
「そこまでにしていただけますか。これ以上は本当に、警察呼びますよ」
声の主はもう一人の見張り役、上野さんだった。その凛とした声は怒気をはらんでいた。底冷えするような迫力に迷惑男は、先までの態度はどこに行ったのか、気圧されていた。
それに、と上野さんは付け加え、
「この子は私のですよ?」
まるで凍り付くような笑みで……いや待って今なんて言ったこの人?
すごい迫力で放たれたその言葉に、男はおろか周りのみんなの空気が凍り付いた。
「えっとその、お幸せに?」
混乱しているのだろう。男は意味不明なことを言って立ち去っていった。
そのままの空気でしばらくたつと、ようやくといっていいのか、拍手が巻き起こった。
その後、俺たち二人はなぜだかクラスの皆さんから見張り役を降ろされ、楽しんできてねと生暖かく見送られた。もちろん女装は解いてもらった。
「あの~上野さん?」
「と、とりあえず何か食べましょうか!」
上野さんが歩きだすので仕方なくついていくことにした。彼女は迷わずたこ焼きを出しているクラスに行きたこ焼きを買って俺に渡してきた。
「あ、ありがとう。そ、それにしても、動きに迷いがないね」
「その、友達と回れるかもと思って、結構パンフとか読み漁っちゃったのよ」
彼女は頬を赤らめ顔をそらす。控え目に言って超かわいい。
「友達とってことは、仲いい人ができたの?」
「いや、その、あなたと回れるかなって」
なんだってこの状況でそういうことを言うのか。いよいよ俺の頭の中は混乱してくる。
「と、とりあえず落ち着いて食べれるところに行きましょ」
いや、確かに落ち着いて食べれる場所だけど。
「なんでまたいつものところに?」
上野さんに言われるがままについてきたら、いつもの場所に来ていた。
「あなたと食べるなら、ここかなって」
階段に座りいつも通りに、彼女は食事を始めた。俺も彼女に倣いおとなしくたこ焼きを食べることにする。
確かにいつも通りなのだが、何とも言えない緊張感に包まれている。間違いなくさっきの出来事が原因である。
「あの、さっきのことだけど」
「何?」
「いや、その、迷惑客を撃退した時の」
「あーあれね、なんていうかその……咄嗟に出ちゃったというか」
咄嗟に「この子は私の」なんて言葉が出てくるのか……。
「だ、だから、その、その場の勢いで出ちゃったというか」
「本音が?」
冗談めかして聞いてみる。
「ええそう本音が……待って今のなし!」
顔を真っ赤にして上野さんが否定してくるがもう遅い。そうか、本音が、ね。
「ち、違うのよ! あなたに迷惑客がつっかかってるの見てたらなんだか腹が立っちゃって、そしたら頭がこうピシッとなっちゃって……あーもう忘れて!」
「あーあれだね。コミュ障特有の妙なテンションのやつだよねわかるわかる。それにしても、普通立場が逆でしょ」
否定を適当に流して一番の問題点を指摘する。この時俺も半ばやけくその変なテンションになっていた。
すると彼女は気が抜けたような顔になった。
「ふふふ、確かにそうね。おかしいわ」
「でしょ? ははは」
二人でおかしくなったかのようにしばらく笑っていると、不意に彼女が問いかけてきた。
「もし今回と立場が逆だったら、あなたはどうした?」
「どうだろうね。その時にならないと分かんないや」
「なによそれ。でもそんなもんかもね」
彼女は一人、何かに納得したようだった。
「私ね、ずっと考えてたのよ」
「何を?」
「あなたのことどう思ってるのかなって」
俺は息を吞んだ。黙って続きを待つ。
「それで、多分、ね。その、好き、なんだと思う」
彼女の口から出たその言葉。俺にはこの時実感がわかなかった。
「えっとそのね、異性としての好きだとか、友達としての好きだとか、そういうの関係なしにあなたのことが好きなんだと思う。あなたといれば落ち着くし、あなたといれば楽しいの」
「それは、俺だって」
「ちょっと前からあなたの様子がおかしかったのが気になってたの。それで実は伊万里に相談してたのよ」
どうやら彼女にはいろいろバレているらしい。
「あなたがおかしいのは異性として意識してるからじゃないかって伊万里は言ってたわ」
この前の件といい今回の件といい藤井さんはエスパーか何かなのかな。こちらの考えていることがバレバレで恥ずかしすぎる。
「だから私も考えたの。私があなたに対して抱いているのは何かなって」
彼女は今までみたこともない優しい顔を浮かべていた。
「あなたは私にたくさんのはじめてをくれた。あなたは私と一緒に悩みを背負ってくれた。そこに下心なんてなかったし、いつでも私と一緒に頑張ってくれた」
確かにその通りだ。彼女の手伝いをしたいと思ったのは純粋な気持ちだった。
「そんなあなたに、好意を持たないわけないじゃない」
そう言って彼女は笑いかけてくる。
俺は、どういっていいのかわからなかった。でも言わなきゃいけない気がしたんだ。
「俺も上野さんが好きだ。大好きなんだ」
すると彼女はまたおかしいといった風に笑った。
「ふふっ、また立場が逆だったわね」
恥ずかしさで自分の顔が真っ赤になっていくのがわかった。
「うっ、それはその、あーもう! どうして今日の上野さんはそんなに強気なのさ! コミュ障はどこにいったんだよ!」
「そうはいうけれど、私があなたに対してコミュ障だったのって最初だけじゃない? むしろ最初から結構話せてたと思うんだけど」
言われてみれば確かにそうである。
「結局どうしてなのさ」
「さあ、どうしてでしょう?」
「なんだよそれ。ははは」
「ふふふ」
「で、これからの話だけど」
「ええ、なに?」
「俺達好き合ってるってことでいいんだよね?」
「ええ、そうね」
「それじゃあ、付き合わない?」
「いいわよ」
「えー何でそんなに軽いの」
「だって、私たちの関係にそんなに変化なんてないじゃない。それに今日一日であなたも吹っ切れて前みたいに戻ってるわよ」
言われてみれば確かに普通に彼女と話せているように思う。
「いや、そうだけど。付き合うからにはそのいろいろと……」
「なに? エッチなことでもしたいの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「それはそれで傷つくわね。でもまあそれならいいんじゃないの?」
「うーんいいのかな?」
俺がどうしたもんかと悩んでいると、彼女が肩を叩いてきた。なんだろうと彼女の方に首をひねると、彼女の顔がすぐ近くにあり―――
「んっ……!」
口に柔らかい感触を感じびっくりした俺は首をすぐに後ろに戻した。
「なっ、ななな何を」
「ふふふ、また逆。結構面白いわね。伊万里があなたで遊んでる理由がよくわかるわ」
まだ妙なテンションを引きずっているのだろうか。俺と彼女のファーストキスは何の余韻も感じられなかった。
「仲良くなった人とはとことん仲良くなりたいのよ」
なんか、性格変わってませんかね? その不敵な顔もとてもかわいらしく見えてしまうのだが。
文化祭も無事に終わり、片付けも終わり、私は疲れながらも家に帰ってきて布団に横になっていた。
片付けですり減っていた精神が回復し、今日一日で何があったのかを思い出す。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ私のばかああああああああああああああああああああああああ!!」
どうしてあんな恥ずかしいことを言いまくったの私!
「ちょっと朱里! また歌ってるの? うるさいわよ!」
お母さんが何やら言っているがそれどころではない。
ああどうしよう明日どんな顔をして溝部君に会えばいいの! 穴があったら入りたい……。
しばらく布団の中で悶えているとスマホに着信が入る。まさか彼からかと思いながらいつもより素早くチェックをする。本当に彼からの着信だった。
「今日は多分変なテンションになってただけだと思うけど
あんまり気にしないでいいからね」
あの溝部君にまで察されていた。ああ恥ずかしすぎて死にそう。
翌日、私は憂鬱な気分で登校していた。
「あっ上野さん! ってどうしたの!? そんなに実行委員が大変だったの?」
最近よく話しかけてくれる同じクラスの女子が私の様子に疑問を持ったようだ。確かに片づけは大変だったが本当に大変だったのは私ですよというわけにもいかず、適当に応対する。
「そうなのよ、片付けも大変だったの」
「片付けもって他に何かあったの」
自分のコミュ力を過信した私がばかだった! テキトーに言ってしまって自分から晒してるじゃない!
「あっもしかして昨日の溝部君とのこと?」
言われて一瞬頭が真っ白になった。
「まさか上野さんがあんな大胆告白するなんてね! しかも相手は溝部君、公衆の面前で私のモノ発言なんてびっくりだよ」
そうだったああああああああああ! そういえばそんなこともありましたね! ああ死にたい。
「ち、違うのよ、あれはその」
その時、タイミング悪くいつもは時間が合わない彼が現れた。
「あっ、上野さんおはよう。ええっとそれと……」
「池田よ」
「ああ池田さんおはよう。上野さん、昨日のことはその、お気になさらず」
そう言ってそそくさと先に行ってしまう。
「ほほう、昨日の事とは、何があったのか教えてくれるかな上野さん」
「勘弁してください……」
「あなたがちょうど通りかかってあんなこと言ったせいで大変だったわよ……」
「まあ上野さんにも藤井さん以外の女友達ができてるようで安心したよ」
そんなことより、と彼は言うと、
「次のコミュ障脱却作戦なんだけど何をしたらいいと思う?」
「へ?」
「だって俺はまあいいとして、上野さんのコミュ障ってほとんど治ってないでしょ」
確かに言われてみればその通りだ。
「だから次は俊之辺りと話してみるのはどうかなって思うんだけど」
溝部君、ほんと渡会君のこと好きよね。あまつさえ彼女に他の男と話すことを提案するなんてちょっとおかしいわよ。
「はあ、なんだかいろんな事考えてた自分がばかみたい」
「ん? 何か言った?」
「いや、いいわよ。今度こそコミュ障脱却しましょうか」
「おっやる気だね上野さん。じゃあここに俊之呼んでみようか」
「それはダメ。ここは私とあなただけの場所よ」
「ははは、そうだね」
急には私たちの関係は変わらないけど、こうして少しずつ少しずつ変化していくのも、悪くないかな。
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