2 / 58
第一章 冬鷹
第1話
しおりを挟む
ゆらゆらと水面に浮かぶなか、郡司冬鷹はゆっくりと目を開いた。
「あー、やっと起きた」
逆さまな顔に覗き込まれていた。垂れ落ちる髪の間を、雪海の小さな溜め息が吹き抜ける。
「お兄ちゃんから遊ぼうって誘っておいて寝るのはナシだと思う」
中等部一年生らしからぬ幼げな顔が僅かにしかめっ面に歪む。普段、ビー玉の様なクリッとした瞳も、今は細められ文句を伝えていた。
慌てて起き上がり、冬鷹はプールの壁に背を預けた。
「あ、すまんっ!」
「まあいーですけど……というかさ、寝言で『助け』って言ってたけど、もしかしてまた昔の夢見てたの? 最近多くない?」
雪海の顔が思案気に歪む。心配させてしまったのかもしれない。
「ああ。まあ『軍』に入るきっかけだからな。自然に考えちまうのかもしれ――ぶッ!」
突然、水をかけられた。
「ぶわッ! 何をすん――ばッ、だからっ! やめッ――、」
「寝落ちした罰だよ」
そう言って、尚も水をかけ続ける雪海は満面の笑みを浮かべていた。
「わかった! すまん! だから――、」
止まない猛攻から非難するべく、冬鷹はプールから上がる。
――が、プールサイドには雪海が立っていた。
「逃がしませーん」
トン、と両肩を押される。
背中から落とされるとプールに待ち構えていた方の雪海にすぐに羽交い絞めにされた。
プールサイドの方の雪海は解ける様に水に変わると、すぐ目の前の水が盛り上がり雪海を形作る。
目の前の雪海が水をかける構えを取るなか、後ろの雪海が訊いてきた。
「どう? 降参する?」
「降参だ、降参。降参します」
雪海と水で作られた雪海の分身。
実兄の冬鷹ですら見分けがつかないほど精巧で、違和感がない。そんな高度な異能を雪海はいたずら感覚にいとも容易く繰る。
この場所――室内のほとんどがプールサイドになっている雪海の自室では、雪海に勝てるわけがない。
――というより以前に、冬鷹が『妹』に勝てるわけがなかった。
「ふふん。よし、じゃあダーゲンハッシュのラムレーズンで許しましょう」
「〝N〟に買いに行けってか。しかも高いアイス」
「だって私、街の外行けないし。それに寝落ちしたのは誰ですかぁ?」
「…………あー、わかったよ」
「やった」
喜ぶ声も束の間、背中にあった妹の身体がスッと無くなる。支えを失い、冬鷹は水に沈んだ。
すぐ浮き上がる、雪海はすでにプールサイドに腰を掛けていた。パレオとフリルが特徴的な水着が歪んだと思うと、一瞬でホットパンツとTシャツというラフな格好に変わる。
「このあと訓練なんでしょ? はい」
差し出された借り、冬鷹はプールから上がった。
訓練の時間まであと三十分弱。着替えや準備の時間を考えるとギリギリだ。
身体を拭き、真黒な『軍』の制服に袖を通す。
必死の思いで手に入れたこの軍服も、二ヶ月が経った今ではだいぶ着慣れてきた。
「あーあ、私も早く働きたいなぁ」
「気が早いな。まだ中一だろ。今は勉強を――、」
「何言ってんの!?『もう』中一なんだよ? あと三年したら何するかちゃんと考えないと」
「いやいや、ダメだダメだ。バイトは良いが、働くならせめて高等部を出てからだ」
「お兄ちゃんは『軍』で働き始めたじゃん」
「俺は高等部にもちゃんと通ってる」
「う~ッ! じゃあ私も『軍』に入るし!」
「あのなー……まあ、その話はまた今度な」
雪海はまたふくれっ面になってしまった。機嫌が変わり易いお年頃に、冬鷹は少々手を焼いていた。
「それより、宿題終わらせておけよ。じゃないとアイスはお預けだからな」
「フンっ! 昨日の内に全部終わらせたし。土日はもう予定が真っ白ですー」
雪海はそっぽを向いてしまった。
冬鷹が部屋を後にする頃になっても雪海の機嫌は回復しなかった。だが、「散歩してくる」という事で、パーカー・ミニスカート・キャップ帽、そしていつもしているツインテールという出で立ちに変身して、ぷりぷりとした様子で途中まで付いて来た。
「じゃあな。くれぐれもバレないように気を付けろよ」
「わかってるし。お兄ちゃんも、お仕事がんばってね。あと、アイスよろしく」
不機嫌な妹が軍本部の裏玄関に向かうのを見送り、冬鷹は訓練室へと廊下を進んだ。
「あー、やっと起きた」
逆さまな顔に覗き込まれていた。垂れ落ちる髪の間を、雪海の小さな溜め息が吹き抜ける。
「お兄ちゃんから遊ぼうって誘っておいて寝るのはナシだと思う」
中等部一年生らしからぬ幼げな顔が僅かにしかめっ面に歪む。普段、ビー玉の様なクリッとした瞳も、今は細められ文句を伝えていた。
慌てて起き上がり、冬鷹はプールの壁に背を預けた。
「あ、すまんっ!」
「まあいーですけど……というかさ、寝言で『助け』って言ってたけど、もしかしてまた昔の夢見てたの? 最近多くない?」
雪海の顔が思案気に歪む。心配させてしまったのかもしれない。
「ああ。まあ『軍』に入るきっかけだからな。自然に考えちまうのかもしれ――ぶッ!」
突然、水をかけられた。
「ぶわッ! 何をすん――ばッ、だからっ! やめッ――、」
「寝落ちした罰だよ」
そう言って、尚も水をかけ続ける雪海は満面の笑みを浮かべていた。
「わかった! すまん! だから――、」
止まない猛攻から非難するべく、冬鷹はプールから上がる。
――が、プールサイドには雪海が立っていた。
「逃がしませーん」
トン、と両肩を押される。
背中から落とされるとプールに待ち構えていた方の雪海にすぐに羽交い絞めにされた。
プールサイドの方の雪海は解ける様に水に変わると、すぐ目の前の水が盛り上がり雪海を形作る。
目の前の雪海が水をかける構えを取るなか、後ろの雪海が訊いてきた。
「どう? 降参する?」
「降参だ、降参。降参します」
雪海と水で作られた雪海の分身。
実兄の冬鷹ですら見分けがつかないほど精巧で、違和感がない。そんな高度な異能を雪海はいたずら感覚にいとも容易く繰る。
この場所――室内のほとんどがプールサイドになっている雪海の自室では、雪海に勝てるわけがない。
――というより以前に、冬鷹が『妹』に勝てるわけがなかった。
「ふふん。よし、じゃあダーゲンハッシュのラムレーズンで許しましょう」
「〝N〟に買いに行けってか。しかも高いアイス」
「だって私、街の外行けないし。それに寝落ちしたのは誰ですかぁ?」
「…………あー、わかったよ」
「やった」
喜ぶ声も束の間、背中にあった妹の身体がスッと無くなる。支えを失い、冬鷹は水に沈んだ。
すぐ浮き上がる、雪海はすでにプールサイドに腰を掛けていた。パレオとフリルが特徴的な水着が歪んだと思うと、一瞬でホットパンツとTシャツというラフな格好に変わる。
「このあと訓練なんでしょ? はい」
差し出された借り、冬鷹はプールから上がった。
訓練の時間まであと三十分弱。着替えや準備の時間を考えるとギリギリだ。
身体を拭き、真黒な『軍』の制服に袖を通す。
必死の思いで手に入れたこの軍服も、二ヶ月が経った今ではだいぶ着慣れてきた。
「あーあ、私も早く働きたいなぁ」
「気が早いな。まだ中一だろ。今は勉強を――、」
「何言ってんの!?『もう』中一なんだよ? あと三年したら何するかちゃんと考えないと」
「いやいや、ダメだダメだ。バイトは良いが、働くならせめて高等部を出てからだ」
「お兄ちゃんは『軍』で働き始めたじゃん」
「俺は高等部にもちゃんと通ってる」
「う~ッ! じゃあ私も『軍』に入るし!」
「あのなー……まあ、その話はまた今度な」
雪海はまたふくれっ面になってしまった。機嫌が変わり易いお年頃に、冬鷹は少々手を焼いていた。
「それより、宿題終わらせておけよ。じゃないとアイスはお預けだからな」
「フンっ! 昨日の内に全部終わらせたし。土日はもう予定が真っ白ですー」
雪海はそっぽを向いてしまった。
冬鷹が部屋を後にする頃になっても雪海の機嫌は回復しなかった。だが、「散歩してくる」という事で、パーカー・ミニスカート・キャップ帽、そしていつもしているツインテールという出で立ちに変身して、ぷりぷりとした様子で途中まで付いて来た。
「じゃあな。くれぐれもバレないように気を付けろよ」
「わかってるし。お兄ちゃんも、お仕事がんばってね。あと、アイスよろしく」
不機嫌な妹が軍本部の裏玄関に向かうのを見送り、冬鷹は訓練室へと廊下を進んだ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる