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第三章 妹
第23話
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ホームルームが終わったのは三時過ぎ。予想はしていたが、帰っている時間はない。
冬鷹は帝都第一学園高等部の真黒な制服のまま、待ち合わせの場所に向かった。
雪海は無表情で小さな時計塔を見つめていた。
――かと思えば、ふと視線が薙ぎ、冬鷹を捕える。一瞬その瞳が大きく見開いたが、次の瞬間には眉間に浅い皺が寄った。
「ギリギリ……行くよ」
機嫌がイイとは言えない。だが、相手から話してきた分、昨日よりだいぶ良い。
「昨日は何食べたの?」と、ツンッとした声で訊いてきた。
「ソイラテ味だったかな?」
雪海に水をかけられた後、食べる気がせず根本にあげたのでよく覚えてはいなかった。
「……あの女の子は?」
「ん? 伊東さん? えっと、いちごラムミントだったような」
「……私、その二つと抹茶フラペチーノ」
トリプルにするのか!? と驚き尋ねるが、雪海から返事がなかった。
「そんな食べて大丈夫か? 夕食残したら姉さんや母さんに怒られるぞ」
「甘いものは別腹だもん」
雪海の身体は水でできている。だから『別腹』どころから『腹=胃』も、生物学的には存在していないらしい。
しかし、雪海は空腹を感じる。食べれば満腹感も得る。
人間が食事から栄養を摂るように、雪海の『人間の部分』が人間としての栄養を欲している――というのが、軍の研究者の見解だった。
だが実際のところ、そのメカニズムは全くと言っていいほど解っていない。
食べたものが、どう消化され、何処に消えるのかでさえ、誰も知らないのだ。
冬鷹は雪海のオーダーを聞き入れる事にした。
甘やかすな! と心の中の佐也加が告げる。冬鷹も甘いと解っていた。機嫌を直してもらいたいとはいえ、さすがに止めるべきだろう。だが――。
「おおおお!」と、瞳を輝かせ雪海は店員から三段アイスを受け取る。そして、並んでベンチに座り「いただきまーす」と一口食べると「んふっ」と幸せそうな顔を浮かべた。
その顔を見ただけで、自分の甘さを許せてしまう。
つまりは、妹が可愛くてしかたがないのだ。
シングルだった冬鷹は早々に食べ終わる。対して、雪海は十分くらいかけてようやく三段目に到達した。コーンに巻き付けられている店名が印字された紙には、保冷系魔術の〈コード〉も記されている。生活規格の魔素子を流していれば、最後までキンキンに冷えたアイスを楽しめるのだ。
アイス部分を食べ終え、コーンをリスのように小刻みに口に取り込んでゆく。
全てを身体に収めると雪海は満足そうに「ふぅ」と息をついた。
「美味しかったか?」
「…………うん」
「よかった。そうだ、のど渇いただろ。ジュース買ってこようか? それともどこ店に――、」
「ねえ、お兄ちゃん」
雪海の静かで真剣な声に、冬鷹は浮かせようしていた腰の力を抜いた。
「昨日のさ、女の子。前に話してた、氷の人外の時の女の子だよね?」
「え? あ、ああ、そうだけど……言ってなかったか?」
雪海は地面を見ながらコクリと頷くと、俯き、言った。
「あのね…………ごめん」
雑踏に埋もれてしまいそうな小さな声だが、冬鷹は妹の声をしかと拾った。
「本当は、昨日ここでお兄ちゃんと別れた後、気が付いたんだ。でも、水掛けちゃった後だし、謝る勇気がなくて。そしたらタイミング逃して、だんだん言いづらくなって。お兄ちゃんが部屋に来た時も本当は自分から言わなきゃって思ってたんだけど、でも、お兄ちゃんから謝ってきて、そしたら余計に、――って、え? お兄ちゃんッ!?」
冬鷹の身体からどっと力が抜けた。溜め込んでいた息が大量に野に放たれる。
「ちょっと、何!? 大丈夫!?」
「いや、大丈夫。なんか、安心したら、ついな」
なんだ。と、胸を撫で下ろす雪海は笑っていた。
「でも、私も悪かったけど、お兄ちゃんも悪いんだからね」
何が悪かったとは言わない。だが、アイスを満足そうに食べていたあたり、杏樹の言っていた事でほとんど間違いはなさそうだった。
「ああ。今度から気を付けるよ」
「ホントに? お兄ちゃん、そういうの鈍すぎるから信用できない」
「まったくだな。自分でもハードルが高い目標だなって思う」
「もしかして、できなくてもしょうがない、とか思ってる?」
「いやいや、思ってない、思ってない。……でも、はじめの内は少し多めに見てほしいな、とは、少し思ってるかも」
「えー、なんかそういうのずるーい」
雪海が笑ったので、冬鷹もつられて笑った。
どれくらい振りだろうか。笑顔で下らない言葉を交わし合った。ギクシャクしていたのは一週間となかったはず。しかしそれでも酷く長く感じたのは、それだけ仲のいい証拠なのかもしれない。
それから兄妹の取りとめのない会話が二転、三転、とした頃だ。
「あっ! ねえねえ、お兄ちゃん! ほらっ」
雪海が不意に街を指差した。促され視線を流すと、
「あッ! えっと……どうも、」
伊東怜奈がいた。彼女もこちらに気付き、ちょこんと頭を下げた。
そして唐突、彼女は雪海に問いかける。
「あの……もしかして滝本雪海さん?」
滝本――それは冬鷹と雪海の旧姓だった。突然、昔の苗字で呼ばれ、雪海は
「え? あれ?」と戸惑いを見せる。すると、怜奈は慌てた様子で謝った。
「あれ? その、ごめんなさい。もしかしたらと思ったんだけど、人違いだったみたいで、」
「え? ううん、合ってるよ! でも、そうじゃなくて! その……私たち何処かで会った事ある?」
「すれ違った事なら……たぶん何度も。でもその時、私も苗字が違ったから」
雪海の顔が思案気に歪む。そしてまもなくパッと電球が浮かんだ表情に変わる。
「え!? えっと、美堂怜奈さん!?」
「うそ!? 知っててくれたの? クラス違ったし、話した事もないから、私が一方的に知ってるだけかと思ってた」
そう言えば、怜奈も帝都第一学園の初等部に通っていたと言っていた気がする。つまり雪海と顔見知りでもおかしくはないのだ――と冬鷹は今更ながらに気が付いた。
「そんな事ないよ! 特進クラスで一番頭が良くて、可愛くて、美堂さん有名人だったよ! というか、なんで私のこと知ってるの? って感じだよ!」
「そんな『可愛くて』なんて……むしろ、雪海ちゃんこそ可愛くて有名だったよ」
二人は互いの印象を疑り合いながらも、共通する話題に触れていく。
同い歳だからか、それとも同じ『兄を持つ妹』という事だからだろうか。
二人が打ち解けるまでそう時間はかからなかった。
冬鷹は帝都第一学園高等部の真黒な制服のまま、待ち合わせの場所に向かった。
雪海は無表情で小さな時計塔を見つめていた。
――かと思えば、ふと視線が薙ぎ、冬鷹を捕える。一瞬その瞳が大きく見開いたが、次の瞬間には眉間に浅い皺が寄った。
「ギリギリ……行くよ」
機嫌がイイとは言えない。だが、相手から話してきた分、昨日よりだいぶ良い。
「昨日は何食べたの?」と、ツンッとした声で訊いてきた。
「ソイラテ味だったかな?」
雪海に水をかけられた後、食べる気がせず根本にあげたのでよく覚えてはいなかった。
「……あの女の子は?」
「ん? 伊東さん? えっと、いちごラムミントだったような」
「……私、その二つと抹茶フラペチーノ」
トリプルにするのか!? と驚き尋ねるが、雪海から返事がなかった。
「そんな食べて大丈夫か? 夕食残したら姉さんや母さんに怒られるぞ」
「甘いものは別腹だもん」
雪海の身体は水でできている。だから『別腹』どころから『腹=胃』も、生物学的には存在していないらしい。
しかし、雪海は空腹を感じる。食べれば満腹感も得る。
人間が食事から栄養を摂るように、雪海の『人間の部分』が人間としての栄養を欲している――というのが、軍の研究者の見解だった。
だが実際のところ、そのメカニズムは全くと言っていいほど解っていない。
食べたものが、どう消化され、何処に消えるのかでさえ、誰も知らないのだ。
冬鷹は雪海のオーダーを聞き入れる事にした。
甘やかすな! と心の中の佐也加が告げる。冬鷹も甘いと解っていた。機嫌を直してもらいたいとはいえ、さすがに止めるべきだろう。だが――。
「おおおお!」と、瞳を輝かせ雪海は店員から三段アイスを受け取る。そして、並んでベンチに座り「いただきまーす」と一口食べると「んふっ」と幸せそうな顔を浮かべた。
その顔を見ただけで、自分の甘さを許せてしまう。
つまりは、妹が可愛くてしかたがないのだ。
シングルだった冬鷹は早々に食べ終わる。対して、雪海は十分くらいかけてようやく三段目に到達した。コーンに巻き付けられている店名が印字された紙には、保冷系魔術の〈コード〉も記されている。生活規格の魔素子を流していれば、最後までキンキンに冷えたアイスを楽しめるのだ。
アイス部分を食べ終え、コーンをリスのように小刻みに口に取り込んでゆく。
全てを身体に収めると雪海は満足そうに「ふぅ」と息をついた。
「美味しかったか?」
「…………うん」
「よかった。そうだ、のど渇いただろ。ジュース買ってこようか? それともどこ店に――、」
「ねえ、お兄ちゃん」
雪海の静かで真剣な声に、冬鷹は浮かせようしていた腰の力を抜いた。
「昨日のさ、女の子。前に話してた、氷の人外の時の女の子だよね?」
「え? あ、ああ、そうだけど……言ってなかったか?」
雪海は地面を見ながらコクリと頷くと、俯き、言った。
「あのね…………ごめん」
雑踏に埋もれてしまいそうな小さな声だが、冬鷹は妹の声をしかと拾った。
「本当は、昨日ここでお兄ちゃんと別れた後、気が付いたんだ。でも、水掛けちゃった後だし、謝る勇気がなくて。そしたらタイミング逃して、だんだん言いづらくなって。お兄ちゃんが部屋に来た時も本当は自分から言わなきゃって思ってたんだけど、でも、お兄ちゃんから謝ってきて、そしたら余計に、――って、え? お兄ちゃんッ!?」
冬鷹の身体からどっと力が抜けた。溜め込んでいた息が大量に野に放たれる。
「ちょっと、何!? 大丈夫!?」
「いや、大丈夫。なんか、安心したら、ついな」
なんだ。と、胸を撫で下ろす雪海は笑っていた。
「でも、私も悪かったけど、お兄ちゃんも悪いんだからね」
何が悪かったとは言わない。だが、アイスを満足そうに食べていたあたり、杏樹の言っていた事でほとんど間違いはなさそうだった。
「ああ。今度から気を付けるよ」
「ホントに? お兄ちゃん、そういうの鈍すぎるから信用できない」
「まったくだな。自分でもハードルが高い目標だなって思う」
「もしかして、できなくてもしょうがない、とか思ってる?」
「いやいや、思ってない、思ってない。……でも、はじめの内は少し多めに見てほしいな、とは、少し思ってるかも」
「えー、なんかそういうのずるーい」
雪海が笑ったので、冬鷹もつられて笑った。
どれくらい振りだろうか。笑顔で下らない言葉を交わし合った。ギクシャクしていたのは一週間となかったはず。しかしそれでも酷く長く感じたのは、それだけ仲のいい証拠なのかもしれない。
それから兄妹の取りとめのない会話が二転、三転、とした頃だ。
「あっ! ねえねえ、お兄ちゃん! ほらっ」
雪海が不意に街を指差した。促され視線を流すと、
「あッ! えっと……どうも、」
伊東怜奈がいた。彼女もこちらに気付き、ちょこんと頭を下げた。
そして唐突、彼女は雪海に問いかける。
「あの……もしかして滝本雪海さん?」
滝本――それは冬鷹と雪海の旧姓だった。突然、昔の苗字で呼ばれ、雪海は
「え? あれ?」と戸惑いを見せる。すると、怜奈は慌てた様子で謝った。
「あれ? その、ごめんなさい。もしかしたらと思ったんだけど、人違いだったみたいで、」
「え? ううん、合ってるよ! でも、そうじゃなくて! その……私たち何処かで会った事ある?」
「すれ違った事なら……たぶん何度も。でもその時、私も苗字が違ったから」
雪海の顔が思案気に歪む。そしてまもなくパッと電球が浮かんだ表情に変わる。
「え!? えっと、美堂怜奈さん!?」
「うそ!? 知っててくれたの? クラス違ったし、話した事もないから、私が一方的に知ってるだけかと思ってた」
そう言えば、怜奈も帝都第一学園の初等部に通っていたと言っていた気がする。つまり雪海と顔見知りでもおかしくはないのだ――と冬鷹は今更ながらに気が付いた。
「そんな事ないよ! 特進クラスで一番頭が良くて、可愛くて、美堂さん有名人だったよ! というか、なんで私のこと知ってるの? って感じだよ!」
「そんな『可愛くて』なんて……むしろ、雪海ちゃんこそ可愛くて有名だったよ」
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