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スイーツビッフェ
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あの日のあと、帰宅して布団に沈み込んだ頃だった。
スマホが小さく震える。画面に表示された名前──「綠谷」。
……やっぱり俺の連絡先、知ってたのか。
今さら「なんで?」なんて疑問を持つ方が間違いだ。あいつに常識なんて、期待するだけ無駄ってやつだ。
【スイーツビュッフェ、今週末まで開催なので、明後日などいかがですか?
たしかバーのバイトが18時からだったかと思いますので、お昼に。もちろん、ご馳走します】
当然のようにスケジュールを把握した文面。
俺の予定は、いつの間にか「あいつが知っていて当然」のものになってるらしい。
正直、断る理由なんて、いくらでもあった。
けど──ふと、脳裏をかすめた。
濃厚なチョコプリン。甘酸っぱい苺のタルト。ふわふわに膨らんだスフレパンケーキ。
見た目からして反則級に甘そうで、じんわり罪悪感すら湧いてくる、あの記憶。
気がつけば、指が勝手に動いていた。
【行く】
送信を押した瞬間に「既読」がつき、間髪入れず返信が届く。
【では明後日、11時に迎えに行きますね】
──5,000円分の甘味に釣られて即答した俺は、本当にどうしようもない男だと思う。
*
そして、当日。
「迎えに行きますね」とは言われていたけど──
まさか車で来るとは思ってなかった。
窓の外に停まったのは、黒塗りの高級車。
音もなくエンジンが止まり、どこか場違いなその存在感に、思わず額に手を当てる。
(……どこの社長だよ)
静かにドアが開き、現れたのは──いつも通りのグリーン。
微笑みを浮かべながら、まるで当然のように手を差し出してくる。
「お待たせしました。どうぞ」
……何が怖いって、この一連の動作に一切のためらいがないことだ。
車に乗り込んでドアが閉まった瞬間、空気が一変する。
外の音がピタリと消え、シートは驚くほど柔らかい。
内装は過剰なくらいに高級感があって、座ってるだけで肩に力が入る。
「……この車、お前の?」
「ええ。一応。こだわりはないので、勧められるまま買いましたが」
さらりと答えられても、普通そんな“ノリ”で買える車じゃない。
「前みたいに、人混みの電車でトオルさんを連れ回すわけにはいきませんから。今日は車で行きましょう?」
運転席で、いつも通りの落ち着いた口調で言う。
「……いや、別にそれくらい我慢できるけど」
「私が耐えられませんから」
そう言って、片手をハンドルから離し、こちらへ視線を寄越す。
「……それとも、また私と密着したかったんですか?言ってくれれば、いつでも抱きしめて差し上げますよ」
「は???」
あまりに意味不明すぎて、反射で声が出た。
落ち着いたトーンの会話の中に、いきなり地雷みたいな爆弾を混ぜてくるな。
「誰もそんなこと言ってねぇだろ」
「そうですか? 人の多い電車ということは、自然と私と密着する流れになると思ったので。てっきり、そういう狙いかと」
「……都合よく解釈すんな」
「それは失礼しました。今は運転中ですので無理ですが──後ほど、タイミングを見て、たっぷり抱きしめてあげますね」
「やめろ」
即答すると、グリーンは前を向いたまま、ふっと笑った。
一見、無害そうな微笑みに見えて、その奥が相変わらず読めない。
冗談にしては本気っぽく、本気にしては軽すぎる。
どっちにしろ──怖い。
「……まあ、目的地に快適に着けるなら、なんでもいいか」
「はい。今日はトオルさんに、甘味も、空間も、心も、しっかり“満たされて”いただく予定ですから」
車は静かに、穏やかに走り出す。
もしこの密室が甘い香りで満たされたら、本当に逃げ場がなくなる気がして──俺は、深くため息をついた。
すでに、スイーツに釣られてこいつと出かけたことを、少し後悔しはじめていた。
*
ビュッフェ会場は、甘くやわらかな香りと、ほどよい賑わいに包まれていた。
天井の柔らかな照明が、色とりどりのスイーツを美しく照らし出している。
到着してすぐ、グリーンは「まずはこちらを」と言って、きれいに盛りつけたスイーツのプレートを俺の前に置いた。
その後、「少々、お待ちを」とだけ言い残して、今は別のカウンターへと向かっている。
俺は一人、テーブルに残されていた。
……まあ、ここに来るまで、かなり迷ったのは事実だ。
けど──目の前のスイーツを見れば、もう文句なんて出てこない。
チョコプリン、苺のタルト、スフレパンケーキ。
見た目も華やかで、どれも一口ごとに甘さと香りが広がる。
さすがに人気の店だけあって、味は間違いない。
とろける口どけに、自然と表情がゆるんでいた。
(……グリーンに釣られたって事実さえ忘れられれば、完璧なんだけどな)
小さく苦笑しつつも、スプーンは止まらない。
「お待たせしました。追加で、季節限定のミルフィーユです」
グリーンが静かにトレーを置く。
その上には、またしても完璧に盛りつけられたスイーツのプレートが乗っていた。
「うわ、うまそう」
思わず声が漏れる。
それを聞いて、グリーンは満足そうに微笑んだ。
「どうぞ。他にも気になるものがあれば、遠慮なく仰ってください。すぐに取ってきますので」
いつもと変わらぬ、丁寧で落ち着いた口調。
その柔らかさの裏に、どこか見えない圧を感じながら、スプーンを手に取る。
目の前のスイーツをひと口。
甘さが広がるはずのその瞬間、グリーンの視線が刺さるように意識に入り込んでくる。
まるで、一挙手一投足を見逃すまいとするように。
一度も目を逸らすことなく、じっと俺を見ていた。
なんとなく居心地が悪くなって、視線をそらす。
その拍子に、周囲の空気が妙に引っかかることに気づいた。
斜め向かいのテーブル――
女性グループの数人が、こちらに向けて明らかに視線を投げていた。
隣のカップルの女性も、こちらに目をやっている。
すれ違った店員すら、ほんの一瞬立ち止まり、こちらを見た気がした。
その視線の先をたどると──グリーン。
そういえばこいつ、黙って座ってるぶんには顔だけはいいんだった。
清潔感も抜群で、目立たないわけがない。
「……お前って、やっぱモテんだな」
「そうですね、自覚はありますよ」
グリーンはコーヒーに口をつけながら、あっさりとした声で答えた。
その表情には照れの欠片もない。周囲からの視線も、気づいているのか、それとも興味がないのか──少なくとも、気にしている様子は一切ない。
「でも……トオルさんが無自覚すぎる方なので、そっちの方が正直、困ってます」
「は?」
「いえ、大した話ではありません。
ただ……今日もずっと可愛らしいなと思っていただけですから」
「……誰が」
反射的に問い返した言葉に、グリーンの視線がゆっくりとこちらへ向く。
いつも通りの、丁寧で落ち着いた微笑。
でもその奥にある何かが、皮膚の下でじわりと這うように熱を持っていた。
「あなた、ですよ」
その言葉は、まるで触れられたかのように、鼓膜に残る。
「ほんの少し前に、スプーンの先でチョコをすくったとき──目元がふっとゆるんだの、気づいてました?
あの瞬間、心臓が一拍ずれた感覚がありました。私の、ですけど」
「……何言ってんだお前」
「観察ですよ。大事なんです、あなたの表情、声の出し方、仕草……全部。
知れば知るほど、もっと知りたくなるのは当然でしょう?」
さらりとした声。けれど、そこにある欲の質量は、妙に生々しかった。
グリーンの視線が、熱を持ったまま、じっとこちらに貼りついている。
その瞳は、まるで“味を確かめるように”俺を見ていて──気づけば、手元のスイーツの甘ささえ霞んでいた。
(なんなんだよ、こいつ……)
なのに、スプーンを置くことはできなかった。
口に入れたスフレのやわらかさが、ほんのひととき、神経をまぎらわせてくれるから。
甘い、うまい、でも──落ち着かない。
こいつの視線は、食うでもなく、触るでもなく。
“舐める”ように、追いかけてくる。
「……そんなに見てて、飽きないのかよ」
そう言えば、少しは引いてくれると思った。
けれど、返ってきたのは期待外れの一言だった。
「飽きたことありませんね。一度も」
視線の熱が、さらにじりじりと濃くなる。
グリーンの視線は、もはやスイーツより濃密だった。
口に運ぶたびに、食べているのが俺なのか、食われているのが俺なのか、わからなくなる。
(……なんで俺、まだここに座ってんだ)
けれど立ち上がる気力も、視線から逃げる術も、今の俺にはなかった。
目の前には、色とりどりのスイーツ。
味は極上なのに、胃の奥にずっと重たい何かがのしかかっている。
ビュッフェは、たしかに至福だった。
でも──
「グリーンの視線に耐える」という試練を超えなければ、甘さにも辿り着けない。
俺はただ、深く息をついて、
またひと口、静かにスプーンを口へ運んだ。
……きっとまた、見られている。
けれどその感覚にも、最近は少し──慣れてきた気が自分が怖い。
スマホが小さく震える。画面に表示された名前──「綠谷」。
……やっぱり俺の連絡先、知ってたのか。
今さら「なんで?」なんて疑問を持つ方が間違いだ。あいつに常識なんて、期待するだけ無駄ってやつだ。
【スイーツビュッフェ、今週末まで開催なので、明後日などいかがですか?
たしかバーのバイトが18時からだったかと思いますので、お昼に。もちろん、ご馳走します】
当然のようにスケジュールを把握した文面。
俺の予定は、いつの間にか「あいつが知っていて当然」のものになってるらしい。
正直、断る理由なんて、いくらでもあった。
けど──ふと、脳裏をかすめた。
濃厚なチョコプリン。甘酸っぱい苺のタルト。ふわふわに膨らんだスフレパンケーキ。
見た目からして反則級に甘そうで、じんわり罪悪感すら湧いてくる、あの記憶。
気がつけば、指が勝手に動いていた。
【行く】
送信を押した瞬間に「既読」がつき、間髪入れず返信が届く。
【では明後日、11時に迎えに行きますね】
──5,000円分の甘味に釣られて即答した俺は、本当にどうしようもない男だと思う。
*
そして、当日。
「迎えに行きますね」とは言われていたけど──
まさか車で来るとは思ってなかった。
窓の外に停まったのは、黒塗りの高級車。
音もなくエンジンが止まり、どこか場違いなその存在感に、思わず額に手を当てる。
(……どこの社長だよ)
静かにドアが開き、現れたのは──いつも通りのグリーン。
微笑みを浮かべながら、まるで当然のように手を差し出してくる。
「お待たせしました。どうぞ」
……何が怖いって、この一連の動作に一切のためらいがないことだ。
車に乗り込んでドアが閉まった瞬間、空気が一変する。
外の音がピタリと消え、シートは驚くほど柔らかい。
内装は過剰なくらいに高級感があって、座ってるだけで肩に力が入る。
「……この車、お前の?」
「ええ。一応。こだわりはないので、勧められるまま買いましたが」
さらりと答えられても、普通そんな“ノリ”で買える車じゃない。
「前みたいに、人混みの電車でトオルさんを連れ回すわけにはいきませんから。今日は車で行きましょう?」
運転席で、いつも通りの落ち着いた口調で言う。
「……いや、別にそれくらい我慢できるけど」
「私が耐えられませんから」
そう言って、片手をハンドルから離し、こちらへ視線を寄越す。
「……それとも、また私と密着したかったんですか?言ってくれれば、いつでも抱きしめて差し上げますよ」
「は???」
あまりに意味不明すぎて、反射で声が出た。
落ち着いたトーンの会話の中に、いきなり地雷みたいな爆弾を混ぜてくるな。
「誰もそんなこと言ってねぇだろ」
「そうですか? 人の多い電車ということは、自然と私と密着する流れになると思ったので。てっきり、そういう狙いかと」
「……都合よく解釈すんな」
「それは失礼しました。今は運転中ですので無理ですが──後ほど、タイミングを見て、たっぷり抱きしめてあげますね」
「やめろ」
即答すると、グリーンは前を向いたまま、ふっと笑った。
一見、無害そうな微笑みに見えて、その奥が相変わらず読めない。
冗談にしては本気っぽく、本気にしては軽すぎる。
どっちにしろ──怖い。
「……まあ、目的地に快適に着けるなら、なんでもいいか」
「はい。今日はトオルさんに、甘味も、空間も、心も、しっかり“満たされて”いただく予定ですから」
車は静かに、穏やかに走り出す。
もしこの密室が甘い香りで満たされたら、本当に逃げ場がなくなる気がして──俺は、深くため息をついた。
すでに、スイーツに釣られてこいつと出かけたことを、少し後悔しはじめていた。
*
ビュッフェ会場は、甘くやわらかな香りと、ほどよい賑わいに包まれていた。
天井の柔らかな照明が、色とりどりのスイーツを美しく照らし出している。
到着してすぐ、グリーンは「まずはこちらを」と言って、きれいに盛りつけたスイーツのプレートを俺の前に置いた。
その後、「少々、お待ちを」とだけ言い残して、今は別のカウンターへと向かっている。
俺は一人、テーブルに残されていた。
……まあ、ここに来るまで、かなり迷ったのは事実だ。
けど──目の前のスイーツを見れば、もう文句なんて出てこない。
チョコプリン、苺のタルト、スフレパンケーキ。
見た目も華やかで、どれも一口ごとに甘さと香りが広がる。
さすがに人気の店だけあって、味は間違いない。
とろける口どけに、自然と表情がゆるんでいた。
(……グリーンに釣られたって事実さえ忘れられれば、完璧なんだけどな)
小さく苦笑しつつも、スプーンは止まらない。
「お待たせしました。追加で、季節限定のミルフィーユです」
グリーンが静かにトレーを置く。
その上には、またしても完璧に盛りつけられたスイーツのプレートが乗っていた。
「うわ、うまそう」
思わず声が漏れる。
それを聞いて、グリーンは満足そうに微笑んだ。
「どうぞ。他にも気になるものがあれば、遠慮なく仰ってください。すぐに取ってきますので」
いつもと変わらぬ、丁寧で落ち着いた口調。
その柔らかさの裏に、どこか見えない圧を感じながら、スプーンを手に取る。
目の前のスイーツをひと口。
甘さが広がるはずのその瞬間、グリーンの視線が刺さるように意識に入り込んでくる。
まるで、一挙手一投足を見逃すまいとするように。
一度も目を逸らすことなく、じっと俺を見ていた。
なんとなく居心地が悪くなって、視線をそらす。
その拍子に、周囲の空気が妙に引っかかることに気づいた。
斜め向かいのテーブル――
女性グループの数人が、こちらに向けて明らかに視線を投げていた。
隣のカップルの女性も、こちらに目をやっている。
すれ違った店員すら、ほんの一瞬立ち止まり、こちらを見た気がした。
その視線の先をたどると──グリーン。
そういえばこいつ、黙って座ってるぶんには顔だけはいいんだった。
清潔感も抜群で、目立たないわけがない。
「……お前って、やっぱモテんだな」
「そうですね、自覚はありますよ」
グリーンはコーヒーに口をつけながら、あっさりとした声で答えた。
その表情には照れの欠片もない。周囲からの視線も、気づいているのか、それとも興味がないのか──少なくとも、気にしている様子は一切ない。
「でも……トオルさんが無自覚すぎる方なので、そっちの方が正直、困ってます」
「は?」
「いえ、大した話ではありません。
ただ……今日もずっと可愛らしいなと思っていただけですから」
「……誰が」
反射的に問い返した言葉に、グリーンの視線がゆっくりとこちらへ向く。
いつも通りの、丁寧で落ち着いた微笑。
でもその奥にある何かが、皮膚の下でじわりと這うように熱を持っていた。
「あなた、ですよ」
その言葉は、まるで触れられたかのように、鼓膜に残る。
「ほんの少し前に、スプーンの先でチョコをすくったとき──目元がふっとゆるんだの、気づいてました?
あの瞬間、心臓が一拍ずれた感覚がありました。私の、ですけど」
「……何言ってんだお前」
「観察ですよ。大事なんです、あなたの表情、声の出し方、仕草……全部。
知れば知るほど、もっと知りたくなるのは当然でしょう?」
さらりとした声。けれど、そこにある欲の質量は、妙に生々しかった。
グリーンの視線が、熱を持ったまま、じっとこちらに貼りついている。
その瞳は、まるで“味を確かめるように”俺を見ていて──気づけば、手元のスイーツの甘ささえ霞んでいた。
(なんなんだよ、こいつ……)
なのに、スプーンを置くことはできなかった。
口に入れたスフレのやわらかさが、ほんのひととき、神経をまぎらわせてくれるから。
甘い、うまい、でも──落ち着かない。
こいつの視線は、食うでもなく、触るでもなく。
“舐める”ように、追いかけてくる。
「……そんなに見てて、飽きないのかよ」
そう言えば、少しは引いてくれると思った。
けれど、返ってきたのは期待外れの一言だった。
「飽きたことありませんね。一度も」
視線の熱が、さらにじりじりと濃くなる。
グリーンの視線は、もはやスイーツより濃密だった。
口に運ぶたびに、食べているのが俺なのか、食われているのが俺なのか、わからなくなる。
(……なんで俺、まだここに座ってんだ)
けれど立ち上がる気力も、視線から逃げる術も、今の俺にはなかった。
目の前には、色とりどりのスイーツ。
味は極上なのに、胃の奥にずっと重たい何かがのしかかっている。
ビュッフェは、たしかに至福だった。
でも──
「グリーンの視線に耐える」という試練を超えなければ、甘さにも辿り着けない。
俺はただ、深く息をついて、
またひと口、静かにスプーンを口へ運んだ。
……きっとまた、見られている。
けれどその感覚にも、最近は少し──慣れてきた気が自分が怖い。
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