夏から始まる

神崎

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決断

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 広い部屋で十人ほどの男たちが酒を酌み交わしている。菊子はそれを見ながら、ヤクザとなにが違うんだろうと思っていた。
 武生の兄である省吾のような感じで、話している内容もどこかの傘下が不正を起こしているかもしれないとか、海外にとばすとか、そんな内容ばかりだった。
 ヤクザよりもたちが悪いのは、酒を持ってくるのが遅かったり、熱燗がぬるかったりすれば一蹴されるのだ。それだけならまだこちらの不手際だが、平気でほかの仲居の尻を撫でたりしているのをみる。
 まぁ、一晩で相当な金を置いて帰るのだから文句は言えないし、菊子には手を出そうとしている人は居ないのでほっとしていた。
 だが気になる人が一人いる。
「お待たせいたしました。」
 酒を置いたその先には、黒い仕立ての良いスーツを着た若い男が居た。上座にいるという事は、おそらくこの中で一番地位があるのだろうが、一番若くも見えた。
 そして何より、強面で長身。蓮によく似ていた。ただ蓮よりはがっちりした体格をしている。蓮が髪を伸ばしたらこんな感じになりそうだ。そう思って、関わらないように菊子はずっと過ごしていた。
 だがそのときその男が立ち上がる。そして菊子を見下ろした。
「どうかなさいましたか。」
「お手洗いはどこだろうか。」
「あ……はい。ご案内いたします。」
 仲居をよけて菊子は部屋から出ると、彼もあとからついてくる。後ろをついてこられるのは、少しイヤだ。だが我慢すればいい。そう思っていたときだった。
「そんなに緊張しなくても良い。」
「え?」
 ふっと笑う。その顔がさらに蓮によく似ているように思えた。
「一応専務という肩書きではあるが、肩書きだけでまだまだだと思っているし。」
「そうなのですね。」
 やはりかなりの地位だと思っていたが、専務だというのは予想外だった。
「……若いな。高校生か。」
「はい。三年生です。」
「バイトか何かか?」
「いいえ。ここは私の家ですから。家の仕事をしているだけです。」
「ながさわの女将の……。」
「孫です。」
「なるほどな。だからよく似ているんだな。」
「ありがとうございます。ではこちらがお手洗いです。」
 案内をして、行こうとしたときだった。
「お手拭きを持って待っていろ。」
「ご所望でしたら、そういたします。」
「ご所望だ。」
 そういって彼はトイレに入っていく。だが菊子の心の中では、「スナックとかキャバクラじゃねぇんだから」と思っていた。
 だが顔も声も、何故か蓮を想像できた。戸崎という名前なのだろうからきっと何か繋がりがあるのかもしれないが、蓮とはそれを聞けるほどの関係ではない。もちろん、今トイレに入っている男にも聞けない。そう思いながらお手拭きを持って、待っていた。
 しばらくすると男は出てきた。おしぼりを差し出すと、満足そうにそれで手を拭きまた奥の部屋に足を進めようとした。そのとき彼の手が菊子の腕を引く。
「……何ですか?」
「この店は床の用意ができると聞いているが、今からでも出来るのだろうか。」
「可能です。しかし山桃の間はすでに用意してありますから、ほかの部屋になりそうです。」
「では用意してもらおうか。」
 女性を呼ぶのかもしれない。権力があるほどろくな事を考えないものだ。もっともこの店は、そういう輩ばかりなのですっかり慣れてしまったが。
 どこの部屋があいているだろう。菊子は女将に相談しなければいけないと考えを巡らせていた。しかし彼はふっとほほえみ、菊子の腕を引き寄せる。
「え?」
 思わず足がもつれて、彼の胸にぶつかってしまった。すると彼はその体を包み込むように抱きしめる。
「やめてください。」
 体を無理矢理離そうとしたが、力付くで抱き寄せて離そうとしない。
「その床にお前が来い。」
「イヤです。」
 間髪いれずに菊子はそういって無理矢理体を離した。
「この店は仲居にそういう仕事をさせておりません。呼ぶなら、紹介いたします。」
 なるべく強気で言った。すると彼はふっと笑い、菊子の前を歩く。
「だったら床は必要ない。」
 トイレの場所もわかっていた。一人で行けたはずなのに、わざわざ菊子を連れたのはそれが目的だったのだろう。蓮に似ているからといって、性格までは似ていないようだ。手が早くて、強引だった。
 だが蓮のように無鉄砲ではない。その辺が大人なのだろう。専務は肩書きだといっていたが、しっかりその役目をしているように思える。
 数時間後、やっと彼らが帰ろうとしたときだった。菊子は女将に呼ばれて、見送りをするように言われた。はっきり言って気が進まなかったが、それでも行かなければいけないのだろう。
 精一杯の笑顔を浮かべて、菊子は彼らを見送る。そのとき、その若い男が菊子に近づいた。
「お前、名前は?」
「永澤菊子です。」
 すると彼は胸元から名刺入れを取り出して、何かを書くと菊子に手渡した。白い名刺には戸崎グループ専務、戸崎信次と書いてあった。
「また利用させてもらう。」
「お待ちしております。」
 マニュアルのように言葉を出して頭を下げる。それを見て信次は、ほかの男たちと同じように車に乗り込むと、夜の街に消えてしまった。
 名刺を改めてじっと見ると、裏に手書きで何か書いてあった。それは携帯電話の番号のようにみえる。
「あら。菊子さん。名刺ですか?」
「先ほどのお客様から。」
「そういうことは菊子さんにはあまりなかったのですけどね。まぁ、それだけ大人になったとも言えるのでしょう。」
 女将は名刺を見ると、ふっと笑った。
「そう……。プライベートの携帯の番号ですね。おそらく早いところ連絡をして欲しいと言うことでしょう。」
「……連絡?」
「気に入られたのでしょう。全く……。」
 誤魔化すように女将も店の中に入っていく。
 明らかに女将は何かを言い掛けた。だが言葉を飲んだのだ。
「菊子さん。今夜中に専務に連絡をしてください。」
「何で?」
「何でって……気に入られているからですよ。それにうちのお客様の中でも指折りの上客ですしね。離れられても困るのですよ。」
「女将さん。」
「仕事が終わったら、きっちり連絡をしてください。」
 念を押された。これで断れないだろう。手の中にある名刺の裏にある手書きの番号。慌てて書いたにしてはきれいで几帳面な文字だ。そういう人なのだろう。
 だが不信感しかない。蓮に似ているのに、蓮とは違う煙草の匂いも、香水の匂いも全くなじめなかった。
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