夏から始まる

神崎

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疑惑

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 葵とともに家に帰ってくると、菊子は水分をとり着物を脱いで少し体を冷やした。すると開店する頃には体調は元に戻り、普段通りの仕事をしている菊子がいる。
 熱中症になる人は店の中でも多く、水分を取りなさいと女将はいつも言っていた。普段なら菊子にも外に出るときには日傘を差していくようにと言っていたのに、今日はそれを持たせるのも忘れていた。それだけ女将も動揺していたのかもしれない。
「あまり思い詰めないでくれよ。」
 そんな女将の様子に大将は声をかける。
「そうは言いますけどね。」
「親代わりのように接していたと言っても、結局は親ではない。菊子の親は結局は剛や英子さんなのだから、私たちはその代わりをしているだけだ。」
「……でも心配ですよ。おそらく菊子が自分のことにかまわずに外にでるくらい追いつめられていたんですから。」
「だから君は過保護なんだよ。」
「あら。そうですか?」
「剛が外国へ行くと言ったときも、外国の水が合わないのではないかと止めたように思えるね。」
「……心配ですよ。子供なんですから。」
「子供がこける前に手をさしのべたり、目の前の石を避けてあげるのは親の役目じゃない。つまずいて痛さを体験させて、痛みのわかる人間になればいいともうよ。」
 冷たいかもしれないが、大将はいつもそうしてきた。それが職人気質と言われる所以なのかもしれない。
「大将。」
 菊子はお皿をお盆に乗せて、厨房に戻ってきた。すると大将は立ち話をしたということを知られたくなくて包丁を握る。示しがつかないからだ。
「どうした。」
「例のお塩なんですけど……。」
「あぁ。あのスーパーにはなかったそうだな。別にかまわない。在庫があったのを忘れていたし。」
「もうスーパーに置く予定がないそうで、あるとしたらそのはずれにある、業務用のスーパーにならあるかもしれないとおっしゃってました。」
「……業務用ね。」
「少しはずれにありますね。」
「まぁ、別に必要になったらでいいだろう。あわててどうのということではない。もし在庫がなければ、自転車であれば行けないこともないだろう。」
「まぁ……着物で?」
「着物でとは言っていないよ。」
 菊子ならやりかねない。側で聞いていた皐月や葵は盛りつけをしながら笑っていた。

 仕事が終わり、早めに風呂に入った菊子は部屋に戻ってきた。
 そして机の上に置いてある名刺を手にした。西の名前が書いてある。レコード会社で、蓮を誘っている。それも強引に。
「……。」
 梅子のことはともかく、菊子のことは何もまだ解決していないのだ。
 そのころ、蓮はヘルプで頼まれているベースをステージの上で弾いていた。今日はジャズロックみたいなもので、ベースと言ってもウッドベースを弾いている。手が大きく、背も高いので案外器用に弾くなと百合は思っていた。
 そのとき、入り口のドアが開いた。そこには二人組の男がいた。
「いらっしゃい。」
 入ってきただけで、空気が変わった。演奏している人たちに失礼になるかと百合が心配するくらいだった。それくらい棗の後ろにいた男は存在感があったのだ。
 金色の髪は長く、瞳も青。細く、女か男かわからないような男で、何をおいても美しいと思った。
「百合。約束通り来たぜ。」
 棗はそういって手を挙げた。
「棗がくるなんて、明日は雨かしら。」
「らしいな。海が時化って手ろくな魚がなさそうだ。明日は閉店かもな。」
「今日も閉店してたのに?」
 男が少し笑い、カウンター席に座った棗の隣に座る。それだけで何かいい匂いがしそうだ。
「今日は定休日だよ。明日変な魚しかなかったら、閉店した方がいい。冷凍を使ってまで開店しようとは思わないから。」
「だったら今日開店させれば良かったのに。」
「今日は休みだって言ってんのに、明日にしてくれって言われたら従業員はいい気分しないだろう?」
「まぁね。」
 蓮も姿はいい方だ。蓮を目当てに来る女の客もいるのだが、ここまで正統派の男前ではない。だが蓮と違うのは、この男はおそらく女に慣れている。
「さて、何を飲みますか?メニューをどうぞ。」
 百合がメニューを差し出すと棗はそれをじっと見ていたが、男はステージの方ばかりを見ている。ジャズロックにはボーカルがいない。ただトランペットやサックスがその代わりをしているようだ。
「……下手なジャズだ。」
「そう言わないで。今日はフリーのライブだし、あ、ワンドリンクオーダーだけど。」
「お金を取るんなら、もう少しまとまった方がいいのにって思ったんだ。」
「水樹。」
 棗がそれを止めるのは珍しいだろう。それだけ男が毒舌なのだ。
「何を飲まれますか?」
 百合は表情を変えずに男に聞く。出来ればもう二度と来ないで欲しい客だ。そう思っていたのだ。
「トニックウォーターを。」
「あれ?もう飲まないのか?」
「仕事以外ではそれほど飲まないから。」
「仕事?ホストか何かかしら。」
 百合がそう言う嫌味をいうのは珍しい。それだけあまりいい印象を持っていないのだろう。だが男はバッグから名刺入れを取り出して、百合に手渡した。
「水樹と言います。」
「あら。ご丁寧に。」
 ビールグラスを取り出して、シンクに置くとその名刺を受け取った。そして百合も自分の名刺を水樹に渡す。そして水樹の名刺を改めてみると、ホストクラブの名前が書いてあった。やはりホストなのだ。
「あら。結構大きなホストクラブね。」
「店舗はいくつかありますよ。そのうちの一つです。」
「そう……。」
 どっちにしてもあまりいい客ではない。そう思いながら、百合はグラスにビールを注いだ。そしてトニックウォーターを氷を入れたグラスに注ぐ。
「レモンかライムを入れましょうか?」
「じゃあ、レモンを。」
 レモンを切って置いたモノを絞って、その中に入れる。そしてコースターを置いた二人の前にそれぞれのグラスを置いた。
「そう言えば水樹は、レコード会社から声がかかっているんだっけか。」
「そう。バンドはしていたんだけど、すぐ解散したり、逆ギレされたりする奴らばかりでさ。その点、あのレコード会社のいうことが本当なら、たぶんもうそんなことはないと思って。」
「したいように音楽が出来るんだったらそっちの方がいいかもな。あー。それにしてもお前がそんなに有名になるなんて思ってもなかったのに。」
「さぁ、どうだろうね。この道で後悔はないのかって思うのは、死ぬときしかわからないだろう?」
 思ったよりも年寄りのようなことをいう男だ。
 そのとき演奏が終わり、蓮はベースを立てかけるとステージを降りた。
「ウッドベースは苦手だな。」
「そう?あまり違和感はなかったわ。」
「そうしてただけだ。あまり自己主張しても仕方ないだろうし。百合。交代しようか?」
「そうね。今はオーダーが入っていないから、そうさせてもらおうかしら。」
「そうしろ。菊子のように熱中症になっても困るからな。」
 百合はグラスにお茶を注ぐとカウンターを出て、席に座った。その格好に、水樹はこんな田舎にもこんな奴がいるんだなと思っていただけだった。
 しかし隣の棗は穏やかではなかった。
「蓮。熱中症ってどういうことだ?」
「あぁ……。昼間に菊子がそこの公園で倒れてたからな。熱中症っぽくなってたようだ。」
「ふーん。あいつ体調管理も出来ないのか。そこから指導しないとな。」
 するとその様子に、蓮もグラスに水を注ぎそれを口に運ぶ。
「お前が指導する必要はない。」
「さぁな。俺の所にくれば、そんな指導の他にもいろんな指導してやってもいいけど。」
「お前なぁ……。」
 思わずカウンターを出そうになったが、百合がそれを止めた。」
「蓮。いちいち反応しないの。一応お客様なんだから。」
 百合はそう言って止めた。そのときライブが終わったので出て行こうとしているお客が、蓮を呼んだ。
「チェックお願いします。」
「はい。」
 レジカウンターへ向かうその後ろ姿を見て、水樹は「でかい男」だという印象しかなかった。
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