夏から始まる

神崎

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温泉街

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 楽譜を取りに帰った菊子は再び祭りの会場にいた。「rose」の屋台は徐々に人が集まっている。昼間から酒を飲みたい人にはいいのかもしれない。
 奥には蓮と百合が居た。二人で交代しながら酒を作っているらしい。菊子はそれを横目で見ながら、バンドの控え室代わりのテントへ向かう。そこには演奏を終えた人たちや、今から演奏をする人たちが居てごった返している。
 その一角にいるはずの昌樹たちを探す。
「菊子ちゃん。」
 涼子が声をかけてくれて、やっと見つけた。菊子はそこに向かうと、ほっとしたように胸をなで下ろす。
「良かった。見つかって。」
「ロックバンドとは違ってみんなバンドのメンバーが多いからね。」
 友紀はそういって笑いながら、サックスのケースを開けてリードをくわえた。
「でっかいから目立つよな。お前。」
 棗の言葉に菊子は頬を膨らませた。
「また大きい言っていった。」
 その話題に周りのメンバーが笑う。だが昌樹は難しそうな顔をしていた。
 棗はギターが弾けるとは言え、他人のギターだ。引き慣れていないだろうにあれくらい弾ける男。それに慣れていないのは菊子も一緒だ。耳で聴いただけだろうに、あれだけ歌える女。
 友紀の言葉が頭を駆けめぐっていた。きっと蓮も含めて、三人は手を抜いている。なのにバンドのレベルに合わせようとしているのだ。
「……。」
 悪いが、このイベントが終わったら三人に声をかけることはないだろう。喧嘩別れするように出て行った牡丹に頭を下げて戻って貰うしかない。スカバンドは管楽器が居ないと成り立たないのだから。
「昌樹。」
 その様子を感じたのか、友紀が声をかける。
「何だ。」
「気にしないでよ。今からライブでしょ?」
「何が?」
「さっき言ったこと。言ってあたしも後悔してるんだから。余計なことを言ったって。」
「……。」
「良いじゃない。合わせてくれているんだから、甘えましょう。」
 すると昌樹は不機嫌そうに言った。
「お前が言い出したんだ。」
「あたしのせいにするの?ちっちゃい男。」
「あ?」
 その様子に周りの人たちがはらはらしたように見ていた。あまり喧嘩をするような夫婦ではなかったのに、どうしてライブ前だというのに言い合いをしているのだろうか。
「すいません。」
 そこへその空気を読まない男が、テントの中に入ってきた。その顔を見て、菊子は顔をひきつらせる。
「……。」
 そしてその様子を棗も感じて、菊子をかばうように前に立った。実行委員であろう、黄色のTシャツを着た若い男が男の前に立つ。
「はい。」
「戸崎蓮さんか、永澤菊子さんはいらっしゃいますか。」
 菊子の名前に、昌樹は驚いたように菊子を見た。菊子は笑顔を浮かべて男の前に立つ。だがその笑顔はおそらく表向きだ。それは一緒に働いたことのある棗ならすぐにわかる。
「はい。」
「菊子さん。お久しぶりです。」
「どうも。こんなところまでわざわざいらしたんですか。」
 言葉も丁寧ではあるがどこか棘がある。おそらくあまり歓迎したくない客なのだろう。だが棗が口を出すことではない。おとなしくその様子を見ていた。
「イヤ。この辺は高地だから、涼しいと思ったんですけどあまり変わらないですね。」
「そうですか?今日はどうしてここまで?」
「「black cherry」が明日ライブするんですよ。知ってましたか?」
「えぇ。話だけ。」
 そういって二人はテントを出て行った。その後を棗も出て行く。その様子にバンドのメンバーは顔を見合わせた。
「何者?」
「さぁ。「black cherry」の名前出てたけど、関係者じゃない?」
「じゃあ、やっぱあの噂本当だったんだ。」
 友紀はそういってうなづいた。
「何だよ。友紀。」
 昌樹が聞くと友紀は、複雑そうにいった。
「レコード会社から誘いが来てるんでしょ?蓮さんは前からだけど、菊子ちゃんも歌ったらすごいから。ほら、前に祭りで歌ってみんなの足を止めたって。」
 その言葉に涼子が大げさに驚いた。
「マジ?芸能人になるの?二人。」
「……どうかしら。でも断ったって聞いたよ。」
「何で?」
「そりゃさ……。売れればいいかもしれないけど、蓮さんは菊子ちゃんと一緒になりたいって思ってるんじゃない?」
「あー。だったらちょっと考えるよね。今の方が収入も安定しているし。」
 そんな理由でプロの道をやめたのか。昌樹の拳がぎゅっと握られる。

 西が連れてきたところは、屋台などとは少し離れた閑散とした公園だった。運動公園であるここに遊具はあるが、熱くなっている遊具で遊ぼうという子供はいないらしい。
 その片隅に庵がいくつかあり、そこには四人の男がいる。見たことはあった。祭りの時にライブをしていた人たちだ。
「見たことはあるかな。」
「お祭りの時にライブを拝見しました。初めまして。永澤菊子と申します。」
 その丁寧な口調に、四人は顔を見合わせた。そんなにかしこまると思ってなかったのだろう。
「そんなに丁寧にならなくても良いよ。菊子ちゃん。」
 そういったのは海斗だった。
「歳いくつだっけ。」
 明人が聞くと、菊子は素直に言う。
「十八です。高校三年生です。」
「若いな。」
 累がそう口こぼすと、隣にいた文也が言う。
「綾とは二、三個しか変わらない。でも綾より大人っぽいな。今日は歌うの?」
「いいえ。今日はキーボードで。」
「もったいないな。」
 明人が言うと西は笑いながら言った。
「キーボードも見物だよ。何せ、永澤剛からずっと習っているんだろう?」
 永澤剛の名前に文也は驚いて菊子を見る。
「永澤剛の何?あんた。」
「娘です。」
「ついでに母親は、永澤英子。オペラ歌手だな。」
「すげぇ二世だな。」
 海斗からそう言われても、菊子はぴんとこない。あまり家にいないし、育てられたという感覚もないからだ。ただ両親が帰ってくるときは、恐怖でしかなかったということしかない。
「でも西さん。次にデビューさせるっていうバンド、ボーカル居なかったっけ。ホストの……。」
「ツインでいけるんじゃないかってね。絵になるよ。綾では子供みたいになってしまうけどね。」
「言える。」
 笑いながら海斗は菊子をなめるように見る。背が高く、長い髪は癖一つ無く黒々としている。細身の体なのに、胸は大きいようだ。確かにこれはステージに映えるだろう。
「でも……西さん。私、断りましたよね。」
「ん?諦めてないよ。だってここには女将さんもいないからね。」
「……。」
 そのとき後ろから近づいてくる人が居た。息を切らせて、走ってきている。蓮ではない。もっと背が低い男だ。それに少し軽薄に見える。
「菊子、来い。」
 手をさしのべられ、その手を握る。菊子はその顔に複雑そうだった。
「棗さん……。」
 蓮ではなかった。蓮はまだ来れないのだろう。
「君は?」
 汗をかき、息を切らせながらも棗は西を睨むように見ている。
「菊子はお前等の元へは行かない。俺のところに来るんだからな。」
 そんなの了解していない。菊子は内心そう思いながら、それでも今はそうした方がいいかもしれないとその握られた手を離さなかった。
「はっ……。」
 累が思わず笑った。いつも冷静な累がこんな形で笑うのは初めて見る。
「男が二人もいるような尻軽な女か。綾みたいに女が趣味の方がまだましだな。」
「てめぇ!」
 棗は菊子の手を離して、累に詰め寄ろうとした。拳が握られているのを見て、菊子は思わず棗を止めようと駆け寄る。そのときだった。
「やめろ。棗。」
 太い声が響いた。後ろを見ると、蓮が駆け寄ってきた。菊子はその姿を見て、蓮の方に駆け寄った。
「蓮。」
 蓮の体に手をのばす。蓮も菊子を抱き寄せた。
 その様子に明人は呆れたように言う。
「こいつが横恋慕してるだけだな。別に尻軽でも何でもない。累。謝れよ。早とちりしたお前が悪い。」
 その言葉に累は場が悪そうに、頭をかいた。そして棗に頭を下げないまま口だけで言う。
「悪かったな。」
「それが謝ってる態度かよ。」
 その様子に蓮は菊子を離して、少し笑う。
「お前が言うな。お前も誤解されるようなことを言ったんだろう。」
 そのときだった。
 祭りの会場の方でどよめきが聞こえた。
「何?」
 菊子は思わず蓮の手を握る。イヤな予感がしたからだ。
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