夏から始まる

神崎

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恋人と愛人

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 蓮と「rose」の前で別れて、菊子は一升瓶とレコードを手にして、家に帰って行った。裏口に回ると、女将さんが大将の手を引いて階段を下りている。
「エレベーターでも欲しいところだな。」
 棗に任せているとはいえ、やはり店の、特に厨房は気になるのだろう。
「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい。あら。それは何ですか?」
 武生の家に行くと言っていた。だからといって酒をおみやげに持たせたとは思えない。女将さんはそれをいぶかしげにみる。
「あの……棗さんが頼んだそうです。」
「棗さんが?」
 すると大将が手を伸ばして、菊子からその一升瓶を手にする。見たことのない銘柄だ。こんな酒を出したことはない。大将の手が震えている。
「棗君はまだ帰ってこないのか。」
 棗は今日、新学期に始まる学校の打ち合わせへ行っていた。仕込みまでには帰ると言っていたが、駐車場にも赤い車はない。
「あの……お肉に合う日本酒だとか。」
「あぁ。知っている。だがうちはあまり肉料理を出さない。だからあえてこの酒は入れなかったんだ。あまり勝手なことをされても困る。」
 やはりそう来たか。大将の許可無く入れた酒なのだ。菊子は心の中でため息をつきながら、靴を脱いだ。そのとき棗が外から帰ってくる。
「ただいまっと。あー。暑いなぁ。学校の中は冷房効いているけど、車の中は地獄だな。」
 そういって乱暴に靴を脱いだ。そろえるという概念はないのだろう。菊子はその靴をそろえて、玄関を上がる。
「棗君。コレはどういうことだろうか。」
 そういって大将は手に持っている一升瓶を、棗に見せた。その顔は怒りに満ちている。だが棗は平然としていた。
「いい酒なんですよ。肉に合う。和食で肉はあまり使わないけど、今はそんな時代じゃないし。」
「時代を読んだという事か。先駆者のつもりか君は。」
 その声も怒りで高ぶっている。その様子に女将さんが心配そうにいった。
「大将。落ち着いて。血圧が上がりますよ。」
 すると棗も笑いながらいう。
「そうそう。あまり怒らないでくださいよ。」
 怒らせてるのはあんただ。菊子はそう思いながら、大将からその酒を受け取る。
「このままだとこの店は廃る。新しいことをするべきだと思いますよ。」
「何だと。」
 駄目だ。感情にまかせて怒っている。元々大将は気の短い、職人気質なところがある。だからまだ十七歳の葵でもそれを感じて、無理には逆らおうとしていなかったはずなのに。
 そのとき女将さんが冷えた口調でいう。
「棗さん。コレがあなたのやり方でしょうね。味は確かに昨日は評判が良かったし、見た目もちょっとした工夫で美味しそうだと口にするお客様も多かったですよ。でも、コレはやりすぎですね。」
 確かに。あくまで棗は助っ人なのだ。仕入れも、皐月の足りないところをカバーして、調理も孝の手の足らないところをカバーすればいいと思っていたくらいだ。
 しかし実際入ってみると、棗は思った以上に口を出す。料理に手を加えたがる。見た目も味もそれでいいのかもしれないが、このままだと孝がやりにくくなるだろう。それがきっかけで孝がやめると言い出せば、困るのは復帰した大将なのだ。
「肉は、うちの店では定番です。それに合わせた酒を提供しています。昔から獣肉は食わなかったのかもしれない。だけど、今のこの国の人は結構肉を食べますよ。それに合わせていくのも一つの道でしょう。」
「うちはうちのやり方がある。」
「そんな調子だから、菊子をもらいたいっていってるんですよ。」
 その言葉に一番驚いたのは菊子だった。
「え?」
 棗はそういって少し笑いながら、菊子を見下ろす。だがその表情が少し曇った。
「菊子。おまえシャワー浴びて来いよ。」
「え?」
「きつい香水の匂いがするからな。どこでついてきたんだ。」
 菊子はそういって自分の腕を匂ってみるが、よくわからない。
「その酒は肉に合う。特に牛肉の赤身にはたまりませんよ。」
「そんな問題ではない。毎日肉を出しているのではないし、一度あけた酒は日を追うごとに風味も何もなくなってしまうことくらい知っているだろう。」
 あくまでこの酒を入れたくないらしい。棗は少しため息をついて、また靴を履く。
「ちょっと出てきます。」
「棗さん。」
「お前はシャワー浴びろって言ってんだろ。仕込みまでには帰りますから。」
 そして玄関を開けて出て行った。その様子に大将は不機嫌そうに酒をみる。
「酒造会社も知っているところだし、いい酒なのは知っている。だがあくまでうちは和食屋なんだよ。」
「えぇ。そうですね。あまり勝手なことをされても……。」
 女将さんもその様子を呆れたように見ていた。

 シャワーを一度浴びて、風呂場から出てくる。そして着ていたシャツを嗅いだ。確かに香水の匂いがする。コレは圭吾の匂いだ。
 その匂いを嗅いで、菊子は不機嫌そうにそのシャツやジーパンを洗濯機の中に入れた。あんな人に好きなようにされるのは本望じゃない。
「あーもう。」
 そういって下着を手にして、それを身につけようとしたときだった。
 いきなり脱衣所のドアが開いた。そこには皐月の姿がある。
「皐月さん……。」
「あ……すいません。」
 そういってあわててドアを閉める。また見てしまった。皐月はふっとため息をついて、そのドアに寄りかかった。
 白い肌だった。やせていて、その脇には少しあばらが浮いている。背中の背骨も見えた。その上の首もとには纏めきれなかった後れ毛が垂れている。そしてわずかに見えた胸の膨らみの先はピンク色だった。その一つ一つがとても色っぽくて、そして愛しい。
 まだ好きなのだ。
 皐月はそう思いながら、うつむいていた。
 しばらくすると、菊子は肌襦袢のまま出てきた。
「すいません。お騒がせしてしまって。」
「いいえ。俺も確認しなかったから。」
「どうぞ。中に。」
 菊子はそういって自分の部屋に戻っていく。それを皐月は見てため息をついた。
 蓮は帰ってくると、菊子の部屋を訪れる。菊子はそれがいくら夜中でも起きて蓮を迎え入れるらしい。あの体を好きにしているのだ。
 そしてそれは棗も。
 自分だって好きなのに、最近はキス一つ出来ない。あの舌をもう一度味わいたいと思っているのに、何も出来なかった。
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