夏から始まる

神崎

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 海外に出ればもうあまり関係のない話だ。だから「rose」へ行く前、耳にしたことを武生に託した。武生は上手くやってくれるだろうか。
 知加子はそう思いながら夜の薄暗い飛行機の中で、掛けられているブランケットをあげながら、想いを寄せていた。
 そして小さなテーブルに置かれている注文した酒を飲み干して、いすを倒した。
「……。」
 遠くで声が聞こえる。そのまま深い眠りについた。

 武生は家に帰ってくると、そのままキッチンへ向かった。もう真夜中で誰もいないキッチンは静かなもので、冷蔵庫を開ける音すら響くようだった。
 麦茶を取り出すと、コップに注いで一気に飲み干す。そうではないとどうにかなりそうだった。
「……武生さん?」
 声がして振り返るとそこには日向子がいた。もう寝るような格好で、パジャマを着ている。
「兄さんいます?」
「省吾さんなら、まだ帰ってきていないです。」
「……。」
 村上組の上、坂本組へ行くのは圭吾だという。圭吾がそこへ行くのは、省吾よりも圭吾の方が仕事が出来るからという理由だけではない。
 圭吾はどうやら結婚するらしい。そしてその相手を連れていくので優先的に呼ばれたのだ。それが省吾には面白くない。
「圭吾兄さんが刺されたの知ってます?」
「……え?」
「……省吾兄さんの差し金だったみたいですね。」
 身内でそんなバカなことをしないで欲しかった。
「武生さん。あなたがこの組に入ってくれれば、全て丸く収まっていたんです。省吾さんが坂本組へ入り、圭吾さんはこの組を継ぐ。そしてあなたがその片腕にと、お父様はずっと考えていたみたいですよ。」
「俺はそんな道に入りたくありません。」
「わがまま……。」
 自分の思うとおりの道なんか行けない。自分だってしたいことがあったのに、それを果たせなかった。こんな家に産まれてなければ、自分はもっと違う道を歩めたはずなのに。
「わがままですか?自分の生きる道は自分で決めることがわがままなんですか?」
「出来ないこともあるんです。武生さん。もっと大人になって。」
 自分はそうしてきた。本当なら知加子のように海外へ行きたかった。なのに、結局自分はこの国を出たこともない。
「……あの男だって……自分のわがままのせいで今どうなっているか……。」
「あの男?」
 昼間にやってきた女しか見ていなかった圭吾。二人で離れの倉庫へ行き、出てきたときの菊子の顔は暗い影を落としていた。
 力ずくで自分のものにしようとしていたのだろう。
「かわいそうで……見ていられない。」
 何も知らない蓮も、そして菊子も、誰も幸せになっていないのだ。

 菊子は目を覚ますと、その体に抱きしめられていることに気が付いた。それは蓮ではなく、圭吾だ。
 悪夢のように何度もセックスをした。嫌がっているのに体は正直に反応して、ついに意識がなくなった。棗でもこんな反応をしない。
 ぐっすり眠っているのを見て、菊子はその腕から離れる。圭吾は気が付いていない。そしてそっとベッドから降りて、玄関の方へ向かった。暗がりでよく見えなかったが、玄関には靴一つない。靴箱の扉を音を立てないようにしてあけて、サンダルのようなものを取り出した。
 それをはいて、玄関の扉のチェーンと鍵を開ける。外はまだ生温い気温のようだ。この部屋は空調が利いているので、寒い暑いはよくわからない。
 部屋の外に出ると、一気にエレベーターホールまで駆け出す。サンダルは足に合っていない。ズボンだってサイズが合ってなくて裾を引きずるようだ。だが必死だった。エレベーターのボタンを押して、それがくるのを待つ。しかし自分の北方向から扉が開く音が聞こえた。
「菊子。」
 圭吾の声に菊子は周りを見渡す。するとエレベーターの横に扉があった。上を見ると非常階段と書いている。迷わずそこに手をかけてその中に入っていった。
 階段は暗い。足を取られそうになる。その上服だって裾を踏みそうだ。だが必死で駆け下りた。三階くらい大した距離じゃない。外に出て雑踏の中に逃げれば、そこを捕まえることはきっとしない。目立つことはしないからだ。
 だが階段を下りきって外に出たとき、肩を掴まれた。
「や……。」
「菊子。」
 息を切らせて肩から二の腕を掴まれる。振り向くと、少し笑っている圭吾が居た。
「縛り付けてやろうか。」
「やめて。帰りたい。」
「あんな家にいることはない。お前を本当の子供だとも思っていない家だ。」
「え……。」
 そのときその手を離されてぐっと違う腕が、菊子を圭吾から離す。それはずっと求めていた人の手だった。
「蓮……。」
 菊子は素直に蓮の方に体を寄せた。だがその見上げる蓮の表情は今まっでにないくらい、怒りに染まっているように見える。それを押さえるように菊子は再び蓮の名前を呼ぶ。
「蓮……。」
「世話になったな。連れて帰る。」
 怒りを押さえているようだった。何だかんだ言ってもヤクザなのだから、逆らえないとでも思っているのかもしれない。
 すると圭吾はふっと笑う。
「連れて帰る?どこに?こいつの居場所はここしかない。そして俺と街へ出る。」
「……寝ぼけたことを言うな。」
 蓮の手が震えている。怒りを押さえきれないのかもしれない。菊子は蓮の体に体を寄せた。蓮が怒りに任せないようにと。その様子に圭吾が手を伸ばした。しかし蓮の方が菊子の体を避けさせて、それをさせないようにする。
「所詮、どこの馬の骨ともわからない娘だ。そいつは養子だろう。だから女将も大将もすんなり俺にそいつを手渡した。」
 それ以上言ってはいけない。菊子を引き寄せた手に力をいれる。
「え……。」
 寝耳に水だった。養子だったという事は、今まで両親、祖父母だったという人とは繋がりがないのだろうか。
「何だ。何も知らないのか。」
 ますます圭吾は笑い、少し力の弱まった菊子の体を無理矢理引き離し、背中から抱きしめる。そして耳元で囁くように言った。
「一人の女を犠牲にして産まれてきたのがお前だ。」
「やめろ。」
 蓮はそう言って菊子の方に手を伸ばす。しかし菊子の手は蓮に向けられなかった。
「女が妊娠していたのを堕胎させて、代理母出産を強要した。それがお前の両親だ。」
 菊子の目の前が真っ暗になるようだった。ガクンと膝の力が抜けて、圭吾にもたれ掛かる。
「嘘……。」
「俺が非人道的だと言っていたが、よっぽどおまえの両親の方が人間らしくない。そしてそれを黙っていた周りの人間もな。」
 そう言って蓮をみる。蓮は知っていた。だがそれを菊子に言うことはなかった。
 それが菊子のためだと自分に言い聞かせながら。
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