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駅の前には港が広がっている。小さな駅で、駅員も一人しか居ない交代制だ。トイレと自動販売機くらいしか無く、待合室もベンチが少しあるだけだった。
お土産といって渡された発泡スチロールには、魚や貝、わかめなどが入っているらしい。今日から漁に出ているので、取れたての魚らしい。
「あとで送ってもいいんだけど、鮮度もあるからねぇ。」
今日の夜に刺身に出来るものだ。倫子が喜ぶだろう。これをつまみに酒を飲みたいとでも言い出すだろうか。だったら酒も買って帰りたいが、どう考えても一人では持てない。
やがて時間を見て春樹は待合室のベンチを立つ。そしてホームへ降りた。その後ろから同じように帰省していた家族や若い人たちも入っていく。こういう時期ではないと、みんな帰省しないのだ。
そのときホームに見覚えのある人がいた。昨日と同じ黒いコートを着た真矢だった。
「芦刈さん。」
「あぁ。藤枝さん。おはようございます。」
抱えられるくらいの荷物と、紙袋を持っている。おそらく職場へのお土産だろう。
「大きな荷物ね。」
「うん。」
「お土産にしては多いわ。誰かにあげるものかしら。」
「今、作家の先生の所に身を寄せていてね、同居人達にお土産を。」
「作家?小説家か何か?」
「うん。」
「そう……。」
妻が亡くなったばかりだという。寂しさを紛らわすために、そういう生活をしているのだろうか。
寂しいとか思ったことのない真矢にしてみたら、感覚はわからない。いつも男が周りにいて楽しそうにしている姉とは違うのだ。
「楽しそうね。」
「楽しいよ。若い人ばかりだけど、目線が同じだ。」
「大学の時には寮にいたけれど、あまりそういうことはしたことがないわ。」
「本ばかり?」
「えぇ。」
「君も楽しそうだ。」
そのとき電車がやってくるチャイムが鳴る。ここから少し離れた大きな駅で乗り換えをして、自分たちの街へ帰っていく。
「作家先生は、難しい人じゃないかしら。」
「難しいね。気分屋で、情緒が不安定だ。」
言葉は厳しそうなのに、嬉しそうに見えるのはどうしてだろう。不思議に思いながら、電車がやってきてそこに乗り込む。二人は並んで座ると、春樹は膝の上に発泡スチロールを置き足下に荷物を置いた。
「相変わらず本ばかり読んでいるんだろう。」
「えぇ。姉からは暗い人と言われているけれど、それが一番の娯楽だから。」
「似たようなものだね。俺も部屋は本だらけだ。本のためにアパートの一室を借りたよ。」
「まぁ……。」
少し笑った。その顔は少し倫子に似ている気がする。そう思って春樹は視線をはずした。
「図書館にいると言っていたね。」
「えぇ。蔵書は多い方なの。是非見えて欲しいわ。」
「機会があればね。あぁ、うちの作家先生はよく行っているみたいだけど。」
「資料を集めに来るのかしら。そういう方も多いの。シナリオライターとか、どこかの学者先生とか。あぁ……藤枝さん。遠藤守先生はご存じ?」
「もちろん。「髭の五郎」のシリーズはすべて読んだよ。」
「ミステリーの第一人者としては有名だけれど、その前は純文学を書いていたの。少し問題があったので、再発売もされていないし本を見つけるのも大変みたいだけれど、うちにそれが揃っていたわ。」
「へぇ……。うちの作家の先生がファンでね。よく読んでいるみたいだ。いったら読みに行くかもしれないな。」
「お待ちしてるわ。」
昔よりも饒舌になっている。社会に揉まれれば、話したくない人とも話さないといけないのだろうし、合わせないといけない。それを真矢は学んだのだ。
駅について、電車を乗り継ぐ。同じ方向の真矢もやはり同じ電車に乗った。隣の席に座り、本についての話はつきることはない。真矢は当然倫子の本も読んでいて、一番楽しそうに話してくれた。
「映画よりも本の方が面白いわ。最初の「白夜」は表現力に難があると思ったけれど、今はとても読みやすい。でも少し軽い感じがするわ。」
「小泉先生は当初のことをよく覚えている。少し文章を凝る癖があってね。」
「藤枝さんが担当しているの?編集長ではなかったかしら。」
「小泉先生は少し難しい人でね。うちの専属ではないし、もしうちで書かないと言い出したら、うちの雑誌はあっという間に廃刊だ。だからずっと俺が担当してる。」
「……それって……藤枝さんが上をめざせないってことにならないかしら。」
「え?」
「編集長って今どれくらいしているの?」
「三年目。」
「もう少しするかもしれないけれど、もし編集長の上のポストに就いたら、編集なんてできないんじゃないの。」
「……本に関われればいいよ。」
「え?」
「上のポストは目指していない。俺はね、作家先生と二人三脚で良い本を量産していきたいだけなんだ。図書館に置いてもらえるようなね。」
その言葉に真矢は少し笑う。
「どうしたの?」
「昔のままね。藤枝さんは。私はあなたが泳いでいるか本を読んでいるかしか見たことはなかったけれど、本が好きなのは変わらないのね。」
「……そうかな。」
「姉とおつきあいをしていたことがあったわね。でも姉の口からは、あなたの愚痴しか聞いたことはない。「本にしか目線がいっていない」って。」
「……。」
「私にはそれが自然だと思っていたけれど。」
本よりも、仕事よりも今は優先したいこともある。妻が生きていたときもそんなことを思わなかった。
倫子を抱きたいと思う。だがこうして無理をすることなく、同じ目線で話せる真矢も居て楽なタイプだと思った。
「そうだね。人にはいろんな価値観がある。それを人に押しつけることはない。君だって本が一番の価値なんだろう。」
「えぇ。」
「俺は少しでも図書館に置いてもらえるような本を今は作りたいと思う。」
「それが藤枝さんの幸せなのね。」
「まぁ……それだけじゃないけどね。」
「え?」
「本を読んでる隣に恋人がいれば、さらに幸せだと思うよ。」
「……恋人?」
年末に奥さんが亡くなったばかりだ。なのにもう恋人がいるのだろうか。驚いて真矢は春樹の方をみる。
「あぁ。恋人。」
「藤枝さん。奥様が亡くなったばかりでしょう?」
「……そうだね。」
すっと真矢は視線をそらせた。不倫でもしていたのだろうか。そう思うとやるせない。
「あぁ……ちょっと失礼。」
春樹はそういってポケットに入っている携帯電話を取り出した。メッセージは克之からで、どうやら靖がこちらに来たいということを告げたらしい。
克之の仕事の都合にあわせて連れてくるので、病院の予約をしておいて欲しいと言うことだった。
「病院はいつからあいているかな。」
「病院?」
「甥がこっちの病院にかかりたいそうだ。陸上をしていて、足を壊したらしい。田舎の医療では限界があるだろうから、こちらの病院を紹介したくてね。」
「あぁ。公共機関と一緒だったら、四日とかじゃないかしら。」
「うん……。まぁ、連絡をしてみよう。」
普通の男だ。なのに不倫をしているのだ。そう思うと真矢の気持ちが、すっと冷めていく。さっきまで楽しかった時間が、嘘のようだ。
お土産といって渡された発泡スチロールには、魚や貝、わかめなどが入っているらしい。今日から漁に出ているので、取れたての魚らしい。
「あとで送ってもいいんだけど、鮮度もあるからねぇ。」
今日の夜に刺身に出来るものだ。倫子が喜ぶだろう。これをつまみに酒を飲みたいとでも言い出すだろうか。だったら酒も買って帰りたいが、どう考えても一人では持てない。
やがて時間を見て春樹は待合室のベンチを立つ。そしてホームへ降りた。その後ろから同じように帰省していた家族や若い人たちも入っていく。こういう時期ではないと、みんな帰省しないのだ。
そのときホームに見覚えのある人がいた。昨日と同じ黒いコートを着た真矢だった。
「芦刈さん。」
「あぁ。藤枝さん。おはようございます。」
抱えられるくらいの荷物と、紙袋を持っている。おそらく職場へのお土産だろう。
「大きな荷物ね。」
「うん。」
「お土産にしては多いわ。誰かにあげるものかしら。」
「今、作家の先生の所に身を寄せていてね、同居人達にお土産を。」
「作家?小説家か何か?」
「うん。」
「そう……。」
妻が亡くなったばかりだという。寂しさを紛らわすために、そういう生活をしているのだろうか。
寂しいとか思ったことのない真矢にしてみたら、感覚はわからない。いつも男が周りにいて楽しそうにしている姉とは違うのだ。
「楽しそうね。」
「楽しいよ。若い人ばかりだけど、目線が同じだ。」
「大学の時には寮にいたけれど、あまりそういうことはしたことがないわ。」
「本ばかり?」
「えぇ。」
「君も楽しそうだ。」
そのとき電車がやってくるチャイムが鳴る。ここから少し離れた大きな駅で乗り換えをして、自分たちの街へ帰っていく。
「作家先生は、難しい人じゃないかしら。」
「難しいね。気分屋で、情緒が不安定だ。」
言葉は厳しそうなのに、嬉しそうに見えるのはどうしてだろう。不思議に思いながら、電車がやってきてそこに乗り込む。二人は並んで座ると、春樹は膝の上に発泡スチロールを置き足下に荷物を置いた。
「相変わらず本ばかり読んでいるんだろう。」
「えぇ。姉からは暗い人と言われているけれど、それが一番の娯楽だから。」
「似たようなものだね。俺も部屋は本だらけだ。本のためにアパートの一室を借りたよ。」
「まぁ……。」
少し笑った。その顔は少し倫子に似ている気がする。そう思って春樹は視線をはずした。
「図書館にいると言っていたね。」
「えぇ。蔵書は多い方なの。是非見えて欲しいわ。」
「機会があればね。あぁ、うちの作家先生はよく行っているみたいだけど。」
「資料を集めに来るのかしら。そういう方も多いの。シナリオライターとか、どこかの学者先生とか。あぁ……藤枝さん。遠藤守先生はご存じ?」
「もちろん。「髭の五郎」のシリーズはすべて読んだよ。」
「ミステリーの第一人者としては有名だけれど、その前は純文学を書いていたの。少し問題があったので、再発売もされていないし本を見つけるのも大変みたいだけれど、うちにそれが揃っていたわ。」
「へぇ……。うちの作家の先生がファンでね。よく読んでいるみたいだ。いったら読みに行くかもしれないな。」
「お待ちしてるわ。」
昔よりも饒舌になっている。社会に揉まれれば、話したくない人とも話さないといけないのだろうし、合わせないといけない。それを真矢は学んだのだ。
駅について、電車を乗り継ぐ。同じ方向の真矢もやはり同じ電車に乗った。隣の席に座り、本についての話はつきることはない。真矢は当然倫子の本も読んでいて、一番楽しそうに話してくれた。
「映画よりも本の方が面白いわ。最初の「白夜」は表現力に難があると思ったけれど、今はとても読みやすい。でも少し軽い感じがするわ。」
「小泉先生は当初のことをよく覚えている。少し文章を凝る癖があってね。」
「藤枝さんが担当しているの?編集長ではなかったかしら。」
「小泉先生は少し難しい人でね。うちの専属ではないし、もしうちで書かないと言い出したら、うちの雑誌はあっという間に廃刊だ。だからずっと俺が担当してる。」
「……それって……藤枝さんが上をめざせないってことにならないかしら。」
「え?」
「編集長って今どれくらいしているの?」
「三年目。」
「もう少しするかもしれないけれど、もし編集長の上のポストに就いたら、編集なんてできないんじゃないの。」
「……本に関われればいいよ。」
「え?」
「上のポストは目指していない。俺はね、作家先生と二人三脚で良い本を量産していきたいだけなんだ。図書館に置いてもらえるようなね。」
その言葉に真矢は少し笑う。
「どうしたの?」
「昔のままね。藤枝さんは。私はあなたが泳いでいるか本を読んでいるかしか見たことはなかったけれど、本が好きなのは変わらないのね。」
「……そうかな。」
「姉とおつきあいをしていたことがあったわね。でも姉の口からは、あなたの愚痴しか聞いたことはない。「本にしか目線がいっていない」って。」
「……。」
「私にはそれが自然だと思っていたけれど。」
本よりも、仕事よりも今は優先したいこともある。妻が生きていたときもそんなことを思わなかった。
倫子を抱きたいと思う。だがこうして無理をすることなく、同じ目線で話せる真矢も居て楽なタイプだと思った。
「そうだね。人にはいろんな価値観がある。それを人に押しつけることはない。君だって本が一番の価値なんだろう。」
「えぇ。」
「俺は少しでも図書館に置いてもらえるような本を今は作りたいと思う。」
「それが藤枝さんの幸せなのね。」
「まぁ……それだけじゃないけどね。」
「え?」
「本を読んでる隣に恋人がいれば、さらに幸せだと思うよ。」
「……恋人?」
年末に奥さんが亡くなったばかりだ。なのにもう恋人がいるのだろうか。驚いて真矢は春樹の方をみる。
「あぁ。恋人。」
「藤枝さん。奥様が亡くなったばかりでしょう?」
「……そうだね。」
すっと真矢は視線をそらせた。不倫でもしていたのだろうか。そう思うとやるせない。
「あぁ……ちょっと失礼。」
春樹はそういってポケットに入っている携帯電話を取り出した。メッセージは克之からで、どうやら靖がこちらに来たいということを告げたらしい。
克之の仕事の都合にあわせて連れてくるので、病院の予約をしておいて欲しいと言うことだった。
「病院はいつからあいているかな。」
「病院?」
「甥がこっちの病院にかかりたいそうだ。陸上をしていて、足を壊したらしい。田舎の医療では限界があるだろうから、こちらの病院を紹介したくてね。」
「あぁ。公共機関と一緒だったら、四日とかじゃないかしら。」
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