守るべきモノ

神崎

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一室

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 キッチンの片づけや仕込みを終え、ウェイトレスも掃除を終えたらしい。雑な掃除の仕方だ。ため息をついたが、もうこれ以上言っても意味がない。おそらく元ヤンだの、口うるさいだの、今日一日でさんざん陰口を叩かれただろう。そんなモノに耳を傾けたくもないし、気にもしたくない。
 それに泉のことも心配だ。そう思いながらエプロンを取った。すると赤毛のウェイトレスが、礼二に声をかける。
「川村店長。」
 みんなが遠巻きにしていたのに、その女性だけは礼二に声をかけてきたのだ。
「どうした。」
「その……今日は悪かったわ。」
 その言葉に周りがざわつく。口うるさいことばかり言ったのだ。嫌われていると思っていたのに。
「何で謝るの?」
「……これくらいで良いかって、思ってたところもあるのよ。みんな。」
 女性もまたあのコーヒーを監修している女性のところで、コーヒーを楽しんだ口なのだ。その気持ちを忘れていた。
 小さい店だったが客がとぎれることもないのは、その女性が美味しいコーヒーをずっと淹れているから。
 人間一度美味しいモノを口にすると、あとに戻れないのだ。もう一度口にしたくなる。女性はそう言っていた。
「副店長も変に別の講習とかに行ったから。」
「講習自体は悪くないよ。勉強熱心だったその成果なんだから。」
 持ち上げているようで、実は陥れている。相当いらついているのだ。
「川村店長。みんなでご飯でも行かないかって言ってるけど、どうする?」
「いいや。遠慮するよ。電車の時間もあるし。」
 それに泉が心配だ。
 そのときキッチンに入っていた別の男が声をかける。
「俺、明日休みなんですよ。そっちの店舗でコーヒー飲みたいっす。」
「良いよ。いつでもどうぞ。」
「二人って言ってましたよね。もう一人の人もバリスタですか?」
「あぁ。二人しかいないからどっちも出来るようにしてる。彼女は焙煎も出来るし、接客も相当口うるさく言ったから、それなりに出来るようになったよ。」
「それでもついてこれるんだ。すげぇ。」
 泉は接客については不器用なところもある。軽く交わすと言うことが出来ないのだ。だが大和が来て良いところもある。大和と働いて、腐女子たちを軽く交わせるようになってきたのだ。その辺だけは感謝しているが、早く泉のところへ行かなければ泉は大和に襲われるかもしれない。
 そのときだった。礼二の携帯電話がなる。メッセージは泉からだった。
「ご飯に行ってくる。」
 食事に行くのか。誰と。大和と行くのか。焦りそうな感情を抑えて、更衣室へ向かっていった。そのとき、ふとメモ帳を忘れていることに気がついた。気がついたことを書き留めてくれ報告してくれと大和から言われそれを逐一メモしていたもので、あれがないと報告書にまとめられない。そう思ってフロアに戻っていく。
 今日はほとんどキッチンにいた。そう思って暗いフロアにやってくる。するとキッチンに影があった。驚いて電気をつけると、そこには副店長の姿がある。
「何やってんですか。」
 礼二が焙煎したであろうそのコーヒー豆が入った瓶を手にしていた。そしてその横には自分が焙煎した瓶が置いている。
「……くそ。」
 瓶を置くと、カウンターを出てフロアにいる礼二に近づいてきた。その勢いに思わずその体を避ける。だが副店長はその避けた副店長に詰め寄られ、胸ぐらを捕まれる。
「俺だって……やってんのに!お……お前なんかに!」
 思わず手を振り払おうとした。だが壁に押しつけられて、派手な音がした。その音にバックヤードにいたスタッフがやってくる。
「何やってんですか。」
「喧嘩?」
 どう見ても礼二が被害者だ。礼二は呆れたように副店長を見下ろしている。
「俺だって……。」
「あんた、この店向いてないですよ。」
 腕を振り払い、首を横に振った。そしてカウンターに忘れているメモ帳を手にする。
「ここの前はどっかのチェーン店の店長してたんですよね。でもやり方がまずかった。あんたの在籍した店はことごとく閉店に追い込まれている。」
「コーヒーなんか……。」
「コーヒーなんかって言う言葉がでる時点で違う。コーヒーはただの飲み物じゃないんだ。」
 あの女性が淹れた何気ないあの一杯が礼二を変えたのだ。そしてあの女性は言った。
「自分が美味しいって思えるモノを、他人と共有できるのって嬉しいですよね。私はずっとそうしてきたんです。自分が美味しいと思ったモノをお客様に美味しいって言われたい。それだけなんです。」
 自分もそうしてきた。美味しいと思ったモノを共有できればいい。それがコーヒーだったらなお嬉しい。
「会社には報告しておきます。この店の現状を。たぶん、店長はそんなに悪い人じゃない。あとはみんなの意識かと思います。あんたもそう思ってくれればここにいることは出来ると思います。でも……足を引っ張るだけだったら、もう良い。俺ならそう言いますね。」
 すると副店長はがくっと肩を落とした。そして礼二はまたバックヤードへ向かう。そして更衣室にはいると着替えを始めた。言いにくいことも言えない店長だったのだ。この店の行く末は、礼二にはわからない。どうなろうと知ったことではないが。そう思いながら着替えを終えると、裏口から出て行こうとした。そのときだった。
「礼二。」
 声をかけられる。振り向くとそこにはあの赤毛のウェイトレスがいる。もう女性も着替え終わって、薄いコートを身につけていた。
「どうした?忘れ物でもしたかな。」
 そう思ってポケットを探る。すると女性は礼二に近づいて、革のキーケースを手渡した。
「あぁ……悪い。」
「忘れ物がいつも多かったもんね。今は大丈夫?」
「いつも言われるよ。今日が本社に提出する書類の締め切りだっただろうって。」
 泉はその辺がしっかりしている。姉妹にはノートパソコンに、スケジュールを書いてくれている始末だ。
「一緒に働いている人?」
「うん。どっちが店長なのかわからなくなるときもあってさ……。」
 幸せそうな顔だ。結婚したときもそんな感じではなかった。いつも空虚で、それでも女が寄ってきていて断っていなかったように思える。そして自分もそれに乗った口だ。礼二はセックスが上手い方だと思う。人によっては激しくすればいいとか、自分が満足できればいいとか思っている男ばかりの中、礼二はまるで自分に好意があるように錯覚すらするのだ。
「あのさ……。連絡先って変わってない?」
「変わってないけど。」
「今度連絡して良い?」
「仕事のこと?あの店、これから結構大変になるだろうし、それだったら別に良いけど……。けどそういうのはどっちかって言うと、店長とした方が良い……。」
「じゃなくてさ。しようよ。」
「セックス?」
「たまには違う女と寝たいとか言ってたじゃん。小さく纏まるの嫌だって言ってたし。」
「良く覚えてるな。でも今は良いかな。」
「礼二。」
「今の彼女が好きなんだ。」
 強情だ。だがここで引き下がれない。女は礼二の手を引き、ビルの隙間に隠れ込むように身を隠した。そして体をすり寄せる。
「やめろよ。」
「感度が良いの好きだって言ってたじゃん。覚えてるんでしょう?私の……。」
「いい加減にしてくれ。」
 そういって礼二は女を突き放すと、駆け出すように大通りに出て行く。そして泉に連絡をした。だが泉は着信に出ない。焦りだけが先走っている。
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